セシル
スウィヤの陽光は相変わらず燦々と降り注ぎ、俺たちはいつものようにテーブルを囲んで朝食をとっていた。アイリンはトーストに厚くイチゴジャムを塗り、アウグストゥスは眠そうにブラックコーヒーを啜っている。そんな、至って平凡な朝のひとときだったが――。
コン、コン、コン。
規則正しいが、どこか重みのあるノックの音が響いた。
「誰だ?」
俺はコップを置き、不思議に思いながら大門を開けた。
扉が開いた瞬間、俺は思わず固まった。そこには、戦闘力において他の追随を許さないはずのマキシ先生とレオンさんが、二人して大汗をかきながら巨大な木箱を運び込んでいる姿があった。
「よぉ、シエン。新入生が到着したぞ」
レオンさんは汗を拭いながら俺に声をかけた。その様子は、昨日魔獣を相手にしていた時よりもずっと大変そうに見えた。
「何なんだよ、これ……」
俺は呆然と、二人の屈強な男たちがリビングへ運び込む数箱の荷物を見つめた。箱は異常に重そうで、時折金属がぶつかる音や、柔らかいものが擦れる音が漏れ聞こえてくる。
「それで……本人はどこだ?」
アウグストゥスが食堂から出てきて、リビングを埋め尽くす荷物箱を苦々しく見つめた。彼は辺りを見回したが、二人の導師以外に「天才的な新入生」の姿はどこにもなかった。
「ああ、ここにいるよ」
マキシ先生が神秘的な微笑を浮かべ、腰を落とした。そして、特に空気穴がたくさん開いている中型の木箱の鍵をそっと外した。
「んん……マキシお兄ちゃん……着いたの……?」
雲の中から拾い上げてきたような、ひどく眠たげで幼い声が箱の中から漏れてきた。
「着いたよ。おいで」
マキシ先生が優しく箱の縁を叩いた。
次の瞬間、小さな黒い影が驚くほど軽やかに箱の中から「ポン」と飛び出し、リビングのカーペットの上に着地した。
それは、輝くような長い金髪を持つ少女だった。陶磁器の人形のように精緻な顔立ちに、透き通るような白い肌。少し大きめの寝間着を纏った彼女は、目を半分ほど閉じ、自分の身長と同じくらいある特大の抱き枕をぎゅっと抱きしめている。
ふらふらと揺れ、今にもその場で再び寝落ちしてしまいそうなその姿は、噂の「十二歳で全課程を修了した天才」とは到底思えなかった。
「……みなさん……セシルです……」
彼女は眠そうに目を擦り、長いあくびを一つした。そして俺たちを見上げると、信じられないほど淡々とした口調で言った。
「……私の部屋はどこ? 少し……寝かせて」
リビングは一瞬にして静まり返った。アイリンの口からトーストが落ちそうになり、アウグストゥスの表情は拒絶から驚愕へと変わった。俺はといえば、このわずか十二歳で、小柄ながらも異常な「気だるい」オーラを放つ新しい仲間に、ただ一つの予感を抱いていた。
……どうやら、良奈の隣の部屋は、本当に賑やかになりそうだ。
セシルの小動物のような寝ぼけた姿を見て、アイリンの中にある「お姉ちゃん本能」が瞬時に爆発した。
「か……可愛いーー!!」
絶叫と共に、アイリンは稲妻のような速さで突進した。全員が反応する暇もなく、彼女はその小柄な金髪の少女を力いっぱい抱きしめ、滑らかな髪に自分の頬をすりすりとし始めた。
「初めまして、セシル! 私はアイリン! 今日から私がお姉ちゃんだからね!」
アイリンは高らかに主導権を宣言し、その笑顔は眩しいほどに輝いていた。
突然の「襲撃」を受けたセシルは、まだ完全には目が覚めていないようだった。抱き枕を死守したまま、アイリンの腕の中で人形のように揺られ、「うぅ……柔らかい……狭い……」と曖昧な呟きを漏らしている。
