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神ヒト血鬼~たった一人の最後の人間《レスタト》~  作者: HibinaJestzona(火雛じぇすとーな)
第1章『最後の人間』
8/12

第6話『最終安全装置』

当ページの

文字数(空白・改行含まない):11659字

行数:268

400字詰め原稿用紙:約30枚

 

 


  ◆


アーキテクトの手記 No.970「最終安全装置」


 先刻。魔王から提示されていた交換条件のうち、長らく後回しにされていた最後の一つをようやく仕上げた。

 やはりギリギリまで躊躇(ためら)われた。あまりにもリスクが高い。どんな異常事態のトリガーになるか、全く予想がつかない。

 なにせ我々の世界がここまで壊れてしまった原因そのものだ。それを最後の手段として運用しようというのだ。人類は何も学ばなかった、と批判されても反論の余地がない。

 いっそ私の独断で、契約を反故にした方が希望があったのではないだろうか? 私は決断を誤ったかもしれない。純血種計画を含む往年の決死の試みを、その一切合切を、あの不協和音ひとつが台無しにするかもしれない。


 とはいえ我々は、魔王の手を既に借りすぎている。この禁じ手から生まれた彼の手を。


 私の改竄作業に不手際が無ければ、コフィン・シティの結界式が起動してから「なんの成果も無く」一万年が経過せんとした頃、その寸前に、一人の特殊な吸血鬼が現れるはずだ。

 男か女か、どんな生まれ方をするか見当もつかないが、とにかく存在すべきでない末裔の子、最後の希望が。


 とはいえ、やはり危険すぎる。

 例えばその吸血鬼は、純血種の存在位置を感知できる。


 この特性は、純血種とある程度離れている状況でのみ発動し、充分に近付けば機能しなくなる。あくまでも純血種に「発見される」ための能力だからだ。末裔の子が純血種を探し、近付き、見失う頃には、逆に純血種の方から忍び寄るだろう。敢えてそのように制限を付けた。

 それでもやはり、「純血種を探知できる吸血鬼が生まれてくる可能性」を彼らの運命に組み込んでしまったことになる。一万年の間に、なんらかの要因で結界式が汚染されるようなことでもあれば、純血種と吸血鬼の危ういパワーバランスが根底から崩れてしまう。


 滅びを撤回するために、我々はあらゆる罪を、新たに犯す。

 積み上がった罪科を(あがな)うことよりも、命を絶やさぬことが優先だからだ。


 しかし、そのためにあらゆる手立てを打って、ことごとく失敗してきたせいで、我々は多くのものを失った。言わば「最期」を失ってきた。遺言を述べる機会、静かに眠りに就く機会、なんの益体も無い戯言(たわごと)を吐く機会。

