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人をのむ呪い  作者: あむろ さく
第一幕 『心の部品はどこ?』
9/54

      幕間  四、五人ばらと寄つて取卷いた時

時系列では一年ほど前の話です。

……玉虫色って好み分かれますよね。


この話は読み飛ばしても大丈夫です。長いですのでご注意を。


 



「ひな、みう……ウチは納得できないな」

「ど、どうしたんですか? つぐみちゃん?」


 つぐみのうめくような低い声が、レッスンルームに響く。

 日曜の稽古が終わり、居残りの練習もだいぶ……重ねて一息ついていた時だった。

 私はタオルで汗を拭いていたが途中で止めて、つぐみ達のほうに顔を向ける。


 確かに今日のつぐみは一日中、動きや演技がどこかぎこちなかったけど。

 心ここにあらず、だっけ? そんな感じ。


 今回の劇、つぐみは主役に選ばれている。

 ついに私達三人の中で初めて主役が出た。

 その辺の――まだ私が体験したことのない重圧や緊張があるのかもしれない。


「レッスンの出来……じゃないね。どうしたの?」

「えっと、なにかあったんですか?」


 みうと同時に声をかけた。

 普段通りなら、一時間くらいおしゃべりが続き、

 カラオケかファミレスに流れるパターンなのだが。


 誰が一番最初に主役になるかって、繰り返し何度も話したな。


 ……初の主役はつぐみだった。

 未羽もどんどん演技が上達して来てる。

 たまたま今回はつぐみが選ばれたけど、劇の内容によっては未羽の方だったかも。

 まだ粗削りで尖った部分だらけの方向性。得意不得意な場面や役もみんな違う。

 

 頑張った分、必ず報われるわけじゃない。

 それなら誰だって諦めたりしないんだし。 

 

 でも私だって。

 目標があるし、努力もする。願うし、叶いたいって思う。

 主役の座を勝ち取る。二人に続く。はやく追い付かなくちゃ。


 いつでも会えて、いつも近くにいてくれるのに。

 私だけ手が届かなくて舞台袖に立ったままなんて絶対に嫌だ。


 つぐみの不満げな顔をもう一度みる。

 なんとなく、不満の方向が演劇とは別のところのような感じがした。

 とは言ってもつぐみのテンションが大きく揺らぐのは、その時の気分ではない。

 いつだってちゃんとした、つぐみなりの理由がある。


 ……私や未羽の方がその場の感情で物を言い、抑えられないくらいだ。だから、この場合はなだめるというよりも話を聞いて、考えがあればはっきり言ったほうがいい。そんなケース。お互いの性格を理解しているからこそ、先を促してみる。


「ここじゃ言いにくいことなら、場所変えようか?」

「いや、あのさ、あの……サイン帳のこと、なんだけど」

「サイン? あっ! プロフィール帳の……」

「朝、そんな話してたね。そういえば」

「同じ団員に渡して交換し合うのはいいよ。ウチも二人以外からも貰ったし、書くこと自体楽しいしさ。……コレクションみたくたくさん集めようとは思わないけど。まあ、それはいいんだ」


 日曜の稽古が始まる前に、JINプロ児童劇団の全員分プロフィール帳が集まったね、

 ってことを言ってたな未羽と。


 あ。ちょっと思い当たる点があるかも。

 つぐみが機嫌を損ねそうなとこ。


「……ひなもみうも、マツキ先輩にも渡して、今日書いたヤツをもらってたろ。ずるいよそういうのは」


 嫉妬、ってよりは、私だってしてみたい! という気持ちがすごく伝わってくる。

 でも、そんなの自分らしくない――少なくても本人はそう決めつけてる。


 松木明さんは才能ある役者として、いくつもの公演で成功をおさめ、

 劇団JINの中でも急激に有名になりつつある。

 何かと理由を付けて個人情報がどうとか、JINプロの決まりとかなんとかって

 そんな回りくどいことをつぐみは言わない。

 ただ純粋に自分が出来ないことをやっている私達を羨ましがっているのだ。


「ずるい、ですよね。ごめんなさいつぐみちゃん。でも……」

「こっちにも理由があるんだよ。ほら、年賀状とか、みうが去年書きたい人に書けなかったってのがあったでしょ? まあ、マツキさん自体に書いてほしいなって気持ちもあったけどさ。それは分かってよ」

「年賀状ぉ? ……ホントに、みうはそういうところ、マメだよなあ。ウチはメールとか電話で済ませちゃうし。ひなだってウチと同しかなって思ってたんだけど?」

「あ、あたしも実はちょっと思ってました!」


 何だよ二人して。

 私は……確かにお手紙とか面倒だなってなるタイプだけど。

 思えば両手、十本の指で数え終わっちゃうんだよね。

 ママのおばあちゃんのところには出してる。パパのところも。

 あとは……つぐみと、未羽に。去年自分から出したところは、あとは――


「小学校の先生に、一人だけ毎年出してるよ。四年生の時の。他の担任だった先生にもお世話にはなったけど、その先生だけ」


 つぐみと未羽はじっとこちらを見つめている。

 あまり語ることじゃないんだけど。第一その先生だって、たまたま私に、教師としての情熱とかを傾けるタイミングだったり、その時、親身になってくれたってだけかもしれない。

