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神ヒト血鬼~たった一人の最後の人間《レスタト》~  作者: HibinaJestzona(火雛じぇすとーな)
第1章『最後の人間』
6/12

第4話『魔女と悪竜の探索行』

当ページの

文字数(空白・改行含まない):11499字

行数:291

400字詰め原稿用紙:約29枚

 

 


『ヴァニッシャー』とは、およそ半年前から首都コフィン・シティで活動してきた重犯罪者の俗称である。

 都市間の使節団や行政官など、街の政体に関わるものを狙う。銃や刃物、または爆発物を用い、なんの声明も出さずに凶刃を奮っては当然のように追っ手を()き、日を空けては再来した。

 ただしおそらく、官公の暗殺自体は目的ではなく、手段に過ぎない。

 というのも、この殺人鬼は最初の標的を殺した後、誰かに見付かるまで、むしろ警察などの追っ手がかかるまで、現場周辺、例えば同じ建物に留まるからである。

 そして武装して駆け付けた警官や護衛官を再度奇襲で殺したところで、やっと撤収を始める。


 言わば最低一人、追っ手を返り討ちにするまでは、決して逃げない。

 たとえ警察に、増援や包囲のための時間を与えることになっても、絶対に受けて立つ。

 まるで、徹底不利の条件で戦うことこそが目的であるかのように。


 その上で切り抜けて、多くを返り討ちにしながら、首都東部へ、果ては壁外の廃墟へと転戦する。最終的には深追いした者たちを壊滅させることで、今度こそ消息を絶つ。

『消失するもの』(ヴァニツシヤー)とは単に逃げ隠れの手際を指した名ではない。追撃を試みた警官隊に幾度も逆襲を仕掛け、その度に忽然と消息を絶つ、言わば「出現と消失の妙」から定着したものだ。


 そんな狂ったスタイルの、世が世ならテロリストと呼ばれたであろう(信じがたいが、単独犯であるらしい)殺人鬼を仕留めるべく、首都公安警察が特殊部隊を編成したのが五ヶ月前。

 部隊が壊滅と再編成を繰り返しながら幾度となく廃墟に出征し、ひときわ大規模な決戦に臨んで、ついに首級を挙げぬまま致命的な機能不全に陥ったのが、約二ヶ月前のこと。


 以後、警察はもちろんのこと、殺人鬼の新たな動きも起きていない。


 聞けば最後の決戦遠征で、夜明け(デッドタイム)寸前にも撤退を拒んで最後まで『ヴァニッシャー』を深追いした警官が、少数ながら居たらしい。

 彼らが『ヴァニッシャー』と差し違えたのではないか? 『ヴァニッシャー』はとうに屍灰(しはい)と化しているのではないか? そんな説が信憑性を帯びつつあるが、まだ誰も確信はしない。


 そんな不確かな静寧の中、さる下弦の月夜。

 十二月三日がもうじき終りを告げようという頃。


 砂風が珍しくなりを潜めた旧『冥穹領(めいきゅうりょう)』の砂の廃墟に、西のコフィン外壁から、ゆっくりと現れた人影があった。


 壁からにょきりと伸びるチューブ状のトンネルは、本来ならば車道と鉄道からなる計三層の立体陸橋と連絡し、眼下の街並みへ枝を生やしながら市街中枢を目指すものだったろう。今や、多車線とおぼしき高架道路が数百メートル分、壁にこびり付いて残っているに過ぎない。

 人影はゲート・トンネルを通って西の壁から現れた。そこから高架道路の名残りを歩き、先端の崖まで辿り着いたところで移動を終えた。

 行き止まりではある。砂の無人街に降りられるような地続きの道は、無い。しかし慎重に探せば、ほんの数十メートルの落下で辿り着けるような廃建築の屋上が幾つか見つかる。赤い瞳の平民ヴァンパイアであっても、地表に降りることは充分に可能なはずだった。


