リハーサル
「卒業式、リハーサルを開始します」
指導教官の合図とともに、広々とした礼堂に荘厳ながらもどこか急き立てるような管弦楽が響き渡った。各地に散らばっていた生徒たちが予定の動線に従って動き出し、磨き上げられた木の床に革靴の音が小気味よく反響する。
俺たち五人は今期最も注目を浴びるグループとして、最前列の特別席に配置されていた。アウグストゥスは厭世的な顔で授与式の立ち位置を何度も確認し、「こんな儀式は人生の無駄だ」と毒づいている。セシルはその背後を幽霊のように彷徨い、花を運ぶ作業員に何度もぶつかりそうになっていた。
そしてリナ。彼女の黒い制服は、周囲の深い紺色の制服の中で異様に際立っている。彼女は影の中に静かに立ち、仮面の下の呼吸は驚くほど穏やかだ。だが俺には分かる。彼女は心拍数を整え、あの約束の一分間に向けて備えているのだ。
「シエン、私、本当に行くわよ……」アイリンが俺の袖を引き、冷たい指先を震わせていた。
「行ってこい。ここで見てるから」
俺は安心させるように頷き、彼女の背中を軽く押した。
俺は独りで会場の中央へ向かい、栄誉へと続くレッドカーペットの交差点に立った。まだ一般開放されていない礼堂には、数千の赤い革椅子が無言の観客のように整然と並び、これから起こる奇跡を待っている。
アイリンは深呼吸し、スカートの裾を掲げて木製の階段を一段ずつ登っていった。その一歩ごとに、彼女の首元の魔石が微かな虹色の光を放つ。それは俺が彼女に施した最後の手助け(保険)だ。ストラトス・ヴィアの校章が刻まれた壮大な教壇に立った時、彼女はひどく小さく見えたが、教壇の両脇から差し込む聖なる朝陽に照らされ、何よりも眩しく輝いていた。
「さあ、お前のステージを見せてくれ」
俺は両手をポケットに入れ、顔を上げて壇上のアイリンに大声で言った。声は広々とした会場に反響し、高いドーム状の天井の下で木霊した。
アイリンは俺を見つめ、その瞳に宿っていた焦燥は、俺と視線が合った瞬間に静かに収まっていった。彼女はゆっくりと手を伸ばし、原稿が置かれた卓上に手を置くと、マイクの高さを調整した。
今は観客も拍手も、各国の要人もいない。けれど、俺たちだけのこの空間で、俺にはすでに見えていた。――あの日、彼女が雷鳴のような清らかな声で、この式典を締めくくる姿が。
そして彼女の背後の幕影には、リナの漆黒の姿が潜んでいた。
舞台裏の照明は少し薄暗く、設営待ちの装飾品が積み上げられ、木とベルベットの香りが漂っている。ゲンリ先生はリナを屏風の裏へと連れて行き、周囲の喧騒を遮断した。
「隠、ちょっとこっちへ来て」ゲンリ先生が、珍しく年長者らしい優しさを含んだ声で呼んだ。
リナは少し緊張した面持ちで後に続いた。漆黒の制服が舞台裏の影に溶け込みそうだ。彼女は一言も発さず静かに立ち、腰の銀色の武士刀が冷たく煌めいた。
「隠さん、いえ、リナ」ゲンリ先生は振り返り、その白い仮面に視線を落とした。「あなた、本当にその仮面のまま卒業式を通すつもりなの?」
「……ん?」リナは短く戸惑いの声を上げ、体を引き締めた。
「卒業式当日は、学校側がたくさんの水晶球であらゆる角度から記録写真を撮るわ」ゲンリ先生は腕を組み、諭すように言った。「今のうちに綺麗な姿を残しておかないと、後で思い出そうにも機会がないわよ。それはとても勿体ないことだわ。それに……」
ゲンリ先生はふと言葉を切り、魔力に満ちた瞳を細めて、意味深な笑みを浮かべた。
「もしかしたら……その顔で意中の人を惹きつけられるかもしれないわよ? 普段は恋なんて興味なさそうに剣ばかり抱いているけれど。卒業式は人生で最も大切な舞台の一つだわ。考え直してみない?」
「い……意中の人!?」
