タラートムへの珍道中
部屋を出ると、更にもうひとつ扉があった。くじらが、その扉を押し開く。
「わあ…」
私は思わず感嘆の声を上げた。そこには、赤煉瓦の建物が、はるか向こうまで広がっていたのだ。石畳の道を、獣人が行き来している。黒装束の言った通り、私は異色な存在だった。
くじらは、そんな私を振り返って苦笑した。
「私も最初来た時は驚きました。まあ、獣人になったことの衝撃の方が大きかったですが。慣れるのにかなり時間がかかって、当初は魔王退治どころじゃなかったんです。」
くじらは、足を止めることなく、町外れにやって来た。家が乏しくなり、代わりに農地が広がっている。
「かなり歩きますが、大丈夫ですか?」
獣人になったとはいえ、くじらは犬だ。体力は、私なんかと比べものにならないのではないか。そんな不安が胸をよぎる。ただ、ここで首を振ってしまったら、くじらと共に旅をすることは叶わない。
返事をしない私を見て、彼は察したらしい。
「仕方ないですね」
くじらが空を見上げた。翼の生えた人が、空を行き来していた。何をするのかと思ったら、突如、遠吠えを上げた。
翼の影が私たち二人を覆う。降りてきたのは、黒々とした翼を持った青年だった。大人二人が悠々と乗れそうな蓋のない木箱を持っている。もしかしなくても、からすに相違ない。反射的にごみを漁る風景が思い返され、私は後ずさった。そんな私に構わず、くじらはその人に声をかけた。
「タラートムまでお願いします」
「かしこまりました。お二人様ですね?」
「はい」
「ではこちらへ」
箱におそるおそる乗り込む。私とくじらが箱に入ると、ぐうっと地から箱が離れた。見上げると、巨大なからすがいた。
「本来の姿に戻れるの!?」
「そうです。マナーとして、草食獣のいる前で肉食獣が戻ることはありませんが」
「じゃあ、肉はどうしているの?」
「人型になれない獣を狩ります」
「その違いは何? なんで人型になれる獣となれない獣がいるの?」
「神様の采配、としか。色んな条件が重なるようです。同じ兄弟でも、なれるものとなれないものがいると聞きました」
くじらは、面倒くさくなったのか、私から顔を背ける。そのしぐさが、私の見慣れたくじらに重なり、思わず笑ってしまう。すると、くじらは嫌そうに振り返った。
「何ですか」
「別に~くじらはやっぱりくじらだなあと思っただけ」
くじらはまた嫌そうに顔を背けてしまった。と、思いもかけぬところから声が降ってきた。
「あなた方は、異世界からいらしたんですか?」
声の主は、からすだった。元の姿でも、言葉は通じるらしい。かすかに濁っているようだが、問題なく聞こえた。答えたのはくじらだった。何度も聞かれているのだろう。彼の答えは淀みなかった。
「そうです。私が召喚され、彼女は道連れに」
ぐらっと箱が揺れた。私は慌てて箱の縁にしがみつく。
「おっとすいません。あんまりおかしかったものだから。私はご覧の通りからすのクローノス。くじらさんのお噂はかねがね」
どうやら、くじらのことはかなりの範囲に広まっているようだった。からす、クローノスの真っ黒な目がこちらをじっと見ていることに気付き、私ははっと顔を赤らめた。まだ名を名乗っていない。
「私は藤沢和音。こっちの流儀で言うなら、カズネ、なのかな。くじらの飼い主」
クローノスは、わかったというように箱を揺らした。
他愛のない世間話―私にとっては十分、物珍しかったけれど―をしているうちに、箱は、地表にゆっくりと着地した。