 黒髪を肩まで伸ばした、妙齢の婦人――あるいは少女。表情と振る舞い次第でどちらにも成り済ませそうな、無垢清澄な麗しさを備えている。今はどちらを装う気も無いようで、無表情に佇む様は女性としての魅力よりも、脆い硝子(ガラス)工芸のそれに近い。


 修道女のような服装だが、厳密には首都上層街にある修道女学園の制服を着て、それっぽく成りすましているに過ぎない。袖口や胸元に刺繍(ししゅう)されているはずの学年章や寮章は全て外してあり、これなら大抵の界隈で「上等の修道服」としか見做(みな)されないはずだった。

 問題は、女が耳から目元に渡って着用する、微細な彫金飾りだ。

 両耳元の支点から伸びて顔正面で合流する細い金属管と、二枚のレンズで構成されている奇妙な装身具。それが「眼鏡」と呼ばれる視力矯正具であることは、それこそ修道女学園に入学するような身分でなければ知る(よし)もない。

 何処で手に入れたのか? 何故、着用しているのか?

 人目を避けて生きる者なら、そんな装身具で人目を惹いてはならないはずだが――違法な情報屋として酒場『輝銀鉱(アージェンタイト)』を出入りする際も、彼女はこの眼鏡を常に着用していた。

 二日前、ゲート・トンネルへ不法侵入した夜も同じ。

 その際の一件で、己が警察に狙われる身だと自覚したはずなのに、今夜も変わらない。

 矛盾しているような、制約の中で足掻くかのような、既に諦めているような、そんな若い女。


 アージェンタイトの魔女。

 ヤサヤである。


 彼女は高架道路の折れた崖から、南・東・北に広がる無人の街並みを幾度も見回した。

 何かを探す様子ではない。ただ見慣れない景色だから繰り返し眺めている、そんな(そぞ)ろな視線だった。

 ただし東南東の方角を見る時だけ、特定のひとつの建物に必ず焦点を合わせている。

 周辺の他の建物よりは大きく、廃墟の割に輪郭がしっかり残っているものの、所詮は廃墟にひしめく廃建築の一棟でしかない――外見上は。

 ただそれだけの建物にたっぷり数秒、幾度目かの視線を注いでから、ふいにヤサヤは視線を上げた。

 今夜は風が弱く、砂塵が薄い。

 だから二日前よりもずっと、月と星がよく見えた。

 平民・貴族を問わず、今世の人類(ヴァンパイア)にとって無縁な光景だ。それをしばし見つめたことで、無表情だったヤサヤの眼鏡越しの赤い瞳に、やっと何かが灯りかけたが――


 ずずん……という遠い音を聞いて、硝子人形に戻ってしまった。街へ視線を戻す。


 見ると、廃墟の一部から砂煙が上がっていた。先刻からヤサヤが幾度も焦点を合わせていた建物だ。風の()いだ夜だからだろう、砂煙は互いに重なるように整然と広がって、その間にも煙の中では建物が倒壊を続けているのが聞こえた。

 にもかかわらず連鎖破壊を起こした張本人は、煙を突き破って退避するまで、たっぷり二十秒近く震源地に留まっていた。

 その気になれば最初の一瞬で上空へ脱出することもできただろうに、まるで建物の倒壊に巻き込まれるぐらい苦でもなんでもないと言わんばかりに――事実、“そいつの巨大な気配”は崩落地に留まる間、足場だって崩れただろうに、全くびくともしなかった。


