異世界への漂着
また暗闇に放り出された。
次はどこで目を覚ますんだろう。
意識が徐々に戻りつつある、それと共に堪え難い息苦しさを感じ始める。
体の端から冷たさと痺れが昇ってきた。
これは……これは?
目を見開きガバッと体を起こす。
途端に気管と肺が痙攣を起こしたかのように痛み、咳き込んだ。
「グッ、ゲホッ!ゲホッ……ゴボッ」
それまで大量に体内に入り込んでいた水を勢いよく吐き出す。
波の音が聞こえた。ここはどこかの海岸の砂浜だった。
「おー、生きてた」
傍から声が聞こえた。
薄いピンクと白を基調とした動きやすそうな短めのドレスにを身に纏った白髪の少女が屈みこんでこちらを見ている。
「完全に死んでると思ってた。息してなかったし」
特に心配もせず、こちらを気遣っている様子もない。
「君はだれだ?」
少女は嫌そうな顔をし、眉間に手を当て、もう片方の手を軽くあげる。
「普通女の子に名前聞く時は自分から名乗んない?しかもここは私のプライベートなビーチだよ」
「す、すまん。えっと……俺の名前は……」
慌てて名乗ろうとしたが、自分自身の名前が全く思い出せない。
ここにいる経緯と先程までの不思議な場所での記憶はあるのに、自分の名前だけが抜け落ちている。
「あー、分かった。大丈夫」
そう言って少女は立ち上がり、踵を返して砂浜を裸足でしゃり、しゃりと踏みならして歩き始める。
辺りを見渡すとここは小さな入江のような砂浜で、高い岩肌がこの場所を覆い隠すようにそびえている。
波が静かに寄せては返し、心地いい音を立てていた。
遥か彼方では太陽が絵画のように切り取られた水平線に沈もうとしていた。
「おーい、何してんの行くよー。それともここで寝るつもりー?」
沈みゆく太陽を茫然と見ていたら少女が間延びした声をかけてくる。
「この本持ってっちゃうよー」
そう言われて気づいた。
先程まで自分が大事に抱えていた本が今は少女の手にあった。
「まっ、返せ!」
慌てて衣服についた砂を払いながら立ち上がって、慌てて少女の後に続いた。
◇
それからは私有地に無断で立ち入った事を責められるでもなく、互いに無言で崖の石壁を削って作られた階段を上る。
かなり高いところまで来たが、まだ階段の終わりは見えなかった。
本は未だ少女が両手で胸に抱えている。砂浜で無理やり取り返そうとしたらきつい平手打ちを食らった。
「それにしても変な服だね」
未だにヒリヒリと痛む頰をさすっていると不意に話しかけられた。
「そう、か?」
そう言われムッとしながらも、改めて自分の服を見る。
しかし、もっともその意見は言い得ていた。
今の服装はコンビニへ出かけた時のままで、どこで買ったか最早わからない妙なネコの絵が描かれたTシャツに色が落ちに落ちたジーンズ。
しかも水浸しになっている上に派手に右裾が元の長さの半分に千切れていた。
「……今はこれが流行りだからいいんだよ」
そう強がってみる。
「そうなんだ。わたしは商人が持ってきてじいやが選んだ服を適当に着てるだけだから流行りとか分かんないや」
無頓着そうに言うが、明らかにそれは最高級のものだろうと言う事は自分でもわかる。
ドレスの端を風がスルリと凪いだ。
「でも、そんなのが流行りって言うなら私は時代遅れでもいいかな」
これ以上何か言い返そうとしても敗色濃厚なので、反論はやめた。
「俺はこれからどうなる?」
状況が状況なので、この世界で警察というものがあるのか分からないが、それに近いものに不法侵入として突き出されるか、良くて敷地からつまみ出されるか。
異世界なのでこっちの法が全くわからない。
最悪斬首とかになるのかもしれない……そこまで考えて少し身構えたが
「別に?記憶が無いんでしょ。どうせ暇だし私の屋敷に客として招待するし、その強がりボロ切れの替えも用意したげる」
そう提案されたので拍子抜けしてしまった。
「でもそんなびしょ濡れだと絶対臭ってくるからお風呂にも入ってね」
そして強がりだとバレていた上に暗に汚いとまで。
安堵はしたものの、情けなさで肩がガクンと落ちて深いため息が出る。もう何も言わず大人しく少女について行くことにする。
ふと海を見ると夕日はすでに隠れ、輝く星が現れ始めていた。