退屈な入院生活に一服の清涼剤
俺が、ヒト殺しになることを決めてから、早くも一週間が経過しようとしていた。
この間、卜部が誓約書だ、契約書だ、なんだと書類を持ってきてはサインをさせられていた。
あくまでも紙面上での約束。
破れば、俺が住む場所は、日本の何処にも下手をしたら世界中の何処にも失くなってしまう。
だが、それを紙面には書いていないところが、却って恐ろしい。
「明日からリハビリですね、とおるさん。私も勿論お手伝いします」
両拳を作って、ちょっと鼻息荒く張り切るアヤメ。
学校終わりに、いつものように俺のベッドの隣に丸椅子を置いて座っていた。
今日は比較的、外は暖かいのかオレンジ色のフリースのパーカーを羽織る程度に下はボトムスと、風邪を引かないか心配になる。
俺の体調はというと、背中にのし掛かる重さは取れないが、傷の治りは良く、寝返りや、補助はいるが体を起こすなど出来るようになっていた。
病室のロッカーの隣には、畳まれた俺専用の車椅子が準備されている。治りが早いのは結構だが、会社に連絡一つ入れていないのは不安だ。
アヤメにスマホを返してくれるようにお願いするが、卜部から渡さないようにきつく言われているらしく、取り合ってもくれない。
リハビリが始まるとはいえ、動ける箇所が増えてくれば退屈も増える。日は沈み外は暗くなり、窓から見える夜空は星が見えないほど雲っている。
病室に備え付けのテレビのチャンネルを何気なくザッピングしていると、一つの番組に手を止めた。
いわゆる、未確認生物等々送られた映像を検証する番組。
司会者が大袈裟に驚く姿が滑稽だ。
「アヤメ。この手の番組に流れる映像に写る未確認生物とかにヒトもいるのか?」
「本当にハッキリと分かりやすいのは、警察の方で止めるとは思います……中には、ぼんやりとしたものは放送を許可されているのではないかと。何もかも統制したら、却って怪しむ人が増えますから」
なるほど、目の前に適度に餌をぶら下げて気を逸らしているってわけか。言われてみれば、ハッキリと写る映像など、あっても作り物っぽく見えてしまう。
この手の番組は今後楽しめて観れそうにないなと、再びテレビのリモコンに手をやると、アヤメのポケットから初期からの着信音が鳴る。
立ち上がりアヤメは電話に出ると、小声で話始める。
俺は、スマホの着信音の変更の仕方を今度アヤメに教えないとな、と思いつつアヤメの姿を目で追っていた。
「あの、とおるさん。今卜部さんが、リハビリ始まったら一度、警視庁に来てくれ……って」
「随分と急だな。退院後じゃ駄目なのか?」
「多分……。電話は卜部さんですけど、呼び出したのは松島さんかと……」
その名前が出た時点で俺は早々と抵抗を諦め、アヤメに行くと伝えてもらう。
電話を終えて再び丸椅子に座ったアヤメは、抵抗を諦めた俺のフォローのつもりなのだろう、「私が車椅子押してついて行きますから」と言ってきた。
元々、話を聞いてアヤメに押してもらう気満々だった俺は、なんだか恥ずかしくなった。
「しかし卜部もライーンで済む話なのにわざわざ電話しなくても」
「卜部さんにも言われました『ライーンのID教えてくれ』って。でも、でも、私、ライーンはとおるさんとやりたいのです! だから、教えませんでした」
真っ直ぐな目でこちらを見てくるアヤメ。アヤメはどうやらライーンが一人しか出来ないものだと思っているみたいだった。
「複数登録出来るよ」と、喉の辺りまで出かけて飲み込む。
相手は卜部だし、アヤメに友達が出来るまで教えなくていいかと、思い直したのだった。
「あっ、来ていく服が無い」
俺は今ガウンタイプの入院着だ。さすがにこのまま警視庁に行くのはちょっと抵抗があるし、目立ってしまう。
警視庁内には一般人もいるのだから。
俺が、入院前に着ていた服は、手術するために切ってしまったらしい。
そろそろ、トイレにも自力で行けるようになるし、生まれて二度目のオムツ卒業も迎える。
「あの、とおるさん。私が取って来ましょうか?」
「取ってくるって……俺の家に?」
アヤメは頷くが、俺は暫し考える。見られて困るようなものは無いが、俺の家に初めて入る女性がアヤメだという事実に少し照れてしまう。
