計謀
俺はアウグストゥスに向けてカウントダウンの合図を送る。指が一本落ちるごとに、空気は一分ずつ凝固していく。
五、四、三――。
「――ッ、ギィィィン!」
鋼鉄同士が激突する鋭い音が扉の外で爆ぜた。門の隙間から細かな火花が漏れ出す。俺たちは一切の躊躇なく、俺が扉を蹴り飛ばすと同時に、アウグストゥスと前後して外へ飛び出した。
廊下の蝋燭の火が、激しい空気の流動に揺らめく。視界の先では、良奈の姿が黒と白の残像となり、数人の黒装束の刺客と激しく切り結んでいた。刺客たちは全身を漆黒のタイツのような服に包み、人間離れした動きを見せる。龍人の特徴があるかは判別できないが、その沈黙の殺気は寒気がするほどだ。
「貴様ら! 王宮内で何という真似を!」
アウグストゥスが怒号を上げ、手に持った長剣に燦然とした闘気を纏わせて戦場へと割り込む。
俺は素早く廊下の角まで退き、掌に魔力を漲らせた。いつでも精密な魔法援護を行えるよう身構える。俺の目は戦局を凝視していた。良奈の動きは普段よりも苛烈だ。銀色の武士刀が空中に完璧な円弧を描き、電光石火の勢いで刺客の一人の頸部を狙う。
だが、敵の連携は見事だった。もう一人の刺客が即座に側面に回り込み、絶妙な角度で良奈の必殺の一撃を弾く。
「……チッ」
良奈が極めて小さな舌打ちを漏らす。宙で信じられないほどの柔軟さで身体を捻り、背後から放たれた苦無のような暗器を紙一重でかわした。
戦闘が白熱したその時、廊下全体の空気が一瞬で吸い取られたような感覚に陥った。
重厚で、先ほどの龍王にさえ匹敵するような凄まじい威圧感が、廊下の突き当たりから押し寄せてきた。
「騎士団長である! ここで何が起きている!」
雷鳴のような低い男声と共に、暗金の重装鎧を纏い、深紅の外套を羽織った巨漢が姿を現した。一歩ごとに床が震え、兜の影に隠れた瞳からは身の毛もよだつような威厳が放たれている。
刺客たちは団長が現れた瞬間、まるで煙のように、極めて鮮やかな手際で後方へと撤退し、影の中へと消えていった。
良奈は片膝をついて着地し、銀刀を横たえて身を護る。相手が騎士団長であっても、彼女の戦意に満ちた緊張感は微塵も緩まない。アウグストゥスも荒い息を吐きながら俺の側に戻ってきた。俺たち三人は壁を背にし、突如現れた龍の国最強の武力を警戒した。
「異国者どもめ。我らが王宮で勝手な振る舞い、許しがたい!」
団長の声は大理石の廊下に反響し、その威圧感は怒声と共にさらに膨れ上がる。仮面の下の良奈の顔は青ざめ、アウグストゥスの剣を握る手はその圧力に微かに震えていた。
だが、俺の意識は目の前の威厳ある団長にはなかった。
左目の【観測者】は発動していないが、長年の経験によるエネルギーへの鋭敏な感覚が狂ったように警鐘を鳴らしていた。おかしい。絶対におかしい。アイリンは寝坊助だが、彼女の体内の雷エネルギーは嵐の前の空のように眩い。熟睡していようとも、俺の感知範囲から完全に消えるなど不可能なのだ。
この廊下には、俺たち三人の魔力波動と、目の前にそびえ立つ騎士団長のそれしかない。
アイリンの部屋は――空だ。
「……違う!」
俺の叫び声が、静寂の廊下に突如として響いた。俺は殺気を放つ団長など構わず、脳よりも先に身体を動かした。隣にあるアイリンの部屋の扉へ向き直り、掌に暴虐的な火球を瞬時に圧縮する。
「ドォォォォン――!」
激しい爆発が精巧な木扉を粉々に砕き、火光が室内の光景を照らし出した。俺の心臓は一気に底へと沈んだ。
ベッドで熟睡しているはずの青髪の少女の姿はどこにもなかった。整えられていたはずのシーツは無残に乱れ、枕が床に落ちている。明らかに抵抗した跡だ。ベッドの正面にある掃き出し窓は暴力的にこじ開けられ、冷たい夜風が室内に吹き込み、真っ白なカーテンを激しく揺らしていた。
空気の中には、極めて微かに、だがあのララヴィアを彷彿とさせるサキュバス特有の甘ったるい香りが残っていた。
「アイリンが……連れ去られた……ッ!」
俺の声は怒りと恐怖で震えていた。
先ほどの暗殺騒ぎは、俺たちの命を奪うためじゃない。俺と良奈、アウグストゥスを廊下へ引き出すための囮だったのだ。あの黒い影も、そして刺客が消える絶妙なタイミングで現れたこの「騎士団長」も、全員がこの誘拐事件の共犯者だ!