リナの冷徹な声が、一瞬で取り乱した。仮面越しでも、彼女の狼狽が伝わってくる。彼女の脳裏には、さっきまで壇下で自分の頭を撫で、部屋を『二番目に近い場所』にすると約束してくれた茶髪の少年の姿が浮かんでいた。
「わ、私には、そんな人はいません……」リナは蚊の鳴くような声で弁明し、無意識に手を弄った。白い指先が力んで白くなっている。
ゲンリ先生はその反応を見て、内心で『計画通り』と目を輝かせた。彼女は歩み寄り、リナの細い肩を軽く叩いた。
「本当にいないのかしら、それとも見せる勇気がないだけ? 隠さん……いえ、リナ。私が先に確認してもいいかしら?」
先生は冗談めかして仮面の縁に手を伸ばした。「教師として、私の最もミステリアスな生徒の素顔を確認しておく必要があるものね」
リナは固まった。心臓の音が胸を突き破りそうなほど速い。長年仮面に守られていた安全圏が急速に崩壊していく。
「せ、先生……あの……」リナはしどろもどろになりながら後退した。脳内にはシエンの優しい感触とあの約束が渦巻いている。もしゲンリ先生までそう言うのなら、もしかして……あの人も、この顔を見るのを期待しているのだろうか?
舞台裏の屏風の中で、空気は一瞬凍りつき、直後に驚きに満ちた高い声が響き渡った。
「わぁ! 隠、めちゃくちゃ可愛いじゃない!」
ゲンリ先生の優雅な神秘性はどこへやら、彼女は両頬に手を当て、瞳を輝かせて目の前の素顔を見つめていた。教師らしからぬ興奮した叫び声は厚い幕を突き抜け、静まり返った礼堂に響いた。
教壇の下で退屈そうに立ち位置を確認していた男子生徒たちは、「可愛い」「隠」というキーワードに雷を打たれたように硬直し、会場は抑えきれないざわめきに包まれた。
「おい……今、ゲンリ先生なんて言った? 可愛い?」
「隠のことか? あの黒い制服のクールな……」
「くそっ! なんで舞台裏は封鎖されてるんだ! 俺も見たい!」
屏風の裏では、伝説の白い仮面がリナの震える手に握られていた。
遮るもののないその顔は、最高級の羊脂玉のように白く、陽の光を浴びてこなかったがゆえの美しさを湛えていた。だが今は極度の羞恥心で夕焼けのような緋色に染まっている。清らかな瞳は不安げに揺れ、長い睫毛が細かく震えていた。人を寄せ付けない剣客のオーラは、武装を解いたこの瞬間、息を呑むほどの少女らしさへと変わっていた。
「リナさん、私だってまだ二十三歳だけど、あなた、若い頃の私より可愛いわよ!」ゲンリ先生は珍しい宝物でも見つけたかのように、情熱的な視線でリナを凝視した。「この顔立ち、この肌……壇下のバカ共に見せたら、明日の卒業式は暴動会場になるわね!」
「も、もういいです! 先生、声を小さくしてください……」
リナの消え入りそうな声は今にも泣き出しそうだった。彼女は恥ずかしそうに俯き、仮面で顔を隠そうとしたが、ゲンリ先生に手首を掴まれて阻まれた。
「外、外の人まで聞こえてますから……」自分の鼓動がうるさすぎて、彼女はパニック寸前だった。
屏風がゆっくりと開かれ、ゲンリ先生は興奮冷めやらぬ顔で出てきた。リナはすでに白い仮面を素早く装着していたが、乱れた後れ毛と真っ赤な耳が、今の「視覚的衝撃」の余韻を物語っていた。
「あれ? 先生、リナ、ここにいたのね」
アイリンの軽やかで活気ある声が近づいてきた。壇上のリハーサルを終え、緊張を和らげるように深呼吸しながら小走りでやってくる。青い長髪がリズムよく弾んでいた。
「アイリン、いいところに来たわ!」ゲンリ先生は振り返った。「あなたも十分素晴らしいと思っていたけれど、隠さん――リナはね、本気でお洒落をしたらとんでもない美少女だったわよ!」
リナはその直球の褒め言葉に、さらに身を縮めた。
