第25話 帰郷2
恋人と手を繋いで深い森を出ると、広い場所に出た。
闇夜に、眩い月光を反射する湖。
あるのはただそれだけでも、ただ美しく、神秘的で、リーフェルトの口から感嘆の息が漏れた。
湖のほとりで一緒に並んで座りながら、二人でその景色を暫し眺める。
人間界の有名な絵本に出てくるという、王子と姫の格好をして。
<……素敵だね>
<……そうか?>
<夢の中でこうして一緒にいられるって、素敵じゃないか>
<確かに、ロマンチックではあるが……現実に勝るものはないさ。
すべて幻だ。見ている景色も、身に纏っている服も。風の音も、匂いも、感触も。今の君は、私が送るイメージを感じているだけに過ぎないよ>
リーフェルトの手を取り、握る歩花の小さな手。
<……これもイメージ?>
<そう>
温かくて、優しくて。夢のわりにリアルなのに。
<世の中には人間でも、見る夢を自分の都合のいいようにコントロールできる人がいるみたいだけど、僕はあまり好きじゃない。
そこで何が起こるかわからないから、現実も夢も楽しいんだと思うから>
自分の足元を飾っている、キラキラとしたガラスの靴に目を落としてから、
歩花は上目でリーフェルトを見つめてはにかんだ。
<だから、君に会えた。
こんな、特別な格好をしなくても。自分が、沢山の人ごみの中に埋もれているようでも――。
そして、そっちの方がずっと素敵なことだって思わない?>
<……そうだね。本当に、そうだ>
草の上で軽く指を絡ませ、リーフェルトと歩花は互いの熱で遊ぶ。
まっすぐぶつけ合った熱い視線に自然と引かれ合い、自身の唇で、二人は恋人のそれに優しく触れた。
夢の中の彼女との口付けの感触も、リアルではあったけれど。
嗚呼――やはり、現実が良いかもしれない。
そう思い始めた瞬間。リーフェルトは深い眠りに落ちた。
「おやすみなさい――」
身体がしっかり休まることを祈りながら、
歩花はリーフェルトの身体にシーツをかけて、熟睡する彼の頬にキスをする。
恋人を起こさないように明かりを消して、彼女は自分のために用意された部屋へと帰っていった。
翌日。
昼食を摂り、今日こそは城下で恋人のエスコートをと意気込み歩花の部屋をノックしたリーフェルトだったが、デートの誘いを持ちかけようとした時、メイドに声をかけられてしまう。
「カーヤお嬢様がお見えです」
「……えっ」
メイドの口から飛び出してきた幼馴染の少女の名前に、ぎくりとする。
彼女は一応、自分の婚約者候補だということらしい。
無論、そういう目で自分も彼女も互いを見たことは一度もないわけだが。
「えー……と」
メイドも、何故歩花を前にしているこのタイミングで言うのだろうと、気まずい気持ちになる。
他の女性を優先すると、きっと歩花は良い気分ではないだろう。彼女だって、嫉妬くらいすると言っていたし。
とはいえ立場上、長く付き合いのある者を邪険に扱うわけにもいかない。
どうすればいいのだろうと、うろたえるリーフェルト。
その様子を暫く、黙ってじっと見守っていた歩花は、
一瞬、苦笑するような顔をしてから
「行って来い」
何も気にしていない自然な笑顔を作り、リーフェルトの二の腕を軽く叩いた。
「……!? えっ??」
「人付き合いは大事だ」
「で、でも」
「しっかりしろ、王子なんだから。ご家族の顔もあるだろう?」
「うぅ――」
それを言われると、どうしようもない。
歩花の言うことはもっともだ。
とはいえやはり、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
この前だって、うっかりデートを途中ですっぽかしてしまったのに。
「ほら、急げ。女性を待たせるんじゃない。私は私でこの世界を楽しむから、安心しろ」
「ハイ……」と項垂れると、そんな自分を残し、あっさり歩花の部屋のドアが閉まる。
……本当は、自分も一緒に楽しみたかったのに。
しかしそれは、彼女も同じ気持ちなのだろうけど。
「リーフェルト様」
「ん……大丈夫」
急かすメイドに短く言葉を返し、リーフェルトは踵を返し、心を切り替えようと努める。
自分の気持ちを押し殺し、歩花が折角自分を立ててくれたのだから、
その優しさを無駄にしないようにしなければ――。
「……待たせてごめん。久しぶり、カーヤ」
広い部屋で質の良い椅子にゆったりと座り、自分のことを待っていた幼馴染に微笑みかけるリーフェルト。
するとカーヤ・メイトランドはおっとりとした品の良い微笑みで、自分のいる空間に入って来た彼を迎えた。
リーフェルトが庭でカーヤと紅茶を楽しんでいる最中。
歩花は行き交う吸血鬼たちに混ざり、城下に出てマイペースにウィンドウショッピングを楽しんでいた。
日本円はあるが、この世界の通貨は持っていない。
リーフェルトの所持金と換金してもらおうと思っていたのだが、すっかり忘れていたので、今日は下見だけのつもりだ。
人間界からこちらに住み着く人々が多いせいか、ほとんどの店の張り紙や商品は英語で訳されており、ヴァンパイアの言語がわからない歩花でも、かろうじてどれがどんな店なのか理解することができた。
(陽人へのお土産は、お菓子とかで十分か。
小夜には小物……両親は……美味しい果物とか?
