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かようびのよる  作者: 天宮翡翠
首無し騎士
7/10

悪人という男

人間は常に迷っている。

迷っている間は常に何かを求めている。

───────ゲーテ。


大罪人、だったのだと思う。

俺は世にはばかる「悪人」という類の人間なのだから。

だが、それを後悔することは無かった。

俺には俺には与えられた役目があり、それが偶然にも傍から見れば「悪人」だっただけの、それだけの話なのだから。

────人間をこの手で殺めれば、明日俺のもとに届く陽光が、ずっと澄んでいくと信じていた。

女子供も関係なく、より残虐に全てを手にかければ、より善い世界が目の前に広がると、思っていた。

莫迦な話だ、有り得もしない幻想だというのに、当時の俺には、それが全てだったんだ。

気がつけば、俺は殺人をなんとも思わなくなっていたし、愛馬に跨って狩りに行くのにも、何の疑問さえ持たなくなっていた。

そして、俺の眼を通すとどんな美女も愛らしい子供も、肉の塊と骨で組み上げられた人形のようにしか見えなかった。

俺は今、首元に何をかけているだろうか。

……十字架、ああ、変わっていないのか。

とても恥ずかしい話だが、俺は主の為にと言っておきながらな、主が何たるかを忘れてしまった。

懺悔をしようなどとは思っていないし、許されようとも思っていない。

俺はな、少年。


「魔女狩り」の狩人なのさ。


何、魔女狩りとは何か?

ははあ、世の中はどうやら平和になったようだな。

すると、君の祖国は我々の教えにさして重きを置いていないのか。

何はともあれ、魔女狩りというのはな、莫迦な男どもが起こした狂気の沙汰さ。

魔女というのは女性の身で様々な教えを身につけ、それを施す善なる知性を指す言葉だった。

しかし、ある時から女性を貶める言葉として、主の大敵である悪魔と関わりの深いものとされてしまったのだ。それが、悪夢の始まりだった。

もう何百年続いたか分からない、激しい弾圧。

こんなことを俺が言うのはひどい話だが、何の罪もない女性が、男の俺さえ目を背けたくなる凄絶な拷問にあっている様は、言葉にできない。最初の頃は、呼吸することさえ忘れて罪悪感に苛まれたものだ。

だが、俺は愚かなことに保身に走った。

魔女狩りを拒めば、主の教えと願いとに背くことだと指を指され、俺たちもまた激しい拷問の末自殺させられた。

それが、あの時の常識だったんだ。

例えどれだけ主に近しい方々が色に溺れ、金を儲け、人の不幸を蜜に生きるような者だったとしても、それでも、俺たちは逆らえないんだ。

間違っていることを、間違っているということが、出来なかったんだ。

勿論、こんなものは言い訳にさえならない。

今更悔いたところで、俺が追い立て、殺した人々の数も罪も、変わることなどないのだから。


……俺は確か、頭を吹っ飛ばされて死んだ。

だから俺は首から上がないんだ。

本当は怖かったろうに、親切にありがとう、少年。

俺を殺したのは、魔女として追い立てた女性の婚約者だったそうだ。

他にも、多くの村人たちが束になって、俺を殺したのだったか。

父親、伴侶、幼馴染……間柄は様々だったが、皆一概に、女性たちを深く愛していた。

暫くして、俺は生と信仰への執着のあまり、神のおわすところへ行けなくなってしまった。

もっとも、俺のような男は門前払いなさるだろうが。

ともかくも、狩らなければ。

首を取り、血肉を被らなければ。

俺は半狂乱のままこのような化け物に成り果て、相も変わらず人々を殺した。

いつしか俺は、なかなかの有名人になったらしく、俺を狩るよう主のお導きを受けた元同僚たちの姿が、もう無いであろう俺の目に、はっきり映ったような、おかしな心地がした。


