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かようびのよる  作者: 天宮翡翠
オオカミ少年
3/10

嘘つき

私がこの世に生れてきたのは 私でなければできない仕事が 何かひとつこの世にあるからなのだ。

────────相田みつを

いつも笑っていた親父は、あのとき泣き叫んでいた。

「息子を離せ」「俺を殺せ」と。

兄ちゃんや姉ちゃんも、人間を振り払おうと身悶えしながら、ずっと俺の名前を呼んでいた。

おふくろは、人間の足に必死に縋り付いて、その度蹴っ飛ばされていた。

『俺がオオカミだ』

遠くから、震えたような声がする。

でも、何もかもを笑ってるようにも聞こえた。

『俺が、化け物だ』

誰の声だ、これは。

人間の顔が歪んでいる。憎しみと、笑みが入り交じったような......この言葉を、待っていたような。

『俺はお前らの家族を喰い殺した!!やるならとっとと殺せ!!だが、俺の家族に指一本でも触れてみろ!!』

コイツは、両手を広げて、何かを守るように勇ましく叫んだ。

『俺はテメェらを残らず喰い殺してやる!!』

大法螺吹きは、粗末でボロボロの服に、手足いっぱいのあざや傷をつけていた。

判然としない顔は黒いフードを被ったオオカミのそれだが、ヤツが護っているらしい『親父』や『おふくろ』はれっきとした人間の顔をしている。

俺が不思議に思っていた次の瞬間、ヤツの身体は人間どもに串刺しにされた。

鮮血がこれでもか、と飛び散る。一頭のオオカミの黄金の眼も、血の赤に染まるまでに。

ちらり、とフードから覗いたヤツの横顔は、笑っていた。


満月が浮かぶ夜だった。

真夜中の森は、凍えるように寒い。

夜風が身を切り裂く刃のようだった。

濃い霧が漂う森の入口に、小さなバスケットが置いてある。

喉が破れちまいそうなほど泣き叫んでいる赤ん坊の声がした。

うるせえぞ、ガキ。そんな泣いたら......


ああ、ほら、お出ましだ。

のそり、のそり、と赤ん坊に近寄ってきたのは、大きな銀色のオオカミ。

奴の黄金の鋭い瞳が、獲物を狙うようにじっとバスケットの方へ向けられていた。

俊敏な脚が地面を蹴り、赤ん坊の元へ飛びかかる。

言わんこっちゃない。こいつは死ぬ。食い殺されるんだ。

......でも、俺は驚きすぎて雷に打たれたみたいな心地を覚えた。

オオカミはバスケットのすぐ手前で身軽に着地し、座り込むと、鋭い爪の生えた前足で、バスケットを揺らし始めた。まるでガキをあやすみたいに。

それから、赤い舌が赤ん坊の頬を舐めた。

黄金の瞳は、もう獲物を狙う野生獣のそれじゃなかった。

優しく笑うみたいに細められた目が、それでも相変わらず赤ん坊をじっと見ている。

当のガキはけらけら笑って、小さすぎる手を、オオカミの方へと伸ばしていた。

バカ、何してる。今度こそ食われちまうぞ!

俺のそんな声は届かなかった。正確には、出なかった。でも、オオカミの前足はバスケットから離れて、赤ん坊の方に差し出すと、素直に奴の手に握られた。

細い陽光がオオカミと赤ん坊を照らす。

オオカミは陽光に目を細め、天高く一度吼えた。すると、オオカミを取り巻くように強い風と、それに供する木の葉たちが集まって巻き上がり、その前足を、胴を、後ろ足を、頭を順々に、見覚えのある生き物の形に変えていく。