俺はその微笑ましくもカオスな光景に思わず吹き出し、一歩前に出て挨拶をした。
「よろしく、セシル。俺はシエンだ。歓迎するよ」
「……アウグストゥスだ」
アウグストゥスは相変わらず冷ややかな態度を崩さなかったが、少女の周囲を流れる安定した魔力に、一瞬だけ鋭い視線を向けた。
「イン(隠)、……あるいは良奈」
少し離れたところに立つ良奈の声は清らかで穏やかだった。アイリンのような情熱こそないが、その瞳には警戒心よりも「妹」を見守るような温かさが宿っていた。
セシルは顔を上げ、細めた目で俺たちを一人ずつ確認すると、最後に良奈と俺のところで視線を止め、環境の安全性を確かめるように見つめた。そして、電池が切れたように再びアイリンの肩に頭を預けた。
「……みなさん……よろしく……ふぅ……」
「よし、挨拶も済んだことだし、この子は君たちに任せるよ」
マキシ先生は若者たちが打ち解けている様子を見て、深い意味のありそうな微笑みを浮かべた。彼はレオンさんと視線を交わし、門の方へ向かった。
「僕と隊長はもう行くよ。荷物はゆっくり片付けなさい」
マキシ先生の口調が少しだけ公式なものに変わった。「しっかり休んで。明日の朝、この小隊が結成されて最初の正式な任務へ案内する」
そう言い残すと、二人の「導師」は潔く退場した。残されたのは、少年少女たちと山積みの荷物、そしてアイリンの腕の中ですでに寝入りかけている天才少女だけだった。
「観測者」の視界を通すと、目の前の世界は一瞬にして色彩を変えた。
俺の左眼に映るセシルの体内魔力は、極めて稀な「静謐」を湛えていた。街と共鳴するマキシ先生の安定感とは違い、セシルの魔力は底の見えない「死水」のようだ。表面は波一つないが、その実、計り知れない深淵を秘めている。
「俺は主に雷系と火系を扱うんだ」
沈黙を破り、俺は新しいルームメイトに話を振ってみた。「アイリンお姉ちゃんは雷系、良奈は剣士、あっちの傲慢そうな兄貴は氷系魔法だ。セシル、君は何が得意なんだ?」
セシルは小さくあくびをし、瞼をこじ開けて俺を見ようとした。声は相変わらず気だるげで幼い。
「……私は、水系かな。でも、基礎的な属性なら一通り使えるよ」
「基礎属性なら全部?」
俺は絶句した。この世界において、二属性を極めるだけでも天才の中の天才だ。レオンさんのように雷と火を併せ持つ者など、数えるほどしかいない。
「うん。水、火、雷、風……これくらいなら使えるよ……」
セシルは証明するかのように、白く細い手を空中で無造作に振った。
一瞬、指先に赤橙色の火が灯ったかと思えば、それは瞬時に晶瑩な水滴へと変わり、次の瞬間には微型の竜巻へと姿を変えた。そして最後には微かな電光と共に、パチリと音を立てて消滅した。属性を切り替える際の魔力の滞りが一切ない、驚異的な流動性。
「でも、マキシお兄ちゃんみたいな特化した『光』は使えない。得意なのは、やっぱり水かな……」
彼女は再び抱き枕に顔を埋め、ボソリと付け加えた。
「水で作ったベッドが、一番寝心地いいから」
「全……全属性使い(オールラウンダー)なの……?」
アイリンが口をあんぐりと開け、不機嫌そうにしていたアウグストゥスもその場に凍りついた。
十二歳で四つの基礎魔法を極め、自在に変換する。もはや「天才」という言葉では足りない、怪物級の才能だ。
今にも寝落ちしそうな少女を見つめ、俺の心は沈んだ。明日、マキシ先生が俺たちに課す任務。それは、この「全才」と、俺たちのような「偏才」の連携をテストするためなのだろうか。
俺たちは分担して、セシルの重く奇妙な荷物をすべて新居の部屋に運び込んだ。彼女の部屋は俺の斜め向かい、アウグストゥスと良奈の部屋に挟まれた場所だ。
