第二回戦 2
俺の部屋の灯りは少し暗く、壁の魔法ランプが柔らかな琥珀色の光を放っている。空気には微かな茶の香りと、良奈の新しい繫ぎ紐から漂う清涼な皮革の匂いが混じり合っていた。
アイリンはベルベットの長椅子に座り、半分かじったジャムパンを手にしている。頬を膨らませたその姿は、驚いた後に一生懸命体力を蓄えようとするリスのようだった。先ほどの大泣きで、相当なエネルギーを消耗したらしい。
「アイリン、午前中に観察したんだが」俺は彼女の隣に座り、冷静に、かつ集中して語りかけた。
アイリンは動きを止め、口の端にジャムをつけたままこちらを振り向いた。「ん? 何を? あの紫の龍人の鱗がどれくらい厚いかとか?」
「今のお前が放てる**【穹】**は、規模こそ凄まじいが魔力密度が分散している。あの強固な防御を持つ龍人たちが相手だと、三人まとめて短い衰弱期に追い込むのが精一杯だ」俺は三本の指を立て、冷静に分析を伝えた。
「つまり……最初に【穹】をぶっ放して広範囲を制圧し、その隙にシエンと良奈が突っ込んで仕留めるってことね?」アイリンは瞳を輝かせ、パンを握った手を振った。勝利の光景が見えたと言わんばかりに。「前みたいに!」
「いや、違う」俺は首を振り、彼女の幻想を遮った。
「え?」アイリンは首を傾げ、青い長髪が肩から滑り落ちる。
「別の技を使ってほしい」俺は彼女の目を見据え、一文字ずつ噛みしめるように言った。「以前、裏庭の特訓でマキシ先生が教えてくれただろう。**【蒼】**を極限まで圧縮し、掌に全てを凝縮させるあの技だ」
その言葉を聞いた瞬間、アイリンの手からパンが落ちそうになり、彼女の顔から血気が引いた。
「で、でも、シエン……忘れたの? あの技の負荷は大きすぎるわ!」彼女は少し早口になり、瞳に恐怖の色が過った。「前は放つどころか、魔力を練る段階で体力が尽きて気絶しちゃったのよ!? あれは魂を削り取るような技なの……」
「わかってる。あの時は肝を冷やした」俺は静かに言い、微かに震える彼女の小さな手に自分の手を重ねた。温もりを伝えるように。
傍らで黙って刀鞘を拭いていた良奈も動きを止め、顔を上げた。その清涼な瞳にはアイリンを案じる色が浮かんでいる。
「だがアイリン、気づいていないのか? あの試みの後、お前の回復速度は以前よりずっと早くなった。それにストラトス・ヴィアでの強化訓練を経て、お前の魔力容量と耐性は以前とは比べものにならないはずだ」俺はかつてない信頼を込めて、彼女の瞳を直視した。「俺はお前を信じている。今のお前なら、確実に放てるはずだ」
「あの技は制圧のためじゃない。完全に『貫く』ためのものだ」俺は視線を窓の外、夜の競技場へと向けた。「お前があの紫の龍人の防御を一瞬で引き裂いてくれれば、残りの五分で俺と良奈が戦闘を終わらせる」
アイリンは下唇を噛み、俺の揺るぎない視線と、隣で小さく頷き励ます良奈の姿を見た。彼女は深く息を吸い込み、残りのパンを口に押し込んで無理やり飲み込んだ。
「……リーダーがそこまで言うなら」彼女は拳を握りしめた。指先には純白の雷光が微かに跳ねている。「明日、もし本当に気絶しちゃったら……さっきみたいに、絶対私を受け止めてよね!」
「当たり前だ」俺は笑って答えた。
良奈は刀を長椅子の脇に立てかけ、その瞳に鋭い光を宿した。彼女は俺の前に歩み寄り、容赦のない真剣さで告げた。
「シエン、一昨日の教訓を忘れないで。龍之國の連中は狡猾よ。心理戦を得意としている。万が一あの紫の龍人が囮で、真の切り札が後ろの平凡そうな隊員に隠されていた場合、アイリンの全力が空振れば私たちは完全に後手に回るわ」
その言葉は冷や水のように、逸っていた俺の目を覚まさせた。
昨日の龍之國第一組の布陣を思い出す。確かに、沈黙を守っていた「白」こそが最も危険だった。もし明日の相手が同じ手口を使い、防御に特化した男を挑発役に立ててアイリンの体力を無駄撃ちさせようとしたら、取り返しのつかないことになる。
「……確かに。怒りで判断力が鈍っていたかもしれない」俺は深く息を吐き、凝り固まった首筋を揉んだ。
俺は覚悟を決めて「捨て身の一撃」に備えていたアイリンを振り返り、言葉を改めた。
「アイリン、やはり通常のテンポで戦おう。最初は普通の電撃で試行し、俺が【観測者】で三人の魔力源を特定する。情勢が怪しいか、あるいは真の『蛇の頭』を見つけた時、合図を送る。蒼と穹を解き放つのはその時だ」
アイリンの強張っていた顔が少し緩み、大きな溜息をついた。それから不満げに口を尖らせる。
