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異世界の観測者 ~今度こそ、大切に生きていく~  作者: WE/9
学園編

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16/60

最後の時間


引っ越しを翌日に控えた俺たちは、いつもなら片時も離れないはずなのに、暗黙の了解でお互いに一人の時間を作ることにした。

アウグストゥスが言った通り、これから三年間、俺たちはスウィヤで朝から晩まで一緒に過ごすことになる。このわずか一週間は、むしろ離れ離れになる人々や風景に捧げるべき時間なのだ。学園内には淡い哀愁と別れの気配が漂い、騒がしかったグラウンドや食堂のあちこちで、声を潜めて別れを惜しむ生徒たちの姿が見られた。

俺は一人、後山へと続く林道を歩きながら、背中の「墨淵ぼくえん」の位置を無意識に調整していた。この漆黒の刀は冷たいけれど、その重みだけが今は確かな現実を感じさせてくれる。

訓練場を通りかかったとき、遠くにアイリンの姿が見えた。彼女は下級生の子どもたちに囲まれ、どうやら秘蔵のお菓子を記念品として配っているようだった。陽光が彼女の眩しい青髪に降り注ぎ、大げさな身振り手振りに合わせて軽やかに跳ねている。

その背中を見つめていると、胸の内に不思議なさざ波が立った。

正直に言えば、アイリンに対する俺の感情は、最初に出会った時の「美少女だ」という驚きをとうに超えていた。それは決して、ドラマチックで激しい恋慕ではない――絶体絶命の瞬間に必殺技を身を挺して防いだわけでも、月下で愛を囁き合ったわけでもない。俺たちの間にあったのは、数えきれない日常の訓練での支え合いであり、彼女が俺の弁当を盗み食いした後の屈託のない笑顔であり、龍の国で泣きながら俺の名を呼んだあの瞬間の信頼だった。

この「日久生情ひきゅうせいじょう」――時を重ねて育まれた情愛は、スウィヤの朝の微風のように、激しくはないが、いつの間にか心の隅々まで浸透していた。食いしん坊で活発、けれど誰よりも純粋で無垢な心を持つこの少女を、俺はとっくに好きになっていたのだ。

そんな中、子どもたちの無邪気な冷やかしが、しんみりとした別れの空気を一瞬で桃色の気まずさに染め上げた。

「あ、ハイ! シエン!」

アイリンがこちらに気づき、キャンディを持った手を大きく振った。笑顔は相変わらず朝日のように眩しい。

「よお、アイリン。記念品を配ってるのか?」

俺は努めて自然な口調で近づいた。

「そうよ。在庫はいっぱいあるし、この子たちに分けるのもいいかなって」

気風よく言う彼女だが、俺が隣に立つと、自然に体を寄せてきた。肩が触れそうなほどの距離感。無意識の親密さが、俺たちの間に長年連れ添った夫婦のような空気を作り出す。

それを見ていた下級生たちにとって、それは特大の「リア充爆弾」に他ならなかった。

「わあ! シエン先輩とアイリン先輩、すっごくお似合い!」

キャンディを手にした女の子が目を輝かせて叫ぶ。

「本当だ! 付き合ってるみたい! 童話に出てくるカップルそのものだよ!」

別の男子生徒も囃し立てる。

「ちょっ……変なこと言わないでよ! 誰がシエンなんかと……っ」

アイリンの顔が一気に火を噴いたように赤くなり、雷系統の魔力が焦ったように髪先でスパークした。彼女は俺の腕を突き放しながら、支離滅裂な助けを求めてくる。「シ、シエン! あんたからも……何か言って説明しなさいよ!」

穴があったら入りたそうなほど恥ずかしがりながらも、どこか放っておけない可愛らしさを見せる彼女に、前世の「成熟した男」としての悪い遊び心がふと顔を出した。俺は少し腰を落として彼女の耳元に顔を寄せ、周囲にも聞こえるくらいの声で低く笑った。

「ん? 酒場で俺に抱きついて泣いてた時は、そんなこと言ってなかった気がするけど?」

「シエン、あんた……っ!!」

アイリンは雷に打たれたように硬直した。唇を震わせ、蒼い瞳を皿のように丸くしている。まさか俺が酒場での一件を持ち出すとは思わなかったのだろうし、ましてや公衆の面前で反撃してくるとは予想だにしていなかったはずだ。

