殺してください
後書きに挿絵がございます
不要の方は、画像表示をオフでご利用くださいませ
私は不死者を屠る剣を持っている。どこでどう聞きつけたのか、さまざまな不死者たちが連日押しかけてくる。彼等は生に飽き別れに疲れて死に焦がれているのだ。
しかし不死者を滅ぼす条件にもいろいろあって。いくら私が特別な剣を使えるからといっても、それで必ず死んでいただけるわけではないのだ。
特定の日時を逃したらたとえ不死者を屠る剣を使っても死ねない者、髪の毛が厳密にある長さの時にだけ不死者を屠る剣が有効な者。条件を満たす見学者が必要な者。不老を老いさせる毒と併用しなければ、こちらの剣も効かない者。
「お願いします。殺してください」
今日も今日とて世界の果てから不死の生き物がやってきた。彼は銀青色の短い毛を纏う猫の姿をしていて、尻尾が二股に分かれていた。東の果てにある国では、百年生きた猫たちが経上るとネコマタとかいうものになるとやら。彼等は化けたり踊ったり、或いは人を食べたりするそうな。
「何故また君は死にたいのかね?」
私は銀青のネコマタに聞いてみる。
「もう充分に生きました」
「満足したから死にたいのかい?」
「そういうことになりますね」
「うんまあ、止めはしないけども」
私は剣に油を叩きつけながらチラリと横目でネコマタを見る。冷やかしではないようだ。金色の瞳が剣に反射する太陽で細まりながら、懸命に目を逸らさないでいる。
「必ず死ねるとは限らないよ」
「承知いたしておりまする」
「じゃあ試してみるかい」
「お願いします」
今のところ判明している特別な条件はないようだ。案外すんなりと死ねるかもしれないぞ。しかしこちらも親切だけではやっていられない。何しろ生き物を殺すのだ。剣を使って切ったり刺したり裂いたりするのだ。なにも楽しくてやっているんじゃあないよ。頼まれるから仕方なく手伝っているだけだ。
「ただってワケにはいかないが」
「三国一の美女を献上致します」
「いらないよ」
いずれその美女も妖怪変化の類であろう。
「ではその美女が持つ大帝国の継承権を」
「何故君がその継承権を自由に出来るのだい?」
どうせ死霊の帝国だろう。
「わたくし、その者の婚約者なのでございます」
「婚約者?」
「正確には成り替わりました」
「ああ、君が死んだら、その婚姻で得る権利を含めて私が君の遺産を引き継ぐのだな?」
「いえ、単純に貴方がわたくしに成り替わるのです」
妖術を使う気か。
「しかしだよ、君。術者が死んだら成り替わりは明るみに出るのではないのかね?」
「いえ、わたくしが死ぬれば、貴方はわたくしに成り替わるのでございます」
「何、それでは私が成り替わられるのではないのかね?」
身体が痛んで乗り移る気か。
「いいえ、わたくしは死にまする」
「一体全体どういう仕掛けだ」
私はどうにも合点がゆかぬ。
銀青猫は身の上を語る。
※※※
わたくしは、大帝国の平野に住まう者でした。200年という長きにわたり、1つの家と共に在りました。家門には、1人必ず妖術の才が現れる子が生まれます。1人が死ねば1人が受け継ぐ。妖気と共に、わたくしも受け継がれるのでありまする。
ところが今生、妖術を継いだケマルという青年が、不慮の事故で死んでしまったのです。ケマルは馬術に長けておりましたが、領地巡回で荒地を訪れた時、落馬が元で命を失ったのでございます。冷たくなったケマルの身体に、私は不審を抱きました。
「ハジーネよ、何があったのだ」
厩に走って、ケマルの愛馬ハジーネに問いかけました。馬を愛するケマルが落馬だなんて。
「銀青猫よ、謀られたのだ」
「謀られた?」
「人気のない荒野の岩陰で」
「なんと」
「お優しいケマルは休憩と偽られ、後に残らぬ毒入りの水を飲まされた」
「ああ、それで」
「妖術を使う暇もなかった」
「なんと卑怯な」
「みな信の厚い者たちと思われたのに」
ケマルは、一族の者から裏切られたのです。
