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Blue Jam Colors the World  作者: シムラ ミケ
第二章

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6/6

いろはにほへと

 開人くんの受験勉強は、私の予想通り…いや、予想以上に迷走していた。

 彼の部屋を訪れるたびに、私は新たな発見と、新たなため息を強いられることになる。


「えーっと、源氏物語…登場人物が多すぎるんだよなぁ。これ、なんかバンドみたいだな。光源氏がボーカルで、紫の上はキーボード?それともコーラス?いや、ドラムっぽいな、影で支える感じ⋯⋯。で、葵上は…⋯ベース?なんか地味だけど、いないと困る、みたいな」


 彼は真剣な顔で、ホワイトボードに複雑なバンドメンバー構成図を描いていた。

 受験勉強計画と書かれたタイトルの下には、五線譜と意味不明な歌詞がびっしり。


(画期的っていうか、ただの現実逃避でしょ…。受験期に、五線譜とバンドメンバー構成図でホワイトボードを埋め尽くす人がどこにいるのよ…。)


 差し入れのおにぎりを机に置きながら、私は心の中でツッコミを入れる。

 彼は得意げに「三角関数を音楽で理解しようとしててさ!画期的だろ?」と言う。

 三角関数を叫びながらギターをかき鳴らす姿は、近所迷惑以外の何物でもなかった。


「サイン!コサイン!タンジェント!ラッタッタ~!青春の角度は何度だー!」

「…それで何が理解できるの?」


 呆れた声でそう言うのが、私の精一杯の反応だった。彼はすぐにギターを止め、照れ臭そうに笑う。

 私の「ちゃんと勉強してるの?」という問いに、彼は慌てて参考書を手に取るが、逆さまに持っている。

 その様子を見て、私は深いため息をつくしかなかった。


「…もういいわ。私は私の勉強をするから。ちゃんと、ね」


 ドアノブに手をかけた私に、彼は新たな歌詞が浮かんだと聞かせてくる。


「サイン・コサイン・タンジェント、君への想いは無限大!」

「…数学的に間違ってるから」


 私はドアを閉めた。

 彼の行動は、いつだって私の思考の斜め上を行く。

 呆れる事もあるけれど、彼のその無邪気さと情熱には、どこか惹かれるものがあった。


 夏の模試の結果が出た日。開人くんからLINEが来た。

 『まあ、これから!って感じかな!笑』という、いかにも彼らしい能天気なメッセージ。

 私は具体的に教えてほしいと返信した。

 そして、送られてきた『早稲田大学文学部 E判定でした…。テヘペロ』という、絵文字付きの潔い(?)敗北宣言。


 既読スルーしてしまったのは、どう反応すればいいか分からなかったからだ。

 心配?同情?それとも、やっぱりね、という諦め?数分後、彼から電話がかかってきた。


「…E判定、ね。まあ、予想はしてたけど」


 少しだけ、正直に言いすぎたかもしれない。電話越しの彼は、明らかに落ち込んでいるのが分かった。

 でも、夏模試なんて、まだ始まったばかりだ。ここから、どれだけ伸ばせるかが勝負なんだから。そう、私だってそうやって努力してきた。


「でも、大丈夫よ。ここからが勝負なんだから」

「え…愛?なんか、励ましてくれてる?」


 別に励ましているわけじゃない。ただ、事実を言っているだけ。

 でも、開人くんには、私にはない、不思議な力があるように見える時がある。

 彼の真っ直ぐな情熱は、不可能を可能にするんじゃないか、という気にさせる。


「開人くんなら…やれば、できると思うわ。やれば、ね」


 最後の「やれば、ね」に、少しだけ私の本心が混じってしまったかもしれない。彼はそれに気づいたのか、電話越しに少しムッとした気配がした。


 でも、すぐに「よし!見てろよ、愛!次の模試で、絶対D判定くらいに上げてやる!いや、C判定だ!CだC!コンプリートのCだ!」

と叫んだ。


「…C判定は、コンプリートじゃなくて、キャッチよ」


 またしても、彼のズレた目標設定にツッコミを入れてしまう。

 電話を切った後、私は彼の「やれば、できる」という言葉が、彼にとっての希望の呪文になることを願った。


 10月になり、開人くんから興奮した様子のLINEが届いた。


 『見て見て!模試!D判定!愛のおかげだ!』


 D判定。EからD。たった一つのアルファベットだけど、彼にとっては大きな進歩だったのだろう。

 添付された画像には、確かにD判定の文字があった。

 私の「やれば、ね」という言葉が、少しは彼の背中を押せたのだろうか。


『見たわ。…ふふ。』


 そう返信しながら、私は笑いが抑えられなくなっていた。彼の頑張りが、少しだけ報われたことが、純粋に嬉しかった。

 彼はすぐに『ふふだって!愛が笑ってる!やっべ、テンション上がる!』と返信してきた。


 この人は、本当に単純だ。でも、そういうところが、彼の良さなのだ。

 彼はこの勢いでC判定、さらにA判定を目指すと言う。オールマイティーのAだとか言っている。


『…A判定は、エースよ。』


 お決まりで訂正を入れる私。

 彼の目標設定は、いつもどこかズレている。

 でも、そのズレた目標に向かって、彼は彼なりに必死に努力する。

 その姿を見ていると、私ももっと頑張らなくちゃ、と思うのだった。


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