「あの威圧感の中で、仲間の心配をする余裕があるとはな」
騎士団長が冷鼻を鳴らし、砕けた床の上で重いブーツを軋ませた。巨大な剣が一寸ほど引き抜かれ、鋭い寒気が立ち込める。「真相が判明するまで、貴様らをこの部屋から出すわけにはいかん」
俺は顔を上げた。左目の瞳孔が激しく収縮し、隠されていたエネルギーの流れが視界の中で鮮明かつ狂暴に映し出される。
「――どけ」
俺は団長を凝視し、自分でも驚くほど冷徹な声で告げた。
転生以来、これほどまでに感情を排した、殺意の濃い口調で話したのは初めてだった。視界の中の世界は一変していた。【観測者】の視覚を強引に極限まで引き上げ、過負荷による脳の痛みに耐えながら、灰色の構造世界の中に一筋の、微かに躍動する青白い光点を見つけた。
アイリンの魔力の残滓だ。彼女が最後に残してくれたナビゲーション。
「私に指図するか? 小僧、明日を拝めぬようにして――」
団長の言葉は遮られた。俺が瞬時に放った、高圧魔力を凝縮した氷錐が、彼の厚重な甲冑の上で真っ白な霜を爆ぜさせたからだ。
「シエン、行けッ!」
横から怒号が飛んだ。アウグストゥスが迷いなく俺と騎士団長の間に割り込んだのだ。彼がいつも誇示していた燦然たる金色の剣気が、今、かつてないほど激しく燃え上がっていた。
「ここは俺が食い止める! 私は家名の継承者だ、こんなデカブツに臆したりはしない!」
アウグストゥスは振り返らずに叫んだ。その瞬間、彼の細身の背中がとてつもなく大きく見えた。
俺の胸に、前世を含めても稀なほどの感動がこみ上げる。だが、礼を言っている場合じゃない。
「死ぬなよ、アウグストゥス!」
隣に立つ良奈を見た。彼女もまた鋭い気配を纏い、既に刀を鞘に収め、全速力で突進する準備を整えている。
「行くぞ、良奈! こっちだ!」
俺は窓の外、裏山へと続く、微かな雷電の波動が残る影の道を指差した。俺たちは二人で砕けた窓から飛び降りた。背後からは、アウグストゥスと騎士団長の巨剣が激突する轟音が響いてきた。
風が耳元をかすめる。俺の左目は、消えゆく青い光を死守するようにロックオンしていた。
夜の龍の国の裏山は、肺が凍りそうなほど寒かった。俺と良奈は二筋の残像となり、険しい林の中を猛スピードで駆け抜ける。
「ペンダントを守って。万が一コントロールを失ったら、私が注意を引くわ。あなたはすぐにクレドを呼んで」
疾走しながら良奈が低く囁く。彼女の銀刀は既に抜かれており、冷たい月光が刃の上で揺らめき、仮面の下の厳粛で決然とした瞳を映し出していた。
「ああ」と短く応える。胸元の赤いペンダントから伝わる微かな熱。それが俺たちの最後の切り札だ。
上空からは巨大な翼の羽ばたきが聞こえ、巡回の龍騎士たちが松明を手に流星のごとく天を過ぎる。俺たちは気配を殺し、魔力波動を最小限に抑えながら、幾重もの捜索網を潜り抜けた。
裏山の深部へ進むにつれ、空気中の電子が異常なほど活発になってきた。肌の産毛が静電気で逆立つ。アイリンの、あの嵐のような雷電の感応が、俺の知覚を狂おしいほどに突き刺していた。
最後の銀杉の林を抜けた時、俺たちは息を呑んだ。
そこにあったのは、古く壮大な祭壇だった。石柱には歪んだ龍語の呪文が刻まれ、不気味な紫光を放っている。ララヴィアがその祭壇の前に静かに立っていた。月光に照らされた彼女の姿は不気味なほど長く、顔には相変わらず得体の知れない嘲笑を浮かべている。
「アイリンはどこだ……?」
俺は奥歯を噛み締め、左目の痛みを堪えながら【観測者】を強制発動させようとした。
しかし、その瞬間、背筋の産毛が総立ちになった。
「危ない!」
良奈の悲鳴と同時に、背後から何の前触れもなく、津波のような恐怖の力が爆発した。
抗う術などないほどの強大な力。俺と良奈は巨人の手に払われた落ち葉のように吹き飛ばされ、そのまま祭壇の中央へと叩きつけられた。冷たい石板に体が激突する。
――ゴン!