 また同じ喪失を繰り返すかもしれない。

 そして今度こそ、取り返しがつかない。

 純血種は、言わば残された人類の総意による益体も無い遺言だ。あるいは意義深き戯言だ。

 その遺言書を危険な雨風にさらしてまでも、滅びを撤回できる可能性をあと一%増やす。

 私が今夜犯したのは、そんな罪だ。


  ◆


 深夜、旧『冥穹領(めいきゅうりょう)』――すなわち砂の廃墟にて。

「どうした、その岩盤がどうかしたのか?」

 白いスーツ姿に、金色の髪と瞳が美しいヴァンパイア。貴族レクィスの声だった。

「何か感じるのか? 僕には、ただの瓦礫としか思えないが」

「べたべたと触りおって。何か埋まっていると……」

「……おい、今なんで岩に抱き付いた。抱き付いたな? 僕の見間違いか?」

「今度はそっちの岩か。隣のはもういいのか?」

「だからなんでへばり付くんだ! 服が砂塗れだぞお前! 何をしたいのか言え!」

「…………ひょっとして、その岩を登って越えようと……しているんじゃあないだろうな?」

「お前、まさか五メートルの岩を越えられない……のか」

「銀の粉塵でも吸い込んだか? 違う? いつも通り? 気でも狂ったのか! もういい!」

「運んでやる、乗れ。……ああわかった、ゆっくりと運んでやる」

「こんなに取り乱したのは久しぶりだよ。下らないことで、という意味なら初めてかもな」

 ――以上が。

 名乗らぬ少女を伴ってついに始めた『純血種』探索の冒頭、レクィスが少女に浴びせた言葉の数々である。


  ◆


 眼鏡をかけた修道服の少女が針路を示し、白スーツの貴族が手段を提供することで行われた空路の移動は、実時間にして三~四分ほどで終了し、二人を砂の地面に降ろした。

 それは貴族レクィスにとって、単に目的地が近かったことを意味した。何せ足場を気にしなければ数度の跳躍で「踏破」できそうな距離だ。ざっと二キロ前後か。わざわざ低速で移動したのは、同行する少女の無事を考慮したために他ならない。

 だが少女ヤサヤに言わせれば、その距離をシートベルトも椅子も心の準備も無い状況で、隙間風と慣性に振り回されながら空輸されたことになる。


 街路を埋めた砂層の表面に降ろされたヤサヤが、まず口を利けるようになるまで、まず二分。

 立って歩ける程度に回復するまで、更に一〇分の時間を要した。


 かくして、東に遠ざかったという気配を求めて二人が徒歩の探索行を始めたのは、日付が十二月四日に移ってようやくのことだった――見えない足場の上にぺたんと座って、再び“運ばれる”身となった少女の懐中時計を信じればだが。

 貴族レクィスは、時刻に興味を示さなかった。ただ無言で時計をしまう少女へ、歩きながら肩越しに声を掛ける。

「なんだ、落ち込んでいるのか? 言っておくが砂を被ったのは自業自得だぞ。さっさと『壁を登れません』『運んで下さい』と言えばよかったものを、意固地になるからだ」

「……はい」

「ああ成程。砂塗れになったことより、壁ひとつ越えられなかったことが情けないのか。こう言ってはなんだが、今更ではないのか? 僕と遭遇しなかったら、自力でこの廃墟をよちよち歩きして、殺人鬼を探すつもりだったんだろう。廃墟(ここ)へ来る前にも賤民の警官どもに捕縛されかけていたし、無謀というより目算が雑すぎるぞ、お前」

「……はい」

 少女の返事は、精根尽きた弱々しさを通り越して、まるっきり上の空に近かった。


 現在、二人は月夜の無人街を、概ね東を目指して進んでいる。


 概ねとしか言えないのは、この廃墟は低所ほど砂で埋まっているせいでまず道が無く、砂の上を強引に歩こうとしても、建築物やら砂に刺さった道路やらで迂回を強いられるせいだ。

 貴族レクィスが先導して砂上を歩く。ヤサヤは彼が制御している(としか思えない)不可視物体の上に座って、彼の後ろ姿や周囲を観察するだけになっていた。

 見えない足場はやはり硝子(ガラス)や大理石の感触に近い、真っ平らな平面で、どういう理屈か砂塵がほとんど積もらない。ヤサヤが(砂塗れの)修道服を払えば一時的に砂が載るのだが、その砂はすぐ空気に乗って、不可視の足場から離れていくのだった。結果、どれだけ砂風を浴びても輪郭を表さない。

 ガラスよりも透明で、摩擦が強いのに滑らかで、叩いても振動しない頑丈な材質。聞いたことも読んだことも無い。貴族領の錬金術で作ったものだろうか?

