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そこに天使がいるのだから、ここは天国なのだろうか

 夢なら覚めてくれと願った。


 跳ねるようなデジタル音と、空気が漏れ出すような音だけが、耳に聞こえていた。

目の前にぼんやりと映る天使の顔は、笑いながら泣いて俺を見下ろしていた。

日本人には無い、輝くようなブロンドの金髪に、宝石のような青い瞳。


(そうか、天使というのは、外国産か……)


 などと、下らない事を考える余裕はあるようだったが、何せ体が指一つも動かせない。

泣いて笑う天使の涙が、頬を伝って俺の肌に落ちる。


(暖かいなぁ……。そうか、俺はまだ生きて──)


 俺の意識は、そこで再び途切れた。



◇◇◇



 再び意識を取り戻した時、俺の視界に入ったのは、三人の男女の姿。

一人は天使(あまつか)あやめ。

俺の天使だ。

今もずっと俺の顔を見ながら、俺の手を握ってくれており、手の温もりが俺が生きている事を実感させてくれる。


 もう一人は、中年のダンディーな男性。背広をピシッと着こなして、いかにも仕事が出来る男に見える。

もしかしたら、警察関係者なのかもしれない。

お堅い職業に就いていそう。

アヤメの人殺しの事を取り調べにでも来たのか。

悪いけど、俺から話すことは何も無いぞ。


 最後の一人は、三十過ぎくらいの女性。俺をじっと見て掛けていた眼鏡を中指一本で上げる仕草が様になっている。

美人で聡明そうなショートヘアの女性。

賢そうな職業に就いていそうで、何より裾の長い白衣を着ているところから、女医といった感じだ。


「私は医者じゃないぞ。しにがみ(・・・・)くん」


 俺は、しにがみではなく四弐神(よつにがみ)だ。俺は、今言葉を発せないのが悔しい。

それに白衣を着ているからてっきり医者だと思い込んでいた。だったら、一体彼女は何者なのだろう。

何もかもわかっているような雰囲気で彼女は俺を見てニヤリと笑う。


「白衣は只の私服だ、しにがみくん」


 四弐神(よつにがみ)です。


 またもや、何も言っていないのに、答える。まるで、俺の心を読んでいるような。


「心を読んでいるとは、少し違うな。心の声が聞こえるだけだ」


 さらりとトンでも発言に俺は、無心になることに決めた。


「ハハハ。無駄なことはよせ。人は意識して無心など中々出来ぬ。出来るのは、ほれそこにいるオッサンと、そこでお前の手を離さぬお前の想い人の天使(あまつか)くんくらいなものだ」


 ああ、アヤメは恥ずかしがって手を離してしまったじゃないか。なんなんだ、このデリカシーの欠片もない女性は。


「失敬な。私にだってデリカシーはあるぞ。今見せてやる。ほら、卜部。後は若い二人に任せて我らは退散しようではないか。それとアヤメくん。彼は君の温もりを感じたいそうだ。手を握ってあげなさい」


 俺は心の中で最大級の悲鳴を上げる。それにお見合いか。俺は目玉を動かしアヤメを見ると俯いて黙ってしまっていた。


「松島くん。俺が自己紹介する前に言うのやめてもらえないかね。ほら見ろ、彼泣いているぞ」

「何故泣くのだ?」


 自然と俺の頬を涙が伝う。きっと今の俺は、ゆでダコのように真っ赤になってしまっているのだろう。


「ハハハ。本当にゆでダコみたいだぞ。ほら、アヤメくんも見てみな」

「すまないな、青年。彼女は賢いが馬鹿なのだ」

「なにを。私はただ思っている事を代弁しているだけだぞ」

「もういい! 行くぞ、松島!」

「待て! これだけは言わせてくれ! 私の担当は、泌尿器科だ!」

「いい加減にしろ、お前医者じゃないだろう!」


 卜部という男性に連れていかれた松島という女性は、結局どっちなんだという疑問を残して去って行った。

非常に疲れた。

二人が居なくなったのを見計らうように、俺の手が再びアヤメに握られる。


 目玉動かせず、病室と思われる場所を見渡す。窓に映る景色は雲が流れる空ばかり。

他に人は居なそうだ。

奇しくもアヤメと二人きり。

意識してしまう。長い沈黙が流れ耐えられなくなったのか、アヤメから俺に声をかける。


「心配したんだよ、本当に……。その、守ってくれてありがとう、とおるさん」


 彼女は掴む手の力を強め、祈るように顔を隠す。小刻みに震える彼女を見て、申し訳ない気持ちで一杯になった。


 俺が話せない分、彼女が今日までの経緯を話してくれた。

俺は今、背骨が折れて手術後らしい。

それを聞いて、流石にショックを受けた。

体の中心である背骨を折るなど、最悪命にも関わるし、一生動けなくなることも。

不安な顔をしていたのか、彼女はすぐに手術は成功したと教えてくれた。


 彼女は、ずっと俺の側を離れず、面倒を見ていてくれたらしい。

学校はどうしたのかとか、会社を無断欠勤してしまったとか、聞きたいことは山ほどあった。

感謝の言葉すらも、今は伝えることが出来ないのが悔しい。


「今はトイレも行けないくらい身体動かないから大変だけど、早く良くなってね」


 トイレという言葉を聞いて俺は青ざめる。

俺は泣いた。心の中で泣いた。そうだ、今は動けないのだ。トイレに行けないのだ。つまり、今まで彼女に……。


 全ての尊厳が失われた気分になる。


「あ、でも。怪我の影響もあるから、オムツの交換は看護婦さんがしてくれたよ」


 そうか、看護婦さんが……。いや待て、アヤメは何故俺がオムツをしている事を知っているのだ。

オムツ姿を見られたと、最悪な気分になる。

すぐそこにある窓から飛び出したい気分だ。


 ノックが聞こえてくると、「はーい」と、俺の代わりに返事をしたアヤメは、スリッパをパタパタ鳴らして扉を開けに行く。


 会話は小さくて良く聞こえないが、次に彼女が戻って来た時には、綺麗に折り畳まれたタオルを数枚と銀色のボウルを手にしていた。


「今から身体拭きますから。ちょっと待っていてくださいね」


 そう言うと、ボウルを持って死角になっている場所へ消えたアヤメ。

首を動かせないが、洗面台か何かがあるのだろう。

水の流れる音が聞こえてきた。


 再び戻って来ると俺の布団を剥いで、彼女の手により俺のガウン状の入院着の紐が(ほど)かれる。


(待て! アヤメ!!)


 気を失いそうになる。好きな女性に見られるオムツ一枚の姿という状況に。

しかし、アヤメは嫌な顔を一つ見せずに、せっせと甲斐甲斐しく俺の身体を拭いていく。

腕から胸、腹に徐々に下へと。

手慣れた手つきに、俺の意識がなかった間もこうやって拭いていてくれたのだと、予測出来た。


「気持ちいいですか?」


 優しく声をかけながら拭いてくれるので、俺は充分リラックスさせてもらえた。

爪先まで拭き終えると、彼女は額の汗を拭いながら、職人が一仕事を終えたような満面の笑みを見せる。


 話せるようになったら、一杯、感謝の言葉を伝えよう。

背骨を折るという大事なのに、今この瞬間は、幸せな気分になった。


 だから、アヤメ。あまり、今の俺をジロジロ見ないでおくれ。 

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