第5話『悪竜公の視点より』
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アーキテクトの手記 No.250「神権世紀の吸血鬼」
人類史という名の遺書は、壮大にして美しい。
最終章を著し終えつつある今、はっきりとそう思う。
その文字は殺し殺された人間の血で染筆され、その頁は一瞬たりとも途切れなかった争いの糸で綴じられているが、そういった醜さを我々以外の誰が肯定してやれるというのか?
おそらく、吸血鬼たちには不可能だろう。何故なら、人類滅亡後の吸血鬼文明は、全く違う安定した書を綴ることになるからだ。
ただし、それは人類が夢に見た、平和と平等を理性で勝ち取るユートピアなどではない。
むしろ時代を逆行する。
吸血鬼文明は、「同等な生物」の群れたる人類には使いこなせなかった、遠い時代の神権政治に近い形をとり、かつ安定する。その絶対主義を否定できる者はいない。
持てる者と持たざる者が。
支配する者とされる者が。
絶対的に優れた者と、絶対的に劣った者が。彼らの世界では明確に区別できるからだ。
彼らの世界における「貴族」とは、契約や争いの結果として築かれた地位ではなく、生来の優越者の血族を意味する。
かつてより吸血鬼には主と従の別があった。しかし貴族と平民の関係は、それとは別の概念である。古の血の主従は転化経緯に基づく契約であり、逆吸血による清算が可能だった。貴族と平民の関係は、むしろ吸血鬼と使い魔の関係に近い。
貴族は、コフィン・シティの地下領域から地上平民街を統治するはずだ。特に強力な貴族は、領主として結界の維持を担当する。エインシェント・ヴァンパイアはほぼ全て領主の任を負うことだろう。
結界の機能には〈プライム〉の循環管理も含まれており、無価値と判定された者への供給を絶つことも(この仕組みは「樹化」と呼ばれることになりそうだ。別途後述とする)、人口調節のために平民の出生率や寿命を変えることも領主の手の内である。
直接相対した場合にも、貴族と平民の上下は絶対的だ。
体の性能、再生能力、生命容量、発現できる『式』の規模――平民に太刀打ちできる分野は一つもない。稀に現れるであろう例外的に強力な平民でも、金の魔眼への抵抗力までは生得のしようがなく、直視の瞬間から意識を手放し、生殺与奪を明け渡してしまう。
その圧倒的な支配関係ゆえに、共存すれば平民はことごとく人形と化す。事実上、共存不能だ。この現実は地下の貴族領と地上の平民街を完全に隔絶するには充分であり、貴族への畏れと、そして神格化を更に助長するはずだ。
仮にもし、吸血鬼の世界において貴族統治に反旗を翻す者が現れるとすれば、それは余程の狂人か、純血種か、あるいは我々の全く予知しないイレギュラーと考えるべきである。
そう断言できるほどの差があればこそ、吸血鬼文明は最低でも数千年の星霜を生き存えることができるのだ。
貴族という名の現人神による、前時代的な神権のユートピアとして。
◆
何故警官たちを殺したのか? といえば、捕まった眼鏡娘にいろいろ尋ねる上で、単に邪魔だったからだ。
あとは、「狩り」というモノを愉しむためか。
創成期以前の文献に、狩猟は貴人の嗜みだとする記述を見たことがあった。理解しがたい反面、獲物が弱くてもそれなりに興が乗るのは確かだった。
そして、娘の方は何故殺さずに話しかけたのか? といえば、殺人鬼の居所を尋ねるため――ではなかった。
警官とのやりとりを盗み聞きした限り、娘は殺人鬼の居所をおそらく知らない。仲間でもないはずだ。
なのに、それ以外の何かを知っているか、あるいはそのつもりで確信している。
殺さなかったのは、それを確かめるためだ。
「なんだろうな? お前は。結局、純血種の居所を知っているのか?」
「……え?」
「純血種、だ。賤民の警官どもに疑われていただろう。奴の仲間なのか、違うのか?」
白スーツを着た若き貴族吸血鬼はそこで言葉を句切り、自分が心得違いをしていたことに気付いた。相手の反応がおかしかったためだ。
娘は純血種という言葉を知らない。
ということは、貴族領側の者ではないということだ。
例えば、純血種の情報を探るべく何処ぞの貴族領から派遣された偵察員――ではない。
この時点で彼にとって、娘は全く正体不明のモノと化した。
そもそもこの眼鏡娘は本当に平民か?