 でも、私は憶えている。誰も助けてくれなかったときに手を差し伸べてくれたことを。

 ずっと忘れることもないんだと思う。


「少しだけ最近のことや聞きたいことが書いてあってさ。元気にしてる、とか、部活はどう、とか。それに毎年答えて書いての繰り返しで……」


 きっと毎年、大人になっても書き続けるんじゃないかな。

 私にとって、お手紙というか年賀状は、そんなものになっている。

 ずっと続くものだ。途中で送らなくなるってことはない。断言できる。

 先生に過去にしてもらったことは変わらないんだから。


 つぐみや未羽、二人にだってそう。

 児童劇団の稽古、居残り練習、茶番、公演。

 今日一緒にいて、同じ目標に向かっている輝きは、私の中で無くなったりしない。


「素敵ですね。ひなちゃんが続けてるのって、すごくいいやりとりです」

「……ウチだって届いた人には書いてるよ。二人にもちゃんと送ったし」

「ごめん。話が逸れた。それで、プロフィール帳のこと、つぐみはどうしたいの?」


 え? あ、うう。

 急に話題を戻されて、つぐみは喉の奥で潰れた声を出す。


「結局アレですよね。要はプロフィール帳を……」

「アレだね。つぐみが正直に言えば、私達はなんだって協力できるよ?」


 多少の意地悪さを込めて、私達はつぐみに笑顔を向ける。

 実際に微笑ましいのだ。いじらしいその心を、隠さないでいてくれるから。

 つぐみは耳まで真っ赤になりながらも、いつものようにまっすぐこちらを向いて言う。


「……マツキ先輩のプロフィール、ウチも見たいです。お願いします」




   *  *




「今日はどこに行きましょうか?」


 プロフィール帳のことで盛り上がり、あっという間に夕方前だ。

 私達の他に誰かいたら、うるさくて迷惑だっただろうな。


「どこでもいいよ」

「それだとカラオケかファミレスだぞまた……」


 って言ってるつぐみも、肯定的な声だ。

 二人となら、どこでも楽しいし。

 話してるうちに行きたい場所が、いつの間にか『そこ』になって。

 練習に熱が入って時間が経てば『ここ』になる。

 それって何気にすごいことじゃないかな。


 まあスタジオの周りはさんざん遊びまわったから、定番どころに落ち着くんだよね。

 今度早めに居残り練習が済んだら、ぶらぶら活動場所を探しながら遊ぶのも面白そうだ。


「今日は交換日記、三人書きの回ですしゆっくり座れるところで――」


 レッスンルームから出る前に、入り口近くの椅子を見た。

 未羽もそうしたようで、声が途中で止まった。その椅子は大道具を運ぶとき、ドアを開きっぱなしに固定するために使う時があるのだが、そうで無い時は誰かの忘れ物を置いて、本人に持って行かせるようにしている。


