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神ヒト血鬼~たった一人の最後の人間《レスタト》~  作者: HibinaJestzona(火雛じぇすとーな)
第1章『最後の人間』
9/12

第7話『無謀に敬意を払うということ』

当ページの

文字数(空白・改行含まない):9071字

行数:183

400字詰め原稿用紙:約23枚

 

 


「唯一の生存手段。その大原則は、今も変わらない。だから僕はここに来たのさ」

 目覚めたばかりの眼鏡の娘とは違い、レクィスは廃建築の構造を既に把握していた。

 地下街と直結した七階建て。一階は砂に埋もれており、しかも地下街への経路は銀製のワイヤーネットで多重に封鎖されていた。この銀条網は最近に築かれたもので、品質もかなり良い。平民街警察の装備ではないだろう。貴族領の騎士団が死蔵していそうな代物だった。

 砂の廃墟の建物にしては、比較的しっかり構造が残っている。各フロアは広々としていた。部屋ごとを隔てる壁が崩れてこうなったにしては、瓦礫が少なすぎる。おそらく最初からこういう間取りなのだろう。特に五階から上は「チュウシャジョウ」というやつらしく、建物の底面積がそのまま階の床面積に匹敵する。

 おそらく商業区の一角だったのだろう。細かな業態までは、レクィスには見当の付けようがなかった。平民街の経済には疎い。興味が無かった。


 廃建築の三階。


 下弦の月と、砂の廃墟の街並みを覗ける穴だらけの壁を背にして、レクィスは上階を見上げた。ただし、話しかける相手は階下に居る。

 三階と四階を隔てる天井にも、三階と二階を隔てる床にも、やはり穴が開いていた。レクィスは三階の床に座ったまま、穴ごしに二階へと視線を戻す。


 そこには廃材の山と、思ったよりも冷静な修道女姿の娘が居た。


 名前はまだわからない。ひょっとすると、知らないままで死に別れるかもしれない。

 得体の知れぬ謎の女だが、素性を推し量る材料だけは既に大量に揃っているはずだった。ならば素性も明らかになりそうなものだが、ならない。むしろ、余計にわからなくなっていく。

「…………血を飲むことが、生きるための手段? そんなの……そんなの、おかしいです」

 戸惑いながらも、はっきりと否定の意を込めて呟きながら、娘はレクィスを見上げた。


 その瞳の色は赤。平民の証だ。


 しかし、ならばレクィスの金色の瞳と向き合って意思を保てるはずが無い。一角(ひとかど)の彫金師の手製・上製と思しき眼鏡をかけており、いかにも種も仕掛けも有りそうだが、そんなもので貴族の視線を無効化できるはずもない。平民街に流通していい物でもない。

 それをかけている目鼻立ちは――控えめに言っても美しい。レクィスは仮に小娘と呼ぶことにしていたが、表情次第で子供にも大人にも成り済ませそうな、透明感のある若い女だ。

「だって私も、街の殆どの人たちも、誰かの血を吸った経験(こと)なんて一度も無い……」

「平民街でもそうらしいな。実を言うと、決闘以外で血を奪うことは貴族領でも御法度だ。僕はこうして地上に出て来たことが既に罪であるし、純血種を追うことも禁であるし、あまつさえ道すがら賤民の血を(たしな)んでいると知れたら――ハッ。投獄どころの話ではないな。エインシェントの処刑人が手ずから誅伐に来るだろうよ」

「それに」

 遮る勢いで、娘が声を上げた。レクィスの長口上を妨げるなど、彼女にしては珍しい。

 眼鏡越しの赤い視線には、反抗的な熱がこもっていた。僥倖(ぎようこう)だ。この状態の娘は活き活きしている。煌々と光を揺らすシャンデリアのようで、見ていて飽きない。

 おおかた警官隊を殺した件を気安く語ったため、気を害したのだろう。今とは真逆の冷めた目つきで傍観した癖に、博愛ぶる奴だ。ぶるというか罪悪感を覚えていそうだ。愚かな奴だ。

 熱を帯びたり冷え切ったりと、極端な豹変を繰り返す奴でもある。

 情動が不安定。どころか、人格・性格そのものが未定のように見える。それでいてロジックには強いらしく、レクィスの長口上にきちんとついてくるぐらいには聡明だ。


 どういう出自なら、こんな妙ちくりんな奴が出来上がるのだろう?