 そして唐突に、衝撃波をばらまきながら弾丸よろしく飛び上がったのだ。


銀煙幕弾(シルバースモーク)セット、いいな? 撃つぞ!』

『撃て! 五百メートル先に重ねろ!』

「うっ――」声が響いて、ヤサヤの脳を刺した。

 二日前、ゲートトンネルで記銘された黒い畏怖が、記憶の蓋を破って頭蓋の中に充満する。

 煙の檻を破り、煙の尾を引いて夜空へ飛翔したモノと、溢れ出した記憶の中心にあるモノは全く同じく、今夜もヤサヤに死をイメージさせる。

“それ”は空でひとまず静止し、悠々と翼を広げた。

 しかし“それ”に翼など無かったはずだ。自分は二日前に見て、既に知っているはずだ。

“それ”の尾が空を()いで、まとわりつく煙を横一閃に斬り裂いた。

 しかし“それ”に尾など無かったはずだ。それでも煙は、実際に裂けて霧散した。

「来るわ、ヤサヤ。気を付けて」

 背後から声がした。普段聞いている幻の自分の声と比べると、かなり幼いが――別人というには似すぎている、そんな声だった。

 驚きはしたが、振り向きはしない。この声を聞くのは珍しいが、初めてではなかった。それに別人格たちが何を話しかけてきても黙殺するということに、ヤサヤはよくよく慣れていた。

「彼はあなたを、いつ殺しても構わないと思ってる。私たちでは……に……ない。自分を……って……」

 急速に声は遠ざかっていった。幼き日の自分という幻は消え失せて、代わりに上空から弓なりの軌道で飛来するのは――翼も角も尻尾も持たない、白いスーツを着た並の体格の男一人だ。


 あるいは、並の体格の男に成り済ました、感じられる通りの翼竜かもしれないが。


 それが、ヤサヤの立つボロボロの陸橋に落ちてくる。羽撃(はばた)いて急降下し、砲弾のごとき勢いで陸橋の先端部へ「着弾」すれば、陸橋も彼女も無事では済むまい。

 逃げ惑う暇は無い。危機感を覚えるのがやっとの瞬時の出来事だった。

 爆発といってよい衝撃が起こった。ヤサヤの眼前でだ。

 押しのけられる空気の総量と勢いが、着地点の風を飽和させ、耳を(ろう)す。鼓膜はもはや機能せず、逃げ場を探す気圧の悲鳴が代わりに全身の肌と骨を震動させる。

 息を吐けない。目を開けられない。聴くという概念がわからなくなって、重力が消えた。確かに一瞬、体が宙に浮いたのを感じた。というより、ついに足場が崩れたのだと予感した。

 が――


  ◆


「全く、大袈裟(おおげさ)な奴め」

 次の瞬間も、数秒が過ぎても、ヤサヤの体は浮遊感と共にあり、落下は始まらなかった。

「……え?」

 薄目を開けたヤサヤが周りを見渡すより早く、何かが彼女の体を陸橋に“降ろした”。いつのまにか両肩に巻き付いていた影の触手が彼女を解放して、翼竜の気配の中心に戻っていく。


 短い、鮮やかな金髪がまず目を引いた。


 砂色の淡い闇夜の中、(すす)けるどころか(しわ)一つ無いスーツが、下ろしたてのように白い。それに袖を通した男の姿は、砂だらけの廃墟に居るとは思えないほど清潔で鮮やかすぎた。

 プラチナブロンドがとびきり似合う顔立ちは、誰でも一目で理解するほど明確な自信家のそれだ。しかし、少年っぽい顔の骨格でそんな自信を(たた)えた時には嫌でもついてくるはずの、未熟さや危なっかしさがうかがえない。

 ヤサヤが街で、酒場で見かけた自信家といえば、もっとストレスを感じさせる人種だった。この男はもっと自然体だ。ヴァンパイアとしての規模が大きすぎるせいで常に威圧感を放っているが、それを感じながらヤサヤは自覚せざるを得ない。

 物理的な、生命の危機を男から感じる。しかし心理的には逆に、安心感を得ている。

 こんな人物が実在できるのか? 衣服も顔立ちも風格も、何もかもが現実的でない。

 思えば、彼が警官らの首を()ねて、その血を■■た惨劇の直後でも、その姿は真新しい絵画のようだった。


 これでは、目で見える姿が嘘っぱちで――

 肌で感じる巨大なドラゴンの威圧感こそが真実なのだと、思いたくもなる。


 男はヤサヤを見下ろしていた。左手をズボンのポケットに入れて、右手では自身のこめかみや右眼のあたりを指差している。そんな動作ひとつとっても、そこいらの街の若者とは違って作法を学び尽くしたという片鱗(へんりん)が見受けられた。

