ライーン♪ ライーン♪ ライーン♪
久しぶりの自宅に帰ってきたというのに、寝室と浴室の天井のシミ達が此方をじっと見てきて落ち着かない。
現在、ようやく落ち着けた唯一の場所トイレで、今後の事を考えていた。
さすがに、ここも駄目なら引っ越しも考えなくては。
「どうするかな……」と、トイレの中でポツリと呟いてみた。
虚しい。段々と馬鹿らしくなってきた。
大体、ここは俺の家だ。
何故、この家の主がトイレの中で独り言を呟かないといけないのだ。
俺はトイレの扉を勢いよく開けて出ると足元に躓き、転びそうになる。
「うおっ……と!! あ、ああ、すいません」
体を支えられて俺は御礼を言う。……って、ちょっと待て。今、俺は誰に礼を言ったのだ。
礼を言った方向に顔を向けると、トイレ前の廊下にボンヤリと煙のような体をし、見覚えのある顔に驚いた。
天井のシミと同じ顔だと直ぐに気づいた。
しかし体全体透き通っており向こう側にあるベッドが見える。
その顔に表情はなく、此方を見ているが視線が上手く合わない。
それは、軽くお辞儀をするので、俺も思わず返してしまう。
そして、文字通り煙に巻くように形を崩して天井へと舞い上がった。
「いや、移動出来るのかよ!」
もちろん返事が返ってくることはない。一人寂しく天井に向けて叫ぶ俺がいるのみ。
そして、俺は事の重大さに気づいた。
「トイレも安全じゃないのかよ」
俺はトイレから出て直ぐに躓いた。つまり、アレは、トイレのすぐ側にいたことになる。
「はぁぁぁ……荷物片付けよ」
俺は躓いた原因の玄関に置かれた荷物を取ろうとする。
“ライーン♪”
「あ、スマホも荷物に入れっぱなしだったな。誰からだ?」
荷物を漁りスマホを探していると、再び“ライーン♪”と鳴る。
「はいはい。ちょっと待ってよ。あ……あった!」
俺はスマホ手に取ると、指紋認証で画面を開く。
“ライーン♪ ライーン♪ ライーン♪……”
おお、いきなり大量に来たな。誰か会社の奴が俺の退院を聞いたのか。
俺はライーンの通知を見て固まる。
全てアヤメからであった。
“とおるさん、家に着きました?”
“とおるさん、まだですか?”
“とおるさん……返事してください”
“とおるさん……電話してもいいですか?”
“とおるさん……”
“とおるさん……”
アヤメからの通知が鳴り止まない。“ライーン♪ ライーン♪”と部屋中に響く。
「ヤバいっ、忘れていた!」
俺はすぐに返事を送る。
“大丈夫。今、荷物をほどいていた”
“ああ、良かった。心配したんですよ”
“ライーン♪”と鳴り、返信を見て申し訳なくなる。すぐに連絡するって言ったのにな。
俺はスマホを持ちながら寝室に入ると、天井のシミを睨み付ける。
まさか自宅に帰ってきて、落ち着くどころかどっと疲れを増すことになるとは思わなかったしな。
“ごめん。シミに気を取られて連絡遅れた”
“無害ですよ。言ったらわかってくれます”
即返信されてくる。言って言葉が通じるのだろうか。一応、ヒトの部類に入るはずなのに。
「えーっと……ずっと見られると気になるのですが」
俺は天井に向かって話しかけてみた。一体俺は何をやっているのだろう。
虚しくなってくる。
しかし、天井のシミは理解したようで、ふいっと横顔に変わった。
「横目で見る気満々かよ」
それでも視線を感じることはなくなり、ホッと一息吐く。
しかし、いまだにライーンの着信は鳴り止まない。
スマホに替えてから初めてのライーンで嬉しいのは、理解できるが、これはちょっとやり過ぎだ。
果たして本当に嬉しいだけだろうか。
俺は、鳴り続けるスマホを前にして、ベッドの上に座って考え始めた。
「あぁ……そうか」
俺はスマホを取ると、ライーンを無視して電話をかける。