「ニンゲンの血だけが私たちの命だっていうなら、ニンゲンが滅んだ時点で、私たちヴァンパイアだって生きていけなくなるはずです」

「そのためのコフィン・シティだ。だから我々は、あれの中で暮らしているのさ」

 屋外、街並みの更に向こうに(そび)える巨大な壁を指し示した。

 首都コフィン・シティの外壁だ。幅広い六角柱の形状だが、この位置から輪郭は見えない。

「平民街にせよ貴族領にせよ、吸血行為はタブーだ。何故タブーかといえば、そうして同族の力や生命を奪って、我が身に取り込めるからだが。ヴァンパイアがヴァンパイアから奪う場合と、ニンゲンから奪う場合では意味が違う。同族から奪う吸血は――散々やっておいて自ら言うのも滑稽だが、まあ不毛だよ。一昨日、僕は賤民の警官どもを殺して血を飲んだ。飲んだ分だけ僕の力は僅かに増したが当然、犠牲者たちは死んだ。得をしたのは僕だけだ。ヴァンパイアという集合で見ればプラスマイナスゼロだ。しかも!」

 レクィスは白々しく両手をもたげ、お手上げという仕草を見せて、歌い上げる。

「そうしてせっかく蓄えた力も、この砂だらけの外界(アウターワールド)で活動すれば、じわじわ磨り減っていく! 夜でさえな! コフィン・シティはそのために存在するのだ。(コフィン)には最外層を除いて、特殊な結界が憑依している。霧散していくはずの我々の生命力を回収し、外部への漏出を防ぎ、貴族領へ還元するための結界だ。コフィンの中に閉じこもっている限り、我々はずっとプラスマイナスゼロのままで居られる――理論上はな。実際には五百年前、『冥穹領』の天井が壊れてコフィンが一つ、まるまる滅びた。その結果がここだ。復興は出来ない。コフィンを建造する技術が無いことも理由のひとつだが、例え()れ物を再建できても、失われた人口を戻せない。供与できる命がもう無いからな。……文献から察する限り、ニンゲンは違ったようだ。彼らは独自に()えることが出来た。滅びかけても独自に復興できる種族だった。我々には無理だ。ニンゲンは時間と共に勝手に殖えて、土地が足りなくなって争いを始めるような種族だったが、僕に言わせれば――ハッ。贅沢な悩みだな」

「それが、創成期以前の『生命』の定義ですか」

「ん? ……面白い解釈だな」

 娘はなんとなく言っただけのようだが、レクィスはかなり心を惹かれた。確証は無いものの、全ての未知と符合して綺麗に噛み合いそうな、鍵のような手触りを感じた。

「独自に命を殖やせるかどうかが……生命と非生命の……違い、か……ふむ……おっと」

 耽溺しかけたが、危うく我に返る。

 自分は「敵の奇襲を待つ」という、不確かな猶予時間の中で話をしているのだった。


 あとどれぐらい話を続けられるか、わからない。

 さっさと、目的のところまで話し終えねば。


「とはいえ」レクィスは舵を切った。「増殖といっても自在ではない。賤民どもと同じで、雄雌の(つが)いが必要だったらしいからな――ニンゲン種族の復興は『もう不可能だろうよ』」

 ぴくり、と。

 レクィスの言い回しに、修道服の娘が反応を示した。愚かだが、理屈には聡い奴だ。

「……今の、どういう意味ですか」

「お前の言うことは半分は正しい、という話だよ。ニンゲンの滅びが確定した時点で我々ヴァンパイアの滅びもまた、即時ではないにせよ、確定したようなものだと。ニンゲンがまた数を増やすには、雌雄ひと揃えが必要だからな」

