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Blue Jam Colors the World  作者: シムラ ミケ
第八章

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Energy Flow

「いやあ、それにしても、あの時はマジでどうなることかと思ったぜ……」


 新宿の居酒屋のカウンターで、有谷大輔は熱燗をすすりながら、隣でジョッキを傾ける小橋開人の横顔を見て、独りごちた。

 世間は、平成という一つの時代が終わり、令和という新しい元号に浮かれていた。

 だが、オレっちにとって、あの解散こそが、間違いなく平成の終わりだった。 WTMHという夢が木っ端微塵になってから、もう随分と時が経ったように思えた。


「有谷さん、あの夜のこと、まだ忘れられませんか?」


  開人が、カウンターの向こうの喧騒からふと我に返ったように尋ねる。


「忘れるわけねえだろ。オレっちの人生で、一番長い夜だったよ……」


 あの壮絶な解散劇の後、有谷自身、しばらく抜け殻のようだった。

 デイヴの女癖の悪さをマネジメント出来なかった、自分自身を責めたが後の祭りであった。


 あの夜から二日経ち、開人に連絡してみたが返信がなかった。

 心配になり、開人のアパートを訪ねると、ドアには鍵がかかっていなかった。

 部屋の中は、地獄のように、コンビニのゴミが散乱し、酒の匂いが立ち込めている。

 そして、部屋の隅で、開人は自分の命よりも大切にしていたはずのリッケンバッカーを抱きしめたまま、ただ虚空を見つめていた。

 その瞳には、光が一欠片もなかった。


「……開人」


 声をかけても、反応がない。有谷は、彼の肩を掴んで揺さぶった。


「おい!しっかりしろ!」


 そこで初めて、開人はゆっくりと顔を上げた。


「……有谷さん。俺、もう、どんな音が楽しい音だったか、思い出せないんです……」


 その言葉に、有谷は胸を締め付けられた。こいつは、音楽に殺されたんだ。

 有谷ができた事は、ただ彼の身体を抱きしめる事だけであった。


 その翌日、ケロッとした顔で開人はタワーレコードに現れた。


「有谷さん!オレを、タワレコの社員にしてください!」


 あまりに突拍子もない頼みだった。有谷は思わず手に持っていた売上報告書を取り落としそうになった。


「お、おい開人、お前、何言ってんだ!?ギターはどうするんだよ!お前の夢は……!」

「終わりにします」


  開人の目は冗談を言っているようには見えなかった。光を失った目が、その事実を担保していた。


「でも、愛だけは失うわけにはいかないんです。あいつを安心させたい。俺がちゃんとした大人になれるって、証明しないと……お願いします!」


 才能を信じたアーティストであると同時に、放っておけない弟のような存在。

 ここで力になれなきゃ男じゃねぇ、有谷は猛烈なプッシュで上司を説得し、開人はひとまず契約社員として採用されることが決まった。


「あの時、開人が『音楽辞めます』じゃなくて『タワレコで働きたい』って言った時、オレっちは正直ホッとしたんだよな」


  有谷が言うと、開人は照れくさそうに頭を掻いた。


「いやあ、あの時はもう、必死でしたから。とにかく、愛を安心させなきゃって、それしか頭になくて」

「で、安心させるどころか、盛大にドン引きさせたのが、あのプロポーズ大作戦、だろ?」


  有谷がニヤニヤしながら言うと、開人は「うっ…」と顔をしかめた。


 入社手続きが済んだその夜、開人は目を輝かせながら有谷にその計画を打ち明けたのだ。


「いいすか、有谷さん!まず、吉祥寺の路上にイカしたスカバンドを仕込んでおきます!」

「おう」

「スカバンドの演奏を聞きながら、愛にバンドを解散して、就職した事を打ち明けます。驚く彼女を横目に、スカバンドに俺が乱入して、マイクを奪って、ブルーノ・マーズの『マリー・ユー』を熱唱するんです!」

「…はあ!?」

「で!ここからが有谷さんの出番です!近くに潜ませておいた友人たちと一緒に、フラッシュモブで踊りながら愛を囲むんです!そして俺が指輪を出してプロポーズする。完璧じゃないすか!?」

