ヘルメス
金の髪に金の瞳をして、あらゆる人種的特徴のない男は破壊の跡を見下ろしていた。
夥しい数の、重武装した兵士の死体が転がっている。
ルシファー、悪魔の王。
傍らに立つのは三体の大悪魔。
レヴィアタン、アスモデウス、ベルフェゴール。
「ああ、つまらん。出力を落してこんなものか」
翠色の肌をした長身の美女の形をしたレヴィアタンが、心底落胆したように声を上げる。
四体は軽快な足取りで死体の上を歩き、重々しい格納庫の扉を開ける。
その廊下を歩く。
時折兵士が飛び出してくるが、彼らの姿を見かけただけで白目をむいて発狂し、倒れこんでいく。
「優秀だなアスモデウス」
「光栄の至り」
理知的な片眼鏡をした、濃い茶髪に銀の目をした優男は慇懃に頭を下げる。
「めんどくせえ……なあ!」
レヴィアタンよりもさらに大柄な、ねじれた二本の角を持つ悪魔がその右腕を振り回す。
それだけで、隠れ潜んでいたもの達も吹き飛んでいく。
「やりすぎるなよベルフェゴール。……近いな」
四人は広いスペースに出ると、そこには二体の存在がいた。
和洋中折衷の封印術式が何層にもかけられた、それなりの悪魔でも触れただけではじけ飛ぶような結界。
ルシファーはしかし、結界を見てすぐに、まるでパズルを解くように結界をほどいていく。
糸を抜くように綻びを引っ張り、自壊する。
二体の存在は、ゆっくりと立ち上がる。
一人は、長剣を背中に背負った黒髪の青年。
一人は、仮面を被りこの世のものとは思えない美しい首飾りをした女性。
何の感情もうかがえない瞳で、ルシファーを見つめる。
「さあ、諸君、幽世を開こうか。我らは父に、君らは姉に、兄に会うために」
ルシファーは歌うように言うと、五体はゆっくりと頷いた。
瞬間、ルシファーを含めた六体は揃って唐突にある一方向を見上げた。
その方角は、日本のある街の方。
「また、厄介な存在が現れたようだな。準備を整えろ! ことは盛大に始めないとなあ!」
夥しい破壊の跡を残し、存在は消え去った。
赤羽陽美香から放たれたアレスとアテナを倒すほどの電撃は、辺りを停電させるほどの威力だった。
真っ暗な空に、星々が不気味な位輝いている。
「陽美香! 大丈夫!? 陽美香!」
長身に黒髪の少女である勇美はウェーブがかかった金髪の少女、陽美香に駆け寄る。
陽美香の表情は茫洋としている。
まるで雷の神のように帯電しており、神殺したる勇美でなければ感電死しているだろう。
それでも意に介さず、勇美は陽美香を揺り動かそうとする。
「井上、赤羽は?」
「わかんない! ケガとかはしてないみたいんだけど……」
とにかく勇美に任せておけばいいだろう。
その前に、軍神に起き上がってこられたら一大事だ。
大和はふらつきながらも倒れているアレスに近づき、刀を振りかぶって首を落とそうとする。
しかし、一陣の突風が吹いたと思うと、倒れ伏す軍神の姿が掻き消えた。
一瞬の出来事に呆けてしまったが、大和は直ちに切り替えて周囲を警戒する。
「まあまあ、落ち着いてくれよ。流石にそいつで首を落されたら、いくら僕達でも一たまりもない」
いた。工場の屋上。場違いな程の神聖をまき散らしながら、その男は座っていた。
傍らに軍神と戦女神を寝かせ、気だるげな顔で大和を見つめる。
莫大な神気をまとった、背丈180センチ程の美丈夫。
黄金で作られたサンダルを履き、銀色の長髪をなびかせ、切れ長なまぶたに縁どられた、煌く星の如き瞳で大和と勇美を見下ろす。
おかしい、神殺しの気配探知をすり抜けた。
これだけの莫大な気配を神殺しが見過ごすなどありえない。
考えられるのは、まさか。
あらゆる神話の中で、唯一神殺しの感知能力をもすり抜ける程の隠ぺい能力。
「ハデスの隠れ兜……そしてそのスピード……黄金のサンダル。あんた、ヘルメスか」
大和の観察眼に感心したように、ヘルメスと呼ばれた男は拍手する。
「その通り! オリンポス十二柱神一の伊達男にしてトリックスター! 商業と医術、そして世界一足の速い神! ヘールメスでございまーす!」
神はおちょくるような声で自己紹介した後、大仰にお辞儀をした。
大和は殺気をたぎらせながら居合の構えでヘルメスを睨む。
「仲間を救けに来たのか? それともずっとここにいたのか?」
「ああ、ずっと見てたよ。あの、フルフルだっけ?