「なんでそんな理由を言うんですか? 復興がどうとか、ひと揃えがどうとか、とっくに滅びた人たちの話なのに、そんなどうでもいいこと――」

「僕の純血種狩りに同行したい、と願い出ておいて、その疑問は今更すぎるな」

「……!」

 娘の思考が、やっと止まった。

 創世記やデイウォーカーの話を聞いても、未知の知識の津波に戸惑うだけで、決して理解し損ねることはなかった偽修道女の表情が、やっと硬直した。

「ふむ。やはり『言葉を知らないだけ』ではないな。お前は純血種を知らない。大前提となる知識が無いようだ。かくしてお前は完全に、僕にとって未知の存在であると確定した訳だな。お前の素性を暴きかねない、などと危ぶむのは杞憂だったよ。お前の口から決定的な情報が出るまで、僕はお前を明らかに出来まい」

「……そんな、ことを確認するために……わざわざ回りくどい話をしたんですか」

「いいや。僕なりの返礼であり、拘りであり、あるいはひょっとすると手向けになる話だ。ニンゲンについて、更に奇異なことを教えてやろう。もう燃やしてしまったがな」

 ちらりと、レクィスは先刻に炎を(おこ)した地点を見遣(みや)った。

 敢えて指で示しはしない。それでも貴族レクィスの、金の視線の意図を辿って、娘も足下の燃え痕を見る。(いぶか)しげに。

「ニンゲンの血は、我々のそれとは性質が違う。体外では黒ずんで、泥のように凝固する」

「っ!?」

 やっと怖気が走ったのか。今更おぞましさを感じたのか。娘は燃え痕を向いて身構えた。

 娘の黒髪が、僅かに浮き立ったようにさえ見えた。

 レクィスは言葉を止めない。畳みかける。

「街で『ヴァニッシャー』とか呼ばれている殺人鬼の噂なら、僕も賤民から聞き出して少しは知っているぞ。『大量の銀で武装しており、銀の銃弾を喰らっても屍灰(しはい)にならない』つまり銀毒が通じない。また『夜が明けてもコフィンの外で戦い続ける』つまり太陽が通じない。どちらも古代のデイウォーカーと合致する特徴だ。他方、合致しない噂もあったな。『神出鬼没で、気配を全く感じられない』という点だ。これはおかしい。ニンゲンは弱点が無い代わりに、脆く無力な種族だった。そして彼らの存在は、常にヴァンパイアから見て一方的に筒抜けだったはずなのだ。さて、これはどういうことなのか?」

「……銀が、効かない……種族……銀が……いいえ」

 何故か、その部分に殊更の衝撃を受けたようで、娘は足をもつれさせ、砂だらけの瓦礫の柱に手を付けた。しかし、意識だけはすぐ持ち直して、毅然とレクィスを見上げた。

「単に、そのニンゲンと『ヴァニッシャー』が別物だってオチじゃないんですか」

「お前にとっては、その方が望ましいようだな。しかし残念なことに違う。彼らの科学文明は、今世の平民街の比ではなかった。彼らは月を開拓するどころか、新たな天体を浮かべ、陸地の数や広ささえ操ったという。その技術力を以て、彼らは研究したのだ。ヴァンパイア同士のテレパシーの延長であるはずの、暗示や探知が、どうしてニンゲンに届くのか? 答えは血の汚染にあった。ヴァンパイアに固有の、因子――だかなんだか――が、ニンゲンの血統に混入していた。創世記よりも遙かに昔のヴァンパイアが、黎明期のニンゲンたちに因子を混ぜ込んでおいたらしい。その結果、ニンゲンが強大な技術を誇る時代になっても、ヴァンパイアは優位性を確保できた――はずだった。ニンゲンたちはその因子を解明し、蒸溜して、ヴァンパイアのテレパシーに一切無縁の特別な兵士を精製したのだ。ヴァンパイア由来の要素を全く持たない、人工的に再現された本来のニンゲン。ヴァンパイアを暗殺するための純粋血統(ピユアブラツド)の刺客。わかるか? だから」

 青ざめる娘を見下ろしながら、レクィスは再び両手を広げた。

「だからこそ殺人鬼は、誰にも見付からず忍び寄って、次々に警官を殺せたのさ」

「じゅん、けつ、の……ニンゲン――」

 娘は、かつてフロアを支えていたと思しき柱の成れの果てに手を付けたまま、うなだれた。その柱さえ無ければ、倒れてそのまま気を失うのではないかとさえレクィスには思えた。


