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異世界の観測者 ~今度こそ、大切に生きていく~  作者: WE/9
学園編

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12/60

龍の国


西暦826年。学院の古びたオークの木々の隙間から陽光が漏れ、大地に細やかな金色の斑点を落としていた。

この年、俺は13歳になった。

魂が43年も生きている人間にとって、13歳というのは本来なら気恥ずかしい青二才の時期だが、魔力に満ちたこのスクウィタン大陸では、この一年こそが俺の安定へと向かう重要な転換期となった。

良奈ラナのスパルタじみた調教のおかげで、俺とアウグストゥスは今や剣を握れば、身体の重心の沈み込みや切っ先の微かな角度に至るまで、西洋剣術の鈍重さを完全に脱していた。それは良奈の技術特有の、流水のように致命的な構えだ。アウグストゥスは口にこそ出さないが、その剣筋の鋭さを見るに、クレドへの憧れをそのまま原動力に変換したらしい。

そして、俺にとって剣術や【観測者】の開発以上に顕著な変化は、アイリンだった。

「シエン! 練習に付き合って!」

活気に満ちたその呼び声が耳元で弾ける。抗いがたい明るさを伴ったその声に振り返ると、走るたびに軽快に揺れるアイリンの青い髪が見えた。彼女の瞳は一年半前よりも強く、それでいて俺への依存心は変わらずそこにあった。

俺は心の中で苦笑する。精神年齢がおじさん級の人間にとって、これほど純粋な少女を見つめるのは、俺の内なる「理性」という防壁を少しずつ溶かしていくようなものだ。これが初恋というものなら、俺はとっくに降参しているのかもしれない。

「分かった」俺は思考を切り替え、木陰で目を閉じている幻理先生を振り返った。「幻理先生、アイリンが練習したいそうです」

先生は目を開けることすらなく、ただ気だるげに手を伸ばし、空中に優雅な弧を描いた。

「安全にね。後で進み具合を見に行くわ」

――パチン!

乾いた指鳴らしの音と共に、周囲の世界が半透明のインクを被ったように変貌する。現実の校舎は急速に退き、代わって現れたのは果てしなく広がる、少し暗い色調の「幻影領域ファントム・フィールド」だ。ここは、秘密を覗かれる心配も器物損壊の心配もない、俺たちがこの一年で最も親しんだ修練場だ。

「行くわよ、シエン!」

アイリンは深く息を吸い、細い手のひらを広げた。左目の視界の中で、彼女の体内の雷元素は以前のように暴走することなく、極めて精密な構造によって束ねられ、圧縮されていた。

「『蒼』」

凛とした掛け声と共に、彼女の指先に白い極小の雷球が形成される。テニスボールほどの大きさだが、そこに凝縮されたエネルギー密度は恐ろしいほどだ。それは彼女が「制御」を学んだ証だった。

「綺麗な構造だ」俺は腰の長剣を抜き、良奈直伝の防御姿勢をとる。「来い。その雷球の軌道を見せてくれ」

アイリンは自信に満ちた笑みを浮かべた。だが俺は知っている。「蒼」は使いこなせても、戦局を覆すあの一撃――「そら」は、今の彼女にとっても未だ重すぎる負担だ。あれは本当の切り札であり、万に一つも使わせたくないのが本音だった。

「無限の魔力」を誇るこの幻影領域において、アイリンはまさに雷の女神だった。

無数の白い電光が空間を縦横無尽に駆け巡る。俺は【観測者】をフル稼働させて落雷地点を解析しようとするが、その飽和攻撃を避ける術などない。制服は焦げ、髪は逆立ち、最後には無様に手を挙げて降参するしかなかった。

しかし、最初はぎこちなかったアイリンが、今や「蒼」の弾道を意のままに操る姿を見ていると、ある種の「育成感」が俺の筋肉痛を和らげてくれる。

「えへへ、シエン、見た? これが『蒼』の威力よ!」

アイリンは腰に手を当て、紅潮した顔に「褒めて」と言わんばかりの自慢げな表情を浮かべていた。滞留する微弱なプラズマを背景に立つ彼女は、目を奪われるほど美しかった。

「はぁ……はぁ……普段からそれくらい強ければいいのにな」俺は幻影領域の床に大の字になって、アイリンに白目を向ける。

アイリンはクスクスと笑い、俺の毒づきなど気にせず、当然のように隣に座った。二人の肩が触れ合う。冷たい領域の中で、運動後の彼女の熱い体温が衣服越しに伝わってきて、少女特有の微かな香りが鼻をくすぐる。