「完璧なわけあるか!お前、愛ちゃんはそういうの苦手なタイプだと思うぞ!絶対引くって!」

「いや!女の子はみんなサプライズが好きなんです!感動して泣いちゃいますよ!」


 このプレゼンのニ日後、盛大に決行されたプロポーズ大作戦は、有谷の悪い予感通り、ものの見事に玉砕した。片膝をついて意気揚々と指輪を差し出した開人に愛は一言、


「あり得ない」


 と言い残し走り去ってしまったのだ。慌てて追いかけていく開人。

 この世の終わりとも思える空気に居たたまれず、協力者たちはそそくさと解散した。

 翌日、開人は青ざめた顔で有谷の前に現れた。


「『簡単に夢を捨てて、自分勝手に将来を決めて…理解できなさ過ぎて…距離を置きたい』って…言われました…」

「ほら見ろ言わんこっちゃない!」

「路上で突然歌い出す男なんて、ただのヤバい奴だって…。あの歌の歌詞もどうかと思うって…それからは電話にも出てくれないし、会いに行っても避けられて…俺、もうどうしたら…」


 その夜から、失意のどん底にいる開人と有谷は、何度も酒を酌み交わした。


「俺、全部失っちまいました…」


 毎晩、開人は子供のように泣きじゃくった。


「バンドも、夢も、愛も…!俺だけが、空っぽだ…」

「バカヤロウ」


 有谷は開人の背中を叩いた。


「オレッチもプロミュージシャンを諦めた過去がある。けど、WTMHに出会ってまた新しい夢を見れたんだ。人生何が起こるかわからないぜ。音楽の力で世界を幸せにするのがお前の夢なんだろう?」


 そんな話を繰り返すうちに、開人の中で何かが変わりつつあるのを感じた。


「あの時、お前言ったよな。『音楽で音を奏でることだけが、人を幸せにすることじゃないのかもしれない』って」


  有谷は、カウンターに置かれた塩辛をつつく。


「例えばタワレコで、お客さんが最高の音楽と出会って、笑顔になるのを手助けするのも、立派に『音楽で人を幸せにする』ってことなんじゃないかってさ」

「ええ。有谷さんと話してる内に、目が覚めてきたんですよね」


 開人の顔が、少しだけ晴れやかになる。


「俺の夢は、武道館に立つこと、それもあったけど、音楽で誰かを笑顔にすることそれが本質だったんだって。」


 開人はようやく自分の本当のやるべき事を見定めた。派手な演出も、サプライズもない。

 ただ、心を込めて、愛へ一通の手紙を書いたのだ。

 その手紙の内容を、有谷は知らない。だが、後日、二人で照れくさそうに結婚報告に来た愛の、幸せそうな顔は今も忘れられない。


「お前がトイレに行っている時に言ってたけど、あの手紙、愛ちゃんの心の奥でずっと鳴り響いてるらしいぜ。そんな文才あったんだな」

「一応10年くらい歌詞、書き続けてますからね」


 彼女はその手紙を読んで、開人の決意の重さと、形は変われど消えることのない音楽への愛情を信じられたのだという。そして、彼女自身が抱えていた、「自分の存在が開人の夢の足枷になっているのではないか」という不安も、正直に打ち明けられたらしい。


「結局、遠回りしちまったけど、お前はお前のやり方で、ちゃんと夢を掴んだんだよ」


 有谷が熱燗を飲み干すと、開人も最後のビールを呷った。


「はい。有谷さんには感謝してもしきれませんよ。本当に」


 生意気で、無鉄砲で、どうしようもなく音楽バカな若者。あの日、地に堕ちたスターの残骸の中から、こいつは自分なりの小さな、しかし何よりも確かな光を見つけ出したのだ。


「で、有谷さんにお願いがありまして。来年の結婚式の時にですね……」


 こいつからの頼み事はいつも断れない。というか、ワクワクして何とかしてやりたくなるというのが本音だった。


「よーし、今日はオレっちの奢りだ!もう一軒行くぞ!」

「マジすか!あざッす!」


 勘定を済ませ、夜の新宿へ繰り出す。

 開人の背中を見ながら、有谷は思う。

 スターが死んだあの夜、確かに一つのバンドは終わった。

 だが、こいつの本当の物語は、あの夜から始まったのかもしれない、と。

 そしてもちろん、オレッちの物語も。

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