「今日はタオルだけですか」

「いつもよりは少ないな」


 とは言っても、忘れ物なんてほとんどが松木さんのものだ。

 しかもほぼ毎日、何かしら忘れるんだ。レッスンルームに人が多い時は気に留めないけど。

 帰り際は一応チェックするからね。


 ちなみに練習の終わった松木さんがその日取りに戻ってくることはない。

 明日でいいや、の精神で大抵は済ませるって言ってたし、そうしているみたい。


「それくらい練習に集中してたって言えば、いい話で終わるのにね」

「おサイフを忘れてた時は、驚きましたよ……それも最初のうちだけでしたけど」

「下着も平気で忘れるからなマツキさんは。着替えの予備とか」

「でも携帯とかは一度も置いていきませんよね?」

「さすがに仕事に関わるモンは忘れないだろ……」


 つぐみが、何気なく椅子の上のタオルを取ってみる。

 たまにライターやタバコが隠れていたりするから、確認したんだろう。


「えっ」

「あっ」

「んん?」


 台本。 

 ……台本!? ものの見事に商売道具だ。

 それもJINプロの舞台台本じゃない。珍しく松木さんが他劇団の助――助っ人出演するやつ。


 仕事に関わる重要なそれが、ほんのり汗に濡れて置いてあった。

 自分達がレッスンルーム来る前に、松木さんは台本読んでて……そのままって感じだ。


「こ、これってここにあっていいのか?」

「え、えっと。……読み合わせっていつでしたっけ」


 とっさに台本を開いて目を走らせる。ほんとは駄目だけど。

 こういうことは緊急ってことで仕方ないよね。

 松木さんのもので間違いないな。で、スケジュールは……

 後ろの方に綴じてある日程表をめくる。


「ひなちゃん、なんて書いてますか?」

「読み合わせ、明日の朝一からだ。……うわ、場所は劇場近くの映宝ビル」


 マジか。どうすんだ。

 JINプロのスタジオかプロダクション本社の一室なら、朝ここに寄ってから向かうとか出来たのに。それは無理か。……連絡しないと。松木さんにもだけど、ひとまずは――


「ひかりさん、今日はもう帰ってるよね?」

「はい。いつもより早いですけど、用事があるって急いでました」

「じゃあまず、紙谷さんに相談だな。この時間、出てないといいけど」


 読み合わせのキャストはこのスタジオには来てないだろうし。それが一番いい。

 問題は、それができるならだけど。今日は間が悪く早抜けが多い日だ。

 なんとなく嫌な予感がする。


「いなければ劇団JINの誰かを見つけて話そう」




   *  *




 嫌な予感はぴったり当たってしまった。まず松木さんが携帯に出ない。

 周りにあまり頓着しない松木さんだが、携帯の着信はすぐに気付く。マナーモードでもそうだ。

 仕事に関わるものは本人なりに意識しているんだろう。

 繋がらないとなると、何か用事か出られない事情があるって可能性が高い。


 そして何よりも、台本について任せられる人が、スタジオにも事務所にも見つからない。


「……困ったな」

「ど、どうしましょう?」

「紙谷さんにもひかりさんにも繋がらないし……連絡待つか?」


 いまスタジオにいる事務員さんだと、単なる忘れ物扱いで、

 松木さんが電話に気付かなかったら明日の読み合わせは間に合わないな。


 まあ台本無いなら無いなりに、誰かに借りたり原本刷りでやるだろうけど。

 この公演は他の劇団から引っ張って来てる役者も何人か確認できた。

 読み合わせで自分のイロを付けた台本を持って来ないとなると、

 松木さんと劇団JINの信用に関わってくる。


 つぐみの言う通り、連絡をここで待っていた方がいいかも。

 頼りになる人達には着信を入れてるから、誰かしら気づいた人に判断してもらおう。

 そう言おうとして二人を見た。未羽はあたふたとした気持ちが顔に出てる。普段ならそれだけで話の種になるけど、今は落ち着かせた方がいいな。私も冷静になり切れてないし。つぐみは何か思い詰めているような……違う、何か考えているみたいで、それを私達に言おうかどうか迷ってる感じだ。


「つぐみちゃん?」

「……いまから、直接マツキさんの家に届けに行こう」

「ちょっと、つぐみ」

「それは……そこまで緊急ってわけじゃないですよ? マツキさんがあたし達の着信に気が付けばいいんですから。それかすでに連絡してある紙谷さんかひかりさんと繋がればもっと話は早いです」

「でも、もう今日一日ずっと携帯を触らないかもしれない。仮に家にいなくても、夜のどこかで帰ってくるだろうし、ドアのポストに入れておけば、朝メールや留守電に気付いても持っていけるだろ?」

「……そうかな? みうの言う通り、これはそこまで深刻な話じゃない。マツキさんはどこかで電話に気付くだろうし。紙谷さんか光さんに話が出来れば、マツキさんの行動を把握してる誰かに連絡を繋いでいって、伝えられる話なんだ」


 ううん。

 本当に時間が押しているときや非常事態なら、それもアリかもしれないが。

 つぐみの案は、いくつかの段階を飛ばした動きなんだよね。

 それくらい分かってるはずなんだけど。


 ウチは、とつぐみがつぶやく。


「……マツキさんの家に行ってみたい。台本を届けるって理由があるなら、行けるし」

「つぐみちゃん。それは、ちょっと違うと思います」

「でも……いや、ウチだって間違ってると思う。けどさ、そういうことに、しちゃってさ」

「悪いと思ってるのに、してみたいんですか? ……親切な心を利用してまで」


 あ、ヤバい。

 未羽の声が冷えた。

 大抵のことは笑顔で許してしまう未羽だけど、許せないこともいくつかある。

 人のやさしさや助けようとする気持ちにつけこむような真似。

 それを未羽は我慢できないんだ。


「みう。それこそ深刻な話じゃないじゃん」

「本当にそう思ってます?」

「怒んないでよ。ちょっとしたことで――」

「ちょっとしたことですか? なら聞きたくないです」


 未羽が視線を外して、後ろを向く。

 ……少しは私達の関係も大人っぽくなっちゃったのかな。

 半年前なら大喧嘩になってたかも。

 演技や動きの表現。アドバイス。その違いで衝突したことは何度もある。

 つぐみは顔を赤くして。未羽は涙を浮かべながら。


「聞いたら、つぐみちゃんにひどいこと言っちゃいそうだから。どう伝えれば、分かってくれるかな? ……ひなちゃん」


 やっぱ来た。

 ど、どうしよう?

 これは両方の肩を取り持てないケースだ。一番私のお腹が痛くなるやつ。

 二人のうちどっちかに乗っかるしかない。

 延々と言い合いになると判断したら、私にお鉢が回ってくる。いつもと同じだ。

 そのパターンが思ったより……早い。


 でも、こんなとき『どちらが悪いのか』なんて考えたことはない。

 公園のシーソーの真ん中に立ってどちらかを傾けるように、

 ただ自分の直感と打算。その心のままにしゃべるだけだ。


 間違いじゃないし無駄でもない。

 しまったって思ったらそこからまた三人で考えればいい。

 いつもと同じだ。


「……忘れ物が習慣みたいになっちゃってるのは確かだし。児童劇団の私達で届ければ、少しはマツキさんも懲りて直そうとしてくれるかも」

「ちょ、ひなちゃーん!?」









「まだ怒ってる?」

「別に怒ってません」


 電車から降りたあともテンションが落ちていた未羽に、声をかける。

 プロフィール帳に住所は載ってるから、あとは携帯のナビアプリに沿って、歩くだけだ。


「勝手にこんなこと……こういうのは親切とは言えません。それがちょっと嫌なだけです」

「でも一緒に来てくれてよかったよ。みう」

「みう……ウチのワガママに付き合ってくれて、ありがとう」

「……わ、分かってます。行ってみたい気持ち、面白そうって気持ち、あたしも無いってわけじゃないし……でも、親切や善い行いを利用してる気がして、少しもやもやしてるだけです」