アイリンは一瞬呆気に取られたが、驚くどころか、大股でリナに歩み寄った。そして誇らしげに手を伸ばし、リナの細く硬直した肩をがっしりと抱き寄せた。自分のことが褒められるよりずっと得意げな顔だ。
「ははっ! 当然よ、先生!」
アイリンは顎を上げ、燦然とした笑顔を見せた。「これが私のリナよ! 普段は無口で仮面を被ってるけど、可愛くて才能があって、剣術も文句なしに強いんだから。先生をそんな顔にさせるなんて、リナの『殺傷能力』は想像以上だったみたいね!」
「私のリナ」と言われて狼狽えるリナは、窮屈そうに俯き、武士刀の護拳を握りしめた。彼女はこっそり会場の中央へ視線を送り、シエンがこちらを見ているのに気づいた。
「アイリン……ち、近すぎる……」リナは呟いたが、彼女を突き放すことはしなかった。アイリンの混じりけのない肯定に、胸の奥が温かくなったからだ。
アイリンは面白くなったのか、リナが反応する前に仮面の留め具を器用に外し、再びその陶器のような素顔をさらけ出した。それだけでなく、悪戯っぽく笑いながら、まるで珍しい粘土細工でもこねるように、リナの白い頬をぷにぷにと弄り始めた。
「スピーチで失敗して、私が緊張で死にそうになったら頼んだわよ、リナ!」
リナの顔はアイリンに弄られて形が崩れ、清らかな瞳には諦めの色が浮かんでいた。普段のクールな剣客の威厳は微塵もない。彼女は自暴自棄な羞恥心を込めて、もごもごと言葉を返した。
「……やっぱり……助けないことに……します」
「そんなぁ! リナの薄情者!」アイリンは大袈裟に叫び、リナの耳元で囁いた。「もし見捨てたら、シ……じゃなくて、あのギルドの設計者に言いつけて、あんたの部屋をみんなから一番遠い隅っこに配置して、独りぼっちにしてやるんだからね!」
アイリンはつい「シエン」と言いそうになり、慌てて「設計者」と言い換えた。
だが、その僅かな言い淀みを、狐のように聡いゲンリ先生が見逃すはずもなかった。彼女は重要な音節を捉え、表情をさらに輝かせた。二人の少女を交互に見つめ、最後には会場中央に立つ茶髪の影に視線を投げた。
「ほう? 『シ』で始まる人、ねぇ?」ゲンリ先生は長く感嘆の声を上げた。「そういえば……この学校で名前が『シ』で始まって、建築設計にも詳しくて、さらに二人の美少女をこれほど夢中にさせる人物といえば……」
彼女はわざと間を置き、アイリンの硬直した顔と、今すぐ消え去りたい様子のリナを見て、さらに満面の笑みを浮かべた。
「当ててみましょうか。もしかして、肝心な時に姿を消すくせにどこにでもいる、あの『地味な先輩』のことかしら?」
「せ、先生! 何を言ってるんですか! 早く最後の照明確認を始めてくださいっ!」
アイリンは慌ててリナを解放し、大声で誤魔化そうとした。背中には焦りによる汗が滲んでいる。
リナはその隙に仮面を被り直した。その動きは一秒でも遅れれば魂の秘密を見透かされると恐れているかのようだった。
俺は舞台裏の三人を見守りながら、具体的な会話は聞こえなかったが、彼女たちの様子から「危険な」話題で盛り上がっていることを察した。俺は溜息をつき、明日の卒業式が予想以上に「賑やか」になりそうな予感に頭を抱えた。
夕陽の残光が礼堂の高いステンドグラスを抜け、磨かれた床に長い影を落としていた。リハーサルを終えて皆が去っていく中、ゲンリ先生は俺の動向を予知していたかのように、誰もいない廊下の突き当たりで俺を呼び止めた。
「シエン君。性格の違う二人の美少女に囲まれて、毎日振り回されるのはさぞかし『苦痛』でしょうね?」彼女は揶揄うようにウィンクした。
「正直、かなり幸せ……あ、いや、本当に苦痛ですよ」俺は思わず本音を漏らし、すぐに咳払いで誤魔化して公私混同のない表情を取り繕った。