 そして顔を伏せたまま、斜めの柱にもたれたまま、思ったよりは早く口を開いたが。

 もはや熱と意思を感じさせない、まるで硝子(ガラス)細工のような口調に変わってしまっていた。


「それが、あなたの探す『純血種』ですか」

「ああそうだ。首都を騒がせている殺人鬼の、正体だ」

「私の思ってた人とは――全然違います」

 警戒も、戸惑いも慎重さもうかがえない物言いだ。ほんの数分前まで黙秘だらけ、隠し事だらけだった娘にしては、明け透けすぎる。

「……そうだろうな」

 想定以上の豹変に驚きつつも、しかしレクィスは内心で認めた。この状態の娘を見たのは初めてではない。

 例えば二日前の晩、警官たちの死を見ている時、娘はこの状態だった。

 今夜の合流前、レクィスと対面する前の娘も、この有様だった。

「気付いてたんですか。私が思い違いをしてるって。殺人鬼の正体を誤解してるって」

「お前自身、かなり初期から疑っていただろうが。『純血種とはなんですか』という質問を一度も投げてこなかった癖に、否定はさせんぞ。お前は純血種という言葉を知らないし、それは僕らの間で自明だったはずだ。訊けば教えてやったぞ? 確認するのが怖かったんだろう」

 レクィスは肩を(すく)めた。探索行の最中、一度ならず質問を促したのに、娘が乗ってこなかったことを思い出せばこそ。これについてはもっと口を尖らせてやりたい気分だった。

「思えば最初から妙だったのだ。お前はこの廃墟を一人歩きできる身ではない。なのに一切の準備も無く廃墟(ここ)を目指した。仮に、殺人鬼がお前に対して友好的な『何か』であれば、お前の無茶にも説明がつく。その場合、お前は廃墟に辿り着きさえすれば、あとは相手に見付けてもらうのを待てばいいからな。だがアテは外れた訳だ。そういえば道中、お前は段差に挑んで砂に突っ伏したりと奇行が目立ったな? あの時、消沈していた理由はこれか。成程な」

 娘は黙って、レクィスの話に納得したようだった。納得はしたが、ただそれだけだった。

 眼鏡ごしの赤い瞳も、形だけは可愛らしい顔立ちも、一切の感情を表さない。視線がやや俯いたが、それさえ「レクィスに注意を向けるのをやめた」という意味しか無さそうだった。

 まるで感情や人格を、まるごと顔から外してしまったかのような無感動ぶりだ。

 こうなってはつまらない。このまま無感動で二度と動かないとすれば。


 だが、娘にもまだ未解決の疑問が有る。それを証明するように、彼女の口が再び動いた。

『滅んだはずのニンゲンが、何故この時代に居るのか?』ではなく。

『純血種がこの廃墟で何をしており、どうしてヴァンパイアを襲うのか?』でもなく。

『貴族レクィスがどうして純血種を探すのか?』でもない。

 今の彼女が、無気力を押して、敢えて解決しようとする疑問は――

「なんで私に、その特別なニンゲンの気配がわかったんですか」

「今はもう、わからなくなっている。そうだな? 気配を感じなくなっているのだろう。気絶して、この建物で目を覚ました頃からだな。挙動に乱れがあったぞ」

「――はい」

 さっきは白々しく誤魔化した癖に、すんなり肯定ときたか。

 観念したというより、もはやどうでもいいことのように、呆気ない。

「足音が、聞こえなくなったんです。途切れ途切れでも、ずっと聞こえていたのに」

「足音? ――ああ、成程。足音か」

 娘の言葉の意味を理解して、レクィスはぽんと手を打った。

「お前は殺人鬼の気配を探せると豪語しながら、実際にはその足音とやらを聞いて辿っていたのだな。殺人鬼の足音だと信じて――より正しくは、お前が期待する誰かさんの足音だと信じて、か。ヴァンパイア同士の感知は、人によって聴覚であったり透視であったり、感じ方が様々だ。ちなみに僕の場合は」