 つぐみの、どこまでもまっすぐ自分の気持ちに素直なところと、

 未羽の善意の塊みたいなところ。

 どちらもそれにつられて引っ張られてる時は悪くないし、

 それを悪いことって言うつもりも全然ないけど。


 これから大人になっていくときに、辛くなる時が来るかもしれない。

 大人って、言葉を包み、濁し、あらゆるフィルターにかけて、

 本当の気持ちを分かってもらえないようにしてしまうものだから。

 それが人間関係を悪くしない方法で。どこでも通用するマナーなんだ。


 ああ馬鹿らしい。

 言いたいことを言って、我慢できないところを我慢しないで、ぶつかりたい時はぶつかって、泣いて、笑う。人が人と関係を作っていくのって、子どもの時から正しく教えてもらってるのに。そうやって分かり合っていくのは、膨大なエネルギーがいる。

 きっと大人は、それを省略したいのだ。


 出会う人が多くなっていけば、私だっていつか省いてしまうだろう。

 自分のことを理解し心を通わせてくれる人は、もういるんだから。


「今日書いて来てもらったプロフィール帳、さっそく役に立ったね」

「たしかに、そうですね。住所は分かりますし」

「二人のプロフィール帳、質問や内容が微妙に違ってて、面白かったよ」

「好きな漢字ベスト3とかね。マツキさんは来、友、喜だったっけ?」

「あ、フリースペースに好きなメガネは? って書いてありました。顔が引き締まるメガネと、優しさがにじみ出るメガネが好みだそうです!」

「そうそう! 大切にしているものは携帯電話、だよね?」

「みうの方にはそう書いてあったね、私の方は役者初期の台本と映像DVDだった」


 笑い合う。


 未羽だって言葉ほど怒ってるわけじゃない。

 少し許せない領域に、私とつぐみが入っちゃったんだ。

 そして、それを次からは気を付けて欲しいって、態度で示してくれる。

 もちろんそうするし、本当に触れて欲しくない部分ってのは、三人とも良く知ってるんだ。未羽はお婆ちゃんの事。つぐみはママの事。私は……挙げるならパパの事かな。

 大人の汚さとやりきれなさ、嘘とかはパパから見て感じたから。今はそうでもないけど。


「それでさ、好きな休日の過ごし方のコメントがまた面白くて――」


 携帯が鳴る。あ、松木さんだ。

 良かった。気付いてくれたみたい。

 スピーカーフォンにして、三人とも声が分かるようにする。


「もしもし。日野です」

『……』

「マツキ先輩? あれ、いま外ですか?」

『……いいから、早くその鞄を開けて見せてくれ』


 んん? 私の言葉に反応してない?

 他に音は……聞こえてこない。


『見ない方がお互いのためだけど?』

『そういう約束だったろ。守れよ。というか、そのために《俺の家まで運んで》くれたんだろ? それとも中身に問題が?』

『これに、中身なんてありはしない』


 女性の声。

 つぐみと未羽が、私の方を見た。

 松木さんは、一人の女性と話をしてる。なんだかおだやかじゃない雰囲気だ。


『開けろ。細心の注意を払ってだ』

『キミの言いたいことはわかるよ。まあ、望むなら仕方ない』


 ジッパーを大きく開く音。バッグ……鞄か。それもかなりサイズがある。

 次にざらざらと、何かが落ちる音。

 そこまで大きくも、重くもない何か。でも結構な数。


『あ………ああああああっッ! お前っ! 何てことを!』

『何てことはない。普通なら……キミには違うように映っているだけだ』

『こんな……お前。人のすることか!? なぜこんなことができる!』

『キミこそ。まともな人間とはほど遠い。だからこの状況になっているんじゃないか。はっきり言って異常だぜ』


 やめろ。止めてくれ……ああ。くそ なんで こんな……


 松木さんが声を詰まらせて、多分泣いてる。 

 何かが起こってる。

 じゃなきゃ松木さんが泣くはずがない。悲しさを持つもの、何かにこだわるなんてないと思ってた。でもそれは松木さんの知らない部分が私にあるだけってことだ。


 声が漏れそうになったが、止まってくれた。

 向こうに声は届いてないみたいだけど、今は聞き耳をたてた方が松木さんの助けになる。

 私の横にいる未羽もつぐみも、多分そんな風に思ってくれたんだと思う。


『動くな……分かるだろ? 大切なものは、なかなかゴミには成ってくれないよ? もうキミは動けない。でも、そうだな。大声は出せるかどうか試していい。その瞬間、キミの精神は砕けるかもしれない。そっちの方が興味あるな』