ゲンリ先生は俺の「本音」に吹き出し、やがてその瞳を柔らかくした。窓の外で、新しい生活を前に騒いでいる生徒たちを見つめ、少しだけ感傷的な口調になった。
「ふふ、いつも不真面目に見えるかもしれないけど、あなたたちを見ていると感動するわ。考えてみれば、あなたたちは私の最初の教え子だったものね。あの頃の私はまだ十九歳で、問題児ばかりのあなたたちを見て怖かった。それが今では、立派な魔法使いだもの」
活発で包容力のあるこの恩師に、俺も温かいものを感じた。別れの前夜、俺は少しだけ警戒を解くことにした。
「先生。こっそり教えますけど、誰にも言わないでくださいよ」俺は声を潜めた。
「ええ、約束するわ」先生は興味津々で、耳を俺の口元に寄せた。
「俺……実はアイリンとは、正式に付き合って長いんですよ」
「はぁ!?」ゲンリ先生の落ち着いた顔が一瞬で崩壊した。「正式に? キスとか、そういう名分を確立した関係なわけ!?」
「ええ、まあ。ただ……」俺は鼻を擦った。
「隠は知ってるの?」ゲンリ先生が鋭く突っ込んできた。
「知ってます。でも彼女は……」リナの羞恥心と、さっきの『二番目に近い場所』という願いを思い出し、少し頭を抱えた。「時々こう、寄ってくるんですよね。頼られるのは嬉しいんですけど、たまに妙な誤解を生むので、距離感を掴むのに苦労してて」
「面白いわね……それが若者の青春ってやつかしら」ゲンリ先生は満足げに感嘆した。それから、彼女はふと視線を遠くへ向けた。
「あなたが正直に話してくれたから、教師としても秘密を一つ共有してあげるわ。あなた、時々クレドに会うでしょう?」
勇者様の名前が出て、俺は頷いた。
「……実はね、私、勇者様のことがずっと好きなの」
ゲンリ先生の頬に、淡い紅潮が浮かんだ。その乙女のような表情は、普段の神秘的な幻影魔術師とは別人のようだった。
今度は俺が絶句する番だった。この魔法と冒険の世界でも、どんな強者であれ、心の底には最も普通で、最も純粋な想いを隠し持っているのだ。
「……結局、俺たちはみんな『恋愛』という科目の補習中ってわけですね」俺は笑って言った。
「うるさいわね、早く戻って休み倒しなさい」ゲンリ先生は照れ隠しに俺の頭を小突いた。「明日、美少女たちを待たせすぎないようにね」
俺は、憧れを抱いた背中を見送る中、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「クレド、あいつは確かにいい奴だ。だが……」
脳裏には、以前時計塔でクレドとアウグストゥスと話した時の記憶が蘇っていた。クレドはこう言っていた。――「これまで四、五回は結婚しているし、今も奥さんがいる」と。
恋する乙女のようなゲンリ先生を前に、彼女の想い人がすでに既婚者で、しかもかなりの愛妻家であることを告げる勇気は俺にはなかった。
今ここでそれを言えば、明日の卒業式は教師の失恋による「幻影大災害」になるだろう。
「また明日ね、シエン」
先生は俺の複雑な視線に気づかず、優しく微笑んだ。夕陽を浴びた彼女は優雅で、純粋に美しかった。そして彼女の姿は一筋の紫煙となり、廊下の向こうへ消えていった。
静まり返った廊下で、俺は長く溜息を吐いた。
「大人の世界ってのは、魔法構造より複雑だな」
俺は苦笑して首を振り、寮へと向かった。窓の外のストラトス・ヴィアには灯火が灯り始め、学者の街は祝祭前の静寂に包まれている。俺はポケットの中の特製魔力伝導石を確かめながら、明日のアイリンのスピーチの応急策と、……そして、ゲンリ先生の美しい幻想をどうやって壊さずに維持するかを、静かに考え続けた。
この卒業式は、間違いなく最高にドラマチックな舞台になるだろう。




