少女に連れられた先
長い階段を昇り終える頃には既に空は満天の星空に変わった。
少女に連れられ、門をくぐり抜けて着いた屋敷は最早『城』と言ってもいい程のもので、深い歴史を感じさせる荘厳さを醸し出していた。
少女は獅子の彫刻が施されたノッカーを鳴らす。
途端に外から見える屋敷の部屋の窓の殆どが点灯し、中が慌ただしくなるが、しばらくすると静かになった。
重い音をたてて両開きの扉がゆっくりと開く。
「「「おかえりなさいませお嬢様」」」
扉の向こうにはフィクションでしか見たことの無いようなメイド達がが控えていて、一斉に礼をしていた。
「んー、ただいまー」
軽く手を上げて少女はそれに答え、さっさとエントランスに入っていく。
「お嬢様!!」
屋敷内に突如怒鳴り声が響く。それは奥の豪華で鮮やかな絨毯がひかれた、階段のさらに奥から聞こえた。
続けてドタドタと騒がしい足音が聞こえてきて、声の主が姿を現わす。
青い水玉模様のパジャマに同じ柄のかわいらしい三角帽子を被ったお爺ちゃんだった。
「もー……そのまま永遠に寝ててもよかったのに」
「お嬢様がそんな態度をとらなくなるまでは私めは永遠にくたばりません!!」
憤怒の形相のお爺ちゃんだが、どうもパジャマ姿では威厳に欠けるどころかどこか滑稽なまではある。
「気を使わなくていいよ別に。あがって」
そう声をかけられ、恐る恐る中に入ると、メイドたちが訝しげな表情をした。
「お邪魔します……」
パジャマお爺ちゃんは片眉を上げ、こちらを汚いもののように見る。
まあ、実際汚いのだが。
「はて、どちら様ですか?これまた妙ちくりんな格好な方でございますが」
「それはあんただけには言われたく無い」
つい言い返してしまった。
その言葉に少女はけらけらと笑う。
装飾が施された小さな椅子に座り、メイドに砂まみれの細く白い足を湯気の立つタオルで丁寧に拭かれている。
奪った本は膝に置いてその上に指の細い手を乗せている。
「どっちもどっちだよそれ。ところでじいや、頭……じゃなかったお風呂わいてる?」
「お嬢様が中々お戻りになられないので既にヒッエヒエに冷え切っておりますが」
「頭のてっぺんが?」
「風呂がです」
「まあいいや、彼びしょ濡れだったから使わせてあげて」
少女にじいやと呼ばれたパジャマお爺ちゃんは頭痛を抑えるように頭をおさえて、やれやれと頭を振り、こちらを向いた。
「失礼ですが、私めは今は亡き旦那様にこの屋敷の全てを任されています身でして、素性の分からぬ者を屋敷に上げるわけにはいきません。まずはあなた様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
先程までとはうって変わって淡々とした口調で問われ、戸惑う。砂浜で名前を聞かれてからしばらく経ったが、相変わらず自分の名前は出てこなかった。
「あー……えーっと」
咄嗟に少女の顔を見るが、肩をすくめられた。
「とりあえず私の客だよ。自分の名前はわかんないんだって」
砂を全て拭き取られ綺麗になった足をぱたつかせながら少女が言う。
「ふむ、今すぐにつまみ出しましょう」
じいやがパチンと指を鳴らすとメイド達がどこに隠し持っていたのか巨大魚を捉えるような網を取り出していた。
「でも、こんなの持ってたよ」
膝の上の本をじいやに振りかぶって放り投げる。というよりも放つ。
かなりの速度で放たれたそれをじいやは片手でなんなく受け止め、パジャマの胸ポケットから古めかしい片眼鏡を取り出してかけ、表紙を見る。
「ほう。成る程」
もう一度パチンと指を鳴らすとメイド達はまたもどこかへと網をしまった。