ケマルは、たいそう優しい青年でした。妖術使いは苛烈だったり、狡猾だったり、碌なものではありません。けれどケマルは違いました。先祖の誰とも似ておりません。
それで家門の者は、ケマルに妖術の才が引き継がれたのがどうしても許せなかったのです。ケマルが死ねば、次に生まれる者の中から継承者が現れる。彼等は、次の世代に賭けたのです。また弱虫が生まれるかも知れませんが、そうでない事を切に願いました。
当代の死去から次代の力が発現するまでの期間はバラバラでした。次の継承者が現れるまでの数年間は、わたくしが一族の家長代理を務めます。わたくしどもは、この身分を妖帝と呼んでおりまする。妖共を引き連れて、遠い昔の愛の記憶を守ります。わたくしは、この一族の始祖の夫でございましたれば。
「ケマルさまっ、ああ、よくぞご無事で」
わたくしは、わが子孫ケマルに成り替わり、大帝国の継承者が住まう翡翠の宮殿に訪ねて参りました。すると1人の佳人が音もなく滑り寄りました。対外的には、次の後継者が現れるまで、ケマルは生きていることになっております。ただ、その姿に馴染むまでには多少の時間が必要でした。
「はるばるおいでいただくなど、お身体に触ります。どうかわたくしのことは暫しお忘れくださりませ」
翡翠の宮殿に住む姫君は、気軽に出歩けません。たとえ婚約者の元へ訪ねてゆくのであっても。だから、落馬して療養していると知らされても、彼女はケマルを訪ねることが出来ず、気を揉んでいたのです。
「アシャよ、案ずるでない」
「ケマルさまが落馬するなど」
「暑さが思いの外酷くてな」
「慎重なケマルさまが」
「アシャよ」
わたくしは首を横に振りました。アシャが暗殺に気づいて危険な目にあっては大変です。アシャはケマルを心から愛しておりました。敵ばかりの一族の中で、アシャは唯一の味方でした。彼女まで死なせるわけにはまいりません。
2人の出会いは翡翠の宮殿で行われた舞楽の宴でした。ケマルは笛の名手でありました。妖術に使うこともあって、舞もまた並ぶ者のない腕前でした。一方のアシャは、胴の丸い渡月琴という楽器を自在に操る歌姫でもありました。
渡月琴は、この国の民族楽器です。王侯貴族が幼少時より嗜みますが、美しく響かせる為には熟練の技が必要です。
「アシャの琴が聴きたい」
「はい、すぐに」
信頼していた者たちに殺されかけてケマルは疲れ切っている、という設定です。ケマルならば、このように行動したことでしょう。私はそれ以前にも、ケマルに付いて翡翠の宮殿へ上がったこともございます。アシャの渡月琴は、私も好きでした。
すぐに楽器が運ばれてきて、アシャはするするしゃらりと調子を整えます。複弦のもたらす煌びやかな響きが幾重にも絡まり合い、月の漣を渡る船に乗る心地が致しました。美しい陶の器に盛られた干し果物などを摘みながら、わたくしはアシャの歌を楽しみます。
「あ」
歌の途中でアシャが微笑みました。
「ケマルさま、子が」
「蹴ったか」
「はい」
わたくしは、楽器の手を止めたアシャの腹に触れました。しばらく触れていると、波打つような衝撃を感じました。元気に活動しております。
「アシャの歌を催促しているのではないか?」
「ふふ、では、続きを」
「それがいい」
この国の婚約者は、事実上の夫婦でございます。いずれは同居するのですが、それまでに行う儀式が色々と控えているのです。
この国では、婚姻の儀式までは女児であろうと嫡流長子が継承権を独占します。婚姻後、女児の場合は伴侶に継承権が移ります。万が一死別や離縁が起これば、次代の子が未成年の時のみ継承権は当代の嫡流長子に戻ります。
子に関しても決まりごとはございます。婚約の成立後懐妊した子供が継承権を得られます。恋人時代に出来た子には与えられません。ケマルの生前、婚約後にアシャの胎に子が出来ていたことは僥倖でございました。大帝国の次代は安泰です。
「疲れるであろう、少し休め」
「あ、また」
「おお、蹴りよる」