続いて重い物体が俺たちの側に放り投げられた。痛みに耐えて顔を上げると、そこには気を失ったアウグストゥスが転がっていた。自慢の金髪は泥に汚れ、胸の甲冑には深い凹みが刻まれていた。
「これが君たちの言う『エリート・チーム』かい?」
重い鉄靴の足音が響く。騎士団長が高所から飛び降り、暗金の重装鎧が絶望的な威圧感を放つ。彼は逃げ場を塞ぐ鉄塔のごとく立ちはだかり、門板のような巨剣を引きずりながら、石板との摩擦で火花を散らした。
「これであと二人。『祭物』の構造は完成したわ」
ララヴィアが残酷な狂信を宿した瞳で振り返り、祭壇の中心でゆっくりと裂けゆく空間を指差した。
「見なさい。あれこそがあなたたちの探している『星の花』の本当の養分よ」
空間の裂け目の中に、俺はようやくアイリンを見つけた。彼女は無数の透明な雷の鎖によって宙吊りにされ、その鎖は貪欲に彼女の体内の純粋な白い雷を吸い上げていた。
「ハァッ!」
良奈が鋭い戦吼を上げ、一筋の銀光となって騎士団長の喉元を狙う。
底知れぬ実力を持つ団長を相手にしても、死中に活を求める彼女の剣術は、一瞬の間に巨剣と激しい火花を散らした。だが、圧倒的な力差に押され、一撃受けるごとに彼女の虎口からは血が滲んでいるのが分かった。
――時間は稼げた。
『(耐えてくれ、良奈!)』俺は心の中で叫び、クレドから託された紅水晶を右手に握りしめた。もはや魔力を惜しむ段階ではない。全身の回路が焼き切れるほどの熱を帯び、全てのエネルギーを水晶へと注ぎ込む。
「ああっ!」
良奈の悲鳴が水晶の共鳴を遮った。騎士団長の無慈悲な盾の強打が彼女を吹き飛ばしたのだ。良奈は宙で体勢を整え、俺の側へ着地する。再び立ち上がろうとする彼女の前で、ララヴィアが残酷な笑みを浮かべた。
「可愛子ちゃん、少し眠りなさいな」
ララヴィアが良奈に向かって投げキッスを送る。その瞬間、良奈の身体が強張り、銀刀が手から滑り落ちた。彼女は力なく石板の上に崩れ落ちた。
魅惑ではない。馬車の中ですでに仕掛けられていた罠だ。彼女を弄んでいた時に、何らかの「構造的毒素」が植え付けられていたのだ。この瞬間のために。
「あとは君だけよ、坊や」
ララヴィアが唇を舐め、長い肢体をくねらせて近づいてくる。背後では騎士団長が大地をも断ち切らんばかりの巨剣を振り上げた。
「――お前ら、一体何がしたいんだ?」
俺は完全に冷静になった。極限の怒りの先にある、凍てつくような冷静さだ。左目の【観測者】が自動的に起動し、視界の世界は線とコードで構成された白黒の空間へと変わる。
左手に超高温の火球を、右手に狂暴な雷電エネルギーを。それらを交差させ、電火砲を放とうとしたその瞬間――。
頭上の厚い雷雲が、何者かの手によって強引に引き裂かれた。
「――おいおい。龍の国の連中。俺のいない隙に後輩をいじめるなんて、感心しねえなあ?」
傲岸不遜な声が天から降り注いだ。
――ドォォォォン!
