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異世界の観測者 ~今度こそ、大切に生きていく~  作者: WE/9
プロローグ

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観測者

眠らない街。

三十歳――それは想像していたよりも、ずっと息の詰まる数字だった。


インテリアデザインの業界において、三十歳は目に見えない壁だ。二十四、五歳で、わずか数本の線から空間の空気を変えてしまう本物の「天才」も見てきた。その若さで事務所を構える、野心に満ちた「開拓者」も見てきた。


そして俺、浅蒼秀彦アサクラ・ヒデヒコは、そのちょうど中間――一番やりきれない「普通」という場所に立ち止まっている。


二十五歳の時、新人賞を獲った。


トロフィーのずっしりとした重み、眩しくて目を細めたステージのライト。あの瞬間だけは、自分も何者かになれるのだと信じていた。建築史の片隅に、たった一ミリでもいいから自分の生きた証を刻めるのだと。


だが、あれから五年。


あのトロフィーは今、六畳一間のアパートの棚で埃を被っている。それは栄光への切符ではなく、ただの「期限切れの領収書」のように俺を嘲笑っていた。


結局、俺は凡人だったのだ。


微かなセンスはあっても、生活という現実に角を削られ、どこにでもいる「部品」の一つに過ぎない。もはや「人間の住まう形」なんて大層な理想は抱かない。ただ、クライアントの理不尽な要求をやり過ごし、定時まで平穏に生き残ることだけを考えている。


六畳足らずの部屋に住み、視力が少し良くて壁の「〇・五ミリの歪み」に気付けること以外、これといって長所もない。顔も身長も平凡。満員電車に揺られ、他人の肩越しに景色を眺めるだけの人生。


恋をしたこともあった。中学の頃、笑うと目が三日月になる女子がいた。ノートの隅に何度も彼女の横顔を描いたけれど、結局、卒業式の背中を見送るだけで終わった。三十歳、独身。酒の席では笑い話にできても、深夜に一人で電気をつける瞬間、その静寂は刺すように痛む。


うちの家系は、才能を俺以外に振り分けたらしい。


兄は有名な写真家、妹は売れっ子アニメの原画マン。帰省するたびに華やかな業界の話を聞かされ、俺はただ黙って箸を動かすことしかできなかった。


「給料をもらう以外に能がない次男坊」を見て、両親は失望しているだろうか。彼らの優しい沈黙が、何よりも自卑感を煽った。


「はぁ……。考えても仕方ないか」


頬を叩き、安い自己憐憫をカバンに詰め込む。今日はあの気難しい客と打ち合わせだ。十坪に満たない空間に北欧風とインダストリアルを混ぜろという無茶な要求に、体裁を整えなければならない。


凡人だって、飯は食わなきゃいけないんだ。


いつもの駅、機械的な改札の音。


目を閉じていてもホームに辿り着けるほど馴染んだルート。イヤホンで外界を遮断し、デジタル信号の海に逃げ込む。


スマホのニュースは相変わらず無意味だ。プロ野球の結果、芸能人の不倫、電車の故障。世界は忙しなく、そして酷く健忘だ。誰もがどこかへ急いでいるが、自分が何を追いかけているのかを知る者はいない。


ホームの柵に寄りかかり、暗いトンネルの奥を見つめる。


埃混じりの強風と共に、二筋の光が闇を切り裂いた。電車の入線音がいつもより鋭く響く。金属が悲鳴を上げるようなその音は、イヤホンを突き抜けて脳を揺さぶった。


「今日の電車、少し……速すぎないか?」


事故は起きた。


悲鳴を上げる暇すらない一瞬。ひしゃげる金属の音、砕け散るガラス。重い塊が肉体を叩き潰す鈍い衝撃。


気付いた時には、俺は冷たく変形した車両の残骸の中にいた。巨大な鋼材が胸を圧迫し、魂を絞り出そうとしている。鮮血が体温を奪いながら流れ出していく。


痛み以外、何も感じない。


呼吸すらままならない暗闇の中で、俺ははっきりと悟った。――ああ、俺、死ぬんだ。


三十年の人生が、傷ついたフィルムのように駆け巡る。平凡な日常、未完成の図面、家族に胸を張れなかった劣等感。


去り際、どんなに不愉快な人生だったとしても、最後に出てきたのは卑屈なまでの謝罪だった。


「兄貴……ごめん」


あんたみたいに、立派な奴になれなくて。


俺はゆっくりと目を閉じ、意識を闇に委ねた。


……


再び目を開けた時、そこは天国でも地獄でもなかった。


重力も音もない、純白の空間。そこには白い髪の子供が立っていた。透き通るような美しさを持つ、性別すら超越した存在。


「僕は神様だよ」


声が直接、魂に響く。


「アサクラ・ヒデヒコ。君は死んだんだ」


「……分かってる」


自分でも驚くほど冷静だった。平凡な人生に疲れ果てていた俺にとって、死は「脱稿」した後のような解放感だった。


その表情を見て、神は笑った。悪戯っぽく、そして慈しむように。


神は歩み寄り、至近距離で俺を見つめる。その瞳の中に流れる光彩に見惚れている暇もなく、神は俺の**左眼ひだりめ**に、そっと口づけをした。


「世界が――君に祝福を授けるよ」


ひんやりとした、だが神聖な鼓動を伴う感触。羞恥を感じる間もなく、神は俺の背中を軽く突き放した。


均衡を失い、俺は後ろ向きに倒れていく。落下しながら肉体が消え、三十年の疲労も痛みも剥がれ落ち、純粋な意識だけが真っ白な空間を墜ちていく……。


雲を抜け、星海を越え、幾千ものエネルギーの糸を通り抜ける。


やがて、一際大きな赤ん坊の産声が、


スクウィタン大陸の朝を切り裂いた。



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