また心拍数が上がるのを感じたが、今回は避けなかった。むしろ、この静寂を貪欲に楽しむことにした。

「アイリン、後で何食べる?」呼吸を整え、彼女の横顔を見つめる。

「うーん、練習の後はいつもお腹がペコペコだわ」彼女は困ったように首を傾げた。

「訓練の成果に免じて、学食のチャーハンを奢ってやるよ」俺は笑って提案した。あそこのマスター特製のボリューム満点なチャーハンは、この学院で数少ない魂を癒やす美味の一つだ。

「やった! 行きましょう!」

アイリンの目が輝く。食べ物の話になった途端、先ほどの強大な魔法使いのオーラは消え失せ、純粋な喜びが溢れ出した。彼女は俺の手を掴むと、柔らかい小さな手で力一杯俺を引きずって出口へと走り出した。

幻理先生が領域を解く。現実世界の夕日の下に戻ると、少し離れた場所で剣を振っていた良奈が動きを止めた。彼女の深紫の瞳は仮面越しに、重なり合った俺たちの手を静かに見つめていた。

食堂の喧騒が遠のき、俺たちが座る小さなテーブルの周囲にだけ、奇妙な空気が流れていた。

アイリンは相当疲れていたらしい。高強度の領域訓練は体力を奪う。彼女は机に伏せ、規則正しく長い呼吸を繰り返していた。深いブルーの髪が木のテーブルに無造作に広がっている。彼女の左手はテーブルの下で、まるで俺が逃げるのを防ぐかのように、俺の制服の裾をぎゅっと握りしめていた。

その全幅の信頼を寄せるような仕草に、俺の心の柔らかい場所がそっと突かれた。

俺の視線は、無意識のうちに彼女の伏せた角度に吸い寄せられ、緩んだ襟元から覗く白い肌に止まってしまった。前世の成人男性としての本能が、一瞬だけ目を逸らすのを拒んだ。

――コツ。

向かい側で、木のコップが机を叩く乾いた音がした。

俺はハッとして、泥棒が捕まった時のような勢いで顔を上げた。向かい側の良奈が、優雅にコップを置いていた。彼女の仮面は頭の横に押しやられ、食堂中の視線を奪いかねない絶世の素顔が露出している。彼女はハンカチで口元を拭いながら、深紫の瞳で冷たく俺を射抜いていた。「全部見ていたわよ」という軽蔑の視線だ。

そこで俺は改めて気づいた。目の前に座っているのもまた、思春期真っ只中の、しかも俺が素顔を知る美少女だということに。

「……シエン。今のあなたの視線の方向は、正常な範疇から逸脱していたわね」

良奈は声を潜め、俺たち二人にしか聞こえない温度で冷たく告げた。

「あ……いや、これはその……」俺は気まずく言い訳を探す。

「どこを見ていたの?」良奈は眉を上げ、皮肉めいた笑みを浮かべた。「それなら、私も襟元をもう少し下げて、あなたにじっくり『研究』させてあげましょうか?」

そう言いながら、彼女は本当に白磁のような指を制服の一番上のボタンにかけ、外そうとする。

「待て! 俺が悪かった!」俺は慌てて両手を挙げて降参した。頬が焼けるように熱い。

良奈は鼻を鳴らし、再び仮面を下ろしてその顔を隠した。仮面越しだが、彼女がその後ろで小さく勝利の微笑を浮かべたのを感じた。

「アイリンは本当に疲れているのね」良奈は眠るアイリンを一瞥し、少しだけ語気を和らげた。「今の強度の練習、普通の13歳なら魔力崩壊を起こしているわ。それだけ……彼女のあなたへの依存は、仲間の構造を超えているということね」

俺はアイリンが裾を握る手を見つめ、沈黙した。

その時、食堂の木扉が乱暴に跳ね飛ばされた。その轟音に、眠っていたアイリンがビクッと肩を揺らし、机から滑り落ちそうになる。

アウグストゥスが、大陸横断マラソンでも完走したかのような勢いで食堂に飛び込んできた。いつも手入れされている金髪は鳥の巣のように乱れ、高級な制服の襟も歪んでいる。彼はテーブルの角を掴んで激しく喘ぎ、唾を飲み込む間もなく叫んだ。