紅の流星が祭壇の中心に直撃した。煙が晴れた先には、炎のような赤髪を月光に輝かせるクレドが立っていた。彼は腰の【天火之刃】に手をかけ、龍の国の最高戦力を前にしても、相変わらず不敵で余裕たっぷりの笑みを浮かべていた。
「――【瞬獄】」
彼が低く呟くと、俺の【観測者】の視界の中で、彼の姿が無数の赤い線へと変わった。
時間の感覚を超越した速度。
「パキン! パキン! パキン!」
鎖の砕ける音が重なり、アイリンを縛っていた雷の鎖が百分の一秒で霧散した。続いて、ララヴィアの腹部から鮮血が噴き出す。彼女は悲鳴を上げる暇もなく、刀気によって十数メートルも吹き飛ばされ、石柱に激突した。
クレドは優雅に刀を収め、俺たちの前に立ちはだかった。
「あんちゃん。今すぐ手を引くなら、斬らないでおいてやるよ」
クレドは騎士団長を見据え、「今日の飯は何だ?」と聞くような軽い調子で言った。
「ぬかせ……クレドッ!」
騎士団長が咆哮し、門板のごとき巨剣を一閃させる。剣風が地面の石板を巻き上げた。
「「――戦るか!」」
二人が激突した。もはや人間の眼では捉えきれない死闘だ。
巨剣と唐刀が正面からぶつかり、祭壇を中心に目に見えるほどの衝撃波が広がる。騎士団長の力は龍の咆哮のごとき重圧を伴い、地面に巨大な亀裂を走らせる。対するクレドは、捉えどころのない炎のように巨剣の残像をすり抜けていく。
クレドの刀は速すぎた。【天火之刃】が描く紅の軌跡が空間を切り裂く。
「遅えよ、大将!」
クレドは振り下ろされた巨剣の腹を爪先で蹴り、宙で身体を翻しながら、相手の重甲の上に火花の列を刻み込む。
団長は冷鼻を鳴らし、左手の重盾でクレドの着地点を予読みして薙ぎ払う。
――ドォン!
クレドは刀の柄で盾を受け止め数歩退がるが、その反動を利用して再び姿を消した。
俺の視界では、二つの極致の構造が衝突し合っていた。騎士団長は「不動の山」のごとき要塞。一撃一撃が周囲の空間を圧縮している。一方のクレドは「無孔不入(隙あらばどこからでも入る)」の極限の流体。鉄壁の防御の中に、一糸の隙間を見逃さず食らいついていく。
火光と巨剣の残像が交じり合い、裏山全体が二つの強大なエネルギーの衝突に震えていた。
祭壇の周囲の空気が一瞬で吸い込まれ、血の匂いと焦げ付いた魔力の気配が夜風に混ざる。
クレドと団長が拮抗する中、重傷を負って倒れていたララヴィアが怨嗟の叫びを上げた。彼女は身体を歪ませ、右手を鋭い魔爪に変えて、気を失っているアウグストゥスへ飛びかかった。
しかし、紅い閃光が走った。
「ぎゃああああああ!」
ララヴィアの悲鳴が響く。彼女の爪が届くよりも早く、クレドの電光石火の横一文字が、彼女の右腕を根元から切断していた。
「チャンスはやったはずだぜ」
クレドの声は、恐怖を感じるほど静かだった。それは極限まで抑え込まれた火山が噴火する直前の静寂。
【天火之刃】が飢えたように鳴動し、暗紅色の刀身が完璧な弧を描く。今度はララヴィアに命乞いの時間すら与えられなかった。一筋の鮮烈な紅光が通り過ぎると、美しくも狡猾なその首が月夜に舞った。氷の石板の上に「ゴロゴロ」と転がったその頭部は、死ぬ間際まで自分の身に起きたことが理解できていないように、目を剥いたままだった。
転生して初めて、俺は「死」を目の当たりにした。魔物が浄化されて灰になるのではなく、生きていた命が暴力的に断ち切られる光景を。
戦闘はララヴィアの死で終わるどころか、一方的な蹂躙へと変わった。
クレドが本気を出したのだ。彼の姿は【観測者】の視界で狂暴な赤い流星へと変わる。彼の固有スキル――**【瞬獄】**の極致だ。
「赤い突破」が祭壇の至る所で閃き、団長の誇る重厚な鎧は、クレドの前では薄い紙も同然だった。火花と鮮血が飛び散る。
「ぐ、はぁっ!」