ただし、婚姻前に婚約者と死別していたなら、故人との子に継承権はありません。新たに定められる伴侶との嫡流長子に継承権が移ります。それだけではありません。故人との子は殺されます。トラブルを防ぐためですね。
ですから、婚姻の儀式が全て済むまではケマルの死を悟らせるわけにはいかないのです。わが一族にとっても、優れた継承者となる可能性があるケマルの子を、むざむざと殺されるのは面白くない。
またアシャが暗殺に感づいたとしても、見張られながら出産までは生かされる。優秀な継承者が誕生するかも知れないからですね。外の者には何事もないかのように取り繕わねばなりません。そこで、わたくしがケマルに成り替わっているのでございます。
「元気に育っておるな」
「はい」
この子は偉大な妖術使いになるでしょう。始祖に妖術を授けた者として、彼の者と愛し愛されたものとして、赤子の資質は強く感じ取れるのでした。
胎の子は、感性豊かで優しい心根がありながら、冷徹な決断もできる覇者の気質を持つようでした。ただ、この子の才が花開くのは15の歳であるようです。
それまでは、ケマルが長らえることが望まれます。心から信頼し合う父親の死を知らせるのは、なるべく遅らせたいのです。子の才が開花する前には猫の姿に戻らねばなりませんが。
その後までケマルが生きていたら怪しまれるでしょう。先代の存命中に新たな妖術使いは現れません。これは、一族でなくとも知っています。わたくしがそのように定めたからです。争いを避ける為に。
「よき気を感ずるぞ」
「まあ、誠でございますか?」
「うむ。素晴らしい継承者になるであろう」
「心強いことでございますね」
ですが、幸せそうなアシャや、母の胎内から喜びを伝えてくる赤子を見ていると、わたくしは亡き妻が懐かしくなってしまいました。長い年月を子孫の側で暮らし、妻と私の血に寄り添って参りました。それは幸せな日々でした。
けれども、愛する妻と共にある喜びはやはり違う。妻への愛でそれ以外の血族や友への愛が損なわれることはないけれど。
妻もきっと、魂の園からわたくしを見守りつつ待っている。この時わたくしは、そう強く感じてしまったのです。わたくしはこの世で充分に生きました。そろそろ魂の園へ移住しても良い頃です。ですが、わたくしは不死者なのでございます。
※※※
「ですから、どうか殺してください」
「ケマルの妻子を見守る役を私におしつけて死ぬのかね?」
「そういうことになりますね」
所詮は妖ということか。随分と身勝手な奴であるな。
「それは断るよ」
「困りましたね」
銀青猫は尻尾でパタパタ床を叩いて不満を表す。そんなことをされても、言うことはきいてやらないよ。
「他に対価はないのかね」
「ううん、困った」
「ケマルの元に銀青猫さんが見えなくなるのはいいのかね?」
「ああ、それは構わないのですよ。他のものに姿を見せるのは、元々稀でございすから」
そうなのか。だが、もう一つ、見過ごせない問題がある。
「そもそも、私が妖術を使えなくても?」
「ケマルの姿とわたくしの妖術を授けますからご心配なく」
「猫さんの一族で妖術使いは一代にひとり。私にあなたの妖術を授けてしまったら、お子の才はどうなるのです」
「一時的に消えまする」
それは問題ないのか?
「私が長生きして、子の才が戻らなくてもよいのかね」
「子の才は15才にて花開きますよ、必ずね」
なるほど、そういう妖術か。入れ替わった瞬間に私の寿命も定まるのだな。
「では、いよいよ承りかねるなあ」
「良き暮らしができるのですぞ」
猫が猫撫で声を出しているな。滑稽なことだ。
「ひとつ聞いておこうか」
私は静かに切り出した。銀青のネコマタが威圧的に眼を細める。
「君は、私が幾年この手助けを致しておると思うのかね?」
「えっ」
妖者の盲点だな。自身が長生きするものだから、誰かが永劫を生きたとしても一向気には留めないのだ。
「残念だったな」
私は穏やかな表情で告げてやる。
「私も不死者だ」