「よし、ここが君の部屋だ」
俺は額の汗を拭い、両隣を指差した。「正面がアウグストゥス、左側が良奈お姉ちゃんの部屋だ。何かあったら叫べばすぐ聞こえるから」
眠たそうにふかふかのベッドへ倒れ込もうとしていたセシルだったが、「アウグストゥス」の名を聞いた瞬間、足が止まった。
彼女は細い目をわずかに開き、何か面白いものを見つけたかのように、小刻みな足取りでアウグストゥスの方へ近づいていった。
「な、なんだよ?」
アウグストゥスは突然の接近に戸惑い、無意識に一歩下がった。防衛本能から指先には冷気が漂い、空気中に氷晶が結び始める。
セシルは何も言わず、白く小さな手を伸ばした。指先で軽く空間をなぞると、純粋な水元素が宙でゆっくりと回り、アウグストゥスの周囲にある凍てつく氷晶にそっと触れた。
ジジ……。
不思議なことが起きた。セシルの水はアウグストゥスの氷に触れても凍ることなく、まるで温かな暖流が氷河に流れ込んだかのようだった。その水は氷晶の隙間を自在にすり抜け、鋭く硬い冷気を少しずつ宥めていく。
「お兄ちゃん……」
セシルが顔を上げた。その幼い顔には年齢に似合わぬ洞察力が宿っていた。「お兄ちゃんの氷……特別だね。力は強いけど、少し硬すぎる。もっと柔らかくなれたら、もっと凄くなるよ」
彼女の言葉と共に水がアウグストゥスの手首を一周した。すると、疲労で滞っていたアウグストゥスの魔力の流れが、一瞬にして驚くほどスムーズになり、彼の顔の疲れまでもが和らいだ。
アウグストゥスはその場に呆然と立ち尽くした。自分の掌を見つめ、瞳には複雑な衝撃が走っていた。名門の英才教育を受けてきた彼にとって、自尊心でもあった「堅氷」が、わずか十二歳の少女が放つ「一塊の水」によって導かれるなど、想像もしていなかったことだ。
「……分かった」
アウグストゥスは顔を背けた。言葉こそぶっきらぼうだったが、そこにあった拒絶と傲慢さは、いつの間にか消え失せていた。
「ふぅ……任務完了。寝る……」
セシルは大仕事を終えたかのように、大の字でベッドに倒れ込んだ。三秒もしないうちに、規則正しい寝息が聞こえ始めた。
セシルの無防備な寝顔を見て、アイリンの表情はこれ以上なく優しくなった。彼女はそっとシルクの掛け布団をかけ、端まで丁寧に整えてあげた。
「悪くないな。……というか、本当に可愛いじゃないか」
アウグストゥスはポケットに手を入れ、ドアに寄りかかってその光景を見ていた。言葉にはまだ照れがあったが、瞳から排斥感は完全に消えていた。「とにかく、ぶん殴りたくなるような自惚れた天才でなければ、文句はない」
「入学したばかりの自分のこと言ってるのか?」
俺はすかさず茶化し、彼にウィンクした。
「シエン! お前……あれは自信だ、自惚れじゃない!」
アウグストゥスは顔を赤くして小声で反論したが、セシルの睡眠を邪魔しないよう大声は出せず、ただ悔しそうに歯を食いしばっていた。
良奈はそんな俺たちのやり取りを見て、口角をわずかに上げた。彼女はドアをそっと閉め、隙間だけを残してこちらを向くと、囁くような声で言った。
「……行きましょう。邪魔をしては可哀想。ゆっくり休ませてあげて。……明日は、きっとこれほど楽ではないから」
俺たちは頷き、静かに部屋を後にした。
リビングにはまだ数箱の荷物が静かに置かれていた。閉まったドアを見つめ、俺の心には様々な感情が去来した。個性の塊のようなこの小隊に、属性を自在に操る全才の少女が加わり、そして構造を見抜く俺の「観測者」がある。
明日、マキシ先生の言う「正式な任務」は、俺たちをどこへ連れて行くのだろうか。
