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導入『出会い』

 ある日、世界から月が消えた。


 新月だとか、皆既月食だとかそう言う話じゃない。

 ある日、突然、跡形もなく何十億年とそこにあったお月様が姿形を消したのだ。

 世界中がパニックになった。

 はじめは動じていない様に見えた各国代表も、3日4日としないうちに慌ただしく研究者を寄せ集め、原因の追求に努めさせた。

 しかし、2週間経った今もはっきりとした結果は発表されていなかった。

 ある者はブラックホールで吸い込まれたと言い、ある者は地球外生命体による攻撃だと言った。マヤの予言を引っ張り出してくる者もいた。

 色々な説が出たが、全て間違っている。



 ……何故そんな事が言えるかって?

 だってそのお月様は、今僕の隣にいるのだから。



「しょーたろー!これ買って、これ!!」



 呑気な顔でお菓子をねだるこの幼女がお月様だなんて、一体誰に言うことが出来ようか。

 ぼくはため息をつきながら財布を取り出した。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ある日のこと、僕は残業終わりで夜中帰っている途中だった。

 今日は曇ってて月が見えないな、そんなことを考えていたと思う。

 もう少しで家に着く、そんな時に後ろから女性に声をかけられた。

 最近この辺りで通り魔が出没しているそうで、帰り道は毎日怯えていたから、この時は生きた心地がしなかった。

 走って逃げる構えをして、勇気を振り絞り首を後ろに向けた。


 しかし、そこに立っていたのは、金色の髪をした小学生くらいの少女だった。



「あの……私を泊めてくれませんか?」



 極度の恐怖と予想外の出来事から、その時のぼくの頭は全く正常に働いていなかった。

 通り魔でないにしろ、夜中に子供と遭遇したんだ。

 月並みな怪談話のごとく、ぼくは怯えていて定番の台詞を絞り出した。


「こ、こんな時間にどうしたの!?迷子?親御さんは?」

「違うんです!私は、その……あの……とあるところから、貴方に会いに来たんです!」


 なにを言っているんだ……?

 こんな小さくて可愛い女の子が、ぼくに会いに来るはずがない。

 身に覚えが全く無いし、第一怪しすぎる。

 家出少女だろうか?だとしたら交番に連れて行くべきか。

 どちらにせよ、自宅を聞いても答えてくれそうにないしな……。


「じゃ、じゃあとりあえず交番n...」

「嫌です!!」


 はやっ……!

 音速で申し出を断られた。

 小学校でクラスメイトに告白した時の嫌な思い出がフラッシュバックした。


「で、でもこんなところにいたら危ないし……」

「貴方が守ってくれます!」

「……へ?」


 ぼくは自分を指さした。

 彼女の眼はキラキラと輝いている。

 ぼくを頼るつもりか...?

 この細い身体のどこに勝算があるというのだろうか。


「でも……もしもぼくが危ない人だったら?」

「ずっと見ていたのでそれは大丈夫です!」


 いったい、どこからそんな自信が……?

 というかそもそも、この絵面が既に危ない人なんだけどね……。

 真夜中に金髪幼女を連れて歩くスーツの男。

 ……ぼくだったら避けて道を歩くだろうな。


 こんなところを近所の人に見られたら、明日からどんな顔をして会社に行けばいいのか分からない。

 それにしても、どうしてこの娘はこんな輝いた眼でぼくを見つめるのだろうか。

 眼鏡に手をあてがい、つい目を逸らしてしまう。


 とりあえずここは、この娘から離れる一手を打たねば……。


「じゃ、じゃあ、お金を渡すから、今晩はどこかのホテルに泊まったらどうだい?」

「貴方が一緒ならいいですけど」

「いや、それじゃお店の人がなんて言うか……」


 そんなの一発で通報されてしまう。


「そ、それならネカフェに泊まりなさい」

「どうやって使うのか分かりません……付いて来てください!」

「それじゃあ意味がないしな……」


 そもそもこんな年の女の子がこんな時間に一人じゃ、ネカフェにすら入れてもらえないか……。

 まあ、一緒に行きたい気持ちが無いわけではないけど……。


 いやいや!ぼくはなにを考えているんだ。

 冷静になれ、正太郎。

 お前の前にいるのは、年端もいかない少女だ。よく考えろ。


 昔、正太郎の『正』は『正義』の『正』っておばあちゃんが言っていただろう!

 そうだ、正義だ!正義の名の下に、この女の子を家に返さねば!


「……や、やっぱり家に帰ろう。送ってあげるから。お家はどっちだい?」

「……嫌です」


 ぷいっと、そっぽを向いてしまった。

 横顔も可愛い。


 ……いやいや、これに他意はない。

 ただ客観的に見てそうであるってだけで、そこにぼくの感情が入る余地はない。

 ……はず。


 よし、ここは一度、家族を引き出す作戦でいこう。

 このくらいの年齢の娘は、きっと両親という言葉に弱いだろう。


「嫌って……家の人も心配してると思うよ?」


 ぼくがそう言うと、先ほどまでの明るい顔が嘘みたいに暗くなり、彼女は俯いてしまった。


「……そんな人いません。私はずっと独りで……ずっとずっと、何年も何万年も何十億年も独りで……話す相手なんか誰もいなくて……寂しくて……」


 静かに呟く声は、よく聞き取れなかった。


 すると突然、彼女は大粒の涙を流し始めた。

 えっ……これってぼくのせいか?これはぼくが原因なのか?

