大会前の軍議
スウィヤの居間。円卓を囲む一同を前に、マキシは両手を組み、重々しい面持ちで次なる大一番を告げた。
「選抜大会の範囲は、このスクウィタン大陸全土に及ぶ」
マキシは全員を見渡し、落ち着いた口調で続ける。
「当然、権力の中枢である『スウィヤ』や、学術の頂点である『ストラトス・ヴィア』以外は、相対的に実力は劣る。だが、決して油断はするな。辺境の地には、実戦経験のみで這い上がってきた野良の猛者が時折現れるからな」
彼は一呼吸置き、指を二本立てた。
「ルールは確定した。最初の二回戦は三人一組のチーム戦だ。試されるのは連携と戦術。そして決勝へと続く最後の二回戦は、個人戦に切り替わる。お前たちが参加するつもりなら……うちの小チームでは、今のところ一チームしか代表を送れない」
「えっ? マキシ先生が一緒に組んでくれるんじゃないの?」
アイリンがトーストを齧りながら、不思議そうに首を傾げた。彼女にとって、最強の導師がいればどんな試合も問題ないはずだった。
「当然ダメだ」
マキシは苦笑した。
「私は公式に登録された高階魔導師だ。私が出場してみろ、他の学生はどう戦えばいい? それは試合ではなく、ただの一方的な虐殺だ」
その時、ソファに泥のように転がっていたセシルが、目を閉じたまま細い手をのそりと挙げた。
「私はパス。寝る時間を削ってまで試合なんて、拷問以外の何物でもないわ。棄権します」
セシルの反応に驚く者はいなかった。なにしろ「究極の怠惰」こそが彼女の代名詞なのだから。
「俺も、絶対に出なきゃいけないわけじゃない」
アウグストゥスが頭の後ろで手を組み、俺に配慮の混じった視線を向けた。
「もし良奈が出ないなら、俺がその枠を埋める。でも、良奈が行きたいなら譲るよ。俺は家で後方支援とセシルの世話でもしてるさ」
これは難しい問題だ。俺は隅で沈黙を守る良奈へと視線を移した。
深く息を吸い、その深淵のような瞳を見つめて問う。
「良奈。俺と、アイリンと一緒に……大会に出てくれるか?」
部屋が静まり返り、全員の視線が謎の少女剣士に集中した。
「……行く」
良奈の声は短く、迷いがなかった。面越しに表情は見えないが、彼女が銀の武士刀を握りしめる手に力がこもるのを感じた。その微かな剣圧が、彼女の覚悟を物語っていた。
「よし! メンバーは決まったな」
マキシが机を叩き、期待を込めた眼差しを向けた。
「決まったからには、明日、再びストラトス・ヴィアへ向かえ」
マキシ先生は立ち上がり、導師としての厳格な表情に戻った。
「これからの合宿の一週間で、最後の調整を学校で行ってもらう。あそこには最新の模擬演習場があるし、慣れた環境でピークに持っていけるはずだ」
彼は襟を正し、低い声で付け加えた。
「私は数日スウィヤに残り、選抜大会の『場外要因』を片付けてくる。覚えておけ。この大会の裏に流れる暗流は、お前たちが舞台上で見るものより遥かに深いということをな」
「一週間後、大会会場で会おう」
「分かりました、先生」
俺は頷き、戦場へ向かう足取りの重さを感じていた。
「やあ、ゲンリ先生。お久しぶりです」
俺は目の前の黒い影に声をかけた。
長い黒髪を揺らす幻理先生は、相変わらず優雅で神秘的だった。彼女は足を止め、すべてを見透かすような目を細めると、温かな笑みを浮かべた。
「あら、シエン。見ないうちに私より頭二つ分も背が伸びたわね」
彼女は俺を上下に眺め、慈しむような口調で言った。続けて、隣に立つアイリンと良奈に視線を移すと、いたずらっぽく目を輝かせた。
「おやおや。この優秀な女の子二人が、まだあなたについて回っているなんてね。なかなかのものじゃない」
ゲンリ先生は俺にウィンクしてみせた。
「チームメイトとしての絆は健在のようね。……あるいは、私が思っている以上に『深い』関係かしら?」
アイリンはその言葉に顔を赤くし、良奈は静かに一礼した。
「先生、からかわないでくださいよ」
俺が苦笑すると、ゲンリ先生は表情を引き締めた。
「冗談はここまで。ここへ来たということは、選抜大会に出る決意をしたということね。来なさい、特訓のために『専用空間』を用意しておいたわ」
彼女が手を振ると、周囲の空気が波紋のように揺らぎ始めた。
「外の訓練場では、今のあなたたちの成長速度には追いつけない。私の【幻影領域】で、本当の『実戦の圧力』というものを見せてあげるわ」
「見てなさい!」
ゲンリ先生が虚空を弾くと、景色が崩壊し、無限の純白空間が広がった。その対面に、三つの影が形作られていく。
「これは完璧な状態のあなたたちであり、今のチームの限界値よ。もし『自分自身』にすら勝てないのなら、大会で生き残るなんて考えないことね」
戦いは一瞬で爆発した。
幻影の良奈が先手を取った。漆黒の稲妻と化した彼女の動きは、俺たちの知る良奈よりも冷酷で精密だった。
「良奈、防げ!」
俺は叫び、同時に**【観測者】**を起動した。左眼に映る世界は魔法粒子のマトリックスへと変わり、幻影の刃が空気を切り裂く軌跡を捉える。
ガギィィィン!!