 おそらく同じような不可視物体が他にも幾つか、レクィスとヤサヤの周囲に浮いているはずだが――レクィス自身の存在感と一体化しているようで、ヤサヤには探せる気がしなかった。

 右を向いても左を向いても、傾いた廃屋と廃ビルが代わり映えせず月明りを浴びているだけ。その景色は白スーツ氏の歩く速度に応じて、ほんの少しずつしか変わってくれない。

 つまりヤサヤが負担に感じない、ごく普通の徒歩の速度で、街中にできた闇と砂の地面をのんびりと歩いている訳である。廃ビルや障害物の隙間、あるいは道ならぬ斜面を。


 その間、ヤサヤはずっと前方に耳を澄ませていた。

 白スーツの背中に対してではない。もっと別の、針路上の遙か前方から聞こえる、別の――


「おい。このまま真っ直ぐでいいのか? 距離はどうだ?」

 歩きながら、振り返らずレクィスが言った。ヤサヤは我に返り、取り乱さずに言葉を返す。

「方角はあってます。でも距離が……おかしいというか」

「相手は去って行く。我々は追っている。引き離されてもよさそうなものだが、逆に距離は狭まりつつある。そんなところか」

「……なんで、わかるんですか?」

「予想しただけだ。見通しが悪いとはいえ、前方に動く影が全く見えない。おそらく向こうも地表をのろくさ歩いているんだろうが、それだけが理由ではないな。要するに、逃げ切るつもりが無いのだろう。わざと遅く逃げて、追いつかれようとしてくれている――とすれば、嬉しい限りじゃないか?」

 ドクン。

 美しい男の声に、恍惚げな響きが混ざった瞬間。貴族レクィスの気配が、ちょうど心拍一回分の僅かな間だけ膨れ上がった。

「ようやくだ。遂に始まる。始めることが出来る。奴の血を手に入れれば……」

 ヤサヤは彼の数メートル後方に位置していたが、それでも一瞬、まるで彼の体内に取り込まれたような感覚を味わった。

 拍動の波が引いてからも、全てが完全に元通りにはならなかった。白スーツをまとった細い体躯と周囲のごく狭い範囲に、人体には大きすぎる規模の生命力が充溢して、滞留する。

 数十人の平民ヴァンパイアの血を、ひとりの体に圧縮して詰め込んだような存在感。

 それとも数百人分だろうか?

 やはり若い男の姿などは幻術の類で、本当は全く違う姿形であるように思えてならないが。それでも、彼が砂に刻む足跡はむしろ人ひとり分の体重さえうかがわせないし、砂を踏む音の代わりに軽やかな木床の靴音が聞こえてくるような錯覚と、常にヤサヤは戦わねばならない。

 そして、声は穏やかで涼しげなのだ。決して錯覚ではなく。


 どくん。


 また圧迫感が押し寄せた。意に介さず、レクィスは呟き続けている。

「このまま進むと、(デコイ)の密集地帯からは微妙に逸れそうだな。てっきりそちらへ誘導されると思ったが。まあどちらでもいいさ」

 どくん。

 また圧迫感。だが妙だ。もうレクィスの気配は脈打っていないのだ。

 どくん。

「おそらく相手は、急に正確に位置を追跡されるようになったので、僕というよりは今夜初めて探索に加わった小娘、お前の方を――」

 どくん。

「だからもし仮に、ここで僕とお前が別行動をとったら、狙われるのは――」

 どくん。

「といっても相手が本当に純血種なら、我々ヴァンパイアの気配を直に知覚することはできないはずだから――」

 どくん。

「おそらく彼我の距離を測るための、なんらかの手段を純血種が持っているか、あるいは僕とお前がそれぞれ間抜けで、見当違いの別の何者かを追いかけているという線も――」

 どくん。

「おい、小娘?」

 どくん。


  ◆


 意識が途切れたわけではない。見えない床の上で少女は倒れた。その自覚だけはあった。

 白スーツの貴族は動じず、意外そうだが平静なまま、幾ばくかの言葉を少女に投げてから、おそらく針路を少しだけ変えて移動を続けた。

 不可視の足場の上で、砂風を感じながら、ヤサヤはただ倒れていた。

 意識は有ったが、体を動かすことも思考することもできず、貴族の言葉も聞き取れず――

 全く別の声だけを、ヤサヤは聞いた気がした。

「あーあ、言わんこっちゃない。もう戻れないよ?」

 子供っぽいヤサヤの声。一人でいる時によく聞く、別人格の幻の声と口調だった。

「もう引き返せないわ。ここから先どう転んでも、元の日々には戻れない。あれ以上の平穏なんて、私たちには望みようが無かったのに」

 大人っぽいヤサヤの声。酒場の情報屋として強面の客と会うときは、決まって彼女に担当してもらっていた。

「一緒に居た彼のせいではないわ。彼はあなたを気遣っているもの。倒れたのは全く別の理由。『あの子』に近付きすぎたせいよ。出会うことが確定したから、あなたはそれを感じたの」