『なんで、こんな……ひどいことを? 教えてくれ、どうして……』

『どうして? どうしてだって? 困ったな。説明してあげるほどの動機も意味もないのに』


 彼女が動いている。松木さんの周りを歩いているのか? それもとも後ろに立ったのか。

 足音じゃないけど、身振り手振りや声の感じで分かる。


 ……誰だこの人は。

 電話越しというのもあるけど、こんな人知らない。

 知らない性格、話し方。声の調子。


 最初に女性の声だって感じたけど、今は私達と同じ年くらいの女の子のように聞こえた。

 無理して難しい言葉を選ぶ時期……そんな女の子。

 こんなことが出来る子、劇団内にも松木さんの知り合いにもいないんじゃないか?


『人は誰でも触れて欲しくない領域があるね? また、それは同時にどんなものが大切かは他人には分からないのと同じで、どんなものがその人にとっての禁忌かは伝わらない限りは分かりようがない。……キミは私の禁忌に触れた。もっともキミに悪意なんてなかったはずだよ? しかしね。私は私の悪意を持って、キミの大切なものを壊し、禁忌に触れてやりたいと思うんだ』

『あ、あ……』


 やっぱり分からない。


 でもいくつかの疑問が湧いた。

 それをまず解きたいが、私達の思っている以上に危険が迫っていたら困る。

 止まっていた足を踏み出す。


 ――松木さんはいま家にいる。

 この電話は偶然繋がったのかもしれない。でも、松木さんは彼女に向って『俺の家まで

 運んで来た』と言ってた。

 大きなバッグ一杯に詰めた《何か》の正体はともかく、近くまで移動しておかないと。


『不思議だ。その泪だってそう。大切なものは、少しずつ大切なものになっていったのに。それが無価値なものに変わっていく過程は、まったく違った。……キミも同じなのか? いつかのように、また』

『う、あ……!』

『それが、いつまで持つか、ここで見ていてもいいが。私がキミに出来ることは全てしてしまった。それに、人間の変貌や生まれ変わりなんて興味もないしね。……じゃ、さようなら』


 もう聞き取れる音は……押し殺すような松木さんの呼吸くらいだ。彼女がドアから出て行ったのを最後に、何も気配がない。松木さんはなにか事情があって、声を出したり身動きの取れない状態らしい。

 スピーカーフォンから通常の電話音量に切り替える。


 大声を出せば、向こうも気づくかもしれない。

 でも、もう行ってみた方が早いな。松木さん一人しかいないなら。


「みう。ここからマツキさんの家まで、走ったら何分くらい?」

「……え? えっと、走って迷わなかったらもうすぐ先です。徒歩ならさ、3分くらい?」

「つぐみ、台本を」

「さっきから目を通してる」

「あたしも、見てました。あの……」

「違う。ひなも考えたろ? なんかの練習であんなセリフを言ってるのかなって。でも、違うんだ。この台本を読み合わせてるワケじゃないんだよ。もっと言うと、ウチ達の知ってるどの演目にも引っかからない」


 念のため、二人が開いてくれた台本に目を走らせる。……松木さんらしい、小道具変更や場面転換、言い回し、必要最低限の書き込みだけだ。

 やっぱり私にも、あんな場面は演ったことも観たこともない。

 新旧のJINプロ公演台本を結構な量読み込んだウチら三人が揃って言ってることだ。

 なら、あの会話は……


「け、警察に電話した方がいいでしょうか?」

「なんかヤバそうなこと言ってたけど、今はマツキさん一人だろ? 時間をかけないで助けに行った方がいいよ。さっきの女の子が戻ってきたら、それこそ危ない」

「女の子……だよね。やっぱり。二人は誰か思い当たる?」

「ごめんなさい。分からないです」

「マツキさんのストーカーとかかな。数も増えれば、熱狂的なファンだっているだろうし」


 でも住所とかは……後を付ければ分かるのか。

 それにしては良くお互いを知っている風だったのが気になる。


 わ、私達と同じくらいの女の子なら、ばったり会っても平気かな?

