チコと神様
チコは天の神様のお手伝いをしています。
チコの仕事は、天の国に来た魂を東西南北の神様に振り分けることです。
チコの他にもお手伝いをする天使たちがたくさんいます。だけど他の天使たちはしばらくするといなくなってしまいます。チコはとうとう天使たちの中で一番古くから天の国にいる天使になってしまいました。
チコは不思議でした。
他の天使たちがどこに行くのか。
だけど、チコは神様の手伝いが嫌いではありませんでした。色とりどりの魂をチコの思いのままに神様たちに振り分ける仕事です。何も考えずに、綺麗なビー玉みたいな魂をあっちにこっちに振り分けます。だからチコはこのままでいいとずっと思っています。
魂の色はいろんな色があります。一色だけでやけに輝いている魂や、ほんわか柔らかい色、真っ黒だったり、真っ白だったり、二色以上に色が混じっている魂もあります。魂にはその数だけの色がありました。チコはその色を見ているのがとても好きでした。
ある日、チコが担当する魂の中にひときわ真っ黒な魂がありました。触るのも嫌になってしまうくらい、深い深い、見ているだけで気持ちが落ち込んでしまうような真っ黒い魂です。
「天の神様。この魂は真っ黒で、どの神さまの元へ送ってあげればいいのかわからないよ」
チコは天の神様の元へ行って、そう言いました。
神様はチコの手のひらに載っている魂を見て、眉を顰めました。
「ずいぶんと黒い魂だね」
そう言ってチコから魂を受け取ると、じっとその黒い魂を見つめます。
「……これは相当……」
神様はチコと魂を見比べました。それから小さくため息を吐きます。
「そうか……」
神様がため息交じりにそう呟くと、チコに言いました。
「チコ、この魂は迷子になっているようだね。この魂の過去を見ておいで。そしてどの神さまに送ればいいか考えてごらん」
優しくチコにそう言うと、神様は魂に手をかざしました。その黒い魂はぽっと光を浮かべると、チコを吸い込んでしまいました。
チコは魂の中に入って、その記憶をたどりました。
魂の持ち主は、一人の男性でした。
彼は産まれた時からひとりぼっちで、誰からも好かれずに世の中を恨んで死んでいきました。
チコは彼の記憶を覗いたことに、すっかり嫌気がさしてしまいました。
「どうだった? チコ」
魂の記憶をたどったチコが天に戻ってくると、神さまがそう尋ねました。チコは一言返しました。
「嫌な魂」
眉根を寄せて嫌そうな顔をするチコに、神さまは優しく頭をなでました。
「そうかい、そうかい。いやな魂だったのか。では、誰の元へ送ればいいか決まったかい?」
神さまに問われ、チコは首を横に振ります。
あんな真っ黒で寂しい魂は、どの神さまも引き受けてくれそうにありません。
うーん、と考え込んでいるチコに神様はふふっと笑いかけます。
「では、もう一度魂の過去を見ておいで」
神様にそう言われると、チコの体はまたも光に包まれました。
チコはまたもや魂の記憶の中に潜って行きました。
ひとつ前の記憶の男も、またもや寂しい人生を終えていました。生を受けた後幼い男を残して両親は離婚してしまい、彼は母親に引き取られましたが母親はその後すぐに亡くなりました。父親は見つかりませんでした。その後も信じていた友達に裏切られ、恋人ともひどい別れ方をして、やはり最後には一人で死んでいきました。
やはり、誰も信じられないままひとつ前の生も終えていました。
チコは何ともさびしい気分になりました。
「どうだった、チコ」
帰ってきたチコに、神様はまたもやさしく問いかけました。
「寂しい魂」
一言、チコはそう返しました。
「そうかい、そうかい。それで誰に送ればいいか、決まったかい?」
神さまにそう尋ねられて、チコは首を横に傾げます。
南の神様や東の神様は嫌がりそうです。では、西の神様は……あまりいい返事をくれそうにありません。では、北の神様は……きっと顔をしかめそうです。チコには、どの神さまの元へ送ればいいのかまだわかりませんでした。
うーんとまたもや考えているチコに、神様は優しく頭をなでました。
「では、もう一度魂の過去を見ておいで」
神様に言われました。
チコはまたも光に包まれて、その魂の過去へ、今までよりもさらに過去の記憶へもぐりこみました。