「遊んでる場合じゃない! ……依頼が来たんだ!」

チャーハンの最後の一口を口に運ぼうとしていた俺は、その声に喉を詰まらせそうになった。胸を叩きながら、俺は普段の優雅さをかなぐり捨てた班長を呆れた目で見た。「依頼? アウグストゥス、俺たちはまだ学生だぞ。学校のギルドを飛ばして直接俺たちに頼む奴なんて……」

「『龍の国』の貴族だ!」

アウグストゥスは俺の言葉を遮った。目を見開き、狂乱に近い興奮と信じられないといった表情を浮かべている。

「彼らが、我々四人の班を名指しで指名してきたんだ。それに……提示された報酬は、中央都市スウィヤに豪邸が建つほどだ!」

龍のドラゴニア

その三文字が、静かな湖面に巨大な岩を投げ入れた。極南の地に位置し、強大な龍人ドラゴニュートと武闘派貴族が統治する硬派な国家が、平均年齢13、14歳のガキ共に何の用だ? 反論しようとした言葉が喉に張り付いた。

「いつ?」

良奈の淡々とした声に緊張が走った。彼女は仮面をずらして食事をしていたが、「龍の国」の名を聞いた瞬間、その美しい瞳を微かに細め、素早く仮面を戻した。

「明日だ!」アウグストゥスは立ち上がり、乱れた髪を整えようとする。「幻理先生は、龍の国が学院に通常の三倍の教育基金を出すと聞いた途端、依頼書の中身も見ずにサインしたわ」

「あの守銭奴め……」俺は額を押さえた。幻理先生の『金で解決』という性格を改めて痛感する。「で、依頼内容は何なんだ? まさか魔法の発表会をしてくれってわけじゃないだろ?」

「そこが一番奇妙なんだ」アウグストゥスは声を低めた。「手紙には具体的な内容は書かれていなかった。ただ、我々『魔神殿の生還者』としての名声を聞き及んでおり、我々にしか対処できない極めて重要な案件がある、とだけ」

「重要な案件……」

俺は無意識に、胸元のクレドからもらった赤いペンダントに触れた。あのレベルの貴族たちの目には、俺たちの名前は「勇者クレドの取り巻き」と同義として映っているのだろう。

アイリンは完全に目を覚ましていた。状況は飲み込めていないようだが、「高額報酬」という言葉に雷を放った直後のように目を輝かせている。

「龍の国……あそこの焼き肉は美味しいって聞いたわ。シエン、焼き肉食べられる?」

彼女の天真爛漫な笑顔と、良奈の仮面の下にある深淵のような不安げな瞳。その対比を見つめながら、俺の心にある予感が芽生えた。

この依頼、単なる貴族の雑用係で終わるはずがない。

早朝の空気はまだ冷たさを孕んでいた。龍の角が生えた四頭の魔馬が引く、漆黒の馬車が学院の門前に静かに止まっていた。車体には獰猛な龍の頭が彫り込まれ、龍の国特有の権威を象徴している。

扉が開き、一人の女性が降り立った。彼女が現れた瞬間、周囲の空気が凍りついたかのように錯覚した――背が高い。幻理先生よりも頭一つ分は高いだろうか。しなやかで肉感的な肢体。褐色がかった肌に、森の妖精が彫り上げたような精緻な顔立ち。しかし、銅鑼どらのように大きな紫色の瞳は、魂を射抜くような危険な誘惑を放っていた。

「私はララヴィア。龍の国の外交高官よ」

磁気を含んだ彼女の声が校門に響き、その視線は玩具を見るかのように俺たち四人をなぞった。

「四人の可愛子ちゃん、ショタが二人、女の子が二人ね……」

ララヴィアは艶然と笑い、少し軽蔑を込めて首を振った。「勇者の眼力も落ちたものね。まあいいわ、乗りなさい」

馬車の内部は、溜息が出るほど贅沢な装飾が施され、ベルベットのクッションからは甘い香りが漂っていた。俺たち四人が横に並んで座ると、向かいのララヴィアの視線はすぐに、仮面をつけて最も気配を殺している良奈に向けられた。

