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異世界の観測者 ~今度こそ、大切に生きていく~  作者: WE/9
新たな一歩 ——

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50/60

わだかまり

馬車の穏やかな走行音の中、アウグストゥスはかつてないほどの雄弁さを発揮していた。「幻光」の将来性、メンバーたちの驚異的な戦績、そしてこの邸宅を拠点とする必然性。彼は滔々と語り続け、最後にようやく「一時的な資金繰りの悪化」という小さな気まずさを切り出した。

ウィル頭取はその長広舌を聴き終えると、顎を支えていた手を離し、深く溜息をついた。

「はぁ……衝動買いはいかんな、若者よ」ウィルは首を振り、人生の先達としての呆れを含んだ口調で言った。「卒業と同時に全貯蓄を不動産に突っ込み、その後の運営資金すら残さないとは。ス威雅スウィヤでは、屋敷の維持費は人を食うほど高いのだぞ」

俺は隣に座り、流れる景色を眺めながら苦笑いするしかなかった。確かに、あの時はデザイン性と防音結界のことばかり考えていた。四年間の貯金がス威雅ではこれほどまでに心許ないとは。

「……だが、いいだろう」ウィルの声色が変わった。抜け目ない商人の瞳に、投資家としての光が宿る。「シエン君が娘を救ってくれた恩、そして君たち若者のポテンシャルへの期待を込めて、投資を決めよう。運営に月2000金貨必要だったな?」

彼は二本の指を立て、淡々とした、しかし衝撃的な言葉を口にした。

「こうしよう。私には20万金貨の遊休資金がある。それを今すぐ『幻光』の始動・運営資金として全額拠出しよう。条件は一つ。将来、君たちのギルドが上げる毎年の総利益のうち、二割を配当として私に分配することだ」

「二割? たった二割でいいんですか!?」俺は驚きで座席から飛び上がりそうになった。これは投資というより、もはや救いの手だ。20万金貨あれば、任務を受けずとも数年は持ち堪えられるし、規模の拡大すら可能だ。

「ああ、二割だ。私は長期的なリターンを重視している」ウィルは優雅に、かつ手慣れた動作で金縁の小切手帳を取り出すと、護衛たちの注視の中で素早くサインし、印章を捺した。そして、その価値ある紙片を俺たちに手渡した。

震える手で小切手を受け取る俺の横で、アウグストゥスの目が輝きを放っていた。「か……感謝に堪えません! ウィル大人、この決断を後悔させることは決してありません!」

「礼を言うのはまだ早い」ウィルが微笑む。馬車は先ほどの政務ビルよりもさらに壮麗で、現代的な幾何学美に満ちた銀行本部の前で停まった。

「私の金を受け取った以上、君たちは半ばビジネスパートナーだ。降りたまえ。私のオフィスで茶でも飲もう」

銀行本部の最上階。下の騒がしいロビーとは別世界だった。頭取室の内装は極めて洗練されており、暗色の磨き石の壁と簡潔なラインが、控えめながらも揺るぎない威厳を醸し出している。

ウィルは巨大なデスクの後ろへ回り、座る前に散らばった羊皮紙を整理した。俺の「観測者」の左眼がそれを捉えると、そこには複雑な幾何学魔法陣と、びっしりと書き込まれた文字が見えた。

「これは私が個人的に研究している幻術と精神系魔法の資料だ」ウィルは俺の視線に気づき、何枚かの論文を惜しげもなく差し出した。

礼儀として目を通そうとした俺だったが、タイトルの下の著者署名欄を見た瞬間、雷に打たれたように硬直した。

「ゲン……ゲンリ先生!?」

驚きで声が裏返った。そこに書かれた論理は厳密で冷徹、学術的な鋭さに満ちていた。テーマは『幻影領域げんえいえいきによる人間の深層潜在意識への投影再構築』。普段、学校で少しだらしなく、たまに冗談を言ってくるあの活発なゲンリ先生とは、まるで別人だった。

「ほう? 彼女を知っているのか?」ウィルのティーカップを持つ手が止まった。驚愕、そして言いようのない興奮が彼の瞳をよぎる。

「この論文はスクウィタンの学界に多大な衝撃を与えた。彼女自身は極めて低姿勢だが、私はこの天才に再会したいと切望していたのだ」

「え、ええ……知っています」俺は深く呼吸し、驚愕するアウグストゥスを横目に説明した。「俺たちは……彼女が受け持った一期生です。昨日卒業するまで、彼女の指導を受けていました」