赤ん坊の手は、オオカミの前足じゃなく、大きな人差し指を握っていた。

夜風に揺れる茶色のボサボサ頭、少し鋭い黄金の目、ボロボロの粗末な服、白くて大きな手足。

...ああ、そっか。そういうことだったのか。

人間の男のような姿になったオオカミは、赤ん坊の入ったバスケットをゆっくりと持ち上げ、大事そうに抱えて立ち上がった。

ヴォルフ......オオカミはそう囁いた。

オオカミは煌めく霧の深い森の奥に目を向け、ゆっくり歩き出す。やがてその姿は、赤ん坊の笑い声と一緒に消えていった。


何をやってんだよ。

そう言わずには、いられなかった。

あの男の背中を、俺は知っている。あれは、俺を殺した人間じゃない。

ましてや、オオカミを護っていたヤツでもない。

「親父」

俺の声が、森の中に寂しく零れ落ちた。

懐かしい、優しくて、カッコよかった親父の背中だ。

俺はオオカミじゃない。

オオカミは、大嘘つきは、親父たちだったんだ。

昔、オオカミの群れから追い出された一家があった。

そいつらは、自分たちをただの狼だと思っていたけど、傍から見ればお笑い草。

なんてったってそいつらは、満月の夜しかオオカミになれなかったんだ。

ヤツらは──────俺の家族は、人狼の一族だった。

半端者と呼ばれて群れを追い出された後、人狼一家は人里近くの森に、慎ましく暮らしを営むことにした。

木の実や野生の動物を狩り、時には自分たちの力を活かして人と取引もした。

何もかもうまくいってたのだ。俺が現れるまでは。

────その頃既に、人が森へと足を踏み入れ、狩りを始めてしまったことで食糧不足もいいところだった俺の家族は、それでも優しい性格だから、困った顔をしてるだけに止めていた。肉食獣のくせに、人から高値で肉を買う以外に、自分たちの食い物をとってくる方法を知らなかったのも、そのせい。

ここでオオカミにでも化けて脅せば良かったのに、親父は「狩られちゃたまらない」と言って何もしなかったらしい。意気地無し。

一方で、人様の森に踏み込んだおかげで肉をたんまり食べられるようになった人間は、徐々にその数を増やして、やがて育てきれずに捨てちまうほどになった。

その捨てられるガキの一人が、俺だ。

大体のガキは少し遠くにある大きな街の教会か、川に揺られて、宛もしれずに旅立った。

俺はオオカミに食い殺される道を選ばれたらしかった。

人間も、あの森はどうもオオカミが住み着いている、と知っていたのだ。

でも、俺は心優しい人狼に拾われ、育てられることになった。

「ディアナ」

ふと、背後で低い男の声がする。俺が振り返ってみてみると、そこに居たのはバスケットを抱えた親父だった。あたたかい暖炉の灯る木造の我が家。何となく、見覚えがあった。

ディアナ、と呼ばれた女は、親父の方を見てぎょっとした声を上げる。

「あんた、どうしたの?それ」

「拾ったんだ、森の入口で」

『それ』が指すのはバスケットの中身─────つまり、俺のことだ。

焦げ茶色の髪を綺麗に結ったディアナ、という女にも、俺は見覚えを感じた。

おふくろだ。俺を大事に育ててくれた、ちょっと気の強い女狼。

おふくろは鼻をスンスンきかせ、怪訝な顔をする。

「......人間じゃないの」

おふくろは怒りの滲む声でそう言った。こんな恐ろしいおふくろは、初めて見た。

「でも、捨てられていた。それに赤ん坊だ、放ってはおけない」

親父はそんなおふくろを、まっすぐ見つめた。意思の堅そうな、親父のまっすぐな声だ。

「......あんたのそういうところ、今日初めて恨んだよ。でも、潮時かもしれないわねえ。人に頭を下げるのも」

おふくろは小さくため息をついて、エプロンで手を拭うと、親父に歩みよって、バスケットの中を覗いた。

「初めまして、おチビちゃん。お前もかわいそうにねえ......」

さっきとは打って変わって、おふくろは酷く優しい声でそう言った。バスケットの中で、相変わらず楽しそうに笑う俺に、小さく顔をほころばせて。

だが、ふと顔を上げ、おふくろは親父に厳しい声を向けた。

「......ウイルク、あたしは人間の子供を育てるために生きているわけじゃない。当然、人間の赤ん坊を生かすものが何なのかも分からない」

「分かっているよ、ディアナ」


「俺が、人間の女を捕ってくるから」

唾を飲み込む音が聞こえた。

俺は人間で、親父やおふくろは狼で。

......そっか、そうなんだな、二人とも。

「馬鹿を言うんじゃないわ、ウイルク。罪を背負うのは、いつだって一緒よ。家族は一緒。あの子たちにも言わなくては。守るべき弟が、出来ってね」

「......すまない」

おふくろは小さく笑っただけで、それ以上は何も言わなかった。

それから俺のちっちゃなデコにキスして、「さあ」と声を上げる。

「狩りの時間よ」

おふくろは、穏やかだった眼を鋭い銀色に染めた。

そしてかたわらを振り返り、いつの間にか起きてきた子供二人の手に肩を置く。

「エーリク、ヒルデ。父さんと母さんは、これからとても酷いことをしに行くわ。昔の私たちだったら、考えられないくらい。何故突然、そんなことが出来るか分かる?」

今も眠たそうに瞼をこする子狼のうち、女のヒルデは「わかんなーい」とあくび混じりの声を上げた。「このままじゃだめなの?」とエーリクも眉を下げて困ったふうに言う。

「そうね、少し難しいかも......でも、覚えておいで、二人とも」

おふくろはひと呼吸置いて、優しく、でもすごく悲しそうな声でこう言った。

「いつか来るお別れの日に、後悔しないためよ......その日、優しく生きなかったことに後悔しないため。だから私たちは、どれだけ愚かであろうとも、護るために、残酷な獣になる道を選ばなければならない」

