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人をのむ呪い  作者: あむろ さく
寸劇 『叶わなかった誰かの願い』
52/54

別れを告げる夢

 



《アア、舞台が……舞台に、戻らなくちゃ。この……役と、あの輝きに……》


 誰もいない暗がり。観客席の先。

 薄明りの灯るステージをかいぶつは目指している。

 どうあっても譲れない気持ちが彼女にもある。


 かいぶつを解き放つことはできない。

 でも舞台に戻りたいのなら、戻してやる。

 彼女なりにやるだけやって、果てるんだったら。

 せめて役だけは全うしていけるように。


 そして私には見えている。《私の歩く道の先》が。


 すうっと息を整える。

 私が役に入るときの動作。

 それだけだ。それだけでいつものスイッチがかちりと入る。


「ボクには仲間がいる。心も泪もあたたかい仲間たちが。背中を押し合い、手を取り合い、支え合う。ケンカや言い合いだってするけど……どんな時だって疑いなく信じられる」

『疑いなく、信じられる……ってのは、イイなぁ……それ……』

「キミは一人で、たくさんの願いを叶えようとした。檻の果てに捨てられていった夢。消えていく思いを、一人にしたくなかったんだよね。それじゃあ最後の最後まで残った、キミの願いは、なに?」

『ボクの……願い? ボクだけが願う、叶えたい……モノ、は……アァ』


 かいぶつが息を吐き出し、

 無数の手が、何かを求めるように空間をさまよう。


 か細い腕の影は、蒸発するように次々と消えては生まれ、

 やがて精いっぱい伸ばした手が、私の顔に触れた。

 何の裏表もない、ただ納得するためのアドリブだったが、私は受け入れた。

 背後でアキラとミツが、私には見せないヤバい表情を浮かべているのが分かる。でも怖いので黙っておく。二人がかいぶつに手を出さないのは、私が許可しているからってだけだし。

 かいぶつは顔中を口にした後で……小さく口端を上げた。


『笑っていたい……ずっと……と、友だち、と……』

「そう。ならその願い――」

『あ、待って待って。ダメだ。私消えちゃう。消える前に、聞きたい』


 思わずずっこけそうになる。

 凄いアドリブもあったもんだ。


『このままキミと役を続けていたい、けど時間切れだ。人は何のために生きるの? ってみんなとずっと考えてた……教えてくれない? ひなでもあやねでも、他ならないキミだけの見解でいいんだ』

「え、ええと、生きる意味ってことですか?」

『そう。キミは何のために生きる? 幸せをつかむこと? 夢を目指すとか、誇りを持つこと? 何かを生み出すこと? 誰かに託して死に向かうことや託されて生きること? どれも正しいように思うし、これだ、とは選べる確信がない』


 どうしよう。考えたことないや。

 というか彼女が生涯かけて出せなかった答えが、私に出せるわけないじゃん。



 時間がない。

 私だけじゃ無理だ。二人の知恵を借りる。

 ひなとあやねなら、何ていうだろう?

 あんまり対立した意見じゃないといいが。

 二人なら……二人なら。


「い、生きててよかった! って思うために生きる、です!」

『……』 


 かいぶつが、ぽかんと口を開けた気がした。

 呆れた雰囲気が何となく伝わってくる。

 ……っていうかアキラとミツも同じリアクションしてるだろこれ。

 だって幼稚でも仕方ないじゃない。まだ高校生にもなってない年だぞ私たちは!