 そして口を開いた。若いバリトン声域で、間違いなく、ここ四年間にヤサヤが聞いた誰の声より(みやび)やかだった。

「眼鏡。落ちかけているぞ」

「あっ……と、うわっ?」

 慌てて両手を顔に当て、眼鏡を探――そうとした途端、ヤサヤはバランスを崩してへたり込んだ。自分が立っているという自覚が無かった。そもそも足場に降ろされたとき、そのまま倒れなかったのが、ヤサヤにおいては奇跡のようなものだった。


 膝をついたまま眼鏡を整えて、そのまま周囲を見回す。


 陸橋は無事だった。ただし様相は変わっている。コンクリートの表面に積もっていた砂塵や石塊がすっかり無くなって、(ほうき)で丹念に掃除した後のような有様だった。

 この様相には憶えがある。二日前、ゲート・トンネルの中で突風が吹いて、銀の煙幕もろともネジやら廃車やらが吹き飛ばされた後も、地面はこんな風になっていたはずだ。

 砂だらけの廃墟の隅に、砂塵の無い空間が出来上がっていた。

 その中心に君臨する男を、ヤサヤは立ち上がって改めて見上げた。そうしてやっと違和感の正体に気付く。

 白スーツの男は、陸橋の上に立ってはいなかったのだ。地面から一メートルほどの位置に靴が有る。かといって浮遊しているようでもない。左右の靴底が揃っている。


 見えない何かが空中に有って、男はそれを足場にして立っているのだろう。


 これもやはり、記憶の浅瀬に思い当たることがあった。警官らが死んだ夜。不可視の何かが、或るときはライフル弾を阻み、また或るときは警官の体を――押し潰していた。

 その時の色彩と響きと熱を、ヤサヤは憶えている。

 そう、確かあの後、ヤサヤは男の名前を聞いたのだった。

 名前は確か――

「落ち着いたようだな」

 言って男はあからさまに靴を動かし、キュッと摩擦音を立てた。

「勢いのまま着地して、このボロ橋を粉砕すると思ったのか? これでも気は(つか)っている。今夜は警官たちにも遭遇しなかったろう」

「……役に立つまでは、私を潰さないようにですか」

「逆だよ。役に立てば立つほど、僕は報いる。契約とはそういうものだ」

 諭すような口調だ。穏やかで、興味なさげで、なのに聞き流すことを許さない凄みがある。

 言葉遣いを庶民ぽく崩したところで、生まれと育ちは隠せない、というお手本のような声だった。

 発音の区切り方、イントネーション、抑揚のバランス、感情との距離感。歌手や劇男優が一生かけて追い求める黄金律を、この声は平民なら二十代前後の声質でやってのけている。

 これが二晩前、ヤサヤの眼前で警官隊を■■■■した男の声だとは――いや、人智を超えた者の声だと思えば、(かえ)って辻褄(つじつま)が合うのかもしれない。そもそも貴族吸血鬼(ヴァンパイアロード)において、外見年齢などなんの意味も無いのだ。

「遅れたが、挨拶ぐらいしておくか? 確か無礼講なら……ごきゲンよウ……だったな? よく来てくれた。流石に腕も治ったようで何よりだ」

「…………………………………………こんばんは」

 いっそ考えるのをやめようかと思うほど迷った後、ヤサヤはそれだけを返した。機嫌を損ねるかもしれないと予想したが、男の口ぶりは変わらない。楽しげで、怖くて、少し安心する。

 だからだろうか?

 仮面に頼らず人と話をするのは久し振りなのに、自分はやけに落ち着いている。

「本当に、よくもまあノコノコやって来たものだ。せっかく二日の猶予を与えてやったのに。雲隠れしようとは思わなかったのか? 僕が怖くはないのか。逃げたいとは?」

「来ないと思ったから、一人で始めてたんですか。……殺人鬼捜しを」

「お前なら来るさ。他の者なら来ない。自殺志願でもなければな」

 男の左手が動いた。腕の輪郭から煙のように影が湧き出て、植物の枝葉めいた形にまとまる。男の二の腕から黒い植物が生えたようだと言ってもいいが、そのように強引に解釈したところですんなり許容できる現象ではない。