 口を閉じて、鼻だけでスーゥ、と空気を吸い込んだ。

 その仕草だけで伝わるだろうと思ったが、娘はそれについては反応を示さなかった。

「……確かに、足音が聞こえたんです。聞き覚えのある、ゆっくり歩くような、誰かの足音が」

「なあ小娘よ。その足音と、小瓶に詰まっていた凝固物。同一人物だと感じたのか?」

「首都に居る時だって、ずっと微かに聞こえてたんです。懐かしい感じと、一緒に」

「――現実の足音ではないな。感じた気配を、お前の感性が音として認識したのだろうよ」


 嘆息しながら、レクィスは娘の手元を見遣った。

 柱に触れて、砂層の膜に触れながら、指が、微かに震えている。


 表情は相変わらずの硝子のままとはいえ、まだ燻っているものは有るということか。

 骨折ひとつの治癒に二日近くを要し、たかが数メートルの段差すら越えられない弱々しい無力な小娘を、たった一人で廃墟に(いざな)うほどの動機か。

 平民警察に遭遇しても、貴族吸血鬼(ヴァンパイアロード)という怪物に遭遇しても、こいつはまだ諦めずに殺人鬼探索を優先した。敢えてレクィスへ接近するというリスクまで冒した。そこまでの動機なのか。

 この探索行に挑むに際して、一体こいつは、どれだけの覚悟を要したのか?


 その覚悟の程を、自分は理解できないだろう。睥睨(へいげい)しつつレクィスは認めた。


 娘の行いは、おそらくレクィスが“今の力のままで”エインシェント・ヴァンパイアに挑むぐらいの無謀だろう。そして自分は、そんな無謀を冒さない。道程は遠くとも、力の差を埋める手立てが有り、絶望的な賭けをする必要が無いからだ。

 この娘は、そういう手立てがおそらく無かったせいで、賭けへ踏み切ったのだろう。

 それ自体は確かに愚行なのだろうが――さりとて自分に、見下す資格が有るとは思わない。

 絶望的な賭けに身を投じる決心は、レクィスにとって未知のものだから。

 その執念を侮りたくなかった。

 だから、こんな回りくどい話を敢えて聞かせることにしたのだ。


 ただし、それだけではないが――。


「……例えば、銀を着込んだヴァンパイアなら、どうですか」

「うん?」

「私が感じた足音の主が、実はあなたの言う『特別なニンゲン』なんかじゃなくて。大量の銀で気配を遮断した強力なヴァンパイアだとしたら、どうですか。あなたが気配を探せなかった理由として、説明がつくんじゃないですか。殺人鬼は、大量の銀で武装してるって話――」

「並大抵の量と純度では、僕から隠れることは出来ない」

「並大抵じゃなかったら? 服も武装も、隠れ家も銀で埋めてあったら」

「……ハッ、なんだ折れるかと思いきや、あれだけ言い聞かせてやったのにまだ諦めないのか。往生際の悪い奴だな」

「……?」娘が、不可解そうに少しだけ面を上げた。

 三階に座るレクィスを見上げるほどではないが、それでも変化を起こしたのは、レクィスの機嫌が持ち直したことを声音から察したせいだろう。

「小娘よ。お前は僕がなんのために、わざわざ殺人鬼の正体を説明してやったと思う? お前が充分、僕の役に立ったからか? 殺人鬼の正体が期待通りではないと薄々気付いている癖に、目を背けて認めずにいたからか? どちらも正解だが、不充分だ。手向けになるかもしれない、と言っただろう。お前がこの廃墟に来るのは今夜で二度目だが、僕は既に一〇回近く訪れている。供を連れず、常に一人で来た。だがそのうち一度だけ、一夜だけ、僕は自分以外のヴァンパイアの気配を、この廃墟で見付けたことがある」