 中学校でクラスメイトに告白した時の嫌な思い出がフラッシュバックした。


 ど、どうしたらいいんだ!?

 子どもを泣き止ます方法……?

 とにかく、どうにかして一刻も早く泣き止ませないと通報されかねない。

 ここは、出来るだけ物腰を柔らかに、優しそうな顔で説得をしよう。


「ご、ごめんね。嫌な思いさせちゃったね。ぼくが悪かった、ごめん!だから泣き止んで……?」


 彼女はぼくの言葉を耳にすると、両手で涙を拭き取り、手の隙間からぼくの顔を覗いてきた。

 そしてその僅かな空間から、破壊力抜群の弾丸を撃ち出す。


「……ぐすっ。じゃあ……お詫びにギュってしてください」

「……は?」


 何を言っているんだほんとに。


 これはあれか、ぼくの性欲が見せる幻覚か。

 なんだ、ぼくはもうそこまでキテていたのか。

 どおりで可愛すぎると思った。

 あれだ、この前見た深夜アニメの残像がまだ瞼に焼き付いてるんだ。いくら可愛いからって第3話を20回も観るんじゃなかったな。


 ……幻覚ならば、もういっそ抱きしめてしまおうか。


 いやいや、待て正太郎。落ち着け、落ち着くんだ!

 確かにギュっと出来るならしてしまいたい!

 だがそれは正義に反するのではないか?

 おばあちゃんの言葉を胸に刻め!!

 ここはやはり、断るべきだ!

 男らしく、胸を張って!!


「い、いや、それはちょっと……」

「じゃあ……もっと大きい声を出します!」


 女の子はそう言って息を吸うと、さっきの倍の声量で泣き始めた。

 深夜とはいえ、周りに誰もいないとは限らない。

 それに、これだけのボリュームなら、怪しんだ周囲の住民が窓を開けて様子を見てくる可能性だってある。

 そうなったらいよいよおしまいだ。

 ぼくは咄嗟に自分が陥っている状況を把握した。


「ちょちょちょ、ちょっと待って!!それはダメ!それだけはダメだから!!おじさん通報されちゃうから!!」

「じゃあ……」


 視線で合図してくる。あざとい視線だ。


 うっ……。

 ほんとにこんなことがあっていいのか?

 ここは本当に日本か?静岡か?

 アメリカの歓楽街なんじゃないか?


 一度深呼吸をしよう。

 すー、はー。……よし。

 おばあちゃんの言葉を思い出せ。


 ……ほんとに『正義』の『正』って言ってたか?

 『正直者』の『正』だった気もするな……。

 自分に正直に抱きついてしまおうか。

 いやいやいや、それは一番ダメ!!その、脳が死ぬままに行き着く思考の先は死のみ!!

 考えなおせ。今一度冷静に――。


 ぼくが逡巡していると、見かねたように彼女はまた息を大きく吸う。

 思考時間を削り取ってきやがった。


「わかった!わかったから、それだけはやめてください……!」

「……ほんとですか?」


 疑う彼女は、叫ぼうとする姿勢をそのままに、ぼくの意思の確認をしてきた。

 見た目の割に抜け目がない。


「ほんと!ほんとだから!」

「じゃあ!」


 そう言うと彼女は、後ろを向いて背中をぼくの身体に押し付ける。

 正面より先に背面デビューをしてしまうとは。

 くだらない思考が頭を巡った。


「お願いします!!」

「うぅ……」


 違うんです、神様、仏様。

 ぼくは邪な考えなど、小指の爪の甘皮ほども御座いません。どうか信じてください。これは事故なんです。

 八百万の神に一通りそう念じると、ぼくは覚悟を決めた。


 ゆっくりと彼女の首元に腕を回し、自分に引き寄せるように軽く力を入れた。


 やってしまった……。

 もうおしまいだ。前科一犯、正太郎ならぬ『性太郎』だよ、ぼくは。

 ごめんね、おばあちゃん。ぼくの『正』は、『正義』でも『正直』でもない、『性欲を欲しいままにするクズ野郎』の『正』だったよ。



「お家、泊めてくれますよね……?」



 ぼくが悲嘆に暮れている隙をついて、とんでもないラッシュをかましてくる。

 この女、要求を畳み掛けてきやがった。

 これが女の涙の力だっていうのか……!

 ダメだ!せめてそれだけでも断らねば!!


「い、いやそれは……」


 また息を大きく吸う。


「わかりました!わかりましたから、もう、それだけはやめてください……」


 ぼくはもう半分涙目だった。

 この状況で泣かれている姿を見られたら、たとえぼくが諸葛亮であったとしても一切の弁解が認められず打ち首になるだろう。それ程までに、ぼくの身体には状況証拠がふんだんに添えられていた。



 もうどうにでもなれと思った。



「やったぁ!これからよろしくお願いしますね!えーっと……貴方のこと、しょーたろーって呼んでもいいですか?」


「いや、いきなり呼び捨てって……ってあれ?なんでぼくの名前……?」


 ぼくが疑問の視線を下に投げかけると、彼女は顔を上に向けてぼくと視線を交え、自信満々に言った。


「あなたのこと、ずっと見てましたから!空の上から!いえ、地球の上から!!」

「……は?」

「実はですね……私は、この惑星に付いて回っている、あなた方が言うところの『お月様』なんです!」



「……は??」




 それからだった。

 ぼくとお月様の奇妙な関係が始まったのは。


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