星野尾兄妹―――食べ物じゃないほうがいいな。すごく警戒しそうだ、特に兄の方が)
土産屋を回り、誰に何を買うか大体のイメージを付けていきながら、
興味を持った店をショーウィンドウから覗き込んだりしていると、
ふと比較的カジュアルな服屋を見つけ、そこに立ち寄った。
(全体的に、結構好きかもしれない――)
なかなか、センスが良い。
円に換金するといくらなのかはよくわからないが、英語表記のゼロの数が少ないのでそんなに高くはないだろう。
一つ一つ商品を手に取って眺めたり、鏡の前で身体に当ててみたりしてみる歩花。
ランジェリーコーナーの方にも足を向けて下着をチェックしてみれば、
日本だと自分のサイズは可愛いものが少ないのに、ここはまるで宝の宝庫のようだった。
どれもこれも可愛らしくて、目移りする。
(でもサイズが、合わない気がするな。基準が違うのかな……?)
「アラ。それは少し地味すぎるのではなくって?」
「……? そうか?? 十分可愛いと思うけど……」
「それに貴方、上だけ? 上下揃ったものを買いなさいな」
「別に。下着なんて、誰かに見せるものじゃないしな」
「そうなの?」
「そうだ」
ランジェリーを見るのに夢中になっていたせいで、
その相手が誰なのかを確認しないまま、背後から声をかけてきた者とやりとりをする。
合間――ふと顔を上げて振り向けば、
そこにはサングラスをかけて顔を隠している恋人の姉が、女優のように優雅に立っていた。
「……!? し、失礼しました……! お姉さんとは知らず、なんて無礼な―――」
「……それは別に許してあげるけど。貴方、選ぶならもっとちゃんとした素材のものになさいな」
「は……? はあ……」
(それって、オーガニックコットン? 的な……?? ……よくわからないが)
「でも。ちゃんとしたものって、高いのでは」
「貴方。あの子と付き合っているんでしょう?」
「あの子って。リーフェルト……さん、ですか?
自分のお小遣いはバイトで稼いでいるので、特に不自由はしてませんが……。私自身、こういった素材のもので十分ですし」
身の丈に合わないものは、かえって見苦しく映りそうだ。
特に自分なんて、彼女のように高い身分を持って生まれてきたわけでもない。
ただデザインを気にするのは、単に女として、身に着けるならやはり可愛らしいものがいいとか、そういった歳相応の美への憧れからだ。
「……わかったわ」
パルディローズは何か一人で頷くと、いきなり歩花の手を掴み、強引に店の外に連れ出そうとする。
「あっ……あの??」
「淑女はね。見えないところに気を遣って本当のレディなのよ」
「……はあ……??」
「貴方。あの子とのデートの時でさえ、下着を揃えたことがないなんて言わないわよね?」
「――……だって。見えないから……」
「そう! じゃあ今日は特別に、私が一からレディの嗜みを直々叩き込んであげる」
「……」
(……この人は、なんなんだろうか)
昨日のリーフェルト同然に意気揚々としている彼女に首根っこを掴まれずるずると引き摺られながら、歩花は正直、パルを面倒くさい女性だとぼんやり思った。
ヴァンパイアの世界は、二人の王によって支えられている。
一人は、北の地を治めるリーフェルトたちの父親、ダリア。
もう一人は、南の地を治めるダリアの兄、グロリオーサ。
人間や他の種族たちとの戦争時代が終わり、不必要に人間界に降り、欲のままに新鮮な血を悪戯に身体に取り込むことは厳禁とされている現在。
ヴァンパイアたちの寿命が戦争時代よりはるかに短くなっているといっても、いまだ、長寿であることには変わりない。
元人間であったヴァンパイアたちを迎え入れるようになり増えた民たちと、それに伴い拡大した地を治めるため、リーフェルトたちの世界はそういった仕組みとなっている。
グロリオーサが治める南の城兵たちの戦闘訓練のため、
歩花と買い物をした翌日、パルは早朝に父の城を発っていった。
そして、彼女と入れ替わりに南の城から帰って来たのが――
「初めまして。リーフェルトの兄のスターチスです」
