表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/37

私を一人にしないで!

 これは、彼女から後々聞いた話だ。

大怪我を負い入院したアヤメは、この日の夜、夢を見たらしい。


 高い絶壁の端に佇む彼女。下から上がってくる風が妙に生々しく恐怖を煽ってくる。

後ろに退きたいが足が動かない。

恐怖で足が竦んでいる訳ではなく、証拠に摺り足で前には進むという。

つまり、落ちるしかない。

躊躇う彼女は、不意に誰かに背中を押される。

バランスを崩し振り返り見たのは、俺だったらしい。


「いやいや。俺、そんな酷いことしないよ」


 慌てて否定する俺を見て、アヤメはクスッと小さく笑い首を横に振る。


 夢には続きがあった。


 落ちていく彼女は、いつまで経っても地面に着かない。

その間、彼女が見た景色は、落ちていく岩壁などではなく、言葉では言い表せない明るく見たこともない景色。

落ちていく恐怖を吹き飛ばすほど、幸せを感じる景色。

気づけば、隣にはアヤメの手を握った俺が居たという。


 そこで彼女は目を覚まし、ベッドの隣にいた俺を見て安堵したらしい。


 夢が何を示しているのかは、わからない。けれども彼女は「とおるさんが、側にいてくれて良かった」と優しく微笑みながら言ったのだった。



◇◇◇



 一晩中、俺はアヤメの汗を拭い、その左手を離さずにいた。俺の手は、無数の爪痕から血が滲み出ていた。

早朝、痛みが治まったのか眠りについたアヤメ。

起こさないように、口に咥えていたタオルをそっと外してやる。


「そう言えば、寝顔を見るのは初めてだな」


 ずっと俺の側に居てくれたアヤメであったが、俺が眠るまで彼女が寝ることはなく、朝起きた時には既に目を覚ましていた。

小さな吐息を吐く唇は、体調が優れないせいか、いつもの薄桃色ではなく少し白っぽい。


 静かに扉が開く音がして、顔を向けると卜部が「話がある」と病室の外を指す。

俺は首を横に振り断る。今は、アヤメの側を離れたくなかった。

せめて彼女が目を覚ますまではと、頑なに拒む。


 諦めた卜部は、俺の側に来てアヤメを起こさぬように小声で話を始めた。


「アヤメくんから、キミには黙っておいてくれと頼まれたことがある」と言われて、俺の眉はピクリと反応した。


 卜部は、アヤメから、くれぐれも俺には内緒にしておくようにと前置きに、今までの任務態勢の変更を申し出たらしい。

まずは、任務要請は、なるべく学校に行っている昼間にして欲しいということ。

任務の度に怪我を負うが、俺には教えないこと。

移動時間すら惜しい為に、遠出の場合はヘリを用意することの三つ。


 毎日のように学校へ行っている間に、任務があった事など知らなかった。


 怪我を押してまで俺の側にいたことに気づいていなかった。


 彼女のヒトから受ける痛みは、俺の比ではない。なのに、いつも笑顔で側に居てくれていた。


 俺が握るその手は、俺なんかと比べてずっと小さく、透き通るような白い肌で、すべすべしている。

俺は、そっと両手で彼女の手を包み込むように改めて握る。

彼女は、こんな小さな手で一体どれだけの痛みを抱えてきたのだろう。

細身で華奢で小さな両肩で、一体どれだけの重責を背負ってきたのだろう。


 孤独(ひとり)で耐え抜く彼女を想像すると、自然と俺の頬には熱いものが流れてきたのだった。



◇◇◇



 窓の外を見ると昨日の雪が嘘のように晴れ渡り、外側の窓枠に積もっていた雪もすっかり溶けていた。

壁の時計を見ると、既にお昼を回っている。


「とおる……さん」


 声が聞こえ俺は壁からアヤメに目を移す。そして「おはよう」と伝えた。

寝起きで虚ろだったアヤメの目が徐々に大きく開いていく。


「ずっと……握っていてくれたのですか……?」


 一晩中握り続けていた手を見て、俺はじんわりと自分の手汗を感じ、慌てて離そうとするが、彼女の手がそれを許さなかった。


「とおるさん……ずっと、離さないで……」


 彼女はそう言うと、再び目を瞑り眠りについた。


「ああ、離すもんか。ずっと側に居てやる」と寝ている彼女に伝え、俺は心に一つの誓いを立てた。



◇◇◇



 アヤメが完全に目を覚ましたのは、夕方を過ぎた頃であった。


「あっ……熱いっ、熱いよ。とおるさん!」

「ご、ごめん。つい、勢いよくしてしまった」

「私なら大丈夫です……その、もう少しゆっくりして頂けると、嬉しい……な」

「おーい。外まで聴こえてきたぞ。なーに、やってるんだキミ達は」


 病室に入って来てから、わざとらしくノックをして俺達に気づかせた卜部は、呆れるような目で見てきていた。

俺は、今、利き腕が使えず食べづらそうにしていたアヤメに、食事の補助をしている。

つい、冷ます前に勢いよくおかずの肉じゃがの芋を、アヤメの口に突っ込んでしまったところであった。


「全く……看護師が病室前で、入るべきかどうか躊躇っていたぞ。艶かしい声がするってな……」


 卜部に言われて初めて、俺達の会話が勘違いさせそうな会話だったと気づいて、二人して顔を真っ赤になる。


「アヤメくんももう峠は越えたんだ。四弐神くんも、そろそろ自分の病室に戻れ。キミも怪我人なんだぞ」


 俺とアヤメは二人して唇を尖らせて不満を露にする。卜部の視線が俺と繋いで離さないアヤメの左手を見ると「仲がいいことで……全く、夜には戻れよ」と病室を出ていこうとする。

部屋を出る直前に「今度、松島も連れてくるか」と不吉な言葉を残して。


 松島に来られると、何をされるかわかったもんじゃないとアヤメも同意して、俺は渋々自分の病室へと戻る。

ベッド横の転倒防止の柵に掴まりながら、転がるように車椅子からベッドへと移り、天井を見上げる。


 彼女が望んでいるのは、仲間であって恋人ではない。

俺はたとえこのまま恋人へ昇格出来なくても、その見込みがなくなっても、アヤメの側に居続けると改めて誓いを繰り返し呟いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