 挙句の果てに、白スーツ氏は枝に腕を絡ませ、手を突っ込んで、何かを取り出した。見ていたヤサヤは眩暈(めまい)を覚えた。人がひとつの現象を理解しようと苦心しているうちに、矢継ぎ早で次の超常現象を見せつけるのは勘弁して欲しいと思った。

 それでも、何も考えられなくなりそうな頭になんとか鞭打って目を凝らすと――


 上着もシャツも白一色のシングルスーツに、白い手袋。黒い影の枝葉。

 そんな無彩色のコントラストを乱す異物が、手の平の上に四つ載っていた。


 硝子(ガラス)の小瓶。薬品や証拠品を保存するための、一般にバイアルと呼ばれる広口瓶だ。蓋はされておらず、中には一様に、黒ずんだ泥土のような固形物が詰められている。


 ヤサヤがほんの少しだけ眉をひそめて、口元に手を当てた。


 他方、バイアルを器用に手の内で転がしながら、白スーツ氏は楽しげだ。

「そうだな、酷い臭いだ。しかし我々の血の臭いは、これとよく似ているんじゃないか? ヴァンパイアを生かす命の臭い、そして死ぬときにぶちまける死の臭い。どちらも同じだ。小娘、この瓶に詰まっている物がわかるか?」

「……鉄と泥で、血の臭いを真似できるとは聞きますけど」

「次元が違うだろう? 臭気だけでなく、こいつは“そこに誰かが居るような錯覚”をもたらす。まるで本物の血や『式』で出す影のようだ。純血種は自分の居場所を誤魔化すために、(デコイ)としてこの瓶を、廃墟のあちこちに隠しているが――正体は、奴自身の血だろうな。これは凝固した血液だ」

「ぎょうこした、血……?」

 ヤサヤには意味がわからなかった。

 ぎょうこ……凝固? 液体や気体が固体へ状態変化する現象。そこまでは頭が働く。

 しかし血液が凝固するとは、どういう意味なのか?

「凝血ともいう。創成期以前の文献に度々、そういう記述があるのだ。なんらかの条件が揃うと、血液はこんな黒い固体に変じて、体外でも安定するらしい。しかも出血した者本人が死んでも、血液は消えずに残るそうだ。意味がわからんな」

 言いながら男は手を上げ、月明かりをバイアルに当てた。

 煌々(こうこう)と輝く、濃密な黄金色の一対の瞳。それが数秒ほどバイアルを覗き込んだが、すぐにヤサヤに見せるように構え直す。

「ここにあるうちの一つは、今し方に僕が建物を壊しながら見付けたものだがな。他の三つはお前の手柄だ。『学校に二つ、病院に一つ、どれも殺人鬼本人とは違う』――お前は一昨日、帰り際にそう予言したな? お前を帰してから廃墟に戻り、確かめてみたらその通りだった。完敗だよ。僕には小分けされた瓶の数まではわからない。かなり近付くまではな」