「もう! こっちはさっき『覚悟』を決めたばっかりだったのに!……でも、良奈が言うなら、その方が確実だと思うわ」
「慎重さは剣客の本能よ」良奈は再び刀を取り、黒い繫ぎ紐を指でなぞった。「明日は私が第一陣で突っ込む。シエンは解析、アイリンは私たちの五歩後ろを維持して。私たちが乱れなければ、焦って乱れるのは証明を急いでいる彼らの方だわ」
俺は頷き、性格は対照的だが等しく信頼できる二人の仲間を見つめた。アイリンの火力、良奈の冷静さ、そして俺の左眼。
「よし、そのプランで行こう」俺は掌を差し出し、良奈の持つ刀の手の甲と、アイリンの小さな手に重ねた。「明日はただ勝つだけじゃない。龍之國の連中に、二度と挑発の口を開かせないほどの勝ち方をするぞ」
二人の少女は顔を見合わせ、力強く頷いた。
決闘場の朝、空気には張り詰めた焦燥感が漂っていた。昨日の一件と、双方の圧倒的な実力から、この対決は「早すぎる決勝戦」と囁かれている。
観客席の喧騒は耳を聾するほどで、噴水の音さえかき消していた。
「ストラトス・ヴィア代表! シエン・スライ、アイリン・フロモネシュ、隠!」
実況の声が響き渡る。俺は隣の二人を見た。アイリンは深呼吸でリズムを整え、赤らんでいた顔は戦士の厳格さを帯びている。良奈は静かに呼吸し、その手は決して刀から離れない。
「行くぞ。死ぬ気で、だが冷静にぶつかれ」俺は低く言った。静かだが、そこには執念がこもっていた。
「死ぬ気なんてさらさらないわ! 昨日の分までたっぷりビリビリさせてあげるんだから!」アイリンが小さな拳を振る。
俺たち三人が並んで入場した瞬間、屋根を突き破らんばかりの歓声が巻き起こった。強者こそが敬われるこの大陸において、それは最も直接的な敬意の形だ。もちろん、龍之國の観客が集まる西側スタンドからは、止むことのない罵声とブーイングが飛んできたが。
「龍之國代表! 魘、青、琥!」
反対側の通路から、三つの逞しい影が姿を現した。先頭はやはり、あの紫の龍人——魘だ。隣には細身だが陰険な眼光の「青」、そして背中に門扉のような重剣を背負った、岩のように重厚な「琥」が控えている。
魘は相変わらず、顔面に叩き込みたくなるような傲慢な笑みを浮かべ、審判の警告を無視して俺の前まで歩み寄ってきた。
「よう、久しぶりだな。どうだ? 昨日はしっかり反省して、謝罪の準備はできたか?」魘は俺を見下ろし、金色の縦長の瞳で嘲笑った。
俺はその視線を受け流し、冷ややかに口角を上げた。
「ああ、反省したよ。一昨日、お前たちの別グループを叩き潰した時、もっと徹底的に嘲笑ってやればよかったってな。だが、今ここで二度目のチャンスが巡ってきたわけだ。だろう?」
その言葉に、魘の笑みが引き攣り、すぐさま獰猛な殺意へと変わった。彼は俺の耳元に顔を寄せ、声を潜めて告げた。
「ふん、口の減らない奴だ。精々無様に負けるなよ。さもないと……観客席のブーイングは今の十倍に膨れ上がり、後ろの二人の小娘共々、赤恥を晒すことになるからな」
「……見ていろよ」俺は冷たく返した。
魘は鼻で笑い、自分の陣地へと戻っていった。
俺はアイリンと良奈の元に戻り、左眼を静かに起動させた。視界の中で、魘の紫晶鱗の下には異常に濃密な土属性の防御魔力が流れている。そして沈黙を守る「青」の周囲では、空間が微かに歪んでいた。
「良奈、あの青い龍人に気をつけろ。空間操作か視覚干渉の能力を持っている可能性がある」俺は最初の指示を出した。
「了解」良奈は【墨淵】を僅かに抜き、銀の刀身に冷徹な双眸を映した。
「アイリン、蓄力の準備だ。俺の合図があるまでは『蒼』で中距離を制圧してくれ」
「任せて。もう……待ちきれないわ!」アイリンの指先で、鋭い雷鳴が弾けた。
「シエン・スライ選手、ならびに魘選手! 両名にファウル一回!」
審判の朗々とした声が放送に響き、会場は一瞬呆気にとられた後、爆笑に包まれた。俺はきまり悪そうに鼻を擦った。なるほど、公式試合の開始早々に額を突き合わせて毒を吐き合えば、警告も妥当だろう。
対する魘は厚顔無恥そのもので、審判に肩をすくめて見せ、その紫色の龍顔に不敵な挑発を浮かべていた。
「両者、位置につけ」審判が厳格に右手を掲げる。「用意——始め!」
「始め」の合図と同時に、空気の中に布を裂くような微かな音が響いた。
「青」と呼ばれた痩せた龍人の姿が、衆目の中で氷が溶けるようにその場から消えた。俺の左眼は、歪んだ魔力の軌跡が後方のアイリンへと突き進むのを瞬時に捉えた。
「アイリン! 後ろだ!」俺は叫ぶと同時に、右手で【墨淵】を一気に引き抜いた。
ガキィィィン!