────居た、でも男だ。

俺はまず、そう思った。

もう感覚の麻痺は、麻痺などという言葉で呼べるような代物ではなかった。

だが、関係ないと脳が叫ぶ。

そうだ、魔女の中には男もいた。

性別も年齢も関係ない。

「疑わしきは罰せよ」と、我が主は仰ったのだから、それでいい。

俺の指名はただ、殺すことである。


……その夜だった。

俺は、殺した男たちの中に、俺の親友を見つけた。

優しく誠実で、いつも俺のことを気にかけてくれる、天から遣わされたような男だった。

そして、他の男たちとは明らかに違う、柔らかな曲線を造形に含んだ死体。

俺の、妹だった。

よく見ると、他にも母や父もいた。

途端に、俺は目が覚めた。

視界を閃光が掠め、握りしめていた仮の道具が手のひらからこぼれ落ち、地に叩きつけられる。

すっかり青ざめた俺の愛馬────ブケファラスが、心配げに嘶いた。


……気を強く持てよ。

父の、言葉だった。

……神よ、この子の罪をどうかお許しください。

母の、願いだった。

……少しは、頼ってね。

妹の、苦悩だった。

俺は、それら全てを踏みにじって、もしや彷徨う亡霊こそが俺なのではないかと、案じてくれたのだろう家族さえ、狂気のうちに狩り殺してしまった。

覆うべき顔さえ、俺は持っていなかった。

ああ、なんということだろう。

俺のこれは、信仰などではない。

ただの言い訳で、独善で、執着だった。

俺はきっと、ただ俺の無くした首が気がかりだっただけなのだ。

だから、首のある人間なら、誰でもよかった。

それを、よもや魔女などと完結させるなど。

甚だしい大馬鹿者である。

俺は、もう、分からない。

虚しい。

ただただ、虚しかった。


だから……………………。

首無し男の懺悔が、ぱったりと止む。

おれは小さく息を吸って、ほんの少しの間止めてしまっていた呼吸を再開した。

なんて、ことだろう。

おれの頭は、そんな言葉で埋め尽くされた。

言葉にできないというのは、こういうことを言うのか。

あんまり無様らしいおれの顔に、客は快活な笑いを向けた。

「有難う、少年。俺を哀れんでくれるのだな」

僅かに揺れる衣服に、彼が首を傾けるような仕草をしているらしいことが分かった。

おれは何だかおかしくなって、小さく俯く。

……暫くは、居た堪れない空気が店内に満ち満ちた。

だが、無機質なくぐもった声が沈黙を破る。

「ご注文はお決まり?」

ああ、この決まり文句。

おれは僅かに視線をガスマスクのウエイトレス────ナーサリーに向けた。

客は大きくそれを首肯し、ナーサリーに向き直る。

「夢見の魔女よ、あなたの同胞を少なからず殺めた俺を、許して欲しいとは言わない。だが、もしも俺の願いを聞き届けてくれるというのなら…………」

客の足元で、黒馬が小さく鼻を鳴らす。

ナーサリーは、不気味にコテンと首を傾けた。まるで、壊れた人形のように。

「俺からこの執着を、奪って欲しい」

魔女か、彼の無くした首か。

或いは……両方か。

俺やマスターが投げかけた視線にも、ナーサリーは微動だにしなかった。

そうして、傾けていた首を元に戻し、相変わらず異様なまでに快活な声を上げる。


「なんで?」

おれは、目を瞬いた。

なんで、とは、なんで?

おれはハッと正気を取り戻し、ナーサリーにしどろもどろ尋ねた。

「いや、この人……?さっき言ってたじゃないか」

「そうじゃない?」

「え?」

おれは再び目を見開いた。

ナーサリーは、客を真っ直ぐに指さす。

「アンタは記憶がある?でも心なんて器官はないから取り除けない?だったら脳を取ればいいの?でもアンタは大勢殺した?害悪?救う理由がない?」

それは、確かにそうだが。

でも、とおれは食ってかかった。

「罪があったら、救ってはならないの?」

なるほど、とマスターが小さくこぼす。

おれは何が、と尋ねかけて止めた。

マスターは、考え込むように口元に手を当て、歯をカチンと噛み合せる。

「ナーサリーが言いたいのは、この店の掟についてだ」

掟、とおれはオウム返しに呟いた。

マスターは深く頷く。

「迷い人のためにこそ、この店はあちらの世界へと通じる道を有している。だが、それは無辜であることが大前提だ。……つまり、今回のお客様のように、何百人と殺した事実の証左である執着や思考そのものを取り消せば、それはつまり彼の罪を『無かったもの』にすることに他ならないんだ。これは憎しみとかではなく、僕たちが交わした掟そのものに違反する。確かにあちらの世界へと導くことはできるが、罪に関する夢を叶えることだけは出来ない、というわけさ」

おれは小さく口を開けた。

……そういえば、狼少年は誰を殺したわけでもなかった。人魚姫だってそうだ。

でも、この客は違う。

裁かれなければならないだけの罪がある。

すると、彼はこのまま何も得ることなく、ただ執着を抱えて、一度は見失ったあの世への道を進まねばならない。

……当然、奈落の底だ。

俺がハッとして振り返ると、客は小さく項垂れてるようにも見えたが、明るい声音は崩れていなかった。

「それはそうだ、確かにそうだ。ああ、あなたはやはりとても合理的なのだなあ。……憎悪で俺を裁くことをなさらなかったあなたに、敬意を」

これだけ紳士的な男が、本当に?