 そこまで言うと、男は指の間で転がしていた瓶を、宙高く放り投げた。

 月明かりを軽く(まぶ)したシルエットが四つ。似ているが同一ではない放物線を描く。


 その、風に吹かれてバラけそうな寸前の四つの瓶が、白スーツ氏の足下から伸びた影の触手に一緒くたに呑み込まれた。


 幾条もの赤い直線光が夜景を切り裂くように閃き、細長く伸びた魔手の、七本だか八本だかわからない指が、新たな赤光を描きながら自身を折り畳んで閉じる。

 そして魔手は(またた)く間に、白スーツの男の足下、靴底へと引っ込んで消えた。

 静寂さに反して、動いた力の大きさを乱気流が物語る。血臭は消えて、代わりに薪を()べたような火の臭いが広がった。白スーツ氏が吐き捨てるように言う。

不味(まず)い。下賤(げせん)の生き血の方がマシだな。これが『死んだ血』の味というわけだ」

「……」

「どうした?」

「……いいえ」

 言われるまで気付かなかった――白スーツの男を、自分が(にら)んでいたことに。

 まずい。

「何か言いたげな顔だったぞ。言ってみろ」

「なんでもないです。……今の話を、ちょっと考えてただけで」

「そうか」

 素っ気ない返事だった。そして、返事の直後だった。奇妙な風がそよいだかと思いきや――


 見えない衝撃がヤサヤの背後で起こり、陸橋の路面を(えぐ)り飛ばした。


 大型車輛の事故めいた轟音がヤサヤを背後から()し、足場が揺れる。

 男が降り立ったときとは違う。ヤサヤの足下は大きな金属の軋む音、折れる音、外れる音を立てながらゆっくりと静かに傾き、沈下していった。

 微震と共に視界がスライドして、おそらくほんの数十センチずれたところで停止した。反動が足に伝わり、ヤサヤは蹈鞴(たたら)を踏んで――

「止まれ」

「っ……!」

 耳元で囁かれたような錯覚を覚えた。男は、ちゃんと数メートル前方の夜風に立っている。

 あの色の瞳を爛々と輝かせて、ヤサヤを見下ろしている。

 ただし、射竦(いすく)められながらヤサヤが最も驚き、怯えた理由は、男の視線と表情が決して怒りに燃えておらず、冷たく殺意を満たしてもおらず、ずっと変わらぬ平静のままだったことにある。

 単に、些細な誤解を訂正するだけのような、淡々とした表情だったのだ。

「お前は、僕の“狩り”に貢献する。代わりに僕はお前に同行を許し、正体を隠すことを許す。それが二日前に交わした契約だ。そうだったな? 小娘」

「……はい」

「何故、(デコイ)を正確に探せるのか? 何故純血種に遭いたがるのか? 何故僕の視線に耐えられるのか? 名前は? 名乗らない理由は? ……語らせればお前の素性まで知れてしまうだろうから、僕はそれらを問わないし、仮に偽名を名乗ったとしても(とが)めない。だがな、勘違いするなよ――嘘が僕に通じる訳ではないんだ。わかるか? 小娘」

「…………はい」

「『今の』は、素性を隠すための嘘ではなかったな。僕の不興を買うと危惧して、(はぐら)らかしただろう。気付かないとでも思ったか? 興を削ぐ真似はよせ。本当は何を考えていたんだ? 僕を()め付けながら」

「…………………………………………なんで」

「うん?」

「なんで、あの人たちを殺したんですか。二日前の警官たちのことです」

 白スーツの青年が、きょとんとヤサヤを見たまま止まる。かと思いきや、返事は早かった。

 しかし、内容はヤサヤの予想を超えるものだ。

「お前にそれを憤る資格が有るのか?」

 てっきり「それは大事なことなのか?」とか「理由は無い」とか、食い殺した警官たちの命を軽んじる言葉が返ってくると思っていたのに。

「あの賤民(せんみん)どもの命運を、お前は早々に見限っていた。切り捨てて、即座に別の思考へ移っていた癖に、後になってから人情ぶるのはよせ。お前は慣れているだろう。己の無力にも、誰かを見殺しにすることにも。おおかた賤民どもの――平民どもの街で、色々な理不尽を見てきたのだろう? そして無力を口実に、受け入れてきた。お前の目を見ればわかる」