「確かにこんな物を持っているという事はどこぞいらの貴族か王族、もしくはその関係者でしょうな。しかし、この青年が盗っ人の類いでなければ、の話ですが」
そう言ってから片眼鏡を再び胸ポケットにしまい、本をメイドの1人に預け、下がらせる。
「しかしまあ、お嬢様ごときに獲物を横取りされる程度の盗賊ならば1匹や2匹や100匹程度でしたら私が寝たままでも対処できるでしょうな」
そういってじいやはこちらをじとりと睨む。背筋に寒いものが走り、冷や汗がほおを垂れた。
「まあ、そういう事だね」
ふう、とじいやが小さくため息をついた。
「本来なら侵入罪で地下牢にでもぶち込むところですが……いいでしょう。お嬢様がお客と仰るなら。それ相応に迎え入れましょう」
じいやがパジャマの端を摘み、引っ張った。パジャマが勢いよく翻る。
そこには先程のボケた老人の姿はなく、背筋がスッと伸びた瀟洒な執事服を着こなす、片眼鏡をかけた熟年の老紳士が現れた。
「申し遅れました。私はこの屋敷に代々仕える身の老いぼれ、ゲドラニスと申します。まあ、気軽にゲド爺とでもお呼びください。私めがヒマな時になら何なりとお申し付け下さいませ。考慮は致します」
そう言ってゲドラニスと名乗った執事は礼をする。
歓迎されているのかいないのか微妙なところだが、こんな早い時間に寝ていたという事は元来この人はこういう性格なのだろう。
「そういえば私も名乗ってなかったね」
少女がぴょんと椅子からとび降りた。
絹のような長い髪がゆれ、腰に手を当てて名乗る。
「私はマルクス王国、シュトレイゼン領、ローズベルク家8代目当主ミーナ・フォン・シュトレイゼン・ローズベルク。ここ一帯の領主でこの屋敷の主よ」
少女はかなり得意げに鼻をならした。
「お嬢様は少々頭が馬鹿でございますので名ばかりの領主ではありますがね」
「うるさいなハゲ頭」
「私、まだハゲてはおりません。フサフサにございます」
「いつもハゲに効く薬草を頭に塗り込んでるの知ってるよ」
「あれは香り付けの香草にございます」
「ハゲの香り?」
「フサフサの香りです」
ハゲもとい、ゲドラニスと不毛なやり取りをひとしきりした後に、ミーナはこちらに向き直る。
「それにしても君に名前がないのは不便だね。とりあえずハゼムと呼ぶね」
唐突かつ強引に名前を決められた。しかし、確かに名前がないのは勝手が悪いのでありがたく頂戴することにする。
「お嬢様……」
ゲドラニスはどこか苦い表情をしているが、大方このお転婆がまた何か企んでいるのかとでも考えているのだろう。
「ハゼム……ハゼムね。分かった。好きに呼んでくれ」
ミーナは満足そうに頷く。
「すんなり決められたけど誰かからとったのか?」
「特に深い意味はないよー。適当」
両手を後ろに組んでにこにこと無邪気な笑顔を見せるミーナは、今みたいに大人しく笑っていればとても可愛らしいのだろうと少し見とれてしまう。
「さて、ではハゼム様」
突然耳元で低い声が聞こえた。
気づくといつの間にか後ろに回り込んでいたゲドラニスに肩を掴まれ、真っ白な手袋越しにでも分かる無骨な手の先が肩に食い込む。
「いつまで屋敷の絨毯を汚し続ければ気がお済みになられるのでしょうか」
ハッとして足元を見る。
服は階段を上っている途中にすでに乾いていたが、海水で固まり、服に付着していた砂がかなり燦然と絨毯の上に落ちていた。
「えっと、すみません……」
パッと手が離れ、ゲドラニスが両手を叩いた。
「ドーレ!ルー!シエロ!お客様を浴槽にぶち込みあそばされなさい!」
これまで姿勢を崩さず整列していたメイドの中から3人が進み出る。
「はい」
「りょうかーい!」
「へーい」