おれは顔を歪めて、彼を見た。

いいや、違う。

彼は、彼を取り戻しただけなのだ。

信仰とは、信じることとは、かくも人を狂わせるのか。

首の無い男は、おもむろに立ち上がって金貨を数枚テーブル席に置く。

遠目からもよく分かる、王冠を戴く鴉の描かれた特別な金貨だ。

黒馬も優雅に立ち上がり、客にともする。

「では、黄泉路を目指そう。道をお教えいただいても?」

この問いにマスターが応じ、店の奥へと通じる扉を開く。

「ずっと突き当たりまで行きまして、右折なさってください。船舶の停留所が見えましたら、お客様は馬をお連れですので、脇に設けられた木製の道を、続く限りお進みくださいませ」

感謝する、と客は礼儀正しくマスターに頭を下げ、次いでナーサリー、おれにも礼を言った。

「少年、俺のようにはなるなよ」

快活な笑いが、店内に寂しく響く。

おれは何も言えず、俯いた。


「さらば、親切な夢の守り人たちよ」

客は、黒馬をひいて、扉の先へとあゆみ出す。天井が高くなったと分かるや、外套を翻してその背に跨り、駆け出す。

壊れやしないかと少し心配になったが、あの駿馬ならばお手の物だろう。

おれはがっくりと肩を落とし、客の残していった金貨と食器を片付けようと振り返った。


その時、おれの視界を眩い銀色がかすめた。

済まないな。

俺は率直に、俺が今背に跨る相棒に謝罪した。

そっと鋼のような毛並みを撫でれば、ブケファラスが嘶く。

重い足取りを隠すように蹄を鳴らすその様は、本当にいつも通りの穏やかな気性を表していた。

……やはり、俺では駄目だった。

せめてブケファラスだけでも良いようにしてやりたかったが、あの様子ではそれも叶わないだろう。

俺は手綱を握る手を強め、のろのろとブケファラスを歩き出させた。

このように大きな図体をしておきながら、なんと己は無力なことか。

死してなお、不幸を振りまくのだから。

それにしても、と思う。

店にいた、黒髪の少年は、明らかに人間味の多い容姿をしていたし、夢見の魔女や魔術師とも違う何かを、感じた。

あれは、そう。もっと真逆な─────

「あ、あの!」

突然、背後から聞き覚えのある声がした。

はっと振り返れば、やはり黒髪の少年である。

俺はブケファラスの馬首をめぐらせ、少年に向き直る。

「一体どうした、少年。ここは君が来るべきところではないぞ、早くお戻り」

困惑交じりにそう言えば、少年は思い切った声を上げた。

「す、少しだけ屈んで貰えますか」

ますますよく分からないが、忘れ物でもしたのか。

俺は言われた通り僅かに状態を下げた。


ガシャン。

妙な音に俺が驚いていると、少年は呟いた。

「あなたの、頭です」

感触からするに、甲冑の兜。

俺はぺたぺたと不思議な頭部に触れた。

少年が、静かな声で紡ぎ出す。

「あなたはきっと、とても悪い人です。たとえどんな事情があったところで、人の生きた証は、その人の行動によるのだから」

だけど、と少年は顔を歪めた。

「あなたが本当はとても優しい人であると、おれは分かりました。誠実で、快活で、本当なら、幸せに生きているべき人だったと、おれは思う」

そして、小さくはにかんで。

「あなたがいずれ行くところは、御家族のいらっしゃるところなのだから、もっと胸を張ってください」

──────昔、心の師に言われたことがある。

たとえどんな人間であったとしても、死してなお貶められる必要のある人間など、何処にもいない。

人を殺す者は勿論悪人だし、それが社会の形成した歪であろうと、誰かによって染め上げられた黒であろうと、結局のところ、俺たちは人なのだから、間違って当たり前なのだ、と。

だからこそ、だ。

あやまちを理解した人間の、なんと強いことか。

そのあやまちを踏みしめて地獄にゆくがよい、と。

俺は、無いはずの眼の当たりを片手で覆い、少年に頭を下げた。

「有難う、格好のいい頭だ、俺の愛しい家族にも顔向け出来よう」

動くたび、カシャン、カシャンと音がする。

懐かしい、俺が子供の頃に憧れた騎士の頭だ。

ブケファラスも上機嫌そうに嘶き、俺が手綱をぐっと引けば、利口にも元の道に向き直る。

「さらばだ、友よ!」

俺がそう言うや、ブケファラスはまるで英雄の絵画のように前足を上空でかき、全速力で走り出した。


少年の姿が、灰の霧に溶けていく。

ああ、だけれども。

俺はもう、何も失うことは無いのだ。

やはりあの店は、俺の願いを聞き届けてくれた。

たとえ罪があろうとも、希望と願望を抱くことを、許してくれた。


ああ、自由だ!

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