 娘の身じろぎが止まり、また少しだけ顔を上げた。

 ふらつくことも、呼吸すらも停止させたような硬直だった。

 先刻にも、自分はこれと同じ様相を一度だけ見たはずだ。

 少し違うか? なら、それこそ願ったり叶ったりだ。

「正体を確かめようとしたが、取り逃がしたよ。この僕が、途中からは全力で追ったのに姿すら拝めなかった。賤民の速度と軌道ではなかったが、気配が異様だったな。弱い小さいというよりは、なんというか、淡かった。あと数キロという距離まで接近したのに、まるで数十倍離れているかのように、存在を薄く遠くしか感じられなかった。当夜の僕は、ただ単にそいつを先客――つまり純血種狩りの競争相手だと思った。デイウォーカーの血を欲して、禁を犯して地上に出てくる貴族が、僕以外にもそりゃあ何人かいるだろうと思ったからな。気配が異様だった件は、幻術系統の『式』でも使って姿を眩ませていやがったのだと――そう推理した。なんでこんな馬鹿な仮説を立てたんだろうな? お前の話を聞いてやっと、やっとピンと来た。貴族の術ではない。あれは“銀で身を包んでいた”のだ。それも並大抵ではない高純度の銀を、布の繊維に織り込んで重ね着するぐらいの徹底ぶりで。だから気配が朧気(おぼろげ)だったのだ。あれなら準男爵並みの貴族では見付けられなかったはずだ。あいつもあいつで、見付かったことをさぞ驚いたろう。そう思えば少しは溜飲(りゆういん)も下がるか」

 娘が、はっきりと視線を上げた。おそるおそる首を上げて、レクィスを見た。

 眼鏡ごしの赤い双眸は、今まで見てきたどの瞬間よりも驚きに見開かれている。

 警官たちを殺してみせた時も、廃墟でさんざん(おど)かして遊んだ時も、ここまで唖然となってはいなかった。

 殺人鬼の正体はニンゲンだ純血種だと解らせてやった時も、凍り付く反面、ある程度は予想していましたと言わんばかりの、小癪で小賢しい驚き方だった。

 本当に予想外の情報を叩き付けられた時の間抜け面を、ようやく見せた。

「小娘。お前が探しているのは、『銀の効かないヴァンパイア』か」

「……ぁっ――」痙攣(けいれん)したかのようで、娘の吐く音は言葉になっていなかった。

「生き残りがいるのか。四年前に処刑人が滅ぼしたのではなかったのか? いや、敢えて聞くまい。この可能性に思い至っただけで僕の収穫は充分すぎる。契約もあるしな」

 廃建築の中、二階床に立つ修道服姿の娘が、レクィスを見上げたまま驚愕に震えている。


 娘の視線は、釘付けになっている。

 レクィスに。

 焦点が定まっていないことを考慮に含めれば、レクィスの立つ方角に。


 レクィスは、欠損だらけの建物の壁を背にしていた。

 そこからは夜空の一部が覗き、街並みの一部が覗き、大気に滞留する砂塵が時折、下弦の月に(とばり)をかけては流れ去っていく。

 今も、月明りに陰がさしていた。しかし砂雲のせいかどうかは、レクィスからは見えない。

「随分遠回りな話をしたがな、要はこれが、僕からの褒美であり、そして手向けだ。殺人鬼は、お前の探し求めた人物ではない。だが、そいつが廃墟に一度も居なかったと思うのは早計だ。今夜、お前が首都に生還できたら、その時はもっと別の場所を探してみることだな」

「――う――」

「あの晩、僕から逃げた奴の気配は、首都北東の」


「後ろッ!!」


 革靴の底が、まるで劇場の床を打つように軽妙な音を鳴らして、レクィスの白い姿を中空へ送り出した。

 修道服の娘が叫んだ直後か、はたまた同時か。

 三階床の崖際に座っていたはずの貴族レクィスは、背後から振り下ろされる二筋の太刀筋をギリギリ(かわ)して跳躍し、勢いそのままに身を旋回させた。


――#7『無謀に敬意を払うということ』終

 

 

  ◆次回◆


「ひゃわっ!?」銃撃も『鏡』の存在も想定外だったようで、娘が体を強張らせた。

 強張らせて――強張らせるだけで。なんのアクションもリアクションも起こさない。逃げもしないし瓦礫に隠れもしない。逃げ場を探しすらしないのか、こいつは。

(やはり娘も狙うか。お見通しだよ)

 銃声は尚も続いた。見えない障害物をまさぐるように、拳銃弾と思しき衝撃が『鏡』に三発四発と打ち付けられる。銃弾の銀毒で押し切るつもりだろうか?

 ただでさえ煙幕は拡散してゆく。

 発砲の度に舞う火花のせいで、内から弾に貫かれた煙幕の穴が照らし出される。

(射手の位置まで丸分かりだ!)


――次回、第8話『確かめるための手榴弾』

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