 これは――幼い声。口調や語気の問題ではない。

 もっと根本的に幼い、子供の声だった。幼少期の自分のような、あるいは別人のような。

「知ってる? 吸血鬼は本来、家主の招待無しには、その人の家に入ってはいけないの。許可無くして境界を越えられないの。あなたはたった今、“誰からも許されない分岐点を越えた”。誰にも許可を下せないし、誰にも禁じる資格の無い、大切な岐路。だから倒れてしまったけれど、罰が下ったわけでもない。それだけ、わかっておいて欲しかったの」

 誰かの小さな手が、微かにヤサヤの髪を撫でた。その指が離れると、声も遠ざかってゆく。

「あなたは間違っていない。あなたは自由。“あの子”が自由であるように――」

 聞いたはずの声も、聞き取れたはずの言葉も、理解できなかったという記憶も、遠ざかってゆく。


  ◆


 目を覚ます――というよりは、熱に浮かされた状態から我を取り戻した時。ヤサヤは比較的しっかりと形を保った廃建築の中に居た。

 三階建て以上の建物。最下階ではない。天井の裂け目から、更なる上階の天井が見える。その天井にも、やはり大きな亀裂が走っている。

 側面の近い位置で壁が一箇所、ヤサヤの背丈以上の大穴を開けていた。建物本来の出入口ではない。壁が崩れて、人が出入りできるほどの穴が開いただけだ。とはいえその大穴を通じて、ヤサヤの居るフロアと屋外の砂の地表が地続きになっている。事実上の出入口と言えるだろう。


 ヤサヤも、この壁穴から運び込まれたに違いない。

 運び込んだ者は――


「落ち着いたか。持ち直したということは、結界の外で体力が尽きた状態とは違うな」

「……私、ここは一体……あ」

 見上げた先に、貴族レクィスが居た。

 彼が立っているのは、ヤサヤの居場所より一つ上の階の床だ。当然ヤサヤにとっての天井、レクィスにとっての床が大きく欠けているからこそ姿が見える。ほとんど二層吹き抜けのような有様だったし、もうワンフロア上の天井すら欠損だらけだ。

 ヤサヤが「あ」と反応した対象は、レクィスではなく、彼の白手袋ごしの掌中に収まる小瓶(バイアル)だった。中には黒い固形物が入っており、やはり鉄錆びのような泥水のような臭いを放つ。

 レクィスが(デコイ)と呼んでいた代物だ。

「この瓶のことなら、上の階に転がっていたぞ。僕らの進んでいた針路沿いに、これの密集する場所があったのを憶えているか? お前があーだのうーだの呻いている間に、そこまで移動して、とりあえず『掃除』をしておいた。これが最後の一瓶だ」

「私、……どういう状態だった……んでしょうか」

「不慣れな感覚の使いすぎではないか? 外界で倒れるといえば、真っ先に思い付くのは体力の消耗と枯渇だが、それなら(コフィン)の結界に戻るまで回復すまい。時間経過と共に消耗を続けて、ますます悪化するはずだ。脱力などは感じるか?」

「……いいえ。わっ?」

 頭を振り、次に立ち上がろうとしたヤサヤだが、足場が急に傾いて“浮いた”。

 どうやら意識不明の間もずっと、不可視物体の上に居たらしい。今、その足場が跳ねて、ヤサヤは立ち退きを余儀なくされた。

 半メートルほど落下しつつ、かろうじて建物の床に無事、着地するが。あやうく転んで、また砂を引っ被るところだった。一応、周囲の床に裂け目は無い。

「い、いきなりなんで――」すか、と言おうとした少女の頭上を、小さい何かが飛んでいった。

 レクィスが投げた小瓶だ。

 カツン! カラカラ……。それは離れた位置の壁にぶつかって床を転がり、

 突如ぼうっ――と炎に包まれる。

「きゃっ!?」

「ふん、やはり発火は苦手だな。可燃物なしに炎だけ(おこ)すというイメージがまとまらん。自分でも胡散臭いと感じてしまうせいだな。化学的におかしいだろう、などと考えてしまう」