俺は自室に戻り、枕元にある「墨淵」を握った。漆黒の刀身から伝わる冷たさを感じる。この仲間たちと一緒に、もっと強くならなければならない。
夜が更け、スウィヤの喧騒は地平線の彼方へ沈んだ。
裏庭の空気には焦燥感が漂い、草の先で細かな電火花が跳ねていた。俺は一人で空き地に立ち、深く息を吸った。右の手のひらから熱い赤橙色の火を噴き出させ、左手で数筋の青い雷を引き出す。
実力の向上に伴い、俺の操る火と雷はその規模も純度も以前より格段に上がっている。だが、これだけでは満足できない。脳裏にはレオンさんが見せた、二つのエネルギーを圧縮して爆発させる技巧が常にあった。俺は雷を火球の縁に纏わせ、互いに打ち消し合うのではなく、連鎖反応を起こせる均衡点を探った。
「シエン」
月光のように柔らかな声が背後から響き、俺の思考を遮った。
魔力を収めて振り返ると、そこには良奈が立っていた。今夜の彼女は、トレードマークの白い面も、凛とした黒い軍服も身につけていない。柔らかな素材の淡い色のパジャマを纏い、黒い長髪を無造作に肩へ流していた。月明かりの下で見るその顔は、少し幼く、そしてとても可愛らしかった。
「……良奈?」
滅多に見られない彼女の私生活の姿に、俺の鼓動は思わず一回跳ねた。
「……音が、大きいよ」
彼女は階段を下り、柔らかな草を踏みしめて近づいてきた。紫の瞳で静かに俺を見つめるその声には、微かな気遣いが混じっていた。
「ああ、悪い。起こしちゃったか?」
俺は気まずそうに頭を掻いた。手のひらには先ほどの雷の余熱が残っている。
良奈は首を振り、俺の隣に座って膝を抱えた。まだ消えきらない魔力の残滓を見つめている。
「大丈夫、私もまだ起きてたから」
彼女は静かに言い、遠くのアイリンの部屋の方を見つめた。「最近、アイリンも暇さえあれば『蒼』を練習してる。失敗しても、すぐに起き上がって……みんな、強くなりたいんだね」
良奈の澄んだ瞳を見て、俺は悟った。「十二歳の天才卒業生」の話を聞き、正式な任務を控えた今、全員が目に見えないプレッシャーを感じているのだ。
「足を引っ張りたくないからな」
俺は苦笑し、傍らの「墨淵」を握りしめた。「特に、セシルの属性変換を目の当たりにすると……俺たちはまだまだ先が長いって痛感するよ」
「あなたは十分頑張ってるよ、シエン」
良奈が俺を見つめた。月光に照らされた白い横顔に、彼女特有の照れ屋な一面が強く出ていた。彼女は落ち着かない様子で髪をかき上げた。「少なくとも……私の後ろにあなたがいると思うと、私はとても安心する」
「……魔法のことは、明日マキシ先生に聞こう」
良奈は静かに立ち上がると、背後へ手を伸ばした。銀色の武士刀が、まるで月光から抽出されたかのように音もなく彼女の手中に現れた。
「手合わせして。……お願い」
彼女は静かに言った。その瞳は瞬時に戦闘モードへと切り替わり、「イン(隠)」としての鋭い気配がパジャマの柔らかさを突き抜けた。
「ああ、願ってもないことだ」
俺も「墨淵」を抜いた。漆黒の刀身は月光すら吸い込むかのようで、良奈の持つ冷徹な銀光を放つ長刀と鮮明な対比をなしていた。
俺たちは向かい合い、静寂の裏庭で同時に構えをとった。刀先をわずかに下げ、重心を落とす。その動作は、鏡のように瓜二つだった。この官邸に入り、マキシ先生に出会う前。学院での無名の日々、陰で俺に剣術を教えてくれたのは、いつも良奈だった。俺にとって彼女は仲間であり、導師でもあった。
「行くよ」
良奈の言葉が終わるか終わらないかのうちに、足元の草が微かな音を立て、彼女の影が瞬時に肉薄した。
ガキィィン!