「おや? お嬢さん、その美しい顔を見せてちょうだい」

誰も反応する間もなかった。ララヴィアの身体がピンク色の煙のように揺らぎ、次の瞬間には良奈の目の前に密着していた。その驚異的な速度と圧迫感に、反射神経の優れた良奈ですら金縛りにあったように手が宙で止まる。

――パチン。

軽い音と共に、良奈が肌身離さず持っていた自尊心と偽装の象徴である白い仮面が、ララヴィアの細長い指によってあっさりと剥ぎ取られた。

「あ……!」良奈が声を上げる。彼女が見せる稀な動揺だ。

ララヴィアは人差し指で良奈の小さな顎をクイと持ち上げ、稀少な宝物でも鑑定するように見つめた。鼻先が触れそうな距離で、彼女の熱い吐息が良奈の白い頬にかかる。

「ふうん……なかなか可愛いじゃない」

ララヴィアは遊び飽きたように仮面を良奈の胸元へ放り投げたが、今度はアイリンの青い髪へと視線を向けた。羞恥と怒りで顔を真っ赤にする良奈と、どうしていいか分からず震える手。それを見て、俺の内の「前世のおじさん」としての護る本能が爆発した。

「ララヴィアさん」

俺は激しい動揺を押し殺し、アイリンとの間に割り込んで座り、その巨大な紫の瞳を冷たく射抜いた。

「隊員を過剰に観察するのはやめていただきたい。外交官としての礼節に欠けるのでは?」

ララヴィアの指先がアイリンの柔らかそうな頬に触れようとした瞬間、彼女は俺の存在に気づいたかのように動きを止めた。

「おっと、ごめんなさいね」

彼女は優雅に向かいの席に座り直し、長い足を組んだ。口元には狡猾な笑みが浮かんでいる。

「私はサキュバスなの。『美しいもの』を観察するのは本能なのよ」

サキュバス……道理で。

俺は密かに拳を握り、これからの龍の国の旅への警戒を深めた。武力が至上とされる龍の国で外交高官を務めるこのサキュバスの力は、おそらく俺たち四人を遥かに凌駕している。

「仕事の話をしましょう。龍の国の貴族は、俺たちに何をさせたいんですか?」

馬車内の甘い香りが、ララヴィアの口調の変化と共に冷え込んでいく。

「龍の国の王女が長年、重病で伏せっているのよ。魔力は強大なのに、それをうまく運用できず……国教である『神龍シェンロン』さえも、継承者の選定に応えなくなっている」

ララヴィアの瞳が微かに伏せられた。軽薄な空気は消え、高官としての沈着さと憂慮が顔を出す。

「それなら、医者を探すべきじゃないのか?」アウグストゥスが眉を寄せる。

「いいえ。医療チームは既に特効薬を完成させているわ。けれど、その成分の一つである『星の花』が自生しているのは、極めて特殊な洞窟なのよ」

ララヴィアは顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。

「その龍族の禁地に、国内で入れる者は今……いない。あなたたちを選んだのは、クレドがこの班を推薦したからよ」

「クレドの推薦?」俺の胸が騒ぐ。あの奔放な兄貴分が、俺たちを死地に追いやるはずがない。

「なぜ龍の国の人間が自国の禁地に入れないの?」良奈が仮面をつけ直し、冷静な声で尋ねた。耳元にはまだ赤みが残っている。

「あの禁地の構造が非常に排他的だからよ」ララヴィアが説明する。「あそこは遠き神話の時代、龍族と人間が契約を結んだ場所。空間には強力な『属性フィルタ』が設置されているわ。龍の国の者は龍の血が濃すぎるため、近づけば陣法に『侵入者』と判定され、壊滅的な打撃を受ける。逆に、あなたたちのような純粋な人間、あるいは特殊な属性を持つ少年少女なら、潜入できる可能性があるの」

「星の花……」俺はその名を低く繰り返した。

「つまり、俺たちの仕事は禁地に潜入し、その花を採取して、王女を救うために持ち帰ること。そうですね?」俺はララヴィアを直視した。「高リスクな盗賊仕事のように聞こえますが」