てんでバラバラの返事をしたメイド3人がこちらに近寄って来て両腕をがっしりと掴む。
「正直すごく磯臭いんでさっさと来てもらえます?気持ち悪い」
つまむようにこちらの腕を持つのは
赤いポニーテールの髪に赤のリボンを首元につけた背が高く、冷ややかな目をしているドーレと呼ばれていたメイド。
はっきりと悪態をついた。
「こっちだよー!お風呂入るとさっぱりしてきもちーよ!今はほぼ水だけど!」
腕をグイグイと引っ張るのは、深く青い髪に青リボンを首元につけている褐色の肌にパッチリと開いた目を爛々と輝かせているまだ幼さが残るような小さなルーというメイド。
水風呂に突き落とされるのだろうか。
「よく考えたらめっちゃめんどくさいんで、2人に任せちゃってもいいすか?」
早々に腕を離して気だるげな言葉を発したのはのは金髪で少し髪が跳ねている黄色のリボンをつけるシエロと呼ばれたメイド。かなり着崩したメイド服を着ている。
今はどこかぼけーと虚空を見つめていた。
「人選はこれで大丈夫なのか!? ゲドラニスさん!!」
そう叫んで後ろを振り返ると水玉のパジャマ姿に戻っていて大あくびをしていた。即座にこの爺さんには見切りをつける
「ミーナさん!助けて!」
「ミーナでいいよー」
ミーナはそばに控えるメイドが用意したであろうクッキーを片手にこっちを見ずひらひらと手を振っている。
さっさと入ってこいということなのだろう。
この人らに何を言っても無駄だと悟り、諦めて個性豊かな3人のメイドに連れられて長い廊下を進んだのだった。
◇
浴場までドーレとルーに連れられて着いた先は正直驚いた。
ルーはお風呂と言っていたが、想像していたより遥かに広く、大浴場と言っても差し支えないものだった。
巨大な湯船の八方からは太い柱が天井まで伸びていてその中央にはここにも獅子の像が大口をあけて鎮座していた。
壁は全面が大理石がはめ込まれていて、床は様々な紋章をタイルが描いている。
「どうだ!すごいでしょ!」
ルーが浴場を両手を広げて跳ね回る。
「確かにこれは確かにすごいな」
「なんのひねりもない陳腐な感想は後でいいんで早く入っちゃってくれますか」
その後は脱衣室ではドーレにボロボロの服をひん剥かれたり、大浴場ではルーに本当に水のままだった浴槽に突き落とされて大笑いされたりと散々だった。
二人掛かりで体を洗われそうになったが、それは断固として断り、戻っておくように説得し、大浴場から出て行ってもらった。
もちろんシエロは浴場に向かう途中でどこかへと消えていた。
奇跡的にもお湯が滔々と流れて落ちていたシャワーのような噴水を浴び、去り際にドーレに渡されていた石鹸で体を洗い終えてから一息つく。
「――これからどうなるんだろうか」
そうひとりごちる。
毎日変わりばえのない普段の日常から突然放り出されたように来た右も左も分からない世界で果たしてやっていけるのだろうか。
グリモアの書庫にいた人は乗り越えることができるとは言っていたが、こっちとしてはこの先不安しかない。
しかしまあここの人達は口は悪いが、基本的にはいい人だという事はこうして無事に過ごせている事からなんとなく察するし、こんなに賑やかなのは久しぶりで、正直楽しい。
「まあなんとかなるか」
こっちの世界に来てしまった事は最早どうしようもないし、深く考える事はやめにした。
脱衣室に戻ろうと振り返った刹那、意識が朦朧としてくる。
「また…….か……よ」
再び足元に穴がぽっかりと空いた感覚に捕らえられ、意識が深い闇に落ちていく。
手足の感覚が無くなり、自分がはたして立っているのか倒れているのか上を向いているのか下を向いているのかも分からない。
抵抗は無駄だと悟り、意識を手放したのだった。