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Blue Jam Colors the World  作者: シムラ ミケ
第九章

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電波通信

 開人と愛の結婚式を数か月後に控えた、ある日の夜。  

 北陸・石川県にある栗栖昇の自室は、普段の静寂とは異なる、微かな緊張感に包まれていた。  

 時刻は22時を回っている。妻の栞と娘の萌歌は、すでに寝室で眠りについている時間だ。  

 昇は、愛用のノートパソコンを開き、マイクの接続テストを繰り返していた。


「あー、あー。マイクテスト。……よし」


 画面には、まだ自分の顔しか映っていない。背景には、彼が高校時代から敬愛してやまない斉藤和義のポスターが貼られている。  

 今日、この場所に集うのは、それぞれの日常を戦い抜き、友の晴れ舞台を最高のものにするという一つの目的のために結集する戦友たちだ。  

 接続開始予定時刻の22時30分。  

 電子的な通知音と共に、黒かった画面が四分割され、男たちの顔が次々と映し出された。


「皆さん、お忙しいところありがとうございます。テレビ会議に慣れていなくて、不具合あるかもしれませんが、よろしくお願いします」


 口火を切ったのは、発起人である昇だ。  

 画面越しの彼の表情は、まるで重大なプレゼンを控えた新入社員のように硬い。無理もない。今夜の議題は、彼の親友である小橋開人の一生を左右しかねない、重大なサプライズ計画なのだから。


「いやいや! 昇っち、顔カチコチだって! オレっちこういうの大好きだからさ! 堅苦しい言葉なしで、フランクに話しましょう!」


 対照的に、画面の右上で陽気な声を上げたのは、この企画の実質的な幹事役を担っている有谷大輔だ。  

 東京・世田谷の自宅だろうか。背景には要塞のように積み上げられたシンセサイザーや機材の数々が見える。その城の主は、ヘッドセットを装着し、まるで敏腕音楽プロデューサーのように目を輝かせていた。


「……で、何をやるんですか」


 画面の左下、少し薄暗い部屋からボソリと呟いたのは、古水樹だ。  

 背景には生活感が一切ない。ただ、部屋の隅に置かれたスネアドラムと、壁にかけられたスティックケースだけが、彼のアイデンティティを主張していた。

 感情の読めない男だが、その瞳の奥には、確かな好奇心の火が灯っているのを昇は見逃さなかった。


「バンド演奏とは聞いているけど、まずは曲決めだろう。自分としては、二人に縁のある曲がいいと思う」


 右下の画面から、静かに、しかし確信に満ちた声で言ったのは、照井幸太郎だ。  

 彼の背後は壮観だった。ヴィンテージのストラトキャスター、ギブソン、そして製作途中と思われるネックやボディが所狭しと並べられ、まるで武士の刀のように静かなオーラを放っている。職人の工房、いや、聖域だ。


「なるほど……」  


 昇が頷き、手元のメモに視線を落とした。


「僕もそう思います。ただ盛り上がるだけの曲じゃなくて、あいつらの歴史に寄り添うような曲を」


「だったらさ、二人の原点って言ったら、やっぱりアレしかないっしょ?」


 有谷がニヤリと笑って、後ろのキーボードを指さした。  

 昇も一瞬で悟った。


「……『丸の内サディスティック』、ですか」

「正解! それ以外にないっしょ!」


 有谷が指を鳴らす。  

 昇の脳裏に、高校時代の記憶が蘇る。  

 文化祭のステージ。椎名林檎のけだるくも攻撃的なナンバー。そして、それを歌う開人と、客席で見つめる愛の姿。

 この曲は、彼らの青春そのものであり、象徴なのだ。

 

昇の口からこの曲の文脈が語られるのを聞いていた照井が、顎を撫でながらミュージシャンの顔になった。


「ふむ、悪くない選択だね。ただ、オリジナル通りにやるだけじゃつまらないな。俺たちが集まるんだ。カラオケの延長だと思われたくない」


 照井の言葉に、場の空気が少し鋭くなった。  

 そう、今回のターゲットは、新郎新婦だけではない。  

 新婦・愛側の招待客だ。

 有谷が語り始める。


「開人から聞いたところによると、愛さんのご友人や職場関係者は、一流企業のエリートや官僚の方々が多いそうで……対して、開人の周りは……失礼だが、我々を含め、社会的な地位や経済力では彼らに及ばない。だからこそ」


 有谷の眼鏡の奥が、ギラリと光った。


「オレっちたちの『音』で、エリート連中の度肝を抜いてやりたい。言葉や金じゃなく、感性と技術で圧倒する。それが、開人への一番の祝儀になるはずだ」


 その言葉に、全員の背筋が伸びた。  

 これは単なる余興ではない。新郎側の「意地」を見せる戦いなのだ。


「ジャムセッション形式で、各々のソロパートを回すのはどうだ? イントロを長めにとって、それぞれの技術を見せつける」  


 照井が、まるでギターを弾くように空中で指を動かしながら提案する。  

 そのアイデアが出た瞬間、四人の間に見えない火花が散った。


「ええじゃん、それ。……ワシ、叩きながら自由にやらせてもらうけん」


 樹が初めて口元を緩ませた。  

 彼の頭の中では、すでにクリック音が鳴り響き、複雑でグルーヴィーなドラムパターンが組み上がっているのだろう。テーブルを指で叩く音が、マイク越しに微かに聞こえる。


「オーケー! じゃあ大まかな構成はこうしよう!」  

 