「一期生……」ウィルが低く繰り返し、俺たちを見る目がさらに深い意味を帯びた。彼はカップを置き、窓の外のス威雅を見下ろしながら、意味深に呟いた。

「道理で……シエン君の魔力運用が精妙だったわけだ。ゲンリの門下生だったとは。その縁があるなら、この20万金貨の投資は、私の人生で最も価値ある取引になるだろう」

彼は振り返り、射抜くような視線を俺に向けた。「彼女の教え子であるなら、これから私が頼みたいことは、世界の誰よりも君たちが適任だろう」

ウィルは部屋の隅にある特注の魔導金庫へ歩み寄り、複雑な魔力ロックを解除した。現れたのは、質素な銀のペンダントと、淡い紫色の霧を湛えた水晶玉が入った木箱だった。

「これを、機会を見て彼女に渡してくれないか?」

俺は二つの品を見つめ、ゲンリ先生との記憶を掘り起こした。学校での彼女は強力だが、どこか「不真面目」な印象すらあった。この歴史を感じさせる古い品々は、あの活発な先生とは結びつきにくい。

「ゲンリは当時、まだ十五歳だった」ウィルが水晶玉を見つめる。その瞳には興奮と、拭いきれない傷心が混在していた。

「頂点の学者たちが集まった秘密プロジェクトの中で、彼女は全大陸で唯一、幻術の限界(天井)に触れ、それを超えることができた天才だった」

「世界で唯一、『領域』という概念で幻覚を具現化できる存在……」ウィルが囁く。

「なんですって?」俺は左眼を明滅させた。「『幻影領域』は、生まれ持った血統スキルではないのですか?」

「違う。あれは彼女があの地獄のような実験の中で、自らの手で開発したものだ」ウィルの声が重くなる。「プロジェクトの主導者であり出資者の一人として、私はあの衝撃を忘れない。彼女が初めて領域を展開し、実験室を星海に変えた時、我々は確信した。魔法の歴史が塗り替えられたと」

沈黙していたアウグストゥスが、鋭く核心を突いた。

「ならばウィル先生、その研究はあなたのキャリアの最高傑作のはずだ。なぜご自身で先生を訪ねず、教え子の我々に託すのですか?」

ウィルは苦笑いし、自嘲気味に首を振った。

「……喧嘩をしたのだ。実験の最終段階で、研究員であり唯一の資金提供者だった私は、彼女の理論が成功するとは思えなかった。精神力を領域として無理やり具現化する手法は、彼女の魂を壊すと判断した。私は彼女を止め、計画を打ち切ろうとしたのだ」

彼は窓の外を見つめる。「だが、あの意地っ張りな少女は、すべての成果を論文にまとめて即座に発表した。それが狂気的なスポンサーたちを惹きつけ、私のコントロールを完全に離れた。彼女は成功し……私は人生で初めて敗北者となった。その後、私はアカデミアを去り、銀行を継いだのだよ」

彼は俺たちを見て、懇願するように言った。「彼女はまだ私を怒っているだろう。理想を裏切ったと。だが、彼女は重要だ。頼む」

帰り道、俺の懐にある20万金貨の小切手は、鼓動を早めるほど重かった。明日からパンの耳をかじる生活を覚悟していたのに、一転してス威雅でも有数の富豪ギルドになったのだ。

新築のドアを開け、「金持ちになったぞ!」と叫ぼうとした俺の言葉は、リビングから聞こえてくる声に遮られた。

「だからさぁ! あの男、本当にひどいと思わない!? 甘い顔してさ、お金だって持ってるくせに、恋愛に関しては万年溶けない氷山みたいな朴念仁ぼくねんじんなのよ! ストラトス・ヴィアの山の岩より硬いわ!」

充満する濃厚な酒の香り。見れば、セシルが昼寝しているはずのソファに、ゲンリ先生が胡坐をかいて座っていた。酒瓶を片手に、頬を赤く染めて不満をぶちまけている。

アイリンが隣で淡い酒を飲みながら、何度も頷いている。どうやら「雷系」と「幻系」の女傑二人は、共通の話題で意気投合してしまったらしい。リナは隣で気まずそうに刀を拭きながら、「早く助けてくれ」と言わんばかりの視線を俺たちに送っていた。

「え、せ、先生!? なんでここに?」

「お、シエン、アウグストゥス。帰ったの?」ゲンリは虚ろな目で俺たちを一瞥し、また酒を煽った。「何よ、新居がどうなったか見に来ただけ。……あとは、しつこい奴らに捕まる前に、防音のいい場所で愚痴をこぼしたかったのよ」

俺は背筋が寒くなった。背後のアウグストゥスは、反射的に20万の小切手を背後に隠した。

「あの……先生、その『朴念仁』って、もしかしてクレド先輩のことですか?」

「他に誰がいるのよ!」ゲンリは酒瓶を大理石のテーブルに叩きつけた。「『君にはもっといい選択肢がある』なんて、どんな断り文句よ! こっちは七年も待ったのよ。そんな社交辞令を聞くためじゃないわ!」