二振りの銀刀が激突し、火花が散る。真偽の判別がつかないほどの高速戦闘。だが、幻影の良奈には迷いがない。幻影領域の特性を活かし、実体か残像か分からぬ攻撃で本物の良奈を苦しめる。
「シエン、援護を!」
アイリンが手を合わせ、青い電弧を炸裂させる。だが、幻影のアイリンはさらに早かった。彼女は直接**【穹】**を発動し、純白の空間すべてに白い電流を走らせた。
「しまっ……!」
敵チームの連携は完璧だった。幻影のアイリンが場を制圧する中、幻影のシエン(偽物の俺)もまた、金色の左眼を見開いた。彼は冷徹に俺を見据え、仮想の**【墨淵】**を一閃させる。それは、アイリンが練り上げていた雷の経路を正確に切断した。
「俺の『観測者』までシミュレートされているのか……」
俺は歯を食いしばった。これが「完璧な自分たち」――相手の先を読み、すべての出力を封じ込める絶望。
「いいか!」俺は震えるアイリンの手を握り、良奈の肩を叩いた。「あいつらは『完璧』だが、ただの『個体』だ。俺たちは三人だ!」
左眼を過負荷させ、銀色の光が眼角から溢れ出す。俺は敵ではなく、味方を観測した。
「アイリン、全魔力を俺の墨淵に込めろ! 良奈、刀を見るな、俺の歩法を見ろ!」
アイリンは一瞬驚いたが、不敵な笑みを浮かべると、すべての雷を一点に凝縮し、俺の刀身へと流し込んだ。同時に良奈は防御を捨て、背後を完全に俺に預けた。
これは「完璧なシミュレーション」には存在しない変数――絶対的な自己犠牲の信頼。
俺は一歩踏み出し、墨淵から轟天の雷鳴を響かせた。
「雷閃――墨淵領域!」
漆黑の刃が「蒼」を纏い、良奈の剣影に紛れて不可視の弧を描く。それは幻影の俺の防御構造を真っ向から切り裂いた。
幻影領域が砕け散り、ストラトス・ヴィアの夜風が頬を撫でた。
俺たちは草の上に倒れ込み、激しく肩で息をした。左眼がズキズキと痛み、視界が二重にぶれる。
「はぁ……はぁ……」
アイリンは大の字になって横たわり、「あいつ……私の隠しルートまで読んでた……ひどすぎるわ……」と力なく零した。
「打たれ強くなったわね」
ゲンリ先生が歩み寄ってきた。その瞳には厳格さと、温かな期待が宿っていた。
「だが、毎回限界まで追い詰められてから爆発すればいいというものではないわ」
彼女は屈み、俺の額を指先で突いた。
「シエン。あなたの『観測者』は敵に反応するためだけにあるのではないわ。戦場を『予構』しなさい。戦いが始まる前に盤面を支配できれば、アイリンも良奈も自滅的な攻撃をせずに済む」
そして二人に視線を移した。
「あなたたちも、シエンの指揮に頼りすぎよ。本当のチームの強さは、シエンが声を上げられない時でも、互いの気配を読み取れるかどうかよ」
俺は体を起こし、苦笑した。
「先生、『完璧な自分』に勝つのは想像以上にきついです」
「当たり前よ。人間にとって最大の敵は『慣性(習慣)』なのだから。今日はここまで。必要なのは休息よ。寮に戻って、今の感覚を骨に刻みなさい」
彼女は去り際に、意味深な笑みを浮かべて振り返った。
「そういえばシエン。来月の大会には『竜の国』の子たちも来るわよ。彼らが受けてきたのは、私の幻影領域より百倍残酷な『実戦教育』よ。その二人を守りたいなら……一週間、恋愛ごっこに現を抜かしてちゃダメよ?」
そう言い残し、彼女の姿は霧のように消えた。
女子トイレ。手洗い石鹸の香りが漂う空間で、アイリンの一言が空気を重くした。