「……」

「さ、わかったら仕事をしろ。移動が必要なら言え、運んでやる」

 男は数歩を進んで、ヤサヤと同じ陸橋に降り立った。そして眼前を横切り、道を空ける。

 ヤサヤはすぐには動かなかったが、白スーツの男は催促をしない。ヤサヤの横で背を向けて、両手をポケットに入れたまま彼は動きを止めた。


 廃墟の北を眺めるかのようだが、実際には違う。ヤサヤのアクションを待っている。


 余所を向いててやるから、その間にさっさと済ませろ、ということなのだろう。

 ヤサヤは陸橋の崖に進み、袖の砂を払って、白スーツ氏の背中を確かめてから、眼鏡を外すかどうかを迷って、やめる。

 どうせ目で探しているわけではない。


  ◆


 十秒ほどで事足りた。ヤサヤは目を開き、組んでいた両手の指を解いて、

「あなたがさっきまで居た場所。あそこから少し東に、もうひとつ気配があります」

「少し? あの周辺にはもう何も感じない。時計塔の残骸の辺りか?」

「もっと手前です。ふたつのビルが上の方でくっついてる建物、わかりますか」

 今度は白スーツの男が、東の廃墟を向いて目を閉じる番だった。ただし一瞬だ。首を振る。

「さっぱりだ。(デコイ)の気配なら、この距離でも探せるつもりだがな。ということは……」

「あれとは違います」

「どう違う?」

「……なんとなく、としか」

「何故そこで嘘をつくか。まあいい、行くぞ」

 ヤサヤの視界から、白スーツの男が消えた。そのようにしか見えなかったが、巻き起こった風のお陰で、彼が跳躍したのだということはわかる。

 ヴァンパイアとしての気配が大きすぎて、男の二メートル程まで近付けばヤサヤはほとんど“相手の体内に入った”ような錯覚を味わう。その拘束感から解放されただけでヤサヤは大助かりだったが。

 もちろん、離れた空中に着地した白スーツ氏に、容赦など無い。

「お前の目の前に、足場を停めてある。乗れ」

「……へ?」

「階段を一段のぼる要領だ。乗ったら一メートルほど進め。お前の言った場所まで運ぶ」

 言葉の内容を、ヤサヤは考えた。自分の足下を見てみるが、何も見当たらない。

 既に陸橋の先端部に移動していたため、要は崖っぷちだ。かろうじてあと一歩は進めるが、二歩目を踏み出せば真っ逆さまに――

「遅い」

「ひゃっ!?」ドン、と硬い壁のような感触が、ヤサヤの背中にぶつかった。それ自体がヤサヤにとって相当の痛撃だったが、続く事態のせいでそれどころではない。

 衝撃で体がつんのめる。少女の体が倒れ伏すには地面(スペース)が足りない。

 落ちる――と思いきや、またしても硬い平面が今度は顔の側からヤサヤを迎え受けた。平面は窓硝子のように滑らかだが、摩擦が強く不動で、少女ひとりの体重が倒れ込んでも微動だにしなかった。お陰で、激突の衝撃全てがヤサヤの負荷となり、体を巡る。

「ぐ、()っ――た……」まだ終わったわけではない。

 不可視の床にヤサヤが乗った直後。すぐさま風が何かの動きを訴えて、ヤサヤには理解できない激突音が前後左右で鳴り響く。

 ガッン! ガンガンガン、――ガンッ!

 最後の音は真上から聞こえた。そしてそれを最後に、ヤサヤの五感から突如、風が絶えた。

 それでわかった。見えない板が何枚も周囲から押し寄せて、ヤサヤを閉じ込めるように組み合わさったのだろう。箱を形成したのだ。とどのつまり、梱包された。

「ちょ――待っ……?」

 エレベーターを思い出させる浮遊感と共に、視界が移動を始める。上昇していく。

 陸橋を離れて、空中に佇む白スーツの移動を追うように軌道が曲がっていくのがわかった。エレベーターではあり得ない曲線の慣性だ。首都修道女学院のエレベーターよりも遙かに静かでスムーズだが、未曾有の遊覧飛行を楽しむには景色が恐ろしすぎる。

「――――――――ゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――っ!??」

 ヤサヤは悲鳴を上げた。つもりだが、箱の上の方から来る隙間風がヤサヤを薙ぎ倒すほど凄まじく、自分の耳も声も信用できない状況でヤサヤは転がった。

 途中、短時間だけ安定したところでヤサヤは、先行する白スーツ氏を見たが。

 金の瞳はヤサヤの混迷ぶりを肩越しに流し見るだけで、別に驚いてもいないし楽しんでもいなかった。別になんらかの理由でヤサヤを困らせている訳でもないと、ヤサヤは直観した。

