屋敷での出来事②
浴場での一件から後、部屋に戻って着替えていると、ミーナが改めて話したい事があると言ってきたので、屋敷の執務室に向かった。
エントランスの正面にある両開きの扉を押しひらく。
中は混沌を具現化させたような物の散らかり具合で、足の踏み場もない。
「まー、その辺適当に座って」
かろうじて何も乗っていない椅子があったので、そこに座る。
「話ってなんだ?」
ミーナは部屋の奥に備えられた長机まで行くが、机の上はおろか、それと対になる椅子まで書類や本の山で埋まっている。
その山を押しのけると、ドサドサと物が床に落ちて埃を立てた。ミーナは机の上にできた小さなスペースに腰掛ける。
「そういえばハゼムに話したのは魔力の事だけで魔法や魔術の事全然知らないでしょ。この際だし教えておこうと思ってねー」
机の上にある一枚の紙を手渡してくる。
それを受け取りざっと目を通す。
見出しは「ハゼムみたいな馬鹿でも分かる魔力の初歩」とあった。
まだ浴室の一件をまだ若干引きずっているらしい。
図解入りだったが、肝心の図が下手くそすぎるので、そっと伏せた。
「悪かったって」
その言葉を無視してミーナは言葉を続ける。
「私がさっき使ったのとか地下牢で馬鹿なハゼムがルーに殺されかけたのが魔術ね」
不機嫌なのはおやつが変なものになったからかもしれない。
「ギルメブラってのも食ってみれば意外とうまいかもしれないし、そうカリカリしなくても」
「うるさい黙れ」
「はい……」
これ以上は本当に怒らせかねないので自重した。
ミーナは話を続ける。
「魔力の使い方には大きく分けて2種類あるんだけど、私たちが使う物事の原理に則ったものが一般的ね」
右手の掌を上に向ける。
そこから火花が飛び散り、渦巻く炎が現れた。
「魔力はほぼ万能のエネルギーで、大気に含まれる物は帯電するし燃えるし凍る。厳密に言えばもっと色々できるけど、説明がめんどくさいから端折るね」
そう言いながら、掌の上の炎が渦が加速していく。
やがて小指の先程の大きさに収縮し、完全な球体になった。
「体内に取り入れた魔力は変質して自分でコントロールできるようになる。これは火を圧縮した状態ね」
ミーナはちょいちょいと手招きする。
恐る恐る近づいて、煌々と輝く小さな火球を眺める。
「これ、火傷しないのか?」
「火のエネルギーを全部留めてるからこの状態は熱くないよ」
それを浮かべたまま、机から降りて部屋の奥にある窓を片手で開く。
そこは中庭が見え、花に水をやるゲドラニスの姿がある。
「見てて」
火球を前方にいるゲドラニスに向けて放つ。
見事にゲドラニスの尻に命中した火球は燃え上がる。
バタンと窓を閉めて何事も無かったかのように再び机の上に腰掛けた。
窓ガラスの向こうに見えるゲドラニスはもの凄い勢いで尻をはたいている。
「大気の魔力を集め、自身の魔力で変質させて放つ。この一連の流れが魔術ってわけ。原理魔術と呼ぶ」
少し溜飲が下がったのか、こちらを振り向いた時には若干笑顔が戻っていた。
「そうか。実演付きで非常に分かりやすいが、ゲドラニスがまたヤバい顔でこっち見てるぞ」
ガラス越しに般若の顔をしたゲドラニスが見える。
あの顔は何をどう謝っても許してはくれそうにない。
「……で、もう一種類の方がハゼムのグリモアに関係する事。こっちは物事の根幹。世界の創生に関する魔術で」
まるで聞こえなかったかのようにミーナは話を続ける。
一方のゲドラニスはその表情のままゆらりと歩き、調理場の方へと消えていった。
「それを持つ人はこの世界の全てをその本の中に収める事ができるって言われてるよ。正直謎が多くて私もどうやったら使えるのかも分からない」
懐から本を取り出してグリモアを見る。
やはり今まで通り別段変わった所はなく、ミーナが言うように判明している事といえば本自体が全く痛まない事と持ち主の身体を復元する事のみ。
「でも、グリモア自体は割と存在してる事は確認されてるね。ダンジョンって所に各それぞれ最低一つはあるからグリモア自体は特別珍しいものではないよ」
だからそう言われた事は意外だった。
「……それならもっと謎が解明されていてもいい筈なんじゃ」
ここでふと窓を見るとゲドラニスが調理場から食器を載せたワゴンを引いて出てきた。
相変わらず般若の形相である。
すぐに窓枠の外に出て見えなくなったので、とりあえず置いておく。
「グリモア自体は沢山あるけどその持ち主とセットなのが珍しすぎるからハゼムはこうやってここに迎え入れる事にしたの」
それがゲドラニスが言っていた実験と観察という事か。
「貴重なサンプルは手元に置いときたい……と?」
それに対してミーナは何でもないように頷いた。
「まあそういうことー」
部屋の扉がノックされ、ゲドラニスの声が聞こえた。
「お嬢様。おやつの時間でございます」
至って普段通りの口調だった。
ギルメブラの佃煮。ミーナでさえ知らないと言った料理だ。
お互いに微妙な顔でおし黙る。
「失礼します」
返事を待たずにゲドラニスが入ってきた。顔は通常に戻っている。
ワゴンは入れないので片手で器用に二つの皿を載せていた。
「先ずはお嬢様にギルメブラの佃煮を」
そう言ってミーナが座る机の僅かなスペースに皿を乗せる。
ある程度予想はしてたが、やはり黒光りする昆虫的な足が所々で飛び出しているものだ。
ミーナは目を瞑り腕と足を組んで無反応に徹している。
「ハゼム様にはこちらをお持ちいたしました」
皿の上にちょこんと乗ったチョコムースケーキをゲドラニスは大袈裟に、これ見よがしに渡してくる。
「あ、ああ。ありがとう」
ゲドラニスは恭しく礼をして、部屋を出ていった。
ミーナは扉が閉まるとギルメブラの佃煮が入った皿を持ち上げてこちらまでツカツカと近寄ってくる。
瞬きをしたかしていないかのその刹那に自分とミーナの手の内のものが入れ替わっていた。
すなわちギルメブラの佃煮を押し付けられた。
「ハゼムは何食べても死なないからいいよね」
それとこれとは話が別な気がする。
とりあえず、ギルメブラの佃煮はその辺にそっと置いておいた。
一方のミーナは幸せそうにケーキを眺めてから一口フォークで掬って口に入れた。
「とって食おうって訳じゃないし、その辺は安心していいよ。不便のない生活は保証するし」
皿とフォークを傍に置いた。
「そう言ってくれると助かる。こっちの事はほとんど何も知らないからな」
ミーナの傍に置かれたケーキの端から恐らくだが、ギルメブラであろう黒光りした足が覗いていた。