魔王討伐の旅ーアールクタスへー
更新です。一週間はちょっと過ぎてしまいましたが……。お楽しみいただけたら幸いです!
無限大の青空が広がり、爽やかな風が吹く。遥か下に、家が立ち並んでいた。クローノスの黒々とした翼が、影を落としていた。
「アールクタスまではどれくらいかかるんですか?」
見上げてたずねる。濁った声が返ってきた。
「うーん……詳しくは分かりませんが、エムアからクレイラノまで来るよりはかなり短いと思いますよ。日暮れまでには着くはずです」
ふと横を見ると、ナウヌが籠の端にうずくまっていた。
「ナウヌ、大丈夫?」
横にかがんでたずねる。ナウヌは、うるんだ目で首を振った。
「クレイラノまで行ったときは、こんなことにならなかったのに……どうして?」
「動物の姿になるかならないかが、関係しているんじゃないですか?」
振り返ると、人間姿のくじらが立っていた。
「どういうこと?」
「鹿でいるときは、平気だけど、人間の姿でいるときは視点が変わってしまうので、それによって具合が悪くなった、とかだと思うんですが」
納得の息を漏らす。よくよく思い返してみると、クレイラノに向かうとき、確かにナウヌは鹿の姿で籠に乗っていたような気がする。
「私……高いところ、怖いみたいです……」
ナウヌが涙目で訴えてくる。くじらが近寄って、声をかけた。
「本来の姿に戻ったらどうだ? 少しはましになるかもしれないぞ」
「やってみます……」
やっぱりくじらは優しいなあ、などと考えているうちに、ナウヌの姿が鹿になった。もともとナウヌの声は細いが、鹿になると更に小さく、鈴を鳴らすような高い声へ変化した。
「ちょっと気分がよくなったみたいです。休んでいるので、着いたら教えてください」
鹿は、籠の隅にうずくまり、すぐさま寝息を立て始めた。
ナウヌが眠っている間にも、籠はぐんぐん進む。
ふと、周囲の風景が陰ったような気がして空を見上げると、雨雲が空を覆っていた。先程までほとんど雲のない晴天だったというのに、信じられない。籠から手を差し出してみると、雨粒が手のひらを叩いた。
「おっと……あんまり身を乗り出すと釣り合いが取れなくなるので気をつけて」
ちょっと肩をすくめ、真ん中のあたりに戻る。
「ねえ、雨降ってきたよ」
犬の姿で横になっていたくじらが、顔を上げた。あからさまに嫌そうな顔をしている。犬は水が嫌いなのだ。私も雨具を持っていない。濡れることを考えると憂鬱になる。着替えもないのに、風邪を引きそうだ。
「そのようですね」
姿を人間に戻したくじらが、ため息をついて空を見上げる。クローノスの声が、雨音と共に降ってきた。
「ちょっと雨が酷くなってきたので、安全を考えると飛ぶのは難しそうです。申し訳ないが、どこかに雨宿りしましょう」
クローノスは、ぐうっとおもちゃのような街並みに向かって降下を始めた。その気配を感じたのか、ナウヌが目を覚ます。
「着いたのですか?」
「まだ。雨が酷くなってきたから、雨宿りしようって話になったの」
ナウヌは、くじらと同じように空を見上げて、ため息をついた。
「やっぱり鹿も水は嫌いなの?」
「いえ、水浴びもしますから、嫌いではありませんけれど。旅が長引くのが嫌なだけです」
そう言いつつ、ナウヌは姿を人間の少女に戻した。顔色が寝る前より良くなっている。
「ちょっと良くなったみたいだね」
「そうですね、やっぱり、人間の姿でいるのはあんまり慣れないんでしょうか」
恥ずかしそうに頬を染めるその様子を見れば、ほとんど回復しているようだ。ほっとして、私は息をついた。
クローノスが着地したのは、宿屋の立ち並ぶ街の一角だった。
「どこかで宿を取りましょう。雨具も買ったほうが良いかもしれません」
そういって、クローノスが先導し、宿屋の前で立ち止まった。
「みなさん、お金は持ってます?」
私は慌てて首を振った。しかしナウヌが声を上げる。
「勇者様の路銀として、預かったものがございます」
結構ずっしりとした袋を、彼女は差し出した。
「これ、もらっていいのか?」
「はい、まだ息のあった神官様から託されたものです。本当なら、謝礼も準備するべきでしたが、あの状況では到底間に合わず……申し訳ありません」
くじらは、戸惑いながらもそれを受け取る。
「ご主人様と共用いたしましょう」
私は、それにうなずいた。
「いらっしゃいませ、あら? そちらは、もしかして勇者様では?」
出てきたのは、馬を連想させる引き締まった体型の女将だった。
「あ、ああ……くじらと言います」
「まあ、光栄ですわ。ささ、中にお入りになって。お部屋はいくつお使いになります?」
あまりの勢いに、くじらが若干目を瞬いている。勇者の肩書は絶大なようだ。
「2つでお願いします」
クローノスが、唖然としているくじらの代わりに受け答えをした。
「かしこまりました。では、こちらとこちらになります。夕食はお部屋にお餅いたしますので、ごゆっくりどうぞ。お食事は、雑食膳お一つ、肉食膳お二つ、草食膳お一つでよろしいですか?」
「はい、お願いします」
とりあえず、ナウヌと私、クローノスとくじらで分かれて、それぞれの部屋に入った。