 ナイフとか持ってたらどうしよう。いまのところ松木さんにケガは無さそうだったけど。


「……安全とは言えない。でも……ううん」

「考えてもキリないよ。ウチが行くから、二人は外を見てて。その間に、警察を呼ぶとかしてさ」

「つぐみちゃん。危ないですよ……部屋は、マツキさんが動けないようになってるみたいです。ガラスの破片とか、針とか。……ば、爆弾とかだったら」

「それならすぐに助けないとだろ! あの向こうのアパートか!?」

「待って。置いていかないでください! それに、行っちゃダメです!」


 未羽が走りかけたつぐみの腕を掴んだ。

 つぐみは何か言いかけて、下を向く。


「もし、何かあったら……何か、他にいい方法は……」


 未羽の手が震えてる。つぐみだって同じだ。怖いんだ。

 もし、と言う仮の話に、松木さんやここにいる三人が危険な目に遭う、

 というものも含まれている。

 それが怖い。


 私は誰よりも恐怖に弱いのを知っている。

 大切なものが、大切すぎるから。

 一度そう考えてしまうと、目の前が貧血の時みたいに暗くなる。

 足から震えが広がりだす。臆病な自分が出てきてしまう。


 ああ、くそ。

 ――怖いと思う心を、どこかに切り取って置いておければいいのに。


 私に勇気があれば言える。私が先に行ってみるからって。

 さっきだってそういうべきだった。でも怖いから止まっちゃったんだ。


 どちらともなく二人が前を歩きだす。

 私は前を見てからほんの少し遅れて行く。

 いつもと同じだ。何かあった時に迷った時の。


 アパートの一階。一番手前。多分ここだ。

 合ってるかな。表札は――


「……アキラに何か用事?」


 すぐ後ろから声がかかって、三人とも一斉に振り返った。

 私の顔はちょっとひきつっていたかも。


「「ひかりさん!」」


 わ、わ、光さんだ。良かった。

 ここにきて頼れる人の最有力候補が来てくれるなんて!

 当然だけど舞台スタッフ用の紺キャップを被ってないから、一瞬見慣れなかったのは内緒だ。

 服装や髪形はスタジオで見かける、普段通りなのにね。


 光さんはこちらの手に持っていた台本と、忘れ物の入った袋を見た。


「ああー、あいつの忘れ物? わざわざ届けに来てくれたんだ? もしかして私にも連絡してたんじゃない? だったら取れてなくてごめんね」

「いえ、えっと、あたし達が勝手に押しかける形になっちゃって……すみません」

「あのウチがそれ言い出して、二人をここまで。だからウチが悪くて……その」


 光さんは言葉を続けるつぐみを、手で制する。

 その笑顔は、見た人の不安な気持ちを吹き飛ばしてくれるものだった。


「いいよいいよ。アキラが悪いし。というかもっと反省して直すべきなんだよ。私が伝えて届けとく。ほんと、ありがとう。その台本は明日朝一で使うやつでしょ? 助かった」

「あ、もしかして、ひかりさんもこの辺に住んでるんですか!」

「いや、違うよ。たまたま……アキラに用事で呼ばれてさー」

「マツキ先輩に、よく呼ばれるんですか?」

「……あいつはほら、気まぐれだから。どうでもいいことを押し付けたりなんてしょっちゅうで、しかもそれを気にもしない。いい迷惑してるけど、まあ昔からの付き合いだから」


 んん? あれ。二人とも?

 タイミングよく光さんが来てくれたからって緊張解け過ぎてない?

 松木さんのこと、早く伝えなくちゃでしょ。今だって身動きが取れないんだよ?


「立ち話もなんだけど、台本とか預かるよ? 袋の中はタオル?」

「はい。……でも、ここまで来ましたし、あたし達で届けようかなって」

「へえー? でもいきなり押し掛けたら、アキラは怒ると思うけど……」

「そうですか? なら、ひかりさんがウチ達のこと、説明してくれると助かります」

「確かに……そうね。その方が自然よね……」


 あれ。……あれ?

 なんだこの違和感。光さんもだけど、二人もちょっとおかしい。

 みんな少しずつおかしい。


 なんで、松木さんのことを言わないの?

 なんで、みんな焦っているの?

 なんで――


 こ の 状 況 で 演 技 を し て い る の ?


「あの!」


 弾かれたように三人の視線がこちらを向く。

 額から汗が滲んでるのは、心臓が高鳴っているのは。ここまで歩いてきたからだ。

 けっして三人の顔が少し違って見えたからじゃない。


「あのですね! 私、確かめたいことがあるんです」

「何を? ひなちゃん」

「マツキ先輩の部屋にですね。えっと、何があるのかを」


 ざらざらと落ちる音。たくさんの何かがバラまかれた音。

 それは今も、目の前のドアを開ければあるはずだ。


 未羽はガラスの欠片か針じゃないかと言った。

 私も似たようなイメージだった。形が決まっていて、ガラスの欠片くらいの厚みで、針よりは大きい……例えば、ハサミとかならあんな音が出るのかもって。


「た、確かめてみたくて」

「……本当にそれは大切なこと?」


 この声。全然光さんらしくない。

 ひやりとしてて、平坦で、感情を隠しているような高い声。

 私達みたいな、女の子の声――


「紙谷さんがさー」


 光さんがぽつりと言った。

 体中が震えて、汗がさっきより出てる。


「こんなことを稽古で言ってなかった? 『後悔はやりきってからにしろ。やらなかったことを後悔するな』って。いい言葉よね。特に大人になる前……行動や努力、前向きな選択を判断しにくい時には背中を押してくれたりする」


 現実から逃げるように、記憶からいくつかの場面を思い起こしていた。

 紙谷さんの言っていたこと。確かにその中で同じセリフを口にしていたことを。


「私からも贈ってあげたい言葉がある……『後悔すると決まってるなら、その行動は選んではいけない』……これは今、あなた達に守ってほしいの」

「児童劇団の大センパイから、アドバイスだってさ。みう?」

「ありがたいです。……どうします? ひなちゃん?」

「それは、あの、とりあえず……その」


 愛情、楽しさ、感謝を表して演じているみんなの笑顔。

 うまく考えがまとまらない。こういうとき、私はいつもどうしてたっけ?


