傷だらけの天使の裏の姿
松島はスマホを切ると俺のベッドの隣にあるいつもアヤメが座っている丸椅子に静かに腰を降ろした。
「アヤメに! アヤメに、何かあったのか!?」
「落ち着きたまえ、しにがみくん。大丈夫、アヤメくんなら問題ない。少し怪我をしただけだ」
少しの怪我……だと、しかし松島の雰囲気は全くそんな感じはしなかった。いつものようにふざけているのかもしれない、また松島に騙されているかもしれない。
それでも、いい。
俺は、身体を起こして無理に立ち上がろうとする。
「落ち着けと言っただろう。今、君が行っても何も出来ないのだから」
「そんなに、そんなに……酷い怪我なのか!?」
立とうとした俺を松島は両肩を掴んで無理矢理ベッドへ座らせる。
「説明してやるから。一旦座れ。彼女……アヤメくんは今無事に手術が終わったところだ。だから、立ち上がるな! 全く……話は最後まで聞くものだ」
呆れた顔をする松島だったが、話を最後まで聞けとは、あんたには言われたくないとか、色々言いたい事はあるものの、それらをすっ飛ばしてもアヤメの怪我が気がかりで仕方ない。
「今回の怪我は、本来ならば全治一ヶ月といったところだ。右腕の骨折、肋骨も二本折れている。それと、右目にも傷を負った」
「大怪我じゃないか! 病院はどこだ!? もしかして、ここに入院しているのか?」
「だから、落ち着け!!」
俺は松島から眉間にチョップを受ける。
「うぉおおおおっ、いてえぇえええっ……」
俺が聞こえた効果音は、ビシッとかではなく、鈍器で殴られたかのように、ゴンッだった。
眉間を押さえて、ベッドの上を転がる。
「さっき言ったが、本来なら、だ。アヤメくんの回復力をもってすれば、三日で治る」
「み、三日ぁ!?」
骨折が三日で治るなんて聞いたことがない。俺を心配させないように言った出鱈目だとしても、これ程陳腐なものはない。
「彼女の回復力は、君よりずっと上だ。話しただろう。全ては、如何に純粋かで比例すると。アヤメくんの回復力はしにがみくんより、三倍近い。だが、痛みも君の三倍なのだ。想像してみたらいい。経験した君なら、ヒトから受けた痛みがどれ程なのかを」
俺はヒトから攻撃を受けた時の事を思い出す。ゾッとした。掠っただけで死ぬほど痛く、確実に命中した背中は、背骨が折れ、一瞬で気を失った。
その三倍近い痛み。想像を絶する。
「痛みに耐えきれず精神的な崩壊もあり得る。だから、一応今日は様子見で入院させるが、居場所を教えないのは、彼女の望みだ。アヤメくんは恐れている。苦しむ自分を見て君が気後れするのではないかとな」
ショックだった。精神崩壊のこともそうだが、何より俺がアヤメにまだ、信頼されていないという事実に。
俺が彼女を見捨て、逃げ出すと思われているという事実に。
「教えてくれ、松島。アヤメは此処にいるんだろ。一目でいい、会わせてくれ」
俺は彼女に見せなければならない。
『君を守るから』と言った言葉が本当であるという覚悟を。
「わかった」
松島は俺の胸元を片手で掴むと、軽々と俺の身体を持ち上げ、折り畳んだ車椅子を空いた手と足で手慣れた感じで開くと俺を乗せた。
松島に押してもらいながら病室を出て、エレベーターで一つ上の階へ。
消灯された廊下を進み一番奥へ連れていかれ、その病室の前には卜部が立っていた。
「おい、松島! 何故、四弐神くんを連れてきた?」
「勿論会わせるためだ。しにがみくんの覚悟を見る為にな」
深夜ということもあり、迷惑にならないよう小声でも強い語尾で話す卜部に対して、お構い無くいつもと変わらない声量の松島。
俺は自力で車椅子を動かして、卜部の横を通り病室の扉の前に行く。
取っ手を掴み、スライド式の扉を開く。病室内から低く唸るような声が聴こえてきた。
俺は、ゆっくりと病室の奥へ向かいベッドのある場所に向かう。
徐々に俺の視界にアヤメの姿が見えてきた。
アヤメは、彼女は右腕と右目に包帯を巻いていた。痛々しい姿、しかしそんなものは、一部に過ぎないと思えた。
口元に痛みに耐える為に挟んだ白いタオル。
無事な左腕は、頑丈そうな革製の拘束具みたいなもので、ベッドの柵とくくり着けている。
目を強く瞑り眉間に皺を集めて必死に耐え、額からはおびただしい量の汗を掻く。
殺しても尚、唸るように漏れてくる声。
麻酔が効いていないのじゃないか。そう思ったが、卜部や松島がいて、それに気づかないのはおかしい。
つまりは、麻酔が効かないか、効いて尚、それを超える痛みなのか。
平穏とアヤメに世話されながら送っていた俺の入院生活の甘さに、反吐が出そうになる。
「アヤメ……」
俺は彼女に近づきながら呟くと、微かに空いた左目で俺を見てくる。
しかし、一瞥しただけですぐに目を瞑り耐え始めた。
俺は、柵を握り潰すのではないかと、固く閉ざされた彼女の左手の指を一本ずつ開いていき、代わりに俺の手を握らせた。
俺は思わず声を上げそうになる。アヤメは、俺の手に爪を立てて想像以上の握力で握り返してきた。
それでも、彼女が必死に堪えているのに、俺が声を立てる訳にはいかない。
真新しいタオルを空いた手で取り額の汗を拭おうとするが、車椅子が邪魔で届かない。
俺はアヤメの手を握った方の腕の肘と自分の胸で、ベッドの柵を挟み立ち上がると、ベッドのマットレスとベッド本体の僅かな隙間に膝を乗せて身体を乗り出した。
今、俺の身体は僅か三点で支えられて辛い態勢だが、関係ない。苦しんでいるアヤメに比べれば何てこともない。
何時間だって、耐えてやる。
アヤメの額の汗を吹き出る度に拭いていく。微かに左目を開き俺を見るので、俺は彼女に優しく微笑んだ。
「大丈夫。俺がずっと居てやるから」
彼女の左目の目尻から、ツーッと一筋の涙が零れる。
俺が何度拭いても、その筋は途絶えることはなかった。