『とおるさん!』
「お待たせ。今なら電話出来るよ」
そうだった。彼女に電話をすると約束したのを思い出したのだ。今時、電話なんて……俺もそう考えてはいた。
けれども、彼女は最近までメインが電話だったのだ。
ライーンは文字でのやり取りに過ぎず彼女にとって、本当に安心出来るのは声を聞ける電話なのだ。
俺とアヤメは、それから本当に他愛もない話をし続けた。
アヤメは、もうすぐテストがあるとか、冬休みはクリスマスの三日前からだとか学校のこと。
俺は、仕事場に居場所がなかったらどうしようとか、通勤時間は、いつもと同じだとか。
ヒト殺しに関する話題は、俺もアヤメも敢えて避けている感じだった。
いつもと変わらぬ日常へ戻るために……。
俺とアヤメは、すぐに話題が尽きる。俺もそれほど饒舌な方ではないから仕方のないことなのだが。
暫しの沈黙。
電話を通して互いの息遣いだけが、聞こえる。
だけど、俺はこの時間は嫌いじゃない。
何故なら、それは確実に電話の向こうにアヤメが居ることがわかるのだから。
あまり長い沈黙もどうかと思い、思いきって俺から声をかけようとする瞬間、アヤメが声を発した。
『あの、とおるさん。あまり長い時間電話するのも悪いですので……その、切りたくはないのですが』
名残惜しそうに話すアヤメの声のトーンは、それでも電話に出た当初に比べて明るく感じる。
かくいう俺も、アヤメの声を聞いて癒された。
『それに、松島さんに聞かれてるかと思うと恥ずかしくって……』
「は? 松島?」
何故、ここで松島が出てくるのだ。もしかして、一緒に居るのだろうかと思ったが、なにかニュアンスが変だ。
聞かれている……盗聴……あっ!
不覚だ。俺のスマホに取り付けられている盗聴器を外してもらうのを忘れていた。
ということは、今までの会話は全て筒抜けで……。
俺は声にならない声を上げながらベッドで悶絶しながら転がる。
『とおるさん?』
「あ、あぁ、そうだね。切った方がいいね。おやすみ、アヤメ」
『はい、おやすみなさい。また明日……』
しまった……下手に電話出来ないな、これは。
(あっ! 会社に電話しないと!!)
時計を見ると十九時を回ったところ。慌てて会社に電話しようかと思ったが、入院で曜日の感覚が狂い今日は日曜日だと思い出す。
(直接上司に電話かぁ……緊張する)
今の時間なら起きているはずと、俺は電話をかける。
呼び出し音が鳴る度に緊張が増す。
『もしもし……四弐神くんかね?』
「部長、お久しぶりです。すいません、ご迷惑おかけしまして」
電話をしながらペコペコと頭を下げてしまう。サラリーマンの悲しき癖だ。
『いやいや。退院したんだね、おめでとう』
「ありがとう御座います。それで、明日から出勤出来るのですが……」
『それは、良かった。ああ、そうだ。明日は総務と人事に先に寄ってくれ』
「じ、人事にですか!?」
やっぱり会社での居場所失くなっている。人事と聞いた瞬間吐きそうになった。
『ああ。私も君を失うのは痛いよ。それじゃ、また明日』
「はい……お疲れ様です」
激しく落ち込んでしまう。今の部署は嫌いじゃなかっただけに、余計に。
しかし落ち込みながらも、お腹は減る。
ゆらりとベッドから起き上がり俺はふらふらと歩いて、コンビニに向かうべく玄関へと足を運ぶ。
玄関に落ちている黒い棒が目に入る。
(試作品だから練習用にって、貰ったんだっけ……)
俺は何気なしに棒を振ると柄は伸びていき、先端から刃の無い刃先が真上に飛び出る。
ガシャーンと、激しい音共に玄関の天井からは割れた電球の破片が落ちてきた。
ついていないな、と追い打ちで落ち込む俺は、電球の破片を片付けた後、コンビニで弁当と電球を買いに向かうのであった。




