とおるさん、タオル下さい
クリスマスイブを明日に迎え、今、俺はアヤメと警視庁へ訓練に向かうべくプラットホームで電車を待っている。
ふと、寒空を見上げると夕方にも関わらず、どんよりとした雲がかかり雨でも降りそうであったが、昨日よりも気温が下がっている気がして、もしかしたらホワイトクリスマスにでもなるんじゃないかと思った。
「クリスマス……アヤメの仕事が終わったら、ケーキ食べような。用意しておくから」
「はい! とおるさんの家に行きますね」
嬉しそうに破顔するアヤメに俺もつられて笑顔で返す。
電車に乗り込みいつものように扉の近くで立ち、アヤメも隣へ並んで立つ。
自然と向き合い話をする俺達に対してか、周囲からの視線が突き刺さる。
しかし、これも、最早いつものことである。
男性は舐めていくような視線でアヤメを、女性は好奇な目で俺達二人を見る。
「カップルかな……?」
「違うでしょ、エンコーよ、エンコー」
ひそひそと話声が聞こえてくるが、俺もアヤメも気にせず、会話を続けた。
「クリスマスイブから出動なんだよね?」
「はい。あ、でも準備は今日からなんです」
「ああ、だから大荷物なんだ」
俺の手には、アヤメから半ば強引に奪い取った赤いキャリーケースがあった。
「とおるさん……あの、多分この二日は忙しくて電話もライーンも私からは出来ないと……」
「うん、わかっているよ」
「あの、あの! でも、ライーンを送ってくれてもいいんですよ! というか、送って下さい!」
鼻息荒く迫るアヤメに押されつつ「おう……」と、気の無い返事をしてしまったが、元々ライーンはするつもりだった。
それで、少しでもアヤメの励みになるならば……そう思ったから。
アヤメは警視庁に着きエレベーターで地下へと降りると、俺と別れ第三特殊犯捜査の部署へと入っていく。
扉は施錠され、防音されているのか中からの声は聞こえてこない。
何か除け者にされた気分になりながらも、俺は一人訓練所へと入っていった。
「どうした。そんな気もそぞろで。身に入っていないぞ」
「松島……あんたは参加しないのか?」
訓練所の入り口で、いつものように中指で眼鏡の真ん中を上げているのだが、両足を目一杯開いて体を捻らせ入り口を塞ぐように参上する松島。
一体、何故ポーズを取っているのか……理由は、不明だ。
「私は後方支援だからな」
「そうか……松島、良かったら少し俺に付き合ってくれ」
「ふむ、いきなりの愛の告白か。やるな、しにがみくん」
「そんなわけ無いだろうが、この状況で」
「だが、断る」
何故かフラれた。物凄く遺憾の意を表明したい。
松島は、スリッパをパタパタならして壁にかかった武器から一本の槍を手に取ると構えてみせる。
「さぁ、どっからでもどうぞ」
「結局、付き合ってくれるのかよ……なんで、一度断る必要があるんだよ」
俺も松島に対してブラちゃんを構える。そして、真正面から突撃していくのであった。
◇◇◇
「はぁ……はぁ……はぁぁぁ」
「ハハハハハハ。未熟だぞ、しにがみくん」
どれだけ時間が経ったのだろうか。
松島は想像以上に強かった。いや、正確に言えば遊ばれた。
何せ此方の攻撃が全く当たらない、それも殆んど汗を掻くことなく。
まるで、心を読んでいるかのように……。
「忘れてた……松島は心が読めるんだった……」
「ハハハ。違うぞ、しにがみくん。心の声が聞こえてくるだけだ」
変わらないぞ、全く。
俺は床に両手をついて、呼吸を整える。
それにしても、心が読めるだけで、こんなにも当たらないものだろうか。
少なくとも、軌道を読んで躱すだけの身体能力はある。
もしかしたら、松島も卜部と同じように現役だった時があったのかもしれない。
「とおるさん!」
ゾロゾロと部署から出てくる中にいたアヤメが、俺を見つけるとタオルを持って駆けてくる。
俺はタオルを受け取ると、汗を拭いながらベンチへと移動して腰を降ろすと、アヤメも隣に座ってずっと此方を見てくる。
「えーっと、何かな?」
何処か落ち着きがない様子のアヤメに尋ねるが、もじもじと体を揺すりながらも、黙ったまま此方から視線を外そうとしない。
どうしたものかと思慮しながら、俺は汗を吹き終えたタオルをベンチの背もたれにかけようとした、その時──アヤメが意を決して口を開く。
「とおるさん! そのタオルを下さい!」
「このタオルを? 新しいのなら、そこに一杯……」
「そのタオルです」
俺が汗を拭いたタオルを欲しがるアヤメ。どうすればいいのか。
直接「はい」と渡すのもなんだか気恥ずかしい。
そこで俺は改めてベンチの背もたれへタオルをかけると、わざとらしく「あー、もしかしたらタオルを直し忘れるかもなー。誰か直しておいくれないかなー」と、確実にアヤメに聞こえる声量で独り言を呟いた。
「私が直しておきますね、とおるさん!」
アヤメはタオルを取ると大事そうに胸元で抱えると、頬が緩んだ。
逆に俺は、今生まれて初めて死ぬほど恥ずかしいというのを経験してしまった。
アヤメに告白した時の方が、正直マシだと思うくらいに。
今日はアヤメはここに泊まって準備をするらしく、シャワーを浴び終えた俺は、一人で帰ることに。
「アヤメ。ホールケーキが待ってるからな」
「はい。頑張ってきます!」
愛おしくて頭を撫でようと腕を伸ばすと、その手は空かされ、アヤメの方から俺に抱きついてきた。
ギュッと俺の背中に手を回して抱き締めてくる。
俺は伸ばした腕を引っ込めることも、抱きしめることもできずに、されるがままになってしまった。
服越しでもわかるほど柔らかな感触や、俺の胸板に押し付ける髪の毛から香る匂いに身を委ねていると、「充填完了っ」とアヤメの小声が耳に入ると、俺から離れていった。
「とおるさん、行ってきますね」
アヤメは伸ばしたままの俺の手の下に、自ら頭を置くと、紅潮した笑顔を俺に向けるのであった。