俺はおふくろの言葉に、覚えを感じた。

そうだ、あれは、俺が物心ついた頃から、それしか言えないのか、と思うほど言っていた、おふくろの口癖だ。


「どんな子であろうとも、親は子を愛さなきゃならない。それが私たちの全て」

(どんな子であろうとも、親は子を愛さなきゃならない。それが私たちの全て......)


親父は悲しそうな瞳で、エーリクにバスケットを預けた。

「お前たちの弟を、頼んだよ」

子狼たちは驚いたように大きな瞳を瞬かせ、俺を覗き込んで、へにゃりと笑った。

人間だと分かっているかは、定かじゃない。

「弟なら、守らなきゃなぁ」

「行ってらっしゃい、二人とも」

親父とおふくろは静かに頷いて、家の扉を開けた。

眩い朝日が二人を包む。

俺は、この善人共が、恨めしかった。

だって、人が嫌いなはずなのに、家族になっただけて、あっさりと全てをくれてやるんだ。

普通なら、出来ることじゃない。

でも、おふくろの言葉が全てなんだ。

皆、俺の家族はいやってほど家族の大切さを知っていて、甘くて、こんなクソッタレの世界の中で、俺が初めて、守りたいと思えるヤツらだったんだ。


──────────あ、そうか。

俺はやっと、あの日、俺が死んだ理由を思い出した。

俺を育てるために、村から子育て出来る女を捕って、乳を与えさせて、知識を得て、殺して、喰って。それを何度も繰り返しちまったから、捕まったんだ。親父とおふくろが。

それで、エーリク兄ちゃんとヒルデ姉ちゃんと三人で、助けに行ったんだ。

その時、俺は人間から全てを聞いて、俺がオオカミに騙されていたんだと哀れまれて、親父たちは殺されかけた。

だから俺は、俺が人狼だと叫んだ。

俺の家族はただのオオカミ、俺が人狼。

ただ、俺が全て指示しただけなのだと。


瞬きすると、再びあの人間どもが集まる広場が視界に広がる。

一度目とは打って変わって、憎ったらしい人間どもは変わらないのに、親父も、おふくろも、兄ちゃんも、姉ちゃんも居なくて、ただ四頭のオオカミと、小さなガキが居るだけだった。

『逃げろ!!』

オオカミの吼える声。随分お粗末な出来だったけど、俺には分かった。オオカミたちも、分かったようにハッと目を見開いた。

あの大法螺吹きは──────


俺だったのか。

おふくろは、手伝うと抱いて喜んでくれた。

エーリク兄ちゃんは、狩りがうまかった。

ヒルデ姉ちゃんは、花が好きだった。

親父は、いつも俺の頭を撫でてくれた。

───────皆、俺の大事な家族。

家族のためなら、俺はなんだって出来る。

かつて、家族が俺のためになんだってしてくれたように。

オオカミの流儀も、吼え方も、全部教えてもらった。

希望の光が見える。

あの夜、親父に拾われたときに見えた朝日のように。

あたたかいミルクのような香りが、鼻をくすぐる。

さらさらと、疾風にのせられて流れてきた青い木の葉が、俺を包んだ。

おれが毛布を掛け直そうとしたとき、少年がゆっくりと瞳を開いた。

蜂蜜のようにとろん、とした目は、暫しおれを見つめ、ハッとする。

「お、俺は......」

「あんた寝てたのよ?」

少年の答えに、ナーサリーが応じる。

メニューを手に持った彼女は、首を傾ける。

「良い夢は見れた?」

「......そっか、お前が噂のヤツか」

(『噂のヤツ』......?)

少年の言葉が気にかかったが、彼はひとつ息を置いて、「教えてくれ」と声を上げた。

「俺には分かんねぇ......親父は、なんで俺を拾ったんだ?俺を拾わなければ、みんな、あんな思いしなくて済んだのに」

少年は、彼の見た夢を、おれたちに教えてくれた。

何故死んだのか、彼の家族について、彼の本当の正体......