「松島がいた……」
合鍵まで作って人の家に侵入した女性の存在を忘れていた。少し悲しくなってしまった俺は、アヤメに鞄に入った鍵と、家の住所をメモに書いて渡し、お願いした。
俺の脳裏に嘲笑う松島の顔が思い浮かんだ。
◇◇◇
その翌日。リハビリの開始に伴い、オムツの卒業を迎え下着に履き替える。アヤメは服だけでなく、ちゃんと下着まで持ってきてくれたものの、好きな女の子に下着を見られたのは面映ゆい。
「そう言えば松島が俺の家にヒトが居るっていっていたけど、大丈夫だったのか?」
今俺は下着姿でスエットのズボンをアヤメに履かしてもらっていた。
背中を曲げる事が出来ないためだが、やはりちょっと恥ずかしい。
「大丈夫でしたよ。守護霊タイプは、こちらが敵意を見せなければ何もしませんから。それに、私、あれだけ満面な笑みを見せるヒトって初めて見ました」
アヤメが言うには、扉を開けると、笑顔で歓迎され招き入れられた上、服もそうだが下着の場所も教えてくれたのだと。
「何やってんの……俺の守護霊……」
俺は思わず両手で顔を覆ってしまう。そして、自分の守護霊で間違いないと確信してしまった。
俺の着替えが終わる頃には、壁にかかった時計を見ると朝の八時を過ぎていた。
「アヤメ、学校! 遅れるぞ!!」
「大丈夫です。学校には一時間目遅刻すると連絡してありますから」
道理で普段と朝の行動が違ったわけだ。
早朝始発で帰宅したアヤメは、制服に着替えて学校へ向かうのだが、今日は制服に着替えて病室に戻って来ていたのだ。
「リハビリを少し見たら学校に行きますから」と言われて俺は首を傾げた。
リハビリなんて見ても面白くも何ともないのに。
九時からのリハビリに間に合うように、俺はベッドから車椅子へ移動するために手すりに力をこめると、アヤメが俺の肩を押さえて制止してきた。
「アヤメ?」
「無茶をしたら駄目ですよ、とおるさん! 私に任せて下さい」
アヤメは俺の脇の下に両腕を回して抱きついてくる。
俺は戸惑い、両手を手すりから離すと、手の置場所に困ってしまい、宙を漂う。
「さ、とおるさん。私の首に腕を回してください」
彼女の首に腕を回すと、顔を引き寄せる。俺の顔のすぐ隣にアヤメの顔が。俺は高鳴る鼓動を堪えようとするが、ブロンドの髪から香る匂いが俺の鼻孔をくすぐってくる。
「それじゃあ、持ち上げますよ」
アヤメが俺の体を引き寄せ密着させて持ち上げると、そのまま回転して車椅子の上に、そっと置く。
「あ、あの……とおるさん?」
車椅子に座った状態のまま、俺は暫くボーッとしてアヤメの首に回した腕を外すのを忘れており、慌ててアヤメから離れた。
「ご、ごめんっ」
「い、いえ。大丈夫ですよ」
照れた表情をしながら彼女は、俺から視線を逸らし自分の髪を掻き上げる。
俺も気まずくなり、指で頬を掻きながら彼女から視線を外した。
「そ、そろそろ行きましょうか」
アヤメが俺の後ろに回り車椅子を押していく。エレベーターで降りリハビリステーションに入ると、そこには既に数人のご年配の方々がいた。
「えっと、四弐神さん?」
俺と同年代くらいの男性がカルテを持ちながら名前を確認してきたので、俺は頷く。
「初めまして担当の田宮です。宜しくお願いします」
田宮という男性がアヤメの代わりに車椅子を押してリハビリステーションの奥へと進ませる。
まずは俺の足のマッサージから始まり手すりを使ったリハビリに入る。
隣ではアヤメが懸命に声をかけてくるが、後ろから視線が感じられてちょっと照れ臭い。
「私は、そろそろ学校に行きますね。とおるさん、リハビリ頑張って」
ウキウキと軽快な足取りでアヤメがリハビリステーションから去っていく。
何故、リハビリが楽しいのか。
俺は少し休憩するために車椅子に座らせてもらうと、わらわらとご年配方が集まってくる。
「あの子、兄ちゃんの彼女かい?」
「可愛い子だねぇ。べっぴさんじゃし、外国の子かい?」
日本人離れした顔立ちの女子高生と強面の男性の関係を知りたがるのは無理もなく、俺は質問責めに合う。
俺が、ハッキリと関係性を答えられないでいると、リハビリステーションにいた全員は「ああ~ぁ」と声を上げて、勝手に納得するのであった。