 彼がしみじみと、そんな独り言を終える頃には、炎はとっくに消失していた。

 それでも火力は充分だったようで、後には床の一部が炭化して、新しい穴が出来ていた。黒い染みがジュウウと音を立てて(くすぶ)り、細い煙が立ち上る。瓶らしき形状は見当たらない。


 立ち上る煙が、不自然に動いた。右に吹かれ、左に吹かれ。


 風切り音と形容するにはまだ足りない、微かな空気の振動が、穴だらけの屋内を旋回している。何処とは言えないが、あの不可視物体が屋内に複数、浮いて巡っているのだと察した。

 天井が欠けていることを差し引いても、天井から床まで四メートルほどはあった。瓦礫だらけでゴチャゴチャしているが、床は広く、部屋ごとを区切る壁も見当たらない。全フロアが同じだとすれば、かなり広々とした間取りだ。

 住宅家屋ではない。元は倉庫、あるいはデパートか?

 どちらにせよ、今はレクィスの得物が滞空巡回している。彼なりの警戒態勢だろう。


 間もなくここが戦場になる、と言わんばかりだ。


「移動は終わりだ。あとはここで待つ」

 ヤサヤが予期した通りのことを、レクィスは言った。ヤサヤは驚かず慎重に、慎重に問う。

「……どういう……ことですか? こちらから探さなくていいんですか?」

「倒れた理由については、仮説しか無いようだからな。出歩いて、また倒れられては面倒だ」

「確かにそうかもしれませんけど。でも……――、っ?」

 問い返すための言葉を紡ぐはずだったが。何かが少女の思考を妨害し、中断させた。

 不審な物音を聞いたという仕草で、まずは何も無い壁の方へ振り返る。更に、音源を探すかのようにキョロキョロと周囲の瓦礫を見回すこと数秒。

 なのに彼女は結局、その動作からなんの成果もうかがわせることなく、ただ俯いて黙ってしまった。戸惑いげな思案顔さえ、さっと無表情に取って代えてしまう。

 なんだ、どうかしたのか、と――レクィスは敢えて問わなかった。

 今、少女は何事かを察知したのだろう。レクィスに気付かれたくない、なんらかの異変を。

そこまで見当をつけた上で、彼は素知らぬフリに徹した。説明を再開する。

「先刻にも言ったことだがな。我々の追跡相手はわざと遅く逃げて、追いつかれようとしていた。やる気になってくれたものと僕は判断する。ここは奴が一度は検分済みの場所だし、僕にとっても戦いやすい。ここで時間を潰して、せいぜい隙を見せておけば、向こうから忍び寄ってくれるはずだ」

「……時間を潰して、夜明けまで誰も来なかったら?」

「来るさ。純血種からすれば、僕が今後、お前を連れてくる保証が無い。今夜中に仕掛けてくるはずだ。お前のお陰だよ、小娘。予想以上に役立ってくれた。褒美と言ってはなんだが、暇潰しのついでだ、何か話題があれば付き合ってやるぞ? 訊きたいことがあれば遠慮せず訊くといい」

 レクィスはその場に腰を下ろした。つまり欠損だらけの床の縁で、片足だけをぶら下げるようにして、スーツ姿のまま座ったのだ。純白の生地が汚れるのではないかと思ったが、これだけ廃墟に長居しても全く綺麗なままだし(金の短髪もサラサラ、ツヤツヤのままだ)、座っても汚れる心配は無いのかも知れない。