剣先が交差し、暗闇の中で火花が散る。
墨淵の重厚さが、銀刀の軽妙さを受け止める。刀身から伝わる振動は、単なる力の衝突ではなく、魔力構造の交換だった。良奈の剣筋は極めて速く、一撃一撃が正確に俺の重心を狙ってくる。俺は全神経を研ぎ澄まし、「観測者」で彼女の微細な動きを捉えなければならなかった。
「遅いよ、シエン」
良奈は身を翻し、銀刀が円弧を描いて俺の力を受け流した。刀先はその勢いのまま俺の肩を指す。俺は咄嗟に後退し、墨淵を下から跳ね上げて彼女の侵攻ルートを封じた。
月下で交差する二人。派手な雷や火炎はなく、ただ純粋な鋼のぶつかる音だけが響く。宙に舞う良奈の長い髪。面の隠し事がないその顔は、集中による紅潮を帯び、いつものクールな「イン」よりもずっと生き生きとして見えた。
「お前も……以前よりさらに速くなったな」
俺は防戦しながら感嘆した。墨淵は主の戦意に呼応するように、柄から熱を放っている。
この深夜の切磋琢磨は、強くなるためだけではない。任務を目前にした、互いの魂の深淵を確認し合う儀式のようでもあった。
俺は良奈の疾風のような二連撃をなんとか受け止めた。両手に凄まじい振動を感じた瞬間、左眼の「観測者」が良奈の体勢の僅かな揺らぎを捉えた。隙あり!
躊躇なく、墨淵で漆黒の半月を描き、良奈の雪のように白く細い首筋を狙った。
だが、刀身が彼女の肌に届く数センチ手前で、腹部に冷たく硬い感触が走った。目を落とすと、良奈の銀刀がいつの間にか逆手に切り返され、正確に俺の腰に突きつけられていた。もしこれが実戦なら、俺の体は両断されていただろう。
「……負けた」
俺は苦笑して墨淵を引き、溜まっていた息を吐き出した。
「……上達してるよ」
良奈は刀を鞘に納めた。その一連の動作は、流麗な芸術のようだった。彼女は静かに息を整え、再び階段に腰を下ろした。
夜はさらに更け、辺りは虫の声が聞こえるほど静かだった。良奈は後ろに手をつき、少し顔を上げて俺を見つめた。その瞬間、彼女の瞳に月光が反射し、まるで幾千もの星が瞬いているかのように見えた。その美しさに、俺は息を呑んだ。
「シエン、もし……」
長い沈黙の後、風に消えてしまいそうな細い声で彼女は言った。
「私が、別の世界から来た……って言ったら、変かな?」
「……え?」
俺は立ち尽くし、心臓が大きく跳ねた。顔には驚愕を張り付かせたが、内面では荒波が逆巻いていた。
「良奈」という名は、このスクウィタン大陸では確かに異質だ。「佐藤良奈」という名が存在するなら、それはつまり……彼女も、俺の知るあの世界から来たということか? 彼女も転生者なのか?
俺は彼女を見つめた。脳内をフル回転させ、「浅蒼秀彦」であることを告白しようと言葉が喉まで出かかった。俺はインテリアデザイナーで、君は今、俺が守りたい空間の中にいるのだと。
だが、良奈は俺の「驚いた」演技を見て、突然鈴を転がすような笑い声を上げた。
「ふふ、冗談だよ」
彼女は照れたように素早く顔を背けた。黒い長髪が彼女の横顔を隠し、表情は見えない。
「……お休み。明日、出発だね」
彼女は立ち上がると、掴みどころのない月光のように、足早に家の中へ駆け込んでいった。
俺は一人、広い裏庭に取り残された。墨淵を握る掌が、じっとりと汗ばんでいた。
良奈、君は一体どれだけの秘密を抱えているんだ? そして、俺もまた前世の魂を持っていると知った時、俺たちの関係はどう変わってしまうのだろうか。




