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人をのむ呪い  作者: あむろ さく
第四幕 『檻の内から誰かが』
28/54

再会


「行くぞ……なにしてんだ?」

「ん、ちょっと待っていてくれ」


 スタジオから少し離れた路地。

 私は車のドアに寄りかかって、手のひらを見ていた。

 むしろ松木アキラの準備に長らく待たされたんだから、これくらいは良しとして欲しい。


 後部座席はバッグをひっくり返したみたいに物が散乱している。

 ロープ、工具用品の類、スプレー、金具。

 何を所持しているかは分からない。ナイフが無かったのでそれだけは持っているのだろう。

 あとは上着にいくつか用意した物が入っているみたいだ。

 この車内、警察が覗かないことを……いや、もうそんな段階でもないか。


 人、人、人、と手のひらに三回書く。


「緊張や動揺は《呪い》で消せるだろ……じゃあそりゃあ、ただの願掛けか?」

「ああそうだ。すべてのことが上手く運びますように」

「――意外と信心深いやつなのな。お前」

 

 俺はやらないからな、と言って松木アキラは少し呆れた顔を向けながら、

 こちらがひと段落するのを待っている。


 舌で薄くなぞる――真似をして、両手を何度か握り返す。

 おまじないは、これでばっちり完璧だ。


「さっきも軽く説明したが、ガミさんと話をするだけだ。あんまり気構えんなよ」

「何も無ければ、だろう?」

「こっちから何か仕掛ける気は無い。あっちの出方次第だ」

「……もう少しだけ、向かう前にびしっと一言欲しいな」


 返事がない。

 まあ別に一歩踏み出すキッカケが欲しいわけでもないしな。

 あまり適切な台詞とも言い難かったけど、何故か今言ってみたくなったのだが。


「じゃあ、行くぞ」


 そう言って頭を撫で――ポンポンと叩かれた。

 松木アキラの仕草と表情。急に懐かしさが込み上げてくる。


 この感覚。どこかで……

 陽菜の記憶から、過去に似たようなことをされた追体験として感じているのか?

 並び歩く距離に窮屈さを覚える。

 これは陽菜の、松木アキラに向けられた想いのせいだろう。こいつといると、気持ちの部分がどうしても窮屈になる。それはこの身体とこの記憶を持つ限り避けられないことではあるのだが、また新たな疑問がわいてきた。


 私は陽菜に願われて、ここにいる。それは間違いない。

 だが始まりは、私も願った。願ったからこそ陽菜に混じった。

 自分の願いは何だったのだろう? 願ったからには、叶えたいはずだ。

 陽菜に混じってまで、願ったこと。叶えたかったこと。……駄目だな。思い出せない。


 スタジオを目指して歩きながら、思考は巡る。

 一度考え出すと、なかなか抜け出すのは難しかった。

 それならば陽菜の願いの為に、という切り替えさえ自分の中でストップがかかる。

 結局自分の納得できるところまで、辿り付くことはなかった。




 *  *




 スタジオの中は薄暗く、廊下も緑の非常灯が点いているだけ。

 本当に制作チームも舞台チームもはけているようだ。

 こんな時間に来ることは陽菜の記憶でも多くない。


 あの合宿じみた、夏の集中練習のときくらいか。

 自分のことのように思い出せる。未羽につぐみ、同年代の団員。

 レッスンルームでの自主錬、茶番、口論、寸劇、雑談、誕生ケーキ騒動、鏡激突事件。

 挙げればキリがないが、日野陽菜の精神的な骨組みはこれらのエピソードで構築されている……

 そう言っても間違いじゃないくらい、大切な思い出だ。


 自分にも、そういう物があるのだろうか。

 私を、私たらしめるもの。

 この世界に在りたいと思う時、私だと証明し得るものが。


「おいおい、どうした?」

「……何でもない」

「しっかりしてくれよ。もう俺達は、後戻りできないぜ」


 まただ。

 頭と胸の中で何度も繰り返している感覚。また私はなにかを思い出せていない。

 とても……そう、善し悪しはともかく、重要なことのはずなのに。


 気付けばスタジオの廊下を抜けて、事務所の中まで来ていた。

 車を降りてから歩いていて感じていた懐かしさや気持ち、迷いは置いておく。


 このドアを開けた時、それが一つのスイッチ、一つの舞台とみなす。

 そうやっていつも自分に対する迷いや疑い、緊張を置いてきた。

 今この場面だってそう。恐らく私にとっての最後の舞台。


「ガミさん、いるか?」

「おう。……入れ」


 ノックの音。二人の声。

 正念場だ。気を改めて引き締める。

 タバコやライター、パンフレットなどの資料を乱雑に散らかした机の上に右腕だけを置き、紙谷リョウジは深々と椅子に座っていた。だいぶ疲れた様子で、私の方を睨む。険しい表情がさらに深くなっているように見えた。