「アユカ、ニカイドウです。初めまして」
「弟から話は聞いてるよ。そういえば昨日、姉上と“パセラン”に来てくれたんだって?」
「……? “ぱせらん”??」
「ランジェリーショップ。沢山買ってくれたんだってね。僕の妻の会社だから」
「……! そ――そうだったんですか……」
パルに引き摺られ連れてこられた、その“パセラン”なる店。
高級感溢れる店の内装に縮こまりながら入店し、
強引に流されるままサイズを測られた記憶が歩花の頭に蘇る。
『これなんてどう?』
『いえ……赤とかそういうのは……』
『黒も素敵よ』
『……もっと。高校生らしい色が……。あと、デザインが際どいのもちょっと……』
『この紫なんて貴方に似合うんじゃないかしらン。髪の色と同じだし……』
『……あの。まだ私、十七なので。そういう――』
『あとは、これとこれとこれと……これくらいあれば十分ね。全部包んで頂戴』
『……――』
ちなみに、金はパルがすべてカードで払ったが。
(……そういえば、ヴァンパイアは十八で成人だったか)
それを考えれば、十七歳の女子があれくらい着こなすのは、こちらの世界では当然なのかもしれないが――。
あんなものを持っていること自体両親にうっかり知られようものなら、自分は旅に出よう。
遠い瞳で、歩花は真剣に考えた。
「こっちが娘のサルビアです」
「初めまして」
少し垂れ下がった目尻が特徴的な、黒人風の少女がスターチスの隣で行儀よく客人に挨拶をする。
歩花が「初めまして」と返すと、サルビアと紹介された少女はキラキラした瞳で歩花を見上げ、
「生まれもジャパンですか?」
「? はい。そうです」
「歩花さんは、オタクですか?」
「……んっ?」
「アニメ、萌え、青子のダンク」
「……あ……いえ。僕は、そういうのは疎くて――」
「……!?」
何かを期待しきっていた可愛らしい顔は一瞬で、しょんぼりとした表情へと一変していく。
「オタクじゃ、ない……?」
「あ……なんか、ごめんなさい……」
「いいからいいから」
悲しげなオーラを全身に纏うサルビアに心を痛めるあまり、つい謝ってしまった歩花に、スターチスは「気にしないでくれ」と苦笑した。
ようやく訪れたデートの時間。
帽子を目深に被り素性を隠したリーフェルトは、城下に恋人を連れ出し店を回る。
リーフェルトは偽名を使い、加えて公の場だということから手を繋ぐなどのスキンシップさえ彼らの間にはなかったが、二人は時に声を上げて笑い合い、最初から最後まで自然で幸せな笑顔を浮かべて、楽しいひとときを過ごした。
城に帰り、最後の夕食を摂った後。
リーフェルトはスターチスに呼ばれ、野外の広い場所に連れ出された。
「……?」
そこには先に、スターチスの双子の兄弟であるストックと、大槌を持った歩花が待っている。
首を捻っているリーフェルトに、彼女もよくわかっていないような、困った顔をしていた。
「みんなで食後の運動でもどうかとな」
「運動?」
「タッグマッチよ、叔父様」
気付かなかったが、ずっとそこにいたらしいサルビアが横からニッコリ微笑んで言う。
「タッグマッチ?」
「リーフェルト叔父様と歩花さん対、パパとストック叔父様」
「リーフェルトを鍛えるついでにな」
スターチスの科白に、顔を見合わせるリーフェルトと歩花。
「……ストック兄さんって、戦えましたっけ……?」
失礼ではあるが、三男の兄にそう問わずにはいられない。
紙の仕事ばかりしている三男が戦うところなど今まで見たことがなかった。
寧ろ、姉にしばかれている思い出ばかりがリーフェルトの頭に蘇るのだが。
「……心得くらいはな―――」
ストックは自信がなさそうに、苦笑した。
「弟のガールフレンドの方にも、興味あるしな」
「……はあ。では、お手柔らかにお願いします」
リーフェルトと歩花、スターチスとストックらは互いに距離を取る。
その間、「大丈夫?」とリーフェルトは恋人に声をかけてみる。
「最近戦ってないからな。……いい機会だ」
二人は身体を返し。双子の兄弟に対して、低く身構えた。




