ep2 海の見えない街
「また海のおばあちゃんちに行ったらどう?」
母からの唐突な提案だった。海のおばあちゃんちというのは、父方の祖父母の家のことだ。昔、海のそばに住んでいたからそう呼んでいる。今はその海のそばの一軒家を手ばなして、内陸の集合住宅に住んでいる。
去年の冬、心が壊れてしまったあと家にも居づらくストレスがたまっていた。そのときしばらく海のおばあちゃんちに逃げていたことがあった。つまりこの提案はこれで二度目になる。
「…」
声を発するのもつらかった。少しだけうなづいた。
受験から本気で目をそらすならいいかもしれない。休め休めといわれてもやはりどこかで勉強できない自分をせめ立てて殺そうとする自分がいることを私は知っていた。結局その気持ちからは逃れられないままずっとひきずって苦しいまま、私は翌週電車に乗った。
長い道のりだった。人が多い車内は、孤独な空間になれた私には重すぎたのか、直ぐに酔ってしまった。窓から見える景色は色づき始めた木々を映して美しいのだけれど純粋には楽しめない私がいて、トンネルに入って、自分の顔が窓に映るや否や、その醜さに目をそらしてしまう。
やっとの思いで急行から鈍行に乗り換え、人のいない車内の椅子に落ち着いてふと外を見つめると真っ赤な夕日が見えた。淡い秋色の空はどこか切なくてはかなげで、それとは別にまた真っ赤な血のようにも見えてグロテスクな気持ちが湧き出ると吐き気がした。
腐ってるな。
そう一言耳の中で脳のなかで
聞こえた気がした。
やっとのことでその家に着いたのは夜暗くなってからのことだった。
チャイムを押すと祖母が「あら、はやかったわね」と迎えてくれた。夜景が少しではあるがきれいに見える7階のその部屋は広くもなく狭くもなく老夫婦には暮らしやすそうで小綺麗に中国製の置物などが置かれている。変わらない部屋だ。
夕飯を食べる気にもならなかったのだが、来て早々用意されたご飯を残せるほど私は無神経じゃない。吐きそうな気持を抑えては無言で完食した。「ごちそうさま」のポーズだけをかろうじて残した。
「もうねていいですか?」
「あら、そう。いいわよ。ふとんだすね。」
「あ、手伝います」
なぜか久しぶりに会うと敬語になってしまう。けれどきらいじゃないこの空気。老齢の人はどうしてこう独特な空気が出せるんだろう。
少し安心し始めた。神経の薬をのみ横になると、どっとでた疲れのせいかその夜はすぐに眠ることができた。