 そんな彼の後方でも、廃デパート(?)の壁は大きく裂けて、夜空を覗かせていた。


 星空が見える。こんなに綺麗に見えるのは、おそらく廃墟では珍しい。

 そして、いかに光景が穏やかで、彼の姿勢がくつろいでいようと、勘違いしてはならない。

 風切り音が強くなった。依然、あれが幾つか周囲を飛び巡っている。涼しい顔をして、彼は常に周囲を警戒しているのだ。

「……本当に……あとはここで待つ、だけですか」

「不安か? 無理もない。お前の案内を、僕があまりに信用しきっているからな。お前からすれば不気味だろう。だがほれ、もう燃やしてしまったが」

 言いながら彼が指差したのは、例の小瓶(バイアル)を焼却して出来た、黒い床の穴だ。

(それ)を探知する精度において、お前は僕を確かに凌いでいた。そこは間違いないさ。お前は確かに、僕にはわからないなんらかの手掛かりを感知できている。お前が今も“感じる”なら確かに何かが廃墟に居るのだろうし、東に居ると言えば東に行くさ」

「でも例えば、私が嘘の案内をする可能性だって有るんじゃあ」

「僕がそれを見抜けないマヌケである可能性か? 考慮した方がいいか?」

 意地の悪い笑みを一瞬だけ挟んで、彼はすぐ穏やかな表情に戻った。

「まあ強いて言うならば、だ。お前が探知しているのが一体なんの気配なのか、何者の何なのかを、どうせお前自身がわかっていないだろう。そこは懸念材料だな」

「……それ、致命的じゃないですか?」

「お前が言うか。はっはっは、お前がそれを言うか……良し。そうだな、閃いたぞ」

「そう言われると、嫌な予感がしますけど」

 はっはっは、とレクィスはまた笑う。

 どうもこの白スーツの貴族は(幾つかの地雷(タブー)を除けばの話だが)、ヤサヤが楯突くような口を利けば逆に機嫌が良くなる傾向があった。

 性格だろうか。それとも反抗されることが珍しいのだろうか。

「小娘よ。お前の方から話題が出ないなら、僕が面白い話を聞かせてやろう。僕はお前の素性を詮索しない契約だからな。抵触せんように、かなり古い話だ。歴史の話だ」

「……歴史の話が、面白い話ですか?」

「哀しいことを言うなよ。教養の原点にして秘奥だぞ? しかもとことん昔、創成期以前の話だ。平民街では当時の文献の所蔵さえ許されまい。それを紐解く許しを得るために、街の賤民どもがどれだけ血眼になって学業を修め、作法を学び、財を投げて、貴族領に迎えられるための競争をすることやら。晴れて貴族領民になってからも、険しい道程にどれだけの辛酸を嘗め、諦めることやら。そういえば作法を学ばせるための教育機関が街にあって、そこでは修道女の身なりが制服になっているというが、ひょっとしてお前が着ているのは――いや、今のは忘れろ。ビクリとするな。そういう些細な反応でも、お前の素性を推理する手掛かりになってしまうんだぞ。僕を契約破りの外道にするつもりか。今は古代の話だ。そう」

 彼は親指を立てて、己の遙か後方に向けた。建物の穴から覗く屋外、夜空を指差して。

「人類が空を支配し、宇宙を開拓していた頃の話だ。宇宙という言葉はわかるか?」

「それは……わかります」

 少し躊躇いがちに、ヤサヤは頷いた。

 知識に自信が無かったからではない。宇宙や天体といった知識を、平民街の住民は知っていていいのだろうか? それを咄嗟に判断しかねたからだ。

「よろしい。さて――」だがレクィスは気にしなかった。

 そして美しい声質をめいっぱい活かしつつ、語り始めた。


  ◆


「よろしい。さて当時の文献を読むにあたって、貴族領の司書見習いが真っ先に教わり、戸惑うことがある。それは当時の人類のおそらく大多数が、太陽の光を恐れていなかったということだ。つまり『陽光の下を歩く者(デイウォーカー)』だな。御伽噺(おとぎばなし)の架空の存在ではなかったわけだ」