団長が苦悶の声を上げる。その身体には骨まで達する無数の傷が刻まれていった。
最後は、クレドの淀みのない突き。天火之刃は狂暴な熱を帯び、団長の右肩を貫いて石柱へと深く縫い付けた。
団長の手から巨剣が滑り落ち、甲高い音を立てる。彼は力なく項垂れ、鎧を伝って落ちる鮮血の中で、掠れた声で呟いた。
「これが……勇者、か……」
祭壇に死寂が訪れた。
クレドは深く息を吐き、ゆっくりと長刀を引き抜いた。身体を覆っていた紅光が収まっていく。俺たちを振り返った彼の顔から殺気は消え、そこにはいつもの優しく、余裕に満ちた笑顔があった。
彼は、たった今二つの命を奪ったその手を、俺に差し出した。
「大丈夫か?」
その胼胝だらけの手を見つめながら、俺の心には複雑な感情が渦巻いた。この圧倒的な力を持つ男を、俺は恐れるべきなのか? だが、彼の瞳には残虐性はなく、ただ仲間を守り抜くという決意だけがあった。
俺は一瞬躊躇した後、その手をしっかりと握った。彼の力を借りて、震える足で立ち上がる。
「……大丈夫です。ありがとうございました」
同時に、良奈も銀刀を杖代わりにし、ふらつきながら立ち上がった。彼女は仮面を直し、俺に小さく頷く。アウグストゥスも呻き声を上げ、体内の魔力がようやく安定し始めたようだ。
「アイリン!」
俺は祭壇の中央へ駆け寄り、雷の残滓が漂う中で、力なく落ちてきた青髪の少女を受け止めた。
「大丈夫か? アイリン! 起きてくれ!」
肩を揺らす。指先に触れる彼女の肌からは微かな静電気が伝わり、ピリリとした痛みが走る。呼吸は浅く弱々しい。紅潮していたはずの頬は紙のように白く、夢の中でも苦痛に耐えているように眉をひそめていた。
その姿を見て、俺の中の憤怒が理性を超えそうになる。
「命に別状はないはずだ。強引に魔力を引き出された後遺症だろう」
背後から、クレドの落ち着いた、そして絶対的な信頼を置ける声が届いた。
彼は歩み寄り、俺と良奈の肩に手を置いた。その手の熱さは、体内に火山を秘めているかのようだった。
「ここに居るのは危険だ。別の場所へ連れて行く」
――ドォォン!
耳を劈くような音が響き、視界が再び歪み、無数の紅光の筋となって伸びる。内臓が押しつぶされるような空間跳躍の感覚。
意識を戻した時、足元は硬い岩場に変わっていた。
連れてこられたのは、龍の国の首都を一望できる高い崖の上だった。冷たい強風が髪を乱し、俺の混乱した頭を冷やしてくれた。良奈は刀を支えに立ち、アウグストゥスはまだ脇でえずいている。
「スウィヤの軍勢がこちらに向かっている。彼らが君たちを収容するはずだ」
クレドは手を離し、夜闇に眠る王宮の方へと向き直った。その瞬間、俺たちに向けていた温和な笑みが完全に消え去り、身の毛もよだつような冷酷さが彼を包み込んだ。
周囲の空気が不自然に歪み、勇者だけが持つ粛殺の気が、辺りの積雪を音もなく溶かし始める。
「俺の身内に手を出した報いだ……」
クレドは【天火之刃】の柄を握り、その視線は氷の刃のごとく鋭かった。
「王宮の連中に、きっちり落とし前をつけさせてくる」
――ドォォォォォン!
雷鳴のような爆音が響き、クレドの姿は一筋の血紅の流星となって、王宮へと一直線に突き進んでいった。
崖の上に残された俺たちは、眼下の街を呆然と見守るしかなかった。
数分後、権力の象徴である王宮の頂から、雲を貫く紅い火柱が立ち昇った。次いで連続する爆発音が響き渡り、宮殿全体が炎の海に飲み込まれていく。
夜空には無数の龍騎士たちが迎撃のために飛び立ったが、あの紅い閃光の前では、巨大な飛龍ですら糸の切れた凧のように血を吐き、次々と墜落していった。
俺は腕の中で血色の戻り始めたアイリンを見つめ、炎上する王宮を仰ぎ見た。
この「龍の国」への旅――その外交任務は、もはや一方的な「処刑」へと変わったのだと悟りながら。