 有谷が興奮気味に身を乗り出した。


「まず、静寂を切り裂くように照井氏のカッティングが入る。そこに昇っちのベースがうねりながら加わって、土台を作る。さらにワシくんのタイトなドラムが重なって……最後にオレっちのピアノがジャジーに乗っかる! ああ、もう想像しただけで最高!」


 有谷の明快なイメージに、皆が静かに頷いた。  

 昇は、プロレベルの会話に少し気圧されながらも、自分の役割を再確認した。  

 自分はスーパープレイヤーではない。でも、この個性的なメンバーを繋ぐ接着剤にはなれる。


「僕は、ルート弾きでしっかり支えます。みんなが自由に暴れられるように」


 一通りの構成が決まり、アレンジの方向性も共有できた。  

 画面の中の四人は、すでに一つのバンドとしての熱を帯び始めていた。  

 だが、有谷はまだ何かを隠し持っているような顔で、人差し指を立てた。


「……で、話はこれで終わりじゃないんだな」

「まだ何かあるのか?」  


 照井が眉をひそめる。


「この最高の演奏に、最高の『華』を添えたいと思ってさ。……ボーカリストのことね」


 有谷の言葉に、全員が動きを止めた。  

『丸の内サディスティック』は本来、ボーカル曲だ。

 インストゥルメンタルでも十分かっこいいが、やはり「歌」があってこそ完成する。  

 だが、誰が歌う?  開人に歌わせるのか? いや、それではサプライズにならない。


 樹は唾を飲み込み、緊張した面持ちを見せる。  

 有谷は一呼吸置いて、この夜最大の爆弾を投下した。


「……横須賀千鶴を、ボーカルに呼ぼうと思うんだ」


「「「はあ!?」」」


 昇、樹、照井の声が、珍しく綺麗にハモった。ハウリングしそうなほどの音量だ。


「正気か、あんた」  

 

 樹が呆れ顔で、画面に詰め寄る。


「あいつは今、一線級のプロじゃろ? ネット発の歌姫として、フェスにも出とるクラスの売れっ子じゃぞ」


「そうだな。今の彼女は『夜好性やこうせい』とか言われて、若者のカリスマだ」  


 照井が冷静に、しかし動揺を隠せない様子で続ける。


「事務所のガードも固いはずだ。こんな結婚式の余興、しかも素人混じりの即席バンドなんて、リスクが高すぎて許可が下りるわけがない」


「ていうか、そもそも誰か連絡取れるの?」


 昇が率直かつ最大の疑問を投げる。


 全ての疑問と懸念を、有谷は満面の笑みで受け止めた。  

 そこには、かつてWTMHのマネージャーとして奔走した男の、不敵な自信がみなぎっていた。


「連絡はもう取ってある! ……事務所の人と知り合いでさ。ダメ元で本人に企画書送ったんだよ」


 有谷は鼻の下を擦った。


「そしたらさ、本人から直接連絡が来て。『開人のためなら』って、二つ返事でOKだったよ。『ただし、あたしがいた頃のウィンテクスより下手だったら、ステージ上で公開説教するから覚悟しとけ』って釘も刺されたけどな!」


「マジか……」


 昇たちは絶句した。あの横須賀千鶴が来る。  

 それは単に「歌が上手い人が来る」ということ以上の意味を持っていた。


 有谷は何度も深く頷きながら続けた。


「開人にとって、千鶴ちゃんがバンドを抜けたこと、そしてバンドが解散してしまったことは、やっぱり心のどこかにトゲとして刺さったままだと思うんだ。『自分が繋ぎ留められなかった』って、あいつはまだ自分を責めてる」


 画面の向こうの三人が、静かに聞き入る。


「でも、こうやってまた同じステージに立つことで、……形は変わっても、俺たちは音楽で繋がってるんだってことを、あいつにも、愛さんにも見せてやりたいんだよ。開人が命を燃やして生きてきた世界は、間違いじゃなかった。最高にクールで、熱い世界なんだってことをさ」


 有谷の熱い言葉が、深夜の回線を通じて、それぞれの部屋に響き渡った。  

 それは、夢破れて楽器を置いた者、職人として別の道を歩んだ者、今も音楽にしがみつく者、それぞれの胸にある「残り火」を激しく煽るものだった。


 沈黙が落ちる。しかしそれは、重苦しい沈黙ではなかった。決意を固めるための、神聖な静寂だった。


 やがて、照井がふっと息を漏らして笑った。


「……面白い。俺のギターで、その歌姫の鼻を明かしてやる」


 樹も、ゆっくりと頷いた。


「……あのボーカルの後ろで叩けるなら、文句はない。最高のビートを用意する」


 最後に、昇が覚悟を決めたように言った。


「……よし。役者は揃いましたね」


 昇は画面を見渡した。  

 住む場所も、仕事も、環境も違う四人の男たち。  

 けれど今、画面越しに映る四つの魂は、完全に一つになっていた。  

 それぞれの場所で、それぞれの想いを胸に。ただ、あいつの驚く顔と、泣き笑いの表情を見るためだけに。


「開人と愛さんのために、最高の舞台、作ってやりましょう!」

「「「おう!」」」


 力強い返事が重なり、深夜の作戦会議は幕を閉じた。  

 プツン、と通信が切れる。  

 昇の部屋に再び静寂が戻った。  

 しかし、その静寂はもう、孤独なものではなかった。  

 昇は壁のポスターを見上げた。ギターを抱えた斉藤和義が、ニヒルに笑っているように見えた。


「……忙しくなるぞ」


 昇はクローゼットから、ベースケースを引っ張り出した。  

 最高のサプライズを届けるための、秘密の特訓が、今夜から始まるのだ。

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