 文句なら私が聞く。


『ふふ、なんだそれは。本当に――』


 面白いなァ。

 かいぶつはそう呟いたかと思うと、子どもみたいに笑った。

 笑う端から亀裂が走り、ボロボロと崩れていった。


 黒い影が残らず霧散する。

 すべてが輝きとなって、舞台会場全体が星空みたいに光った。


 私との茶番が、かいぶつの最期を早めた結果になった。お互いにアドリブの多いやりとりだったが、彼女の思うことは《覗かず》に分かった。かいぶつらしくは無かったが……いや、あれが本来作り上げた素の人格だったのかもしれない。


 門を緩やかに閉じる。

 かいぶつのなれの果て……精神の部品が、空間を漂っている。

 自然に消えていくものと、私たちの方へ流れてくるものがあった。

 輝きは確かな方向性をもって飛来する。


 かちり。かちり。かちり。


 アキラやミツの無くしていた精神が、埋まっていく。

 かいぶつが大事に残していた部品は、私たちの魂の形のまま取って置かれていたようだ。これで何をしたかったかは別として、失った精神がそっくりそのまま戻ってきたことは幸運だ。幕を下ろすとしては申し分ない。


 私の目の前に、集まった輝きがある。

 そのほとんどが私の精神……魂だと分かる。

 そうか。七瀬あやねが混じった分は、もう私には入りきらないってことか。

 ずっとそこに居られても困るな。

 後悔は薄れているのに、名残惜しさを感じちゃう。


「あれ」


 私の影が勝手に動いて、輝きを取り込む。

 日野陽菜の魂は、影とともに私の魂へと融け合っていく。

 いやでも、やっぱり入りきらない。

 コップから溢れ出る水みたいに、輝きは弾かれて飛び出してしまう。


 痛い。なんだ……すごい痛い!

 身体の中にひび割れが走ったみたいな激痛で、

 力がふっと抜けて倒れそうになる。

 後ろから二人が支えてくれた。


「いっ……うう、すみません」

「おい、どうした?」


 優しい声かけに返事をしたかったが、

 痛くてうまく言葉がまとまらない。

 目の前の輝きが揺れ動き、その精神、魂の形に変わっていった。


『痛みはその、我慢してください! アレです、ちゃんと生きてる証拠です!』





 *  *





「この声、七瀬あやね……さん?」

『ふふ、あやねでいいよ。ひなちゃん』


 同い年だしね、と明るい快活な声で言う。

 たしかに気安い呼びすてが彼女にはしっくりくる気がするし違和感がない。

 ずっと一緒に精神を共有していたからだろうか。


 室内練習用の、底のすり減ったスニーカー。身に着けたウェアは特に飾り気がないのに、彼女の可愛らしさがにじみ出ているようだ。檻の中にいた時の服装なのかな。雰囲気は少し未羽に似てる? 


 こうして面と向かってみると、ずいぶん幼い。

 後輩か……小学生でも通じちゃうかも。


『ひなちゃん? なに考えてるか、分かりますよ!』


 そう言うと、にっと歯を見せて笑う。

 心を覗いてもいないくせに。

 ……このいたずら好きな感じ、つぐみにも通じるところがあるな。


『痛みは麻酔が醒める途中みたいなモノだと考えてください! 私が出ていく時、掛かっていた呪いもやっつけました! だから今のひなちゃんは混じりっけなし、正真正銘100パーセントひなちゃんです!』

「人をジュースみたいに……この痛み、どれくらい続くの? あやね」

『精神の痛みは……どうでしょうか? しばらくは続くかもしれません。呪いが解けて、もうすぐ私の姿も声も分からなくなりますし、その前に現実離れしたこの光景が、気持ち悪くて怖ろしいものだって感じるかもしれません。それはぜんぶ、私のせいです……ごめんなさい』


 申し訳なさそうに、ペコリと頭を下げる。


『私はかいぶつにバラバラにされました。檻から出て、人のような精神で動くために私を……部品にしたり作り替えたり、組み込んだりして使っていたんです。だから、いまここにいる私が本物か偽物かは分かりません。かいぶつたちみんなが、私は私、って思ってましたからね』