「デイウォーカーたちは屋外で、しかも昼間(デツド・タイム)に自由に活動できた。コフィン・シティを作ったのも当時のデイウォーカーたちだ。彼らが居なくなってからも、しばらくの間は、(コフィン)の補修手段が有ったそうだが――やはり我々、日射しを浴びて屍灰(しはい)と化す我々だけでは、当時から不完全だった」


「今やコフィン・シティの外装は手付かずの野晒しだな。もし老朽化が度を超えて、壁や天井が壊れてしまったら――この『冥穹領(めいきゆうりよう)』のようになるわけだ。ちなみに知っていてもおかしくないが、『冥穹領』とは、この砂の廃墟がかつて真っ当な都市であった頃の名前だ。天井が有った頃だな」


「ついでにもうひとつ確認しておくと、創成期以前の世界には、デイウォーカーと我々の二者が存在し、対立していた」


「圧倒的多数を誇るデイウォーカーたちは、我々をヴァンパイアと呼んでいた。これは当時、人類を意味する言葉ではなかった。むしろ非人類を指す言葉だった。デイウォーカーたちは、人数比にして百万分の一に満たなかったヴァンパイアを、非人類どころか非生物・非生命と見做(みな)していたらしい。そしてそれは、あながち間違いではなかったようだ」


「当時、生命の意味や在り方は今世と何か違っていた……と、思われる。この辺りから、僕にとっても曖昧になってくる」


「彼らの文明の灯火が絶えた時期は約一万年前。創世記と合致する。それは間違いない。当時、創世記であやふやに語られるところの『大異変』があった。創世記は、旧人類つまりデイウォーカーと、現人類ヴァンパイアを混同している。その上で『大異変が世界を襲った』『人類が滅亡に瀕した』などと語っているな。実際には、世界や生命の在り方が引っ繰り返る何かが起きて、その結果として旧人類が滅び、現人類が残った。というより、我々こそが人類となって、旧人類の文明を継承した」


「ひょっとすると、大異変とはヴァンパイアが仕掛けた特殊な攻撃であり、それでデイウォーカーが滅びた、というオチなのかもな。奴らを倒して文明を奪い取りました、めでたしめでたし、という具合にだ」


 滔々(とうとう)と。声と口調の美しさのお陰で、まるで演劇中の、語り部役が語る長台詞のように、彼は優美にそこまでを語り終えた。

 しばしの沈黙。レクィスはヤサヤの反応を急かさない。彼はヤサヤに視線を向けていなかった。ヤサヤに頭の中を整理させるために、小休止をとったのかもしれない。

 彼は座る向きを変えて、天井の亀裂からもっと上を眺めていた。そして呟く。

「奇襲しやすいように、隙を晒した状態で時間を潰したいが。それはそれで難しいな。お前が真っ先に狙われる可能性が高すぎる。契約完遂後に素性を問い(ただ)したい僕としては、お前の護衛を疎かにするわけにもいかん」

「……話は、今ので終わりなんですか?」

「なんだ、やはり興味を持ったじゃないか。歴史の話も面白いだろう?」

「そうじゃなくて……創世記の話、真相はわからずじまいなんですか?」

「残念ながらな。賤民どもはどうやら、事実をぼかした比喩だらけの、平民街向けの創世記とは別に、真実を語り尽くした貴族向け創世記がある――と噂しているらしいが。そんな都合の良いモノは無い。真相は僕も『まだ調べている最中』でね。まあ他にもわかっていることは幾つかあるが。例えば我々はデイウォーカーのことを、主にニンゲンと呼んでいたらしい。逆にデイウォーカーは、我々のことを実に様々な呼び名で呼んでいた。ヴァンパイア、ナイトウォーカー、アンデッド、ドラクル、ノーライフキング、貴種、異種、吸血種、吸血鬼」

「……吸血鬼?」

「血を(すす)る化け物。ヴァンパイアと同じ意味らしいぞ。デイウォーカーには、他人の血を飲むという習性が無かったのだ。ちなみにニンゲンと人類も、元はほぼ同義語だった」