周囲の下級生たちからは、鼓膜を破らんばかりの黄色い悲鳴が上がった。

「だ、抱きついたぁ!?」

「先輩、かっこよすぎる!」

子どもたちの想像力が暴走しかけたその時、幽霊のように気配を消していた良奈が、いつの間にか俺たちの前に立っていた。

「リナ先輩……?」

男子生徒の数人が息を呑む。良奈は相変わらず冷たい白い面をつけ、黒い制服を風になびかせていた。彼女が静かに佇むだけで、背中の銀の刀と俺の背の「墨淵」が陽光の下で共鳴し合う。その「黒銀の対刀」が放つ既視感は、先ほどの抱擁よりもずっと衝撃的なインパクトを周囲に与えた。

「えっ? なんでリナ先輩とシエン先輩、お揃いの刀を持ってるの?」

「本当だ……刀身の反りまでそっくり。まさか本当の本命は……」

世論の矛先が瞬時に切り替わる。アイリンの顔色は赤から鉄青色(雷が暴走する前兆だ)に変わり、良奈も面の下で呼吸を乱しているのがわかった。俺は「執行官」としての自覚を持ち、この混乱を強引に鎮圧することに決めた。

「よし、みんな落ち着け」

俺は一歩前へ出て、アイリンと良奈を庇うように手を広げた。呆れを含みつつも、かつてないほど毅然とした口調で告げる。「彼女たちは、俺の大事な戦友だ。これからもお互いを守り合い、一緒に強くなって、共に歩んでいくつもりだ」

「好き」と「守る」の境界をあえて曖昧にし、大陸を渡り歩く冒険者のような言い回しで、この騒動に体裁の良い結末を与えた。言い終えると、俺は「かっこいい先輩」のイメージを維持したまま、膨れっ面のアイリンと沈黙した良奈を連れて、崇拝と邪推の入り混じった視線の中を大股で立ち去った。

誰もいない校舎の角まで来て、ようやく俺は安堵のため息をついた。背中のシャツは冷や汗でびっしょりだ。

「……シエン、さっきの言い方……」

アイリンが顔の赤みを残したまま、小さく呟いた。「……まあ、合格点よ」

良奈は黙って反対側へ歩き、指先で面の縁に触れた。言葉はなかったが、彼女の纏うオーラが少しだけ柔らかくなったのを俺は感じ取っていた。

深夜のテラス。風には別れの季節特有の冷たさが混じっている。

スウィヤの街の灯火が遠方で瞬き、これから幕を開ける盛大な夢を予感させていた。アイリンはテラスの縁に座り、足を軽快に揺らしながら「最後の在庫」だというハニーパイを頬張っている。俺と良奈は欄干に寄りかかり、甘酸っぱいハーブティーを手にしていた。

「明日……卒業なんだな」

夜空を見上げながら、俺は感慨深げに呟いた。

「そうね……結局、食堂のメニューを全部制覇できなかったわ」

アイリンはクッキーを噛み砕きながら、口いっぱいに不満をこぼした。「あんなに美味しい限定のクリームリゾット、もっとお代わりしとけばよかった……」

最後の最後まで変わらない彼女の様子に、俺は思わず吹き出した。それから、隣の良奈に視線を移した。月光の下、面を外した彼女の素顔は清廉で、どこかこの世のものとは思えないほど美しかった。

「相変わらずだな、お前は……」

アイリンにツッコミを入れつつ、ふと思い出したように背中の長刀に意識を向けた。「あ、そうだ。良奈、この『墨淵』って、一体どこから持ってきたんだ? 学校でも見たことなかったし、これほどの業物、ただの代物じゃないだろ?」

良奈の体が明らかに強張った。カップを口に運ぼうとした手が空中で止まる。平穏だった瞳が激しく泳ぎ、彼女はしどろもどろに言葉を紡ぎ始めた。

「あ……これ? それは……ええと、実家の蔵で見つけたの。そう、偶然見つけたのよ! あなたに似合うと思ったから、持ってきただけ。それだけよ!」

彼女は必死にカップの中の氷を見つめた。まるでそこに世界の真理でも隠されているかのように。頬には熟したリンゴのような紅潮が浮かんでいる。

(……絶対に嘘だ)

俺もアイリンも言葉には出さなかったが、目が合った瞬間、脳波は完璧にシンクロした。これほど下手な嘘はないし、何よりこの「観測者」の眼ですら底が見えない神秘的な質感は、どう考えても「実家の蔵から適当に掘り出した」ガラクタなんかじゃない。

