表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人をのむ呪い  作者: あむろ さく
寸劇 『叶わなかった誰かの願い』
45/54

友だちを助ける夢






 ――しるしよ。


「しるしよ! お願い!」

「結局、言葉を尽くしたって変わらないかァ」


 私の指が震えている。

 心が、止まってくれない。

 呪いをかけるには、これじゃ不完全……!


「でも、無理だね。キミの心。ずうっと見てたよ。恐怖と戦い、誤魔化し、忘れようって動きもさ」

「……うう! と、止まってよ!」

「情けない声。ひどい顔だ。唇も青い。もっと深呼吸をした方がいい。心臓も落ち着かせろ。でないと呪いはかからないぞ? ああ、舞台に置いてある日記を使えないかって? 《しるし》は確かに描いてある。残念だけど呪いの始めには自らが集中し、イメージを描けなけゃ発動しない。《星渡り》の大量生産なんて出来たらヤバいよ」


 ああくそ。いけ。ひと思いに、しるしを一気に描いてしまえ。

 さっきみたいに! 私を捨てた時みたいに!


 か、身体まで震えてきた。我慢してたものが、抑えられない!

 歯が噛みあわなくなりそうで、ぎゅっと唇を閉じる。

 涙は流れてない。だいじょうぶだ。ただあふれて、零れているだけだ。

 泣いてない。視界がぼやけているけど泣いてない!


 私が私じゃなくなるって、何!?


 どこまでやればいい。ここまでしなくちゃいけないの?

 これ以上、私をどうするつもり?

 心を捧げ、身体を任せ、自分を保てなくなったら誰かに願い、精神の隅っこに追いやられたって……大切にしているものは残った。

 この綺麗な気持ちは、この部品だけは。私だけのものだ!


 それが誰かのものになる。消えて無くなる。

 だとしたら。私は、どこにいることになる?

 いやだ。いや……

 怖い。


「そう。怖いものは怖い。まともな人間ならな。さっき陽菜の人格を投げ出した時、よく分からない部分もあったろ? 今ならはっきりとイメージできるはずだ。他人と混じり一緒になる気持ち悪さを。そして」


 《そしてあのかいぶつを、二度と見たくない》

 呪いが解ける直前、ほんのちらっとだけ認識できた、

 怖ろしい……世界中の闇を集めてきたみたいな姿を。


 今は、目に映らないだけだ。もし今あれを見てしまったら。

 私の大切な気持ちさえも、黒く塗り潰されてしまうだろう。


「単純に会いたくないし、見たくないでしょ? それでもこっちに向かうなら。しるしを描き呪いを掛けるつもりなら。どうするの? 心を奮い立たせるにはさ」


 許せるもんか……

 こいつは松木さんを殺したんだ。

 よりによって、未羽の身体を使って!

 絶対に、許せるはずがない……!

 《呪いにかかり、私がどうなったって、償わせる!》


 でないと、私は。

 私のせいで、みんなを。

 死んじゃった人たちを、どうしたら。

 ……私のせいで。


「怒りや憎しみねェ……確かに強い感情は恐怖を破れる可能性はある。けどキミは、日野陽菜という人間は。憎しみに根を張らせ育てていけるタイプじゃない。負の感情は他人に向けず、自分でのみ込めるからだ。人のせいにしないっていうかさ。突発的な殺人ならやっちゃうかも? あと自殺には気を付けなよ。周りを大切に想い過ぎる故に、そういう一面は人よりほんの少しある」


 か、悲しみはだめ。

 せっかく押し込めていた感情があふれそう。

 涙はこぼれているけど舞台に落とさない。


 この場所で泣くとしたら、劇が終わり幕が下りて、

 周りの仲間と見つめ合う時だけだ。

 だから泣かない。泣くもんか。


「……っく。……うう」

「ああ。素直に告白するが、なんかドキドキしてくるなその顔。心地よい罪の意識が快感ですらあるしずっと見ていたいよ。2000年も3000年も悲劇が廃れないワケだ。不幸や困難に打ちひしがれ、健気に前を向く者への情緒の動き……一つの完成された感動のかたち」


 解放、浄化、属性、ヒロイン、需要――

 そぽくれ、おいでぃぷ、とらごぇぃでぃあ――


 よく聞き取れず、理解できない単語や言葉をつぶやいている。

 いままで感じていた恐怖とは違う、気味悪さがある。

 分からないものを包み隠さないって感じの!