「……そんなこと」

「ええまあ、私こそが七瀬彩音の中でも一番ましな部分を切り取った存在です! ほかの私とは違うんです! 生きてて良かった! って心から思う私なんだ……きっとね」


 あやねは笑っていた。

 それは願いにもならないほのかな期待。

 そうだったらいいな、と頭によぎっては消えるもの。


 彼女には譲れない想いがある。

 なんで最初に私に混じり、動かしていたのか、分かってきた。

 檻の中で一人、かいぶつのいいように扱われ、おぞましい屈辱という泥水をのみ続けてまで、

 叶えたかった願い。

 彼女の全てが、それだけのためにある。


 あやねは私が言葉に詰まっているのを感じて、

 少しまじめな顔をした。


「ただ、消えていった私たちがこだわったように。私にも叶えたい思いがあります。だから私はここにいる。ひなちゃんは、自分の足で日常に帰るんです。今度は……さっきみたいに……転ばないようにね……?」


 涙は流れていないのに、急に姿がぼやけて見える。

 声が途切れ途切れになる。

 目の前からあやねが、消えてなくなっていく。


「……ひなちゃんの……で、思い出……劇…………友、だち――」


 私が言葉を交わす前に、人をのむ呪いは解けた。

 彼女はまだそこにいるんだろう。私が見えなくなっただけで。

 できれば一言、私は大丈夫だと。そして、お別れをしたかったが……

 それはもうできないみたいだ。


 足が重たい。

 今まで二人で身体を動かしていた反動と、

 精神への痛みと、単純に疲れが出ているせいだ。

 腕や手のひら、首すじがズキズキと痛んでくる。

 気にしていなかった傷に意識が向く。

 影もひとりでに動いたりはしない。ただの私の影に戻っている。


「ったく、今さら……たいした役者だな?」

「あはは……ほんとだよ」


 松木さんとひかりさんが、何もない空間に話しかけている。

 彼女のいる場所に。

 軽口やちょっとしたやりとり。二人ともちょっと子どもっぽくみえる。彼女に合わせているのか、もともとの……三人でいる時の地が出ているのか、すごく自然に思えた。

 何か話してるけどうまく聞き取れない。


 あやねは、二人の呪いを解くつもりだ。

 人をのむ呪いじゃなくて、今まで縛り付けていた過去という呪いを。この世界で二人の後悔を晴らしてあげられる人はいない。一生かかっても消えないはずだった傷を癒し……松木さんとひかりさんを前に進めてくれる人は、いまここにいる彼女だけだ。


「あ、それ私がさっき言っといたー」

「気にするかバーカ! 知ってんだよ!」


 この他愛ない会話が、彼女の叶えたかった夢。

 本当はもっともっと、家族のことや舞台のこととかいくつもの願いがあって。その中で一つだけを残し、これだけは離さないという想いで動いている。


 やっぱり、彼女がそうなんだ。

 檻の隅に追いやられても、自分を遠くから見せられ続けても、

 彼女の魂は汚れてない。

 薄暗い観客席の片隅で、変わらずに輝きを示している。

 それは本当に、きれいな部品だけで構築されたキセキだ。


 もういちど、目を凝らす。

 私の中の部品をありったけ動かせば、彼女が見えるかもしれない。声が届くだけでもいい。何か方法があるはずだ。彼女を生かすやりようが。伝えなくちゃ。このまま消えちゃうのは、ダメだ。

 彼女は……紛れもない本物で。

 あやねが私の中にいてくれて、私は救われたんだから。

 ほんの一瞬でいい。あと少し。少しだけ――




『ごめんね……死んじゃって』




 その一言だけが耳に残り、

 困ったような微笑みを浮かべている顔が見える。

 でも、あやねがどれだけの気持ちを込めて……あるいは隠しているのかは分からない。たとえ世界を見透かすほどの呪いを込めたとしても、彼女の真意はひそやかな場所に仕舞われて、暴くことはできないように思えた。