懐の小切手、そして来週ウィルを連れてくる約束。旧知の債主が来る前に、フラれた本人がリビングで酔いつぶれている。この豪宅は、八年越しの感情の嵐の目になろうとしていた。

「七年よ! 丸七年待ったのよ!」

ゲンリは叫び、空になった瓶をテーブルに置いた。髪を掻き乱し、優雅なイメージは霧散していた。「それなのに何? 彼は結婚してるのよ! 結婚!? あいつ、真顔で『どの婚姻も円満だ』とか、『君を後宮に入れるつもりはない』とか……ふざけるな! 人間の言う言葉じゃないわ!」

「先生、落ち着いて……テーブルにヒビが……」俺は冷や汗をかきながら、クレド先輩がいかに「伝統的」で「博愛」な男かを再認識した。

「シエン、あんたが言いなさい! 私のどこがダメなのよ?」

彼女は立ち上がり、真っ赤な目で俺に迫った。「若くて才能だってあるでしょう? 見た目だって悪くないはずよ! せいぜい……リナにちょっとだけ負けるくらいで! なのに何であいつ……あんなに優しくて、面倒見がいいからって……うぅ……」

戦場で領域を展開する伝説の魔導師が、今や迷子の子供のように大粒の涙を流している。俺はリナに目配せし、彼女を二階へ運ぶよう頼んだ。

「……男はみんなバカ……」

ゲンリはぶつぶつ言いながら、リナに支えられて上がっていった。

「シエン、今の前言を撤回する。来週ウィル先生を連れてくるのは『和解』ではなく『葬儀』になるぞ」アウグストゥスが低い声で言った。

「わかってる……でも金は受け取った。『幻光』の初任務だ。地獄だろうと突き進むしかない」

嵐が去った夜。俺は自室のベッドで、ウィルの小切手と来週の修羅場を思い、目が冴えていた。

ふと、枕元の隠しボタンに指が触れた。設計図にあった緊急通信用のギミックだ。

押した瞬間、完璧だったはずの防音結界に「穴」が開き、隣のアイリンの部屋の音が共鳴壁を通じて鮮明に流れ込んできた。

「あらあら、リナ……仮面を外すと、本当にいじめたくなる顔をしてるわね」

アイリンの声だ。酔いのせいか、普段より十倍大胆で、まるで「捕食者」のような艶っぽさを帯びている。

「アイ……アイリン、何を……酔ってるわよ……んっ!」

リナの声だ。冷静さは消え、狼狽と羞恥に満ちている。

「見せてよ……クールな『イン』が、どんな可愛い声を出すのかしら?」

衣擦れの音と、ベッドが軋む音。俺の頭は真っ白になったが、手は停止ボタンを押せなかった。

「へぇ、パジャマ一枚なのね……リナ、意外と下着のデザインが可愛いのね」アイリンの勝ち誇った笑い声。

「あ……アイリン! 目を覚まして! どこを触って……」

「ん? じっとしてなさい。肌がすべすべすぎて……外の奴らは気づかないでしょうね、最強の用心棒がこんな極上の萌え美少女だってこと……」

「んっ……ぁ……そこはダメ……アイリン、やめて……」

リナの声が微かな泣き声に変わる。パジャマの上から、あるいはその下へ、アイリンの手が白雪のような肌を縦横無尽に這っているのが想像できた。

「あら、リナ、すごく敏感なのね……」アイリンの囁き。

「う、動いちゃう……だめ……あぁっ!」

激しい水音が聞こえてくる。俺の体中の血が頭に上った。昨夜、俺と結ばれたばかりのアイリンが、今夜は酒の勢いでリナを「毒牙」にかけている。

「……溢れてるわよ。口では嫌がっても、体は正直ね」

「ぁ……アイリン……激しすぎる……うぅっ……」

銀色の武士刀を振るうリナの手が、今は無力にシーツを掴んでいる。アイリンの指が彼女を翻弄し、快感の淵へと追い詰めていく。

「いくわよ」アイリンの声が一段高くなり、激しい水音が響く。

「あぁっ! はぁっ……んんんっ!!」

リナの、崩れ落ちるような長い絶叫が壁を突き抜けた。それは、防波堤が壊れた後の極限の余韻。黒い校服を着たあの剣士からは想像もできないほど、艶めかしく、甘い声だった。

その後、壁の向こうは乱れた雑音の後、重く、満足げな吐息に包まれた。

「はぁ……はぁ……」

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