「吸血鬼……ニンゲン……」

 ふいに痛みが走った気がして、ヤサヤは片手で頭に触れた。

「何処かで聞いたような気が……」

「隠さず口にするということは、それはお前の素性や秘密とは関係無いようだな? だが迂闊だ。お前が何を知っていて、何を知らず、何を誤解しているか。そういう些細な断片からでも、お前の素性はじわじわ絞り込まれていく――かもしれないんだからな。契約を思い出せ。ひとつ、お前は僕の探索を手伝う。ふたつ、僕はお前を探索に同行させる。そしてみっつ、探索中に僕はお前の素性を詮索しない、だ」

「……はい」忘れたわけではないが。

 釈然としない思いでヤサヤが返事したことを、察したのだろう。レクィスはフッと笑った。

「気にしすぎか? こんな推理は『詮索』とは呼ばないか? 馬鹿げていると思うか? しかし、僕は誓いや契約といった概念に拘りたいんだよ。大昔の我々がそうだったからだ。文献に載っていた。かつて我々は、契約にだけは絶対に逆らえない存在だった――契約と誓いと血は、我々にとって同義であり、即ち我々そのものだった。そして今の我々よりも強大だった」

「……エインシェント・ヴァンパイアという人たちのことですか」


 古代の(エインシェント・)ヴァンパイア。創世記を綴ったという貴族の頂点。最古参、最長老たち。


 それはつまり、創世記よりも(ふる)い時代から存在し、大異変とやらを実体験して、その後も数千年を(ながら)えてきたことを意味する。

 平民街でも名前だけは知られていた。だが正直、実在するとは思われていない。デイウォーカーやヴァンパイアハーフ(ダンピール)と同じで、架空の存在だと思っている人が大多数だった。

「人たち? あれを『人たち』と表すのか? はっはっ……確かに『奴ら』は最も長命で、強大で、ともすれば不滅だが、不変ではない。奴らでさえ衰えたさ。我々の命の源であるデイウォーカーが、地上から絶えたんだからな。デイウォーカーの血を最後に飲んでから、もう一万年が経とうとしている。当時の神威を保っていられるわけがない」

「………………デイウォーカーの、血?」

「当時の呼び方に(なら)うとしようか。つまり『ニンゲンの血』だ。創成期以前の時代、我々はニンゲンの血を吸って、血を飲んで生きていた。それが唯一の生存手段だった」

 白手袋を填めたままの手で、彼はあるジェスチャーをした。

 実在しないワイングラスを持ち、中の液体を愛でるようにゆっくり(くゆ)らせる仕草だったが、ヤサヤが見当を付けるや否や、彼はその手をぱっと開いた。

 ジェスチャーをやめたのか、あるいは酒杯を地に捨てたのか。ヤサヤは判断しかねた。

「唯一の生存手段。その大原則は、今も変わらない。だから僕はここに来たのさ」


――#6『最終安全装置』終

  

  

  ◆次回◆


 彼は親指を立てて、己の遙か後方に向けた。建物の穴から覗く屋外、夜空を指差して。

「人類が空を支配し、宇宙を開拓していた頃の話だ。宇宙という言葉はわかるか?」

「それは……わかります」

 少し躊躇いがちに、ヤサヤは頷いた。

 知識に自信が無かったからではない。宇宙や天体といった知識を、平民街の住民は知っていていいのだろうか? それを咄嗟に判断しかねたからだ。

「よろしい」だがレクィスは気にしなかった。「さて当時の文献を読むにあたって、貴族領の司書見習いが真っ先に教わり、戸惑うことがある。それは当時の人類のおそらく大半が、太陽の光を恐れていなかったということだ。つまり『陽光の下を歩く者』だな。御伽噺の架空の存在ではなかったわけだ。彼らは屋外で、しかも昼間に自由に活動できた。コフィン・シティを作ったのも当時のデイウォーカーたちだ。彼らが居なくなってからも、しばらくの間は――


――次回、第7話『無謀に敬意を払うということ』

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