あいつが暴れてるときから君達を見ていた。そこの妹のこともね」
その言に大和はさらに眉をひそめる。
不可能ではない。ハデスの隠れ兜の力であれば。
ハデスの隠れ兜とは、ギリシャ神話最高の武具の一つであり、被ったものはあらゆる感知から逃れることができる。
ゼウスの持つ神雷、ポセイドンの三叉矛に並ぶ至高の武具なのだ。
そして、ヘルメスはハデスの兜を使用したことがある。
だが、まさか自分達をそんなに前から見ていたとは思わなかった。
そしてもう一つ、彼は聞き捨てならないことを言った。
「待て、今妹と言ったか。まさか……」
「ああ、赤羽陽美香。赤羽緋沙奈の娘よ。茫然としてないでおたちなさい」
陽美香は先ほどまでの茫洋とした様子からは想像できないほど、すんなりと立ち上がりヘルメスを見つめる。
その瞳に潜む感情はうかがい知れず、勇美は不安げに陽美香の肩に手を置く。
「貴方は、ヘルメス? ギリシャ神話の」
大和は雄大と水上の方を振り返り、ヘルメスを顎で示す。
「雄大さん、師匠、あいつ見えます?」
「いや、見えてない。何かいるのか?」
「ああ、陽美香に異常があるってことだな」
雄大達は常人だ。神は見えない。
ゆえに、神が見えている陽美香は常人ではない。
異能か、いや、神に近い体になっている。
「……ひょっとしなくても、私のお父さんって」
陽美香は呆然と聞く。
父のことを尋ねたことはなかった。
いないのが当然だと思っていたからだ。
追ってくるはずのない過去だった。
「ああ、君の父はゼウスだ」
ゼウス。ギリシャ神話の雷神にして主神。全能の支配者にして神々の王。
陽美香は、降って湧いたような事実を咀嚼し、それでもヘルメスを睨み言葉をつなぐ。
いや、顔を真っ赤にして怒鳴っていた。
「そのゼウスが何の用? お母さんが死んだときもこなかった! 会ったことも見たこともない! そんな男が何の用よ!?」
「君に死を賜るため」
ヘルメスの冷血な答えに、陽美香はサッと青ざめる。
「な、何よ、それ、殺すってこと?」
「そうだね。その為にアレスとアテナを差し向けた。
神殺しである君らに邪魔されないために、アレスが少年を誑かした。
今回の騒動は全て君が発端だ」
怯えた目で後ずさる陽美香をかばうように勇美が立つ。
「……ふざけないでよ! 実の父親が娘を殺そうっていうの!? 妹をあんたらは殺そうっていうの!?
何を馬鹿なことを言ってんのよ理由を言いなさい!」
ヘルメスは勇美の凄まじい怒声を手で制す。
「かつて、父ゼウスは祖父クロノスを倒した。そこまでは知っているかね」
「ギリシャ神話の創生物語だな。ティタノマキアか」
「詳しいな少年、話が早い。まあ色々あって父ゼウスは祖父の局部を切り取って力を奪うことに成功した。
力ってのは神々の王となる権力ってことだ。ここまではオーケー? ついていけてる?」
「その偉い偉い神様がなんだって娘を狙う!」
勇美は紫炎を纏い臨戦態勢を取る。
だが、ヘルメスはどこ吹く風だ。
「その時、ゼウスはクロノスから預言を賜った。内容はこうだ。『私は子どもにやられた。次は貴様も子どもにやられるだろう』ってね」
「その預言の子どもが赤羽だって? ゼウスの子どもなんざアホほどいるだろ」
「そだねえ、ウチの父親かなりのクズだから」
大和の皮肉をヘルメスは笑って受け流す。
「だが、彼女がゼウスを引き継ぐっていうのは信ぴょう性があるだろう。何せアレスとアテナをここまで昏倒させる一撃だ。
雷神の権能を完璧に受け継いでるわけだからね」
陽美香は泣きそうになりながら叫ぶ。
「私は父親になんか興味ないわ! 私に関わらないでよ!」
「うーん、うちの父親が何て言うかなあ。それに、これを知ってもまだそんなことが言えるかな?」
ヘルメスは陽美香を見据えていう。
「かつて、ゼウスと君の母親緋沙奈は戦友だった。けれど、父ゼウスは次第に彼女に恋情を抱き始めた」
「……まさか」
「無理やり襲って手籠めにして、できたと分かると君の母親を殺そうとした。そんなクソ野郎を君は殺さずにいられるかい?」
ヘルメスはいっそ優し気に声をかける。
陽美香は一瞬茫然としていた。
していたが、わなわなと震えたと思うと、その姿が掻き消える。
甲高い叫びとともに、極太の雷撃が放たれ、レーザーのようにヘルメスがいた場所を貫く。
鼓膜を破壊せんばかりの衝撃が轟いた。
だが、それだけだった。
ヘルメスの蹴りが、陽美香の脇腹を貫く。
転がる陽美香を踏みつけるヘルメス。
そこに、井上勇美の正拳と釧灘大和の斬撃が襲い掛かる。
だが、その姿は掻き消え、二人は一瞬見逃してしまう。
ヘルメスは、陽美香にアレスとアテナを背負って空を走っていた。
空中を地面のように駆け抜ける魔法のサンダル。
ヘルメスはぐんぐんと加速し、西の空に消えた。
「陽美香! 陽美香ー!」
勇美の叫びが、真っ暗な闇にこだまする。
拳が血で滲むほど、地面を殴りつける。
大和は勇美を後ろから抱きしめながら、西の空を睨みつけた。
赤羽陽美香は、この国から消えた。
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