火花が散る。俺が振り返るよりも早く、魘の漆黒の長槍が鋭い冷気を伴って俺の眉間を狙ってきた。奴の力は凄まじく、長槍が【墨淵】に衝突した衝撃で、手の虎口が痺れる。
「お前の相手は俺だ、茶髪の雑魚が!」魘が獰猛に笑い、紫晶鱗が太陽の下で怪しく光った。
「良奈、青を叩け! アイリンの後ろを頼む!」俺は長槍の衝撃を後退しながらいなし、全力で指示を飛ばした。
「了解」
良奈の声は氷泉のように冷静だった。青がアイリンの背後に現れた瞬間、良奈の姿は純粋な一条の黒線となってリングを駆け抜けた。
アイリンは蓄力の最中だった。俺の警告を聞き、顔を青ざめさせながらも、彼女は究極の「信頼」を選んだ。一切振り返ることなく、両手を重ねて掌の小さな白い光球に全魔力を集中させる。
「ヒヒッ、捕まえたぜ、雷電娘……」青の鉤爪が虚空から伸び、指先には毒々しい緑の光が点滅している。それがアイリンの背中に触れようとしたその時——
シュバッ!
銀色の弧光が、青とアイリンの間に正確に割り込んだ。良奈の姿が鬼魅のように現れ、銀の鞘が青の手首を正確に捉え、鈍い骨の音を立てた。
「貴方の相手は、私よ」良奈の口調は霜のように冷たく、黒い繫ぎ紐が風に狂い舞う。
同時に、沈黙を守っていた巨漢「琥」も動いた。巨大な重劍を振り回し、青への干渉を遮断するように立ち塞がる。俺たちの小隊を完全に分断しようという腹積もりだ。
戦況は一瞬で白熱し、三対三の混戦へと突入した!
リング上の戦いは、瞬時に二つの異なる世界へと引き裂かれた。
俺の視界では、【觀測者】が狂ったように稼働している。魘の重力突きを紙一重でかわすと、空気を切り裂く爆鳴が耳元で鳴った。奴の紫晶鱗の防御力は極めて高く、長槍の扱いは毒蛇のようだ。
だが、俺は冷笑を浮かべた。戦闘直感と純粋な殺傷力で言えば、良奈だけが正面からこいつの甲を砕けるだろう。だが、「強敵をいかにして壊すか」という点において、俺の脳内には既に無数のプランが描かれていた。
「逃げ回るだけか! ストラトス・ヴィアの雑魚が!」魘が狂乱の叫びを上げ、槍を振り回す。
一方、戦場の反対側は、驚くほど奇妙な空気に包まれていた。
アイリンと良奈は、わずか数秒の間に完璧な位置交換を完了させた。アイリンは圧縮された白い雷球を両手で支え、厳しい表情で前方を見据える。岩のように重厚な「琥」が門扉のような重剣を振るうが、その千鈞の力はアイリンが放つ雷電によって強引に相殺され、両者は高密度の魔力競り合い(押し合い)に陥っていた。
そして良奈は、アイリンの周囲を回る衛星のように動いていた。
彼女の足取りは軽く、極めて高い頻度で動き回り、常にアイリンの周囲三歩以内を維持している。神出鬼没の「青」が何度か虚空からアイリンの死角を突こうとするが、その度に良奈の、まるで予知しているかのような冷徹な刀がいなしていく。
「ガキィン!」「パシッ!」
良奈は振り返ることなく、後ろ蹴りで青の脛を正確に撃ち抜き、そのまま旋回して銀の刃で空中に弧を描く。彼女はアイリンを守るだけでなく、反撃の中で青の活動空間をじわじわと削り取っていった。
興味深いことに、アイリンも良奈も、そして敵である青と琥までもが、ある種の暗黙の了解に達したかのようだった。彼らは自発的にリング中央の直径十メートルのエリアを空け、全てのスポットライトとブーイングを、俺と魘の二人に譲ったのだ。