「報酬は想像を絶するものよ」

ララヴィアは再びサキュバス特有の誘いかけるような笑みを浮かべ、俺の耳元で囁いた。

「それに、成功すれば龍の国があなたたちに一つ貸しを作る。これ以上の後ろ盾はないわよ?」

馬車の速度が落ち、車輪が平らな青石の路面を規則正しく叩く音が響き始めた。

ベルベットのカーテンを開け、外の景色を見た俺は、微かに息を呑んだ。中央都市スウィヤの高く鋭いゴシック様式とは異なり、龍の国の都市は荒々しくも原始的な繁栄を見せていた。

建物は概して低く、巨大な岩石を積み上げたような重厚な造りだ。屋根が広く平らな理由は、すぐに見当がついた。空だ。

碧空の下、翼を持つ龍人たちが建物の間を自在に飛び交い、巨大な真龍が天を覆う翼を広げて悠然と低空を掠めていく。空気に漂う微かな硫黄の匂いと強大な魔圧。龍族特有の生命の息吹だ。

「神龍と勇者が肩を並べて世界を救い、その後、龍の国は各地の魔族を受け入れ、人間と共にこの大陸に定居したのよ」

ララヴィアは椅子に座り直し、頬杖をついて窓外の影を眺めた。その口調には、この地を統治する者としての自負が混じっていた。

「外界では私たちが野蛮な武闘派だと思われているけれど、実際には、こここそが最も包容力のある場所よ」

彼女は振り返り、紫の瞳を俺と良奈の上で止めた。

「なにしろ……『異界』から来た力ですら、私たちはかつて受け容れようとしたのだから」

良奈が「異界」という言葉に反応し、刀の柄を握る指に力がこもった。

「着いたわ」

馬車は山に沿って建てられた、神跡しんせきのごとき壮大な宮殿の前で止まった。宮殿は山肌を直接削り出したかのようで、龍の浮彫が巨大な石柱を取り囲んでいる。

王宮の黒曜石の広場を抜け、重装の龍衛兵たちが守る回廊を通る。辿り着いたのは、圧倒的な圧迫感を放つ「龍の大殿」だった。

玉座に座っていたのは、この地の統治者。

龍王の外見は予想に反して人間に近かった。暗紅色の重厚な長袍を纏い、頭上の暗金の角と、時折覗く金の縦長瞳だけが、その血統を示している。

俺は左目の【観測者】をわずかに作動させた。直後、脳に激しい不快感が走り、思考が停止しそうになる。

今まで見た中で最も強大な魔力構造だ。そこに座っているだけで、龍王は底の見えない活火山のようであり、周囲の空間はその魔圧に耐えきれず微かに歪んでいた。

「冒険者諸君、ようこそ」

龍王の声は低く、そして意外なほど礼儀正しかった。

鋭い眼光が俺たちをなぞる。俺と目が合った瞬間、彼は俺の左目の異変に気づいたかのように微かに眉を動かした。だが、それを指摘することはなかった。

「勇者クレドが信頼を寄せる者たちだ。相応の実力があると信じている」

龍王は膝の上で手を組み、静かだが拒絶を許さぬ威厳をもって告げた。

「『落龍らくりゅう禁地』への潜入……任せたぞ」

玉座の脇に控えていた老臣が前に出ると、色褪せた羊皮紙の巻物を広げた。

「今回の任務を説明しましょう」大臣は図像を指し、厳粛に言った。「落龍禁地に潜入し、荒れ狂う属性の乱流を避け、最深部にある『星の花』を採取してきていただきたい」

図像に描かれていたのは、恐ろしいほど美しい植物だった。花弁は透き通るようなブライトブルーで、中心は微かな光を放っている。まるで星空を花の中に凝縮したかのようだ。その純粋な構造美は、絵画越しでも深く印象に残った。

「それが王女殿下の唯一の希望です」大臣は巻物を収め、俺たちを深く見つめた。

「旅の疲れもあるだろう。客室へ案内させよう」

龍王の合図で、軽装の召使いたちが音もなく現れ、客室区画へと誘導を始めた。

召使いの後を追い、庭園を抜ける。俺の隣を歩く良奈は無意識に仮面を締め直し、アイリンは不安そうに俺の袖を掴んでいた。

「星の花」の形を脳裏に刻み込みながら、俺は思った。あの龍王ですら手が出せない禁地に咲くその花は、果たして本当にただの薬草なのだろうか。


絶望的なまでに長い回廊を、疲れきった体を引きずるようにして歩く。龍の国の王宮は呆れるほど広大で、床の一枚一枚にまで古の歴史が刻まれているかのようだった。ようやく割り当てられた客室にたどり着くと、俺は雲のように柔らかい豪華なマットレスに顔を埋め、そのまま深く沈み込んだ。