 舞台に落ちている日記を見た。

 あの日記には《しるし》が描いてある。


 あれを未羽に触れさせて、憑り付いているものを剥がすって考えがよぎったけど。結局呪いが無ければ、透明な夜空に切り刻まれるか、塊で殴られて身体中がバラバラにされるだけだ。

 やっぱり呪いを掛けるしかない。自分でイメージし自らで描かなければ。


 誰も私の背中を押す人はいない。

 立っているのは、私だけ。たった一人だ。

 恐怖を乗り越えるにはどうすればいい?

 勇気を振り絞る方法が、何も……どうやっても思い浮かばない。


「キミの記憶を消そう。芦田ひかりもそうだった。その方がずっと辛くない。明日になれば、舞台であったことも全部消えている。色んな人にアレコレ聞かれるが、そんなに長くは続かないから正直に答えればいいよ……覚えていないというのが真実になる。キミは何も分からないまま、友だちが帰ってくるのを待つといい。十年前の松木アキラと同じように」


 未羽が右手を出し、ゆっくりと歩いてくる。

 息をのむような威圧感はない。

 今この瞬間、頭や身体に何かされてはいないようだ。


 未羽の真剣な顔がひきつり、歯を見せる。

 倒れている紙谷さんとたか子さんを眺め、

 我慢できないといった感じで笑みがこぼれる。


「……ひひっ。十年前、そこに転がっている大人たちは、マスコミや七瀬あやねの両親にでたらめな説明をしていた。無力さと、殺された怒りとかで腹ワタが煮えくり返る気持ちで話してただろうなァ。今回は逆の立場にしてやった!」


 わざわざ、私の神経を逆なでる言葉を投げかけられても。

 我を忘れるほどの怒りは湧いてこない。

 じわじわと何もできない無力さが、強く心に染みて広がっていく。


「目を閉じろ。ひな。痛くはしない。繋がっている間お互いの全てが認識できるが、心の内はともかく、この姿は見せたくない。廃人を戻すって手間はさすがに骨が折れるからな」