 しまったって思ったら、そこからまた考えればいい。そうだ。

 自分の直感と打算。心のままに、動いていけばいい。

 それが、私の『いつもと同じ』だ。


「――こ、後悔してから考えてみます」


 ドン、と肩を押された。

 光さんが私と未羽の間を割って入って、ドアに手を伸ばしたから。


「とまってください!」


 未羽が光さんの腕にしがみついた。

 ドアを開けようとしたのか、思いっきり叩こうとしたのか、

 ぶつかって行きそうな勢いを、その身体で止める。

 光さんはバランスを崩しかけたが耐えて、姿勢を持ち直して声をあげた。


「ちょ、ちょっと、みうちゃん!?」

「行け! ひなッ!」


 つぐみがドアを開き、そのまま光さんを遮るように立つ。

 その瞬間だけ。私の前に道が出来たようだった。

 急いだわけじゃないのに、無意識に足が動いた。

 練習や劇の本番でもたまに、こんなことがあったりする。

 誰かが自分を動かしているような感覚が。


 玄関を踏み越えて、キッチン、廊下を通り、一つしかない部屋へ。


「マツキさん! 大丈夫!? ……です、か――?」


 私の声に反応はなかった。彼は、ぴくりとも動かない。

 動かせない、といった方がより正確な表現だ。


 周りにはびっしりと、おびただしい数のソレが敷き詰められていて。

 彼の身体中にも、ソレで覆われている。


 理解が追い付かない。

 忘れ物。電話の内容。光さんの言葉。

 無理やりにでも繋げて解釈しようにもできない。


「なんで、こんな……」

「あ、う? なんだ」


 ゆっくりと目を開けて、松木さんが応えた。不思議そうに、こちらを見ている。

 その時、勢いよく後ろのドアが開いた。

 私と同じようにマツキさんを呼び、絶句する間。

 美羽とつぐみに続いて、光さんも入ってくる。


「おお? どうした。みんなして」

「な、」

「な?」


 部屋も松木さんも、メガネに埋もれている。

 それも裸で。いや下着は履いているけど。でもそれって裸だよね?

 なんというか、メガネに覆われていてメガネまみれだ。


「なにしてるんですかーーッ!?」







「あの、ほんと、ごめんなさい。なんて言ったらいいのか……」

「表題は『メガネが好き過ぎる男子と、好きな人にメガネをかけて欲しい女子』だ! これは児童劇団に入ったばかしの時、ろくに舞台練習させてもらえなかった時期に、同期の団員みんなで好き勝手に書いた創作劇で中二病満載な――痛いッ!? 頭叩くことぁねえだろよミツぅ!?」

「ほんと、ごめんなさい。バカな同期なんですこの人。展開も役どころも関係なくすぐ裸んなるしああーもうアドリブって服ぬぎ散らかすって意味じゃないのッ!」

「お前たちも演るかあ? 俺とミツだけじゃ役どころが被ってたしな、数人でちょうど良く――待っ、ちょ、痛い! 頭! あたまぁ!」




   *  *




 しばらく、無言で帰り道を歩いていた。

 ショックが抜けないって一面と、緊張した分の拍子抜けもあると思う。


「ええと。なんていうかいろいろと、衝撃的だったね」

「そ、そうですね」

「すごいモン見ちゃったな」


 すごい。確かに言葉で表すならその一言だ。


 松木さんは、明日の朝から読み合わせだったのに、昔の創作劇で遊んでいた。

 聞けば、読み合わせの台本は全部頭の中に入っていたらしい。もちろん、忘れてたってのは良くないけど。前日に気にならないくらい練習は出来ていたってことだから。


 私なら、自分の役をこなすだけで手いっぱいだったと思う。

 読み合わせまで、台本と感情と動きを頭で考え続けて、周りのことなんて気にもできない。


「マツキさんの演技の引き出しの多さとか、どこから来てるのか分かった気がする」

「練習の虫、なんて言われますけど、茶番も含めて、毎日の積み重ねなんですね」

「どっかでユーモアってやつ? 楽しむ心を忘れないってのは、稽古でも舞台でも大切なんだなあ。改めて思ったよ。……まだまだ遠くて、格が違うけどさ。その辺は、ウチたちとあんまし変わらなくて、ちょっと安心した」


 茶番、多すぎだけどな、とつぐみが笑う。

 児童劇団でも私達は即興とか、茶番とかが特に多い。

 松木さんも、JINプロの中ではふざけたがりの部類だろう。


 ひとしきり笑いあって、未羽がつぶやく。


「たぶん、あの創作劇は、私達の交換日記みたいなものなんですよ」

「ウチらくらいの年のときに書いたって言ってたな確かに」

「同じ仲間どうしで、一から作り上げたってこと?」

「はい。だから、似てるのかなって」

「似てるって、何が?」


 なんとなく、ですけど、

 と未羽は前置きをしてから言った。


「それってずっと大切なんですよ。大人になって。年を取って。おばあちゃんになっても。あたし達のしてきた……遊んだり、交換日記書いたり、ケンカしたり、茶番したり、舞台で見てくれる人の前に立ってやってきたことは」