娘の瞳は確かに赤い。平民の色だ。しかし貴族の金の視線に平然と耐えている。
かと思えば、数分前に折ったらしい片腕を、未だに無事な方で庇っている。痛みはだいぶ引いたようだが、たかが骨折。平民にしても治癒が遅すぎるのではないか?
娘の気配――つまり感じ取れる生命規模は小さい。平民相応だ。しかし安酒の匂いではない。小さな瓶に美酒がほんの一滴だけ入っているような、そんな小ささだ。こういう平民も居るのだろうか? それなりの富裕層の血統なら、ありうるのか?
他の平民の意識を視線で乗っ取ることも、可能らしい。それだけ聞くとまるで貴族だ。
眼鏡をかけている平民というのも、初めて見た。
模造品ではない。きちんとした彫金師が仕立てた、貴族領に納品されるような工芸品だ。ということはなんらかの『式』がかかっているかもしれない。何も感じないが。
ひょっとすると眼鏡がなんらかの拘束具で、それを外せば娘の瞳は金色になるのか――?
いや、だからといって生命容量や生命規模まで欺けるわけがない――
そこまで考えて、白スーツの貴族は「答えを急ぐ」ことをやめた。
だから次のような試練を課したわけだ。
「禁じてやろう。ひとつ、僕に正体を明かすな。素性を秘したまま、慎重に振る舞え。許してやろう。ひとつ、僕に対して甘言を弄せ。僕は今夜、純血種狩りで程々に忙しい。お前のために時間を割いてやってもいいし、さっさと殺してもいいし、後回しにできるならそれが一番いい。うまく僕を欺けば、この場を切り抜けて、街に隠れる猶与も作れるだろう。うまく僕の気を惹いてみろ。この窮地を潜り抜けるために」
実のところ、多少期待外れのことを眼鏡娘が言った場合でも、許して帰してやるつもりだった。娘の気配は独特なので、平民街に逃げ込んだとしても探し出せる。
「……あ、あなたは」
「一度きりだ。僕を謀る無礼を、一度だけ許すと言った。街に帰って、昨日までと同じ日常に戻るチャンスだ。よくよく言葉を選べ、小娘」
娘はなんとか知恵を絞って、平民街に逃げようとするはずだ。貴族はそう思い込んでいた。
娘の命乞いを聞き入れて、数日後に必ずまた会うという約束をさせよう。おそらく娘は約束を破って隠れるだろうから、自分はそれを探し出すという「狩り」を後日やろう。
今のところは、あくまで純血種狩りが本分だ――
「私、は……あなたよりも、ずっと!」
そんな算段を、娘は完全に打ち砕いた。赤い両目で、眼鏡越しに真っ直ぐと貴族を見据えて、
「殺人鬼を上手に探せます!」
「……なに?」
「だから、私を連れて行くべきです。必ずお役に立てます」
白スーツの貴族は数秒、動きを止めた。我が耳を疑った。
こいつは今なんと言った? 連れて行け? 連れて行けだと?
たった今、この小娘は警官たちが惨殺され飲み尽くされる様を見ていたのではないのか?
逃がすチャンスをちらつかせてやったのに、逆に食い付いてくるなどと――
しかもその手段、言い草として、よりにもよって「自分の方が上手に探せる」とは。
不敬を理由に斬首されても仕方が無いほどの無礼だが――
そうか。そうはいかないのか。
此奴は、今このときに限っては無礼が罷り通ると計算尽くで、敢えて挑発したのか!
遅れて込み上げたのは、怒りではない。チェスゲームで妙手にまんまとしてやられた時と同じ笑いが、こらえきれず肩のあたりから溢れてくる。
「……ふっふはは……はっはっは! 言ってしまった、『無礼を許す』と言ってしまったぞ! ということは、なんだ? 無礼討ちには出来んということか! 考えたな小娘! ははっ! はははははは! ……だがな。あくまでも、許すのは不遜な物言いだけだ。役に立つという言葉が嘘だった場合は即刻、八つ裂きにして地獄に焼べてやる」
「はい」
後ろ暗さを微塵も感じさせない、毅然とした返事だった。
ということは嘘でも賭けでもなく、眼鏡娘には自信があるわけだ――殺人鬼を上手に探せるという自信が。純血種という言葉すら知らない癖に。
ますますわからない。この娘は何者で、何が目的だ?