 少し離れた場所から未羽の手が揺れる。

 まるで頭を撫でるふりのような動き。

 急に人間じみた、不器用で粗雑な優しさ。


 似ている。私の知っている人が喋ってる時に。

 ある意味で合っているのかもしれない。あの人の精神は……

 《かいぶつ》の一部になって組み込まれているんだから。


 固く結ぼうとした気持ちが解けていく。

 手に力が入らない。

 うなだれるように下を向き、目を閉じる。

 涙が頬をつたい床に落ちるのを、震える手で押さえた。

 何も見えない。まぶたの裏にも何も映らない。

 何も思い出せない。

 真っ暗だ。


 その暗闇の先で、未羽が満足そうに頷いた気がした。


「そうだ。それでいい。悪い夢から解き放ってやる」

「悪い、夢……」


 明日、目が覚めたら。

 劇場へ向かって、舞台に……主役として出演する。

 大詰めのセリフを決めて、観客席からの万雷の拍手に包まれる。

 失敗も成功も感動も。児童劇団の仲間たちと分かち合う。


 私は、なりたかったんだ。

 いつか主役になって、何でもない自分でもいつかすごい自分になって。

 あの熱くまばゆい光の中で、輝けるようになるって思ってた。

 それが叶えられる。


 楽屋に陣中見舞いに来て、激励してくれるたか子さんも。

 一人一人に厳しい言葉をかけて、見守ってくれる紙谷さんも。

 後日、事あるごとにあれこれアドバイスを混ぜて冷やかす松木さんも。

 私をいつも輝きへと導いてきた人たちは、もういない。


 そして……

 きれいな輝きの中へ私の肩を引き寄せて、

 一緒に喜んで、一緒に泣いてくれた二人は、

 いなくなる。


 なにも、こわいことも無くなる。

 親友をずっと待ち続けるだけだ。

 ひかりさんと松木さんのように。


「すぐにその泪が、何のために流れているのかも分からずに済む」

「……」





    人 人 人 井 井 人 人 人








    しるしよ わたしを なげいれろ 







「……なんだと?」

「しるしよ。おねがい」


 目を開ける。

 手のひらで受け止めていた涙が、

 《しるし》にじくじくと吸い込まれ、輝きだす。




 かちり。かちり。かちり。




「狂ってはいない。勇気でもない! な、なんだその恐怖の感情は!?」

「怖い。ああ。本当に嫌だ!」


 私を照らし、熱を移したもの。

 私を、光らせてくれたもの。

 いくつかは消えてしまった。

 でもまだ、胸の中に残っている。


 未羽。つぐみ。


 二人と一緒にいて、二人を大好きでよかった。

 笑って、泣いて、舞台も茶番も積み重ねて。

 私をたくさん、輝かせてくれた。

 

 何があっても信じられるものが。

 なくなるなんて、絶対に嫌だ。

 それに比べたら。


「お前なんか少しも怖くない!」

「理解しがたい醜さ、生命への冒涜だ! 自分を捨てるなど……!」

 《生きる意味からは間違っている、はずなのに》


 延々と井戸の底へ落下している。

 ぐるぐるぐるぐる私の精神が回り、

 レコードの針か爪を立てるように、線を描き削っていく。

 滑らかな精神の傷に、何かが融けて埋まり一つになる。

 胸が締め付けられているような、緩んでいくような……


 私が私じゃなくなった時、

 この手のひらや、涙の温度も変わってしまうんだろうな。

 手が冷たい人は心が温かく流れる涙も熱い――

 心が別人になれば、感じ方も私とは違うんだから。


 日野陽菜として二人と歩いていくのは、もう叶わないけど。

 自分が誰か分からなくなっても、二人を思い出すことは出来る。

 根拠はないのに、ちょっとした自信がある。

 未羽。つぐみ。そっちも忘れないでよ?

 私のこと。


「七瀬あやねと同じ選択か……なら、今度は二度目だ。やりようがある」

 《ちゃんと死ね! 人として!》


 パズルのピースは残らず埋まり、

 継ぎ目が溶けて消えていく。

 あちこちが別の部品のはずなのに、違和感がない。

 どこまでも滑らかな精神。

 たしかにもう剥がれず、バラバラになることもなさそうだ。


 暗い井戸の底に、

 立っている人がいる。

 こちらの存在に気が付いていて、

 静かに視線を向けている。


 それは紛れもなく私だった。

 私が、こっちを見つめている。


 鏡越しなんかとは明らかに違う現象にも関わらず、

 気持ちの悪さはなく、動揺もない。

 つまり《呪い》は完全にかかり、感情を支配下に置けているってことだ。


 お互いの意志で、片手が合わさるように動いていって、

 手のひらが触れたとき、すり抜けて消えた。




 かちり。




 ……いや、正しく言うなら。

 重なった部分は、動かせるようになった。

 舞台の上で立ったまま、そこだけが認識できる。




 かちり。かちり。




 手や足でこうなら、頭……というか心、精神。

 魂みたいなものを重ねてしまったら、どんな風になるだろう?

 呼吸をするのは誰になり、どう考えていくのか。







 かちり。かちり。かちり。







 同じ大きさのシャボン玉がくっつき、一つになるように。

 自動的で止められない。離れようにも離れられない。

 本当の意味で、同じものになる。

 

 再び舞台に立った私は、私でいられるのか?

 

 何か、あと少しだけ、考えていられるとしたら……

 思ったままで、終われるのなら。


『わたしの名前は……いや、わたしの願いは――』

『……』

『聞いてもいい? あなたの願いは何?』

『……』


 せめて私の中で、

 大切なものが壊れて消えないように。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