 私にとってみんなは――

 背中を押してくれて、踏み出す勇気をもらってる。

 みんながいるから、私は舞台に立てる。頑張れる。


 未羽の言う通り。いつか大人になっていく。

 一緒に、舞台に立って、一緒に同じ夢を目指してることは

 私の大切な瞬間の連続で。私の中にいつまでも残り続ける。


「……そうだね」

「うん……劇も遊びも、茶番だって手を抜かない。楽しいしさ」


 それきり、天使が通ったみたいに会話が途切れた。

 別れ。悲しさ。それぞれの未来へ向いている強い運命のような流れ。

 そんなものが急に身近なものに感じられた。


 つぐみは、どこかで児童劇団を辞めて芸能の世界に行く。

 今回の劇の主役に抜擢されてから、その意識は強くなってると思う。

 引き止めないって決めてるけど、その場面にならないと何を言うか分からない。


 未羽だって、いつまでも児童劇団にはいられない。

 その先……あるいは別の未来を行くのか、未羽しだいだ。

 一緒にいれる時間は、あとどれくらい?

 私は納得して選べるのかな。 二人のいない道を。  


「……しばらく眼鏡は見たくないなあ。アレを思い出しそうでさ」

「そ、そうですね! アレは……」


 私の憂鬱な気持ちを察してくれたのか、つぐみも未羽も同じ気持ちだったのか。

 話を繋げなおすことで、場を動かそうとしてくれてる。

 それが、あのメガネだってのは少し抵抗があるけどね。


 安いお店でたくさん買ったのかな。部屋にあれほど埋もれるような数を揃えて、松木さんも眼鏡を身体中に装着してそういうえば下着以外は裸でありとあらゆる部分に眼鏡をまとってた冒涜的な姿だったな確かに当分の間は松木さんをまともにみれないし眼鏡を見たら思い出しちゃうよあの光景を眼鏡メガネめがね……


「ふふっ……あはははっ!」

「どうしたひな?」

「ひ、ひなちゃん!?」


 二人は私を、笑わせるつもりで会話の内容を選んだ。

 だとしたら完璧な運びだよ。軽く驚いている表情も、ちょっとした演技として添えてくれた。

 そんなに心配されるほど、暗い顔してたかな?

 でも、もう晴れたよ。気持ちも心も決められた。


「ちょっと間を開けて、記憶が薄れた時にでも見れば、思いっきり笑えそうな気がしてきた。年納のかくし芸あたりでやったりとかさ」

「うーん。あたしはまだ見れそうにないですけど」

「まあ前もって身構えてれば、大丈夫そうじゃない? 今日はいきなり過ぎたし」 

「……だよね。それに劇としてなら、ほら。アートだよアート。意味のあるカッコと小道具」

「たしかに、眼鏡でいろいろ隠れてましたから。そ、そんなに過激なものでもないんでしょうか?」


 お、もう少しで未羽は上手く丸め込めるな。

 言い方は悪いけど、こうでもしなきゃ後日松木さんに食って掛かるかもだし。

 裸同然の松木さんのことで……あと、その場面にずっと二人きりでいた光さんとかにも思わぬ方向で迷惑がかかるかもしれないし。未羽にそんなつもりが全然なくてもね。


「そうそう。ほら、さっき未羽も言ってたでしょ? 交換日記みたいな物なんだってさ」

「言いましたけど……あ、そうか。同じ大切なものとして見れば、ダメって言っちゃったら……あたし達の大切なものも、ダメってことになっちゃいますよね」

「うんうん。つぐみも何か言ってあげてよ」 

「せっかくなら眼鏡とかナシにして見たかったけどな」

「えっ」

「えっ」

「……あっ」


 しまった。って表情。

 わ、私もだ。つぐみがそういう方向の考え事をしてるって可能性を、見落としてた。

 つぐみの顔がどんどん真っ赤になっていって、未羽の顔も理解が追い付いて来てる。


「走れ!」


 とっさに二人の背中を押して、言葉通りに走る。

 私の名前を口にして、未羽もつぐみも弾かれたように走り出しあとに続く。

 二人はなんのことだか訳がわかってないだろう。でも大丈夫。


 私も分かってない。


 考えなしの行動をしてしまって、ごまかしになってないけど。あとから考えよう。そうしよう。

 とりあえず駅に向かって、それから、ええとどうすれば上手く二人をフォローできる?

『後悔すると決まってるなら、その行動は選んではいけない』

 ごめんなさい光さん。せっかくのアドバイス、全然活かせてません。


『後悔はやりきってからにしろ。やらなかったことを後悔するな』

 ごめんなさい紙谷さん。今回は、決まってしまった道を、走り切ってから反省します。



 つぐみ。未羽。

 またいつものって笑ってる? 本当、なんというか、またいつものなんだよ。

 とっさの行動。思いつき。進歩も成長もなし。

 駅まで走って、切らせた息を整えて、ようやく絞り出すセリフに期待はしないでね?

 せめて、演出と表現は作っておくから。

 ……茶番のように笑えるかは私のアドリブしだいだけど。

 

 今は走る。三人でいる道を。










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