俺は鼻の頭を掻き、今にもカップに顔を埋めそうな良奈を見て、好奇心と共に温かな気持ちが湧き上がるのを感じた。

「お前の気持ちだ、大事に使わせてもらうよ」

俺は静かに、けれど心を込めて言った。

「そういえば、アウグストゥスは何をしてるんだ? 卒業の打ち上げにも来ないなんて」

俺は気まずい空気を変えようと話題を振った。

「まだ酔い潰れてるんじゃない? 昨夜、クレドさんに一番飲まされてたし。道端の石像にラブソングを歌ってたって噂よ」

アイリンがクッキーの屑を払いながら、呆れ顔で答えた。

しかし、良奈は俺を逃してはくれなかった。彼女はカップを置き、月光に照らされた横顔で真っ直ぐに俺を見つめた。

「シエン。この一年間の訓練で、アイリンは『蒼』の力を制御し、すぐには気絶しなくなった。アウグストゥスだって酒好きだけど、魔法の有効範囲を二倍に広げた。……そして私は、百メートル以内なら完全に気配を消して暗殺を遂行できる」

彼女は語気を強め、俺の瞳の奥を射抜くように言った。

「……あなたは? その眼以外に、何か特別な進歩があった? 結局まだ、あの『電火砲』しか使えないんじゃないの?」

カップを持つ俺の手が止まった。

良奈の言葉は針のように、俺が最近抱いていた「現状維持」という名の幻想を正確に突き刺した。思い返せばこのところ、俺はレオン兄貴から教わった雷と火を組み合わせた「レールガン」の概念に胡坐をかいていた。アイリンの強力な火力、良奈の精緻な剣技、そして【観測者】による情報優位。俺は確かに……足踏みをしていた。

俺は膝の上の「墨淵」を見下ろした。漆黒の刀身が、月光の下で眠れる獣のように静まり返っている。

「……その通りだ」

俺は苦笑し、漆黒の柄を指でなぞった。「お前たちに甘えてた。過去の経験にも……頼りすぎていたよ」

「わかればいいのよ」

良奈は再び白い面を装着した。声はいつもの冷酷なものに戻ったが、最後に小さく付け加えた。

「スウィヤに行ったら……みっちり練習を見てあげるわ」

三人並んでテラスを降りると、足音が静まり返った寄宿舎の廊下に虚しく響いた。

これが俺たちの「学生」としての最後の道のりなのだろう。廊下の壁灯が明滅し、アイリンの乱れた青髪と、良奈の冷たくも美しい横顔を映し出す。テラスでの「実力差」についての会話が、軽やかだった空気に「覚悟」という名の重みを与えていた。

自室の前に着いたとき、俺は足を止め、死線を共にしてきた二人の少女に向き直った。

「アイリン、良奈。おやすみ。また明日」

俺はアイリンの活気に満ちた蒼い瞳と、良奈の深く澄んだ黒い瞳を交互に見つめ、静かに告げた。

「おやすみっ!」

「……また明日」

二つの声がほぼ同時に重なった。アイリンの声には眠気と名残惜しさが混じり、良奈の声は平坦ながらも、普段のような拒絶の色はなかった。

あまりに揃った返事に、一瞬だけ妙な空気が流れる。二人は同時に固まり、それから何かを感じ取ったように視線を交わした。その短い火花のような交差の中に、俺はライバル心と、言葉にできない戦友としての絆を見た。

余計な言葉はなかった。アイリンは俺に手を振って跳ねるように部屋へ入り、良奈は微かに頷くと、黒いマントを翻して優雅に隣の部屋へと消えていった。

――パタン、パタン。

二つの閉まる音が響き、廊下は再び静寂に包まれた。

俺は一人、ドアの前に立ち、背中の「墨淵」の銀の鞘に触れた。さっきの二人の「また明日」という言葉が、まるで目に見えない契約のように、ずっしりと俺の心に重くのしかかる。

学校に入ってから、俺の実力は確かに成長していなかった。魔力量こそ増えたが、新しい技を開発することも、眼の可能性を広げることも怠っていた。このままじゃ、本当に二人についていけなくなる。

俺は自嘲気味に笑い、ドアを押し開けて部屋に入った。

漆黒の部屋に、窓からスウィヤの微光が差し込んでいた。今夜は、穏やかに眠ることはできそうにない。良奈の放ったあの痛烈な真実が、俺の中の「強くなりたい」という焦燥と渇望に、完全に火をつけたからだ。

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