男は両親の愛情を受けて、すくすく育ちました。平凡でつつましい人生を送った彼は、伴侶となる女性を見つけ、結婚しました。
しかし、結婚式の次の日に自分の両親と新妻を乗せた車が事故に合い、みんな死んでしまいました。一人残された男は、残りの人生を後悔ばかりしながら死んでいきました。
チコはとても悲しくなりました。
「どうだった、チコ?」
神様に尋ねられます。チコはぽろぽろと泣きました。
「悲しい魂」
泣きながらチコは、一言そう答えました。
「そうかい」
神様は優しくチコを抱きしめます。
「……それで、どの神さまに送ればいいか決まったかい?」
神様はチコに優しく問いかけました。
チコは黙って首を横に振ります。
こんな悲しい魂を、どの神さまに渡せばこの悲しい魂が幸せな生を歩むことができるのか、チコにはわかりませんでした。
「……チコ、この魂は悲しい生を繰り返しているんだね。それがどうしてか、わかるかい?」
神様に問いかけられて、チコは小さく首を横に振りました。
人の生には、幸せな人生も悲しい人生もあります。どうしてみんな幸せな人生が送れないのか、チコは不思議でした。
「チコ、もう一度この魂の過去を見に行ってごらん」
神様はそう言うと、チコを再び魂の過去へ送りました。
チコが見た魂のさらに過去の男は父親でした。
幸せな少年時代を過ごし、幸せな結婚をして、子どもがひとり授かり、とてもとても幸せでした。特に子どもが出来てから、その子のことをとても可愛がり、大事にしていました。
ですが、男にとって人生で最も悲しいことが起こります。
大切な娘が、死んでしまったのです。
彼の大切な娘は、学校でいじめられていました。家ではそんな素振りを全く見せなかったので、男は気がつきませんでした。
男が気がつかないうちに、大切な娘は自死を選択していました。
気がついていたら、なんとしてでも娘を救ったのに!
男は嘆き悲しみました。深く深く傷つき、それ以後は何をしてもむなしい気分になりました。彼の心は空っぽになってしまったのです。
チコは男の過去を見て、驚きました。
……あれは、チコ?
男が大切にしていた娘の顔は、チコの顔と同じでした。
そう思った途端、チコの意識は天界に戻されました。
「お帰り、チコ」
神様の声が優しく響きます。チコは悲しい顔をしながら、神様を見上げました。
「……チコが、いた」
チコはそう呟きました。
「人には誰も、天に定められた相手がいる。どの生に産まれてもその魂の相手は変わらない。
男の魂の伴侶が分かったかい?」
神さまが優しく尋ねます。
「……」
チコは俯いて黙ってしまいました。
神様がチコの顔を覗き込むと、チコは大粒の涙をこぼしていました。
「あの黒い魂が、あんなに醜くなってしまったのはチコのせいなの?」
チコは泣きながら神様に聞きました。
「チコ、これから私が話すことを聞いてくれるかい?」
神様はそう言うと、チコの両腕を掴み、まっすぐチコの顔を見ながら話し始めました。
「天使たちの仕事がなぜ魂の選別なのかわかるかい?
天界で働く天使たちは元は人間だったんだよ。そう、チコも同じ人間だったんだ。
ではなぜ、天界で仕事をしているのか。
天使たちは、仕事をしながら魂の伴侶を探すんだ。
何事もなく生を終えた番の魂たちは、同じ神さまの元で新たな世界に送られて、魂の伴侶に巡り合う。魂の伴侶は、恋人や夫婦だけではなくて、親子だったり、友人だったり、いろいろな形があるんだよ。だけどね、形を変えても必ず出会ってお互いにそうわかるものなんだ。
チコも魂を選別して神様の元へ送っていただろう? 適当に選別しているようでも、ちゃんと番同士の魂は同じ神さまのところへ送られていくんだよ。
……だけどね、どちらかが魂の絆を切ってしまった場合、その魂は番と離れ離れになってしまう。
番がいない魂は半身を切り取られた痛みに耐えながら、残りの生を送るんだ。
そして、絆を断ち切った魂は片割れが生を終えてやってくるまで、天界で仕事をしながら待つんだよ。
それが、天使たちだ。
チコも気がついていただろう? 同じ仕事をしていた天使たちがいつの間にかいなくなっていたり、他の天使たちがやってきたり。
どうしてそう変わっていくのか、チコは考えたことがあったかい?