 強いて言うなら、ただ転がるだけなので――安否に関わる事態になってはいないので。


 うむ、問題ないな、と。

 そんな判断をしたように見えた。


『逆だよ。役に立てば立つほど、僕は報いる。契約とはそういうものだ』

「――――ぃぃぃぃぃ――――っ!!」

 嘘つき、と叫んだつもりで、ヤサヤは理解した。

 ああ、やはり声が出ていない。


  ◆


 十二月四日、未明深夜。

 その晩、『ヴァニッシャー』は二体の吸血鬼の接近を察知していた。

 片方は貴族。極めて安定した飛空手段を持つことから明らかだ。前にも幾度か、単身で廃墟を訪れていた奴だが、今回は供を連れており、そのためか探索の動きがまるで違っている。

 今までのこいつは、『ヴァニッシャー』を探すといっても、ただ無軌道かつ奔放(ほんぽう)に血の臭いを辿るばかりだった。

 (デコイ)に片っ端から反応し、幾度かトラップにも遭遇しておきながら、なんの躊躇(ちゅうちょ)も無く次のポイントへ踏み込む。いつかは当り(くじ)に出くわすと考えて、虱潰(しらみつぶ)しに探す方針だったのだろう。一喜一憂を隠そうともせず、時には八つ当たりに建物を破壊し、時には飽きて唐突に帰ってしまう。単独で来訪を繰り返す、気まぐれな自信家の貴族。実力も伴っている。

 何より、『ヴァニッシャー』の正体を理解している。

 初戦の相手としては妥当だ。(デコイ)も着実に減っており、これ以上潰されると再配置も手間になる。『ヴァニッシャー』は今夜、自分から仕掛けることに決めていた。


 だが、そうして実行に移す前に、事情がいつもと違うことに気付いたのだった。


 今夜に限って、標的の動きがおかしい。なにせ供の吸血鬼と合流したかと思いきや突然、一直線に『ヴァニッシャー』の現在地へ舵を取ったのだ。(デコイ)の無い地帯に。

 あり得ないことだ。

『ヴァニッシャー』が二ヶ月前に平民警官から受けた銃創(じゅうそう)は、ナノパックで塞いである。この体、および現在の装備から、血臭は出ていない。センサーでも確認済みだ。吸血鬼の嗅覚や第六感では、今の『ヴァニッシャー』自身を見つけることは出来ないはずなのだ。

 同行しているもう一体の吸血鬼が、なんらかの未知の探知手段を持っているのか?

 だとすれば、当初の標的よりも、そちらの方が脅威だ。


『ヴァニッシャー』は息を潜め、観察した。


 二体の吸血鬼は、今や目と鼻の先に降り立ち、徒歩での散策を始めている。一目で貴族とわかる男と、従者とおぼしき女。一般的な平民吸血鬼でさえ易々と跳び越えるであろう段差に、後者は“まるで人間のような”鈍足(のろあし)で立ち向かっている。

 大まかな探知はできても、間近で見付けることはできないのか?

 どちらを真っ先に仕留めるべきか。すぐには仕掛けず、探知能力を見極めるべきか?

『ヴァニッシャー』は柄に指を這わせ、握り締めた。


――#4『魔女と悪竜の探索行』終


  ◆次回◆


 白スーツを着た若き吸血鬼貴族(ヴァンパイアロード)はそこで言葉を句切り、自分が心得違いをしていたことに気付いた。

 (こいつ)は純血種という言葉を知らない。

 ということは、貴族領側の者ではないということだ。

 例えば、純血種の情報を探るべく何処ぞの貴族領から派遣された偵察員――ではない。

 この時点で彼にとって、娘は全く正体不明のモノと化した。

 そもそもこの眼鏡娘は本当に平民か?

 娘の瞳は確かに赤い。平民の色だ。しかし貴族の金の視線に平然と耐えている。

 かと思えば、数分前に折ったらしい片腕を、未だに無事な方で庇っている。痛みはだいぶ引いたようだが、たかが骨折。平民にしても治癒が遅すぎるのではないか?


――次回、第5話『悪竜公の視点より』

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