全てを聞いたおれたちは、少年の問いに押し黙る。

確かに、少年の言う通りだ。

オオカミが人を育てる......それは、普通に考えれば有り得ない話で、出来るはずもないことなのだ。オオカミは、人を育てるために居るわけじゃない。

だからこそ、オオカミたちは女の人を攫い、彼に乳や食べるものを与えた。知恵を聞き出した。

オオカミだって、それが分からなかったわけではないだろう。ましてや、人に化けることの出来る化け物なのだ。

それでも、見捨てられた人間の子供を、人を殺し、事実を隠蔽してまで必死に育てたのは──────。

「放っておけなかったんじゃ、ないかな......」

おれは、無意識に思っていたことを口に出してしまった。

少年と、ナーサリーと、マスターが一斉にこちらを見る。

おれはまずい、と思ったが、少年の困惑したような顔を見、決心した。

この子には、分かってもらいたい。

彼らの、紛うことなき愛情を。

「君のこと、助けてあげたい、って、思ったんじゃないかな。......言い方が下手で申し訳ないけど、でも、そのオオカミたちは、群れも持てず、人間に見つかることに怯え、必死に暮らしてきたんだ。だからこそ、君に生きていて欲しかったんだよ。ひとりぼっちの君が、すごくかわいそうで、同じに見えたんだよ」