ここ数日の強行軍に、先ほど龍王の前で味わった張り詰めるようなプレッシャーが重なり、今はただ、泥のように眠りたかった。

――トントントン。

規則正しい、だが控えめなノックの音が静かな部屋に響いた。

俺は目を開け、心臓を跳ねさせた。こんな夜更けに、誰だ?

不安げに車に乗っていたアイリンか? それとも素顔を晒して動揺している良奈か? 二人の美少女の顔が脳裏をよぎり、睡魔は一瞬で「男の期待感」に取って代わられた。俺は慌てて髪を整え、扉へと急いだ。

深呼吸をし、余裕のある先輩風の微笑を浮かべて、重い扉を引く。

「……」

廊下の灯りに照らされ、そこに立っていたのは――。

キラキラ輝く金髪を揺らし、真面目くさった顔をした男だった。

アウグストゥスかよ……。

俺の笑顔は目に見える速さで消え、死んだ魚のような目になった。

「なんだ、その道端のゴミでも見るような目は」

アウグストゥスは不快げに俺の肩を押し退け、勝手に部屋に入ってきた。「私は黄金のベッドで転がる時間を惜しんで、明日の作戦を相談に来てやったんだ。班長として完璧を期さなければならないからな」

彼はソファにどっかと座り、俺の期待が砕け散った悲鳴には気づきもしない。

「はいはい、班長様。それで、俺の安眠を妨げるほどの素晴らしい見解とは?」

皮肉を無視し、彼は声を低めた。その表情はかつてないほど険しい。

「シエン、お前も気づいたか? あの龍王……彼の魔力構造は、以前遭遇したあの魔神と、何処か奇妙な『共通点』があるように見えないか?」

俺は硬直した。心の中の不甲斐なさが一瞬で冷気に変わる。この男、お調子者だが貴族としての直感は本物のようだ。

「魔力が……空洞からなんだ」

俺は驚きをもってアウグストゥスを見た。いつも身分をひけらかすこの「黄金の獅子」が、これほど的確な直感を持っているとは。

確かに、大殿での俺の観測では、龍王の魔力は大海のように澎湃ほうはいとしていたが、その内流は極めて乱れ、砕けていた。あたかも外見だけが立派で、内側の支柱が朽ち果てた宮殿のように。

「ああ、俺もそう思う」俺は声を潜めて頷いた。

「それに、シエン。あの花の図像だが、お前は――」

アウグストゥスの言葉を、俺は強引に彼の手を口に当てることで遮った。彼が目を見開いて抗議しようとするが、俺の凍りつくような視線に気づき、即座に静まった。

背筋に悪寒が走る。

耳に音は聞こえない。だが、感覚の中では周囲の空気が凍結していた。実感を伴う、墨のように濃い殺気が、分厚い壁と扉の隙間を抜けて、この部屋を完全にロックオンしている。

俺はアウグストゥスに「しーっ」と合図を送り、猫科の猛獣のように足音を消して扉へと移動した。壁に耳を当て、呼吸すら止める。

廊下は静まり返り、巡回の鎧の擦れる音一つしない。だが、殺気は消えていない。闇の中で音もなく牙を剥いている。

これは「俺たち」に向けられた悪意だ。

俺は深呼吸をし、軽率に扉を開ける真似はしなかった。しゃがみ込み、隣の部屋へと続く石壁に手を当て、雑念を払う。

『(頼む、良奈……聞こえるか?)』

俺は壁の隙間に向かって、必死に魔力を流し込んだ。無差別に放つのではなく、良奈が最も慣れ親しんでいる呼吸の周期を模倣し、魔力を微細な振動へと変えて送る。俺にできる唯一の「警報」だ。

剣の達人である彼女なら、この不自然な魔力の拍動に気づくはずだ。

その時、壁の向こうから、極めて微かだが刃のように鋭く冷徹な気配が返ってきた。

通じた。

直後、扉の向こうの殺気が、動いた。



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