神託の予測変換は退場しろから始まる
「――さあ、選ばれし勇者よ。目を開きなさい」
頭に響く鈴の音のような美声。阿久津執は、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。
視界に飛び込んできたのは、大理石の床、高くそびえる柱、そして、透き通るような銀髪をなびかせた絶世の美女――女神ルミナスだった。
「ここは……」
「異世界です。あなたは今、この世界を救う勇者として召喚されました」
阿久津は無言で、手元を確認した。握りしめていたのは、愛用のスマートフォン。画面には、ついさっきまでSNSに書き込んでいた内容が残っている。
『今期のアニメ、最終回の解釈違いすぎてマジ無理。脚本家特定して一生粘着してやる……』
「……帰してくれ。今、忙しいんだ」
「えっ、拒否!? 召喚されて即、拒否!? 待って、せめて私の『神託』を聞いてからにして!」
女神は焦ったように、阿久津の持つスマホを指差した。
「私の予知能力は今、その『神器』と同期しました。そこに表示される言葉こそが、この世界を救う唯一の導き……さあ、最初の神託を!」
その時、神殿の重厚な扉が開き、重武装の騎士たちがなだれ込んできた。
「女神様! 魔王軍の先遣隊がすぐそこまで! 勇者殿に、勇者殿に神託を!」
阿久津は面倒そうにスマホの検索窓をタップした。
(……とりあえず、この状況を何とかしないと帰れそうにないか。魔王を**【た】倒す(たおす)**ための方法でも検索するかな……)
阿久津が「た」と打ち込んだ瞬間、予測変換の第一候補が躍り出た。
数秒前まで彼がSNSで連打していた、怒りと執念の結晶。
女神ルミナスは、その画面を神々しく指差し、鈴の音のような美声で、広場中に響き渡る声を張り上げた。
「神託を授けます! ――『退場しろ。他界して、魂を叩き割れ』!!」
「…………は?」
騎士たちが凍りついた。
阿久津も固まった。それは、彼がさっきまで「解釈違いの脚本家」に向けて打ち込もうとしていた、ネットリとした罵倒の履歴だった。
「なんて……なんて苛烈な神託だ……!」
騎士団長が震える声で呟く。
「『退場』とは死を、『他界』とは輪廻すら許さぬ完全消滅を……そして『魂を叩き割れ』……。ただ殺すだけでは飽き足らず、存在の根本を粉砕せよとの仰せか!」
「いや、違うんだ。それはただの予測変換で……」
阿久津のボソボソとした釈明は、騎士たちの咆哮にかき消された。
「おおおぉぉ! 慈悲なき救世の主よ! 敵に一切の情けをかけぬその姿勢、感服いたしました! 全軍突撃ィ! 敵の魂を叩き割れぇぇ!!」
血走った眼の騎士たちが、狂ったような勢いで神殿から飛び出していく。
阿久津は、引きつった笑顔でドヤ顔を決める女神を横目に、深いため息をついた。
(……この世界、俺のスマホの履歴のせいで、とんでもないことになりそうだな)
阿久津は、さらに「粘着」と打ち込もうとしていた指を止め、暗い目でスマホの画面をそっと消した。