部屋は、寝室と居間でなっていた。それほど広くはないが、動物の姿のままでも快適に過ごせるよう、随所に工夫がしてある。例えば、丸まって寝ることのできるクッションだったり、高い位置にものが置かれていなかったり、などだ。異世界の風味を感じて、私は家が懐かしくなった。
「ナウヌは、どうして神官見習いになんてなったの? 田舎の出身なんでしょ?」
人心地ついて、常々疑問に思っていたことをたずねる。クローノスの過去は壮絶だったが、ナウヌもなにか事情があるのだろうか。
「神様に選ばれたからです」
突飛な答えに私は目を丸くする。
「神官というのは、神様から力を授けられた者を見出して、その者を鍛えて初めて、なれる者なんですよ」
「力って?」
「例えば……」
ナウヌは、ひづめをかざして、ぶつぶつと呪文らしきものを唱えた。すると……
「光!?」
そう、彼女のひづめに、やわらかな光が灯っていたのだ。ここまでファンタジーな世界観だったとは知らなかった。
「こういう力を持つ者を探して、年に一度、村に神官がやってくるのです。私はその儀式で力を見出されて、神官としてやってきたんです」
「家族は?」
「喜んでいましたよ。やっぱり都であるエムアに神官として連れて行かれるってことは栄誉ですからね」
そう言いながらも、彼女の口調には一抹の寂しさが宿っていた。
運ばれてきた夕食を食べ、眠りにつく。お風呂に入りたいなあ、などと贅沢な悩みを抱けるのも、今のうちだろうか。
目覚めると、朝日が薄暗い部屋の中を照らしていた。昨夜、固い床の上で眠った分、深く眠れたような気がする。ナウヌはまだすやすやと寝息を立てていた。寝顔が本当に安らいでいた。
朝食を食べ、宿を立つ。再びクローノスの籠に乗り、アールクタスへ向かった。今日はナウヌも最初から鹿の姿でいる。
「今日は晴れてるね、良かった」
私のつぶやきに、くじらが少し意地悪い表情を浮かべて、応える。
「昨日だってそうでしたよ」
私は、むうっとくじらから顔を背けた。いちいち揚げ足取るようなこと言わなくたっていいじゃない。
「喧嘩をしないしない、それより見てくださいよ、酷いことになったもんだ」
クローノスの視線をたどると、そこには燃え盛る都市の姿が認められた。くじらが顔をしかめる。
「できるだけ急いで」
「もちろんです」
ばっさばっさ。羽音がより大きくなり、周囲を流れる風が速さを増す。
「どこに着地しますか? さすがに都市の中には入れそうもないですが」
「そうですね……あの大きな木のそばがいいのでは?」
「わかりました」
私は、地面へと近づき始めた籠の中で、眠っていたナウヌを揺する。
「ナウヌ、もうすぐだよ」
「んん……」
鹿が体を起こし、ぼんやりとこちらを見つめた。やがて、ぶるぶると頭を振り、獣人に姿を変える。
「おはようございます」
「おはよう、もうすぐアールクタスだよ」
ナウヌがそっと籠の外を眺める。火に包まれた都市の姿に息を飲んだ。
そんなやり取りをしているうちに、籠が地面に着く。私たちが籠から降りると、クローノスも鳥人となった。
「そういえば、この籠はどうするの?」
到底持ち運べるような大きさではないはずだ。それに、私たちが最初乗ったときの籠よりも大きく見える。
「これはですね、こんなふうにしてたためるんです」
クローノスが、籠に力を加える。確かに、一枚の板のようになった。でも、これでは大きさが変えられない。
「大きさはどうするの?」
「運送業を担う鳥人は、巣を編むようにして、この籠を徐々に大きくしていくんです。お二人が使われてから、籠を大きくしました」
確かに、籠は大きいほうが儲かるに違いない。大は小を兼ねるともいう。私は納得してうなずいた。
「って、そんなことより、火を何とかしなきゃいけません」
くじらが、きっと火の壁を睨みつけた。
「どうやって鎮火させるっていうの? こんなの……」
水道もない今、川から水を運んでくるか、雨乞いをするかのどちらかしか道はないと見える。
「とりあえず、住民を逃しましょう」
この火の中に入っていくのか。怖気づく私の心を見透かしたように、くじらが言った。
「水を被れば、大したことはないでしょう。幸い、火を消し止めるには及びませんが、小川があるはずです」
何を頼りにそんなことを言うのか。くじらは確信を持った足取りで、進みだした。
「え?」
しかし、私以外は、それに同意するようにうなずいている。ナウヌの頭についた耳がぴくぴくとうごめいていることに気づき、息をついた。獣人であろうとも、耳の良さは健在らしい。
果たして、小川はそこにあった。獣人たちが、次々と水に浸かる。あれだけ水を嫌がっていたくじらですら、嫌々ながらも体を濡らしている。そのことに勇気づけられ、私も体を水で濡らした。服がびっしょびしょだが、この際仕方がない。火の中に突っ込むのだから、文句は言っていられない。
「さあ、行きましょう!」
くじらがそう言い、私たち4人は火の中に身を投じた。
お読みくださりありがとうございました。評価等、お待ちしております。次回の更新は、なるべく一週間以内にしたいと思います。