鏡越しに、背後の黒い影――良奈を真っ直ぐに見つめる。
「良奈……あなたにとってシエンは……どんな存在なの?」
アイリンの声は震えていた。不安と、相手を大切に思う気持ちが混ざり合っている。
「私たちはこれからチームとして戦う。隠し事はしたくないの。あなたの気持ちが知りたいわ」
良奈は静かに立ち尽くしていたが、ゆっくりと手を伸ばし、顔を覆っていた白い面を外した。
露わになったのは、透き通るような肌と、少し幼さの残る可愛らしい素顔だった。
「……怖いの? アイリン」
良奈の声は清冽だが、珍しく柔らかみを帯びていた。
「あなたは強いし、神出鬼没で……それに」アイリンは鏡の中の良奈の整った顔立ちを見つめた。「凄く可愛いわ。シエンがあなたを見る目は、他の人を見る時と違う。言わなきゃ、彼も、あなたという戦友も失いそうで怖いの」
良奈は沈黙し、銀刀の柄をなぞった。
「私の『正体』を最初に見抜いたのは、シエンだった」
彼女の声には懐かしさが滲む。
「面をつけて闇に潜む私を、彼は飽きることなく追い続け、分析し……最後に言ったの。『本当は可愛い女の子なんだろう?』って」
良奈の頬が微かに赤らんだ。それは普段の冷酷な剣士からは想像もつかない「ギャップ」だった。
「でも、彼の目の中にずっといるのはあなたよ。幻影領域で彼が最初に握ったのはあなたの手。あなたの魔力が切れた時の彼の焦りは、嘘じゃない」
良奈はアイリンを真っ直ぐに見据えた。
「私はシエンに深く依存している。彼は私の救いであり、背中を預けられる唯一の人。でも、私はこの三人の絆をより重んじているわ。感情があるかと聞かれれば……ある。でも、私は三人で最後まで行き、彼が救いたい世界を一緒に見たいの」
良奈は歩み寄り、アイリンの手にそっと触れた。
「アイリン。私は後ろから彼を盗んだりしない。……もし彼が本当に私に惹かれたのなら、それは私の実力よ」
良奈はアイリンの頬を指先で優しく撫でた。戦場での彼女からは考えられないほど温かな仕草だった。
「あなたも可愛いいわよ、アイリン。……それに、今の彼の心は、あなたの方に傾いているはず。あなたが先に勇気を出したんだから、行ってきなさい。彼を待たせちゃダメよ」
廊下の向こう、月光が二人の少女の影を長く伸ばしていた。
俺は窓辺に寄りかかり、買ってきたばかりの布丁と大福の箱を提げていた。
「選ぶとするなら……」
俺は独り言を漏らした。前世のデザイナーとしての執着と、今世の強者としての傲慢さを込めて。
「俺は、二人とも選ぶ」
もしこの言葉を、今の二人が聞いたら、間違いなく窓から放り投げられるだろう。だが本気だ。この動乱の世界、誰が欠けても俺の未来は完成しない。
俺は「クソな」女たらしの思考を振り切り、温かな笑顔を作って二人を迎えた。
「二人とも、お疲れ様」
俺は二人の前に歩み寄り、アイリンにプリンを、良奈に大福を手渡した。
「特訓で疲れただろう。さあ、寮に戻って休もう。明日もまた頑張らなきゃな」
アイリンはプリンを受け取り、何も知らない俺の顔を見て、ふっと笑った。
「バカシエン。あなた、本当に何も分かってないんだから……」
良奈は菓子を受け取る手を止め、面越しに俺を深く見つめると、小さく鼻を鳴らした。
「行きましょう」
彼女の足取りは、いつになく軽やかだった。
俺はアイリンの手を引き、もう片方は良奈の側に寄り添い、三人は静かな廊下を並んで歩いていった。