おれはバカみたいに拙い言葉で、必死に少年に訴えかけた。

少年はずっと目を丸くして、おれの言葉を聞いてくれた。

「おれ、助けてなんて言ってないのに.....なんで......」

震える声で紡がれた言葉は、彼の威勢を消し去り、ひどく頼りなくて弱々しいものだった。しゃくりあげながら言葉を続ける少年に、ナーサリーは無機質な声で応じる。

「言ったわ?」

感情を感じない、けれども少しあたたかい声。少女の声が、少年の心を溶かすようだった。

「泣いてたわ?お腹が空いていたからよ?それってつまり生きたいってことでしょ?」

ナーサリーはこてん、と首を傾ける。

少年はナーサリーの言葉に、もはや声もあげず、静かに泣いていた。

マスターはクリーム色の毛布を再び翻してハンカチにする。

「お客様、確かなことはただ一つでございますよ」

穏やかな低い声が、自然と耳に入ってきた。

少年は鼻を啜りながら、黙ってマスターの言葉を待つ。

マスターは、膝に置かれた少年の手を包み込むように取り、最後にこう、優しい声で告げた。

「泣きじゃくる子を前にして、それを捨て置ける親はいないということです」

マスターの言葉に、ついに少年はうつむいて瞳を閉じ、ついに大粒の涙を流した。

まるで夜露のように輝く涙が、少年とマスターの手を濡らす。

その様子を見届けたナーサリーは、再び少年に声をかけた。

「アンタの願いは?」

こげ茶色の髪が、小さく揺れる。

琥珀のような瞳がナーサリーを真っ直ぐ見、やがて太陽のような笑みが少年の顔に浮かんだ。

「俺の、家族に......会いたい............」

少年の願いが、確かに皆の耳に届いた。

ナーサリーはテーブルに歩み寄ると、花の形をしたランプに手をかざす。

すると、ランプから小さな光の球体が無数に飛び出して少年を取り囲み、ぐるぐると回り始める。

一方、ランプはナーサリーの手元でひとつの花に形を変えた。その花は薄紫の小さな花をたくさんつけている。

「あの子を連れてって?」

ナーサリーの声に呼応するように、しゃらん、と鈴がなるような音がした。

次の瞬間、光に包まれた少年の身体が、銀の毛並みを持つ大きなオオカミに変わる。

彼の黄金の瞳が優しげに細められた。

ナーサリーが手に持っていた花を放すと、花は宙に浮き、少年だったオオカミの左前足に巻きついた。

ナーサリーは奥へと続く扉を開き、

「行先はわかるでしょ?」

と言った。

オオカミが小さく鳴く。

やがて、のそり、と足を動かして、店の奥へと駆け出した。

奥には、あの海がある。

帰るんだ、家族の元へ。

だが途中、オオカミはこちらを振り返った。真っ直ぐな目がおれを貫く。

おれはなんと言えば少し戸惑ったが、

「もう迷うなよ」

と言った。オオカミは再びあの微笑むような優しい目をおれに向け、今度こそ、その毛並みを揺らして、振り返らずに駆けて行った。

「......家族って、何なのかな......」

オオカミを見届けた後、おれがぽつん、と呟くと、マスターは「難しい質問だねぇ」と、穏やかに応じる。

「僕もその辺はよく分からないけど......」

「......けど?」

おれがマスターを仰ぎ見ると、マスターは笑みを零すようにため息をつき、口元に人差し指を当てた。

「無条件で愛せる誰かのこと、なんじゃないかなぁ」

マスターの答えは、おれには少し難しい。

でも、なんとなく、血の繋がりが全てじゃない、と言っているような気がした。

「ナーサリーは、どう思う?」

少年を願いの先へと導いたナーサリーは、俺の声にその顔を向けた。

ガスマスクなんてつけた、おかしな少女。

なんでもかんでも不思議そうに話し、何故か無機質な声で心を温める彼女。

さらり、と髪が揺れた。

彼女はおれを暫し見つめ、

「嘘をついても助けたい誰か?」

二人の答えは、少し不思議だった。

おれは、家族というものを知らない。知る前に失ったのだから。

でも、おれは、彼らの答えからひとつだけ共通点を見つけた。

なんでもわかっているということ。

わかっているから、無条件で愛せるし、嘘をついても助けたいと思える。

そうやって、すべてを優しく包み込んでくれるものが、家族だというのなら─────


おれはほんの少しだけ、あのオオカミ少年が羨ましかった。

いつの間にか俺は、真っ白な世界に居た。

誰もいない、何も無いところ。

後ろを振り返っても、もうあの優しい人たちはいない。

俺は諦めて眼を前に向けると、そこに信じられない光景があった。

みんな、いる。

親父、おふくろ、兄ちゃん、姉ちゃん。

俺がそう言おうとしても、吼えるみたいになって、上手く喋れない。

優しい笑顔を浮かべていたみんなは、そんな俺を見て、つらそうな顔をすると、ぼろぼろ涙をこぼし始めた。


みんな、泣いていた。

兄ちゃんと姉ちゃんは、ずっと「ごめんね」って言いながら。

おふくろは、「バカ息子」って、変な顔しながら。

親父はなんにも言わず、苦しそうな顔をしながら。

ああ、みんな。

やっと会えた、俺の家族。

最後まで俺のこと、助けようとしてくれてありがとう。俺はみんなと血は繋がっていないけど、みんなが繋いでくれた、家族の絆はきっと本物だ。

親父、おふくろ、俺のこと、最後まで『息子』って呼んでくれてありがとう。

俺、本当に嬉しかったんだぜ。

兄ちゃん、姉ちゃん、俺のバカに、最後まで付き合ってくれてありがとう。守ってくれてありがとう。俺こそ、ちゃんと守れなくてごめんな。

みんな、もう大丈夫。

俺はみんなの心の中に、ちゃんと生きているから。ずっと家族は一緒だ!

みんなの罪、全部俺が背負って持っていくから、あんまり早くこっちに来ないでくれよ。

人間はもう拾うなよ、親父。

自分を優先するんだよ、おふくろ。

二人をちゃんと守ってな、兄ちゃん。

きれいな景色をいっぱい見ろよ、姉ちゃん。

みんな、身体を大事にな。

そしてどうか、幸せに。

俺はみんなにめいっぱい抱きついて、離れた。

行き先は分かってる。

あの姉ちゃんが、教えてくれた。

目の前にはもう、道がある。

行かなくちゃ、お別れだ。

俺は走った。振り返らずに。

家族を置いて、風になって、走った。


俺はオオカミの子、ヴォルフ。

オオカミに育てられ、死んだ、親不孝者。

馬鹿と笑ってくれて構わない。今は、ひとつも怖くないのだから。

俺は、家族を守れたんだ。

そして今、俺は本物のオオカミ。

やっと俺たちは、誰にも文句の言えない最高の家族。

これが、俺の幸せで、願い。

俺はもう、迷わない。

「行ったみたいだねえ、良かったよ」

店の奥にある灰色の海を、ランプのあかりが優しく照らす。

マスターの声は柔らかかった。

彼はオオカミの駆けて行った先をしばし長め、傍らに佇む少女に視線を落とした。

「ナーサリー、報酬だよ」

マスターは片方の手にできた拳を開き、ナーサリーに差し出す。

大きな革手袋のはめられた手には、まるで宝石のように輝く石があった。琥珀色に煌めくそれが、さざなみを黄金に照らす。

ナーサリーはそれを静かに受け取り、懐におさめた。

マスターはそれを確認し、「さて」と小さく呟く。

もう、対岸に小さなあかりがポツポツと灯り始めていた。

死に神たちの働き出す時間。閉店の頃合いだ。

「今宵はここまで」

マスターは穏やかな低い声でそう囁く。

ふっ、と、灯火が、静かに掻き消えた。

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