「で? 何が望みだ。狩りに貢献する見返りとして、自分を見逃せということか? それは些か難しいな。僕は自力でも純血種を探せる。お前に何が出来るとしても、僕にとってはそこまで大きなメリットではない。せいぜい、道中の無事を保証するぐらいが……」
「充分です。殺人鬼に会うまで、私を見逃してください」
「……その後はどうなる。殺人鬼に殺されるのか? 僕に殺されるのか? 廃墟のど真ん中で夜明けを待つのか? ……お前、つまるところ自殺志願者か」
「かもしれません。でも違います」
この辺りから、白スーツの貴族は娘の正気を疑うのをやめた。
娘は狂っている。しかし思考はまともに動いている。常人なら目指すはずのないモノを目指して、ブレーキが壊れたまま稼働を続けている。
暇潰しのオモチャとしては最高の題材だが。
今の自分には純血種を狩るという最重要事項がある。
「ただし探索中は、私の素性を詮索しないで下さい。私の素性を知れば、あなたは私を見逃せなくなると思うので」
「強引な理屈だな? まあいいだろう、正体を隠せと先に言ったのは僕だ。ただし契約を交わす以上、僕の方は名乗らせてもらう」
そんな作法が本当に有っただろうか? おそらくこんな口約束を、律儀に契約と呼ぶ必要は無いのだろう。しかしこの時、貴族の男はそれなりの気構えで臨むべきだと見做していた。
娘は命がけだ。僅かとはいえ、自分を怯ませたほどに。
「レクィスだ。レクィス・エル・ランセロート。ただし、気安く呼ぶなよ」
それから二人はゲート・トンネルを東に進み、共に砂の廃墟に出た。
骨折と体力の問題で、少女がその夜に決定的な貢献をすることはなかったが、レクィスは早期に気付いていた。
娘は平民と思えないほど生命探知が鋭く、嗅覚も視覚も卓越している。
だがどれも結局のところ、レクィスよりは劣っている。
――なのに。
それ以外のなんらかの方法で、レクィスにはわからない情報を知覚している。
未知の知覚を持っている。
『私の素性を知れば、あなたは私を見逃せなくなると――』
この発言だけ、真実かどうか判断しかねた。故意に白々しく、真偽はともかく本気ではあった。どうせ信じてもらえないと思うからこそ、敢えて本当のことを言った、かもしれない。
だとすれば。
(この娘……いったい何者だ?)
捉えたのはただのついで、余興のつもりだったが。
ひょっとすると、正体のわかっている純血種よりも、この娘の方が優先すべきなのでは?
(ハッ、馬鹿馬鹿しい。純血種以上に重要な獲物など、居るわけがない。最後の――)
最後の「ニンゲン」。
一万年の眠りから目覚めた旧人類。
我々ヴァンパイアの起源にして、真の命の源。
この世界に残された、最後の「生命体」。
その血を手に入れること以上の価値が、この終焉の時代にあるはずがない。
――#5『悪竜公の視点より』終
◆次回◆
彼は親指を立てて、己の遙か後方に向けた。建物の穴から覗く屋外、夜空を指差して。
「人類が空を支配し、宇宙を開拓していた頃の話だ。宇宙という言葉はわかるか?」
「それは……わかります」
少し躊躇いがちに、ヤサヤは頷いた。
知識に自信が無かったからではない。宇宙や天体といった知識を、平民街の住民は知っていていいのだろうか? それを咄嗟に判断しかねたからだ。
「よろしい」だがレクィスは気にしなかった。「さて当時の文献を読むにあたって、貴族領の司書見習いが真っ先に教わり、戸惑うことがある。それは当時の人類のおそらく大半が、太陽の光を恐れていなかったということだ。つまり『陽光の下を歩く者』だな。御伽噺の架空の存在ではなかったわけだ。彼らは屋外で、しかも昼間に自由に活動できた。コフィン・シティを作ったのも当時のデイウォーカーたちだ。彼らが居なくなってからも、しばらくの間は――
――次回、第6話『最終安全装置』