天使たちは番の片割れの魂に巡り合うと、己の存在に疑問を抱くんだ。
なぜここにいるのか、なぜこんな仕事をしているのか、そして前世の記憶がよみがえる。
自分の罪が一体なんだったのかを思い出すんだ」
神さまの話を聞き終ったチコは、呆然としていました。
「じゃあ、あの黒い魂は……」
神様はゆっくり頷きます。
「そうだね、チコの番の魂だね。彼はずっとずっと、チコが生まれ変わるのを待っていたんだ。
番のいない魂は、核がない状態だ。核がない魂は誰にも愛されることなく、絆を誰とも結べないでたった一人で生を終える。
番がいない時間が長ければ長いほど、絆を結べる他人がいなくなってしまうんだ」
チコはとても心が痛くなりました。
黒い魂の過去を覗いたことで、自分自身の過去も思い出しました。そして自分がいなくなった後で番がどうやって生を終えたのかも知ってしまいました。
チコは泣き崩れました。
「神さま! チコが天界で仕事をしていた時、この魂は悲しい思いをたくさんしてきたの!?
チコがずっとここにいたいと思っていた時、この魂はこんなに辛い人生を何回も送ってきたの!?」
チコはようやく気がつきました。
自分が人としての生の中で自殺をしたこと。そのせいで天使となって天界の仕事をしていたこと。
他の天使たちは番の魂を見つけ、己の罪を知り、転生をしていたこと。
チコは今まで自分の罪に目をつぶり、伴侶の傷に目をつぶり、天界でぬくぬくと過ごしていたのだという事を。
「そうだよ、チコ。君は、この魂のためにも己の過去を見つめ、新たな生に生まれ変わるべきなんだよ」
「嫌だよ! 神様! チコはずっとここにいたいよ!
チコは優しい神様が大好きだよ! 天界のお仕事が好きだよ! 人の生なんて、辛い事ばっかりだよ! 生まれ変わりたくなんてない!」
チコは神様に縋って、わんわん泣きました。
そんなチコを神様は優しく抱きしめます。
「チコ、彼はずっとチコを待っているよ。彼はチコだけの特別な存在なんだ。そしてチコも、彼だけの特別な存在だ。
いいかい、チコ。
私は確かに君にとって優しいだろうね。
だけどね、私は誰にでも優しいんだ。君にだけではないんだ。私は誰にでも愛を注ぐ。それが私の存在なのだよ」
神様は、チコにとってとても残酷なことを言いました。
「嫌だ! いやだ!」
チコはそれでも子どものように泣きつづけました。
チコは神様が大好きでした。ここの仕事が大好きでした。
だけど、魂の番を知ってから胸が騒ぐのも確かです。
神様はチコに優しいけど、神様にとってチコが特別だからそうするのではないのです。それでも神様に期待してしまいそうになるのです。
だから、チコは決めました。
「神様、チコは生まれ変わるよ。そして新しい生でちゃんと番を探す。今度は二人でちゃんと幸せになれるように」
チコは神様に言いました。
神様は嬉しそうに頷きました。
そして、黒い魂を拾い上げます。
「二人とも、今度は幸せにおなり」
神さまがそう言うと、チコは真っ白な魂になりました。黒い魂もチコと同じようにぴかっと光り、真っ白に色を変えました。
「チコ、ずっとお仕事ご苦労様。
私もチコが、大好きだったよ」
神さまの目に、涙が浮かんでいました。
――ある晴れた日、ずっと子どもが授からなかった夫婦の間にようやく可愛い女の子が生まれました。父親は子どもが生まれるのをずっとずっと待ち望んでいました。もうすぐ生まれると病院から連絡をもらい、急いでタクシーを捕まえました。
「そんなに急いで、どうしたんです?」
父親は行き先をタクシーの運転手に告げました。その息せき切っている様子に、運転手は尋ねます。
「いえ、もうすぐ待ちに待った子どもが生まれるんです。不妊で長い間子どもが授からなくて、諦めていたんですが、面白いもので、諦めた途端にぽんとできてしまったんですよ」
「へえ、不思議なもんですねえ」
「ええ。それで、その子が今日生まれるものですから、もういてもたってもいられなくて」
「そりゃ、おめでとうございます。嬉しさもひとしおでしょうね」
父親は嬉しそうに頷きます。
「待ちに待った子どもなんでね、本当に会えるのが楽しみなんです」
タクシーを降りると、男は空を見上げました。真っ青な青空なのに、雪がちらちらと降っていました。
「おや、珍しい」
運転手が言います。
「風花ですか」
運転手の言葉に、男はじっと空を見ていました。
青空に舞う真っ白な雪は、まるで天からの祝福のようでした。
――生きとし生けるもの、全てに幸あれ――
天の神様はそう願わずにはいられないのでした。
自殺だけは絶対しないでほしいという願いを込めて。