これは、両グループの核心人物による、私怨を含んだ**「タイマン」**だった。
「お仲間の連中、物分かりがいいじゃないか。お前に絶望を直々に味合わせてやろうってな」魘が首を鳴らし、紫の鱗が雷光を反射してさらに獰猛さを増した。
「いや」俺はしっかりと足を止め、右手を【墨淵】の柄にかけた。左眼の金色の紋様は目尻まで広がり、声は氷のように冷たかった。「彼女たちはただ、お前程度の相手に、自分たちが出るまでもないと思っているだけだ」
「死ねッ!」魘が咆哮し、全身の紫晶鱗から暗赤色の光が滲み出し始めた。
俺は深く息を吸い込み、重心を極限まで下げた。左眼は既に捉えている。防御を強化するために魔力を全て鱗の表層に集めた結果、奴の心臓部への魔力供給に、零点数秒のパルス的な空白が生じていることを。
金属の衝突音が耳を聾する。
「キィィィン!」
俺は【墨淵】を横に構え、長槍から伝わる山のような怪力を受け止めた。魘の紫色の龍顔がすぐ目の前にある。奴は獰猛に笑い、口から熱い息を吐き出していた。俺たちは中央で狂ったように絡み合い、俺は指先から小さな雷火を放って視界を奪い、奴は長い尾で俺の足元を払おうとする。これは力だけでなく、心理と反応の削り合いだ。
しかし、戦場の反対側で、勝敗の歯車は良奈の操作によって正確に回り始めていた。
良奈は口数は少ないが、その戦闘知能は驚異的だった。彼女は青の注意が全て蓄力中のアイリンに向いていることを見抜き、巧妙な旋回から、わざと相手の重剣に押し切られたふりをして後退した。その実、アイリンをリングの最も端へと誘導したのだ。
そこではアイリンの背後は壁になる。これで、アイリンは前方と上方だけに集中すればよく、死角からの奇襲のリスクは瞬時にゼロになった。
「アイリン、維持して!」良奈の清涼な声が響いた瞬間、彼女は一条の黒い稲妻となって、鈍重な重剣戦士「琥」へと自ら突っ込んだ。
琥が咆哮し、巨大な門扉の剣が全てをなぎ倒す勢いで横に薙がれた。その風圧は遠くにいる俺の肌を刺すほどだった。
だが、良奈の体は空中で優雅に折れ曲がり、重剣の縁を軽く蹴って、氷の上を滑るような流麗な動作で致命的な一撃を飛び越えた。
「一つ目」
良奈が冷たく二文字を吐き出した。彼女の刀は、琥の厚い鱗の隙間——膝の関節部へと正確に突き立てられた。嫌な砕裂音が響き、琥の巨躯はバランスを失って片膝を突き、石畳に深い穴を穿った。
良奈は息つく暇も与えない。沈み込む琥の勢いを利用して地面を蹴り、宙へと舞い上がった。その姿は半空で美しくしなり、下から上へと連続打撃を叩き込んでいく。堅牢な正面の鱗を避け、魔力の結節点だけを切り裂く一撃。
最後に、良奈は高空で華麗に反転し、両手で柄を握りしめた。その瞬間、千鈞の重みが爆発する。
「終わりよ」
上段から猛然と振り下ろされた一刀。黒い影が隕石のごとく墜落した。重撃を受けた琥の巨体は、決闘場の防衛機構によって淡い青の光の粒子となり、リング外へと強制転送された。
「琥、脱落!」実況の声が響き渡る。
俺を狂ったように攻め立てていた魘の動きが、唐突に止まった。金色の瞳が驚愕に細まる。
「な……あの野郎が、まさか……!」
俺は一瞬で動揺した魘の顔を見据え、計画通りだと言わんばかりの冷笑を浮かべた。
「どこを見ている。お前の仲間はもう退場した。次はお前だ」




