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1、俺の隣の部屋でGが出たらしい

突発的にその場の勢いのみで書きます。更新不定期です。




 それは突然の出来事だった。


「きゃぁあああああ!!!」


 夜空を切り裂かんばかりのけたたましい悲鳴が隣室から聞こえてきたかと思えば、ベランダに続くガラス戸が弾け飛びそうな勢いで開く音がした。俺は驚きのあまり持っていた煙草を落としてしまい、サンダルから覗いていた左足の親指をじゅっと焼いてしまった。


「どわっち!」


 大学生になって独り暮らしを始めたニ年目、夏の出来事である。


 悲鳴の主は防犯用の薄壁一枚を隔てた向こうで「おかぁさーん、おかぁさーん……」と呟きながら啜り泣いている。声からして若い女性であるようだ。俺は煙草を踏んでとりあえず火を消しながら、さっきの『どわっち!』で俺の存在もバレてるし……と思いきって話しかけてみることにした。


「あの、どうしました?」


「あ、あ、あの……」


 人がいると思っていなかったのか、隣室とはいえ知らない男に声を掛けられたせいなのか。女性はか細い声で応じた。


「殺虫剤、貸してくれませんか……」


「……もしかして、ゴキ」


「言わないでぇ!」


 単語を聞くのも嫌らしい。となると。殺虫剤を貸したところで対処できるか怪しい。


「俺が退治しましょうか?」


「お願いします!」


 即答だった。見知らぬ男よりも黒いアイツの方が彼女にとっては恐ろしいらしい。薄壁を避けて手が向こうから伸びてきた。猫のストラップがついた鍵を白く長い指が摘まんでいる。


「チェーンはたぶん掛かってません。お願いします!」


 俺は指に触れないように鍵を受け取り、殺虫剤と蝿叩きを手に隣の角部屋へ突撃した。ドアは鍵を回しただけで開いて、彼女が言った通りチェーンは掛かっていなかった。


「お邪魔しま」


 最低限の礼儀の言葉が途中で切れた。なにに驚いたのかといえば、入ってすぐのキッチンに積み上げられた食器にだ。どれだけ大所帯なんだと現実逃避しかけて、やめた。


「……もしかして」


 一応覚悟してから、リビングに続くドアを開けた。覚悟してはいたものの、想像以上に汚い。中央にある机の上には大きさがバラバラの本が積み上げられており、画材とスケッチが散乱している。床は机に乗りきらなかっただろう本と、畳まれていない洋服の山、口の開いた鞄という始末。片づけるスペースがないのかといえばそうではない。現に本棚はがら空きだ。


 いや、女性の部屋をじろじろ見るのは失礼だろう……とは思うものの、黒いアイツを探す過程でどうしても目についてしまう。そして黒いアイツを見つけた頃には、もう部屋を大体検分し終わっていた。


「……デケぇ」


 俺が若干引くくらいデカかった。


 シューッ、スパンスパンスパァン!


――――


「終わりましたよ」


 残骸も片づけてからベランダへ声を掛けると、カラカラ……とガラス戸が申し訳程度に開いて栗色の髪の女性が顔を覗かせた。赤い眼鏡がサッシにぶつかるカツンという音がした。


「聞いてました……。スパァンって蝿叩きのすごい音がしました……」


 部屋に入って来たものの、彼女はまだ不安そうな視線を部屋のあちこちに注いでいた。格好は緑色のジャージで高校名がプリントされている。


「やつは俺の部屋のゴミ箱の方に。あと叩いた床はアルコール除菌して拭いときました。もう大丈夫です」


「ありがとうございます……ありがとうございます……」


 このまま俺を拝み始めそうな勢いで感謝しているが、彼女は俯いたままなぜかしきりに前髪を引っ張っている。そこで俺は気づいてはいけないことに気がついてしまった。ジャージに刺繍してある『桜沢(美)』に。


 俺には、『桜沢(美)』まで名前が一致する知り合いがいる。所属している美術サークルの桜沢美羽先輩だ。一つ年上の桜沢先輩は朗らかな性格の美人で頭も良く、絵も上手いし皆に好かれている。そこそこ人数の多いサークルともなれば個々の名前などほとんど覚えていないが『美人の先輩』と言えば大抵通じるくらい有名である。


 ……そして、俺の記憶している桜沢先輩の顔と目の前の緑ジャージの女性の顔は双子かというくらい似ている。双子でなければご本人だろう。なんとも気まずいので、じゃあこれで、と失礼しようと思ったのだが、引き止めたのは桜沢先輩(仮)だった。


「あの、ツナお好きですか?」


「ツナ? まあ好きですけど」


 俺が答えると桜沢先輩(仮)は開けっ放しのクローゼットをごそごそやり、ツナ缶(五個おまとめパック)を差し出してきた。


「実家から沢山送られてきたので、どうぞ。お礼できるものがこれくらいしかなくて申し訳ないですが、ツナはご飯に乗せてお醤油かけるだけで美味しくいただけますので」


 なんとなく桜沢先輩(仮)の食生活が窺えてしまった。断るつもりだったのに、なぜ実家からツナ缶? とか栄養バランス大丈夫か? とか考えているうちに「ああ……どうも……」とつい手が受け取っていた。


「じゃあこれで」


 ととうとう言い出すことができたので、俺は鍵を返却して桜沢先輩(仮)の部屋から自分の部屋に戻った。




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