 公演までの準備や段取りは大変だったと思うが……なんというか、辛そうだ。


「こんな遅くにどうした? ……それぞれの公演主役が二人してよ」

「田辺みうと早川つぐみのことだ。俺個人としてはまだあるんだが……とりあえず急場なのはそこだな。もういなくなってから三日以上経つ。仮に飲まず食わずなら命の危険がある」

「アキラ。何が言いたい?」


 ため息をつき、紙谷リョウジが困惑気味に聞く。


「勝手にいろいろ調べたモンだが、一応ガミさんから聞かせてくれよ……何をする気なんだい? あるいは勝手に進んでるモノ。俺じゃあ一枚噛めないのか?」

「アキラ……今なら何も聞かなかったことにしてやる。すぐに帰れ。ここにはもう来るな」

「嫌だね。こっちには確信がある。警察にゃあ任せられない部分も多いがな。言ってくれないなら別に構わない。その時は俺達で好きにやらせてもらうさ」


 何を、と聞くこともせず、しかめっ面で黙り込んでしまった。

 口から適当な嘘を吐くこともない。

 必要以上のことを語りはしないが、ここまで内面の偽装をしていないなら、

 こちらを……いや、松木アキラを心配しているという部分に《嘘はない》ようだ。


「《しるし》で開くぜ……向こう側の世界を。そうなった時の不都合をおっ被るのは俺とそちらさんだ。困ったよな。一体何が起きるかも正確には分からねえし」

「……バカ野郎が」


 そう言ってタバコに火をつけ、深々とすった。

 ……事務所はもちろんこの部屋も禁煙だ。

 これから起こることに比べたら、とても些末なこと、とでも言いたいらしい。

 うつむいてタバコを燻らせ、ため息のように吹き掛けた。


 気持ちを落ち着かせ、精神安定をさせる。喫煙にはそんな効果があったと思う。

 だが《呪い》持ちには意味のない行動のはずだ。

 簡単な意識の切り替えで、心を動かさないように出来るんだから。


 ただの癖? 

 そう思わせたいだけか。なにか意図があるのか。

 どちらにしてもこいつが《呪い》と無関係ということはあり得ない……

 タバコの箱を差し出し、松木アキラにも吸うかどうか求めたが、

 一目見ただけで無言のまま動かなかった。


「お前は思い違いをしてるし、ある程度事情を知ったせいでヤケになっている。そこまでいけば、こちらとしても見過ごせん。『目的の為なら、どんなことでもやる』って思考になられても困るんだよ。だが、そうだな……ここで話せないのは痛いな」

「知ってて話せないんなら、話す気にさせるしかねえ。たとえ相手が……ガミさんでも」


 松木アキラの雰囲気から、不安定さと危険な感じが滲みだす。

 ……やる気か? こちらが二人掛かりでも返り討ちになりそうだが。

 ナイフやスタンガンの類があるなら 何とか拘束まで持っていけるかもしれない。

 特に事前の打ち合わせはしていないのでアドリブになるけど。


「無理ではないが……難しいな」

「俺があんたに、手荒なことできるはずがないってことか?」

「違う。……全ての可能性が目の前にぶら下がった時、どれを選んでくるのか、判断が難しい」

「人が消えてるんだ! 関わってるのなら、残らず答えてもらう!」


 演技ではない、本気の怒鳴り声。

 陽菜はもちろん、紙谷リョウジでさえ耳にしたことはなかったと思う。

 しかしタバコをもう一吸いする動き、吐き出すまでの間。気持ちの揺らぎは欠片もない。


「まあそうなるよなァ……なら、本人に聞いてみたらどうだ」

「あ? あんた何言って――」


 松木アキラと私が同時にドアの方へ振り返ったのは、

 言葉の意味、その思考の導くまま、もののみごとに引っかかった結果だ。

 この反応を見逃さず、不意を打とうと思えば簡単に成功しただろう。

 幸い向こうにそんな気はなかったし、言葉の目的もそこには無かったのだ。

 本当に空白の間を数瞬作ってしまうのは、その後のこと。


 互いに視線は戻さない。ドアノブがゆっくりと回っているのに気付いたから。

 本来あるはずの声もノックも無しに、ドアが開く。

 入って来たのは、芦田光と……ああ、なんてことだ。


「おはようございます! マツキ先輩!」


 挨拶だけで本人の自己紹介が済みそうな、明るい声。

 陽菜の記憶の中よりもずっと親しみやすそうで、人を引き付ける魅力を持ってる。

 弱さは少しも感じさせないのに、困っている時に助けてあげたくなるような……その愛らしさ。

 

 田邉未羽。

 消えていたうちの一人が、目の前にいた。


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