 でも、目の前にいる二人なら。

 呪いなんかに頼らなくっても、その気持ちを見つけてあげられる。

 そういうものだ。本人より知っていることだってあるくらいに。

 だって二人は……あやねの友だちなんだから。


 何でもないように、またすぐ三人で話し始めた。

 私には会話の端々まで捉えることはできない。

 もう本当に私の中に、呪いの力は残っていないみたいだ。


「バイバイ」

「じゃあな」


 帰り道のワンシーンみたいな別れを告げる。

 あやねがなんて言ったのかは分からない。

 二人の言葉からして、ごく軽い別れのセリフだ。


 彼女はこの結末を初めから選んでいて、二人もそれを汲み取り。

 分かった上での茶番を続けていたんだ。

 松木さんもひかりさんも笑っている。

 きっと彼女も笑っているだろう。


 輝きが見える。

 七瀬彩音は叶ったのだ。


 オーロラのようにゆれながら光を放ち、離れていく。

 もう辿り着けない、私のとどかない世界に向かって。

 さよならを言うのは私よりも適役がいた。

 それでいい。あの輝きの形に、私が割り込まなくていい。


 もうこの劇場や舞台上に、彼女の気配は感じられなかった。

 部品の輝きは消えて薄暗い観客席に戻っている。


 松木さんが、ひかりさんを抱きしめる。

 少し見えたその横顔は、涙が流れていた。

 声をあげず、肩をふるわせることもなく。

 ……私は気付かなかった。

 静かに松木さんの胸へ、涙が吸い込まれていく。


 松木さんも泣いているのかな。

 悲しさは、ここからでも感じ取れるけど。


「おい、ひな! なにつっ立ってる!」


 呼ばれて反射的に振り返った。

 真っ暗な観客席からは、脚光だけ灯った舞台がまぶしく見える。


 紙谷さんはたか子さんを抱えて、袖の通路に運ぼうとしていた。

 たか子さんの傷は衣服で縛る方法で止血の手当がしてある。もうすぐ救急隊がくる頃だ。ケガの深さから、たか子さんが最初に運ばれると思う。次が――


「……いいか、お前が願ったんだぞ。これ以上は言わせるなよ!」


 息をのむ。手も足もふるえ出した。

 それを見て紙谷さんは舞台袖に退場する。


 一歩、また一歩。

 私だけの歩き方を思い出すみたいにゆっくりと進む。

 転ばないように、心配されないように気を付けながら。


 目を見開いて、あの脚光へ。

 心臓の音がうるさい。呼吸もおおげさなくらいだ。

 少し速足になる。観客席を通り過ぎ、舞台縁に手をかけ不格好に這い上がり、ふらついてでも前を目指す。


 つぐみと未羽が、互いを支えて身体を起こしている。

 目が合った。

 いや、私が視線を向ける前までずっと二人は待っていたのだ。

 私の場所に、私が辿り着くのを。


「つぐみ。みう」

「ひな……」

「ひなちゃん……!」


 二人が私の名前を呼んでいる。

 もう一度、私もそうする。


「つぐみ! みう!」


 その瞬間に話したいことが、たくさん湧いてきた。

 心配したこと。聞きたいこと。怒りたいこと。大変だったこと。

 気持ちがいくつも混じり合って、私の魂に熱を移していく。


 二人の首に、両手を回す。

 軽く引き寄せると、ぐっとお互いの顔が近づいた。


「ひな゛ぢゃん……う゛うっ……ひな゛ぢゃん!」

「泣くなみう。……すごい顔だぞ」

「……つぐみも泣いてるじゃん」


 私も泣いてる。

 だけどもっと身を寄せ合えば、分からない。

 まつ毛がくっつく距離。

 二人の涙の熱がほほに伝わってくる。


 それは私の良く知っている温度だ。

 いつかの公演で、観客席から万雷の拍手を受けた時みたいに、

 感情が込み上げてくる。


 いま、舞台の上には《きれいなもの》だけがある。

 それは、感動なんてもんじゃない。

 どう表現すればいいか、とても思いつけない。


 こんなに熱いものが流れているのか不思議なくらい、涙が流れる。

 そのきれいなものを、三人同じに触れて感じている。

 私の願いは叶った。生きてて一番、本気で嬉しい。

 二人がいたから、そう思うんだ。


 ああそうだ。

 本当に……生きててよかった。






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