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Blue Jam Colors the World  作者: シムラ ミケ
第七章

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ハルウタ

 冬季は滅多に青空を拝むことができない、北陸・金沢。

 鉛色の雲が立ち込めるのがデフォルトの、この街にしては珍しく、今日の空はどこまでも高く、青く澄み渡っていた。  

 まるで地球規模で、春の訪れを知らせてくれているようだ。いや、神様だってたまには、空気を読むということだろう。


 金沢随一の、歴史ある瀟洒な披露宴会場。   

 純白のウェディングドレスに身を包んだ日比野……いや、栗栖栞となった私は、高砂の席から会場を見渡しながら、自分が今、人生で一番輝いていることを自覚していた。  

 テーブルに飾られた装花、ゲストたちの笑顔、グラスが触れ合う軽やかな音。そのすべてが、祝福の光に満ちている。

 一度目の結婚は、若さと勢いだけの、どこか浮ついたものだった。でも今日は違う。泥沼を這い上がり、自分の足で歩いて辿り着いた、確かな「幸福」の味がした。


 隣を見ると、新郎の栗栖昇は、典型的な「借りてきた猫」状態でおとなしく座っている。

 表情筋が死滅したのかと思うほど硬い顔つきだが、テーブルの下で繋がれた左手は、私の右手を痛いくらいに固く、固く握りしめていた。

 その手汗の量と震えが、彼の緊張と、そして私を離さないという無言の決意を物語っていて、私は思わず吹き出しそうになるのを堪えた。


 円滑に幸福の宴は進行し、いよいよ友人代表スピーチの時間になった。

 司会者のアナウンスと共に、予定通り、小橋開人が満面の笑みで前方へ歩み出てくる。タキシード姿は様になっているが、その足取りが少しフワフワしているのが不安だ。


「えー、新郎・栗栖昇さんの親友であり、新婦・栞さんの腐れ縁のクラスメート、小橋開人でございます!」


 マイクを通した声がデカい。会場の空気がビリリと震える。


「昇さんとは高校の時、私がボーカルで、彼がベースでバンド組んでまして。まぁ、とにかく昔から落ち着いた男で! 決して目立たないけど、絶対にリズムを崩さない、柱時計みたいな男でした」


 開人は懐かしそうに目を細め、チラリとこちらを見た。


「ある時、文化祭の準備で栞さんと私が言い合いになって、彼女が泣き出しちゃったことがあったんです。私はオロオロするだけで何もできなかった。……でも、昇さんは何も言わずに自販機に走って、あったかいココアを買ってきて、黙って栞さんに差し出したんですよ! 『なんか言えよ!』って当時は思いましたけど、でも、言葉よりも行動で示す、それが彼の優しさなんだって、今の私は知ってます!」


 会場が温かい笑いに包まれる。隣の昇が、バツが悪そうに鼻をすすった。

 そんなことがあったことを、栞は今の今まで忘れていた。突然、あの時の缶ココアの熱さと、少し粉っぽい甘さが蘇ってきた。

 それが、私の知る「栗栖昇」という男の原点だったのか。


「そんな不器用で優しい昇が、お日さまみたいに明るい栞さんと、そして天使みたいに可愛い萌歌ちゃんと家族になる。……なんか、バラバラだった『幸せ』というパズルの、最高のピースが組み合わさったみたいで、友人として本当に嬉しいです!」


 開人は一息つくと、真剣な眼差しで二人を見据えた。


「この三人なら、どんな悲しい曲だって、最高のハッピーなアレンジで乗り越えられるって、俺は信じてます! 昇! もし二人を泣かせるようなことがあったら、お前の大事にコレクションしてる斉藤和義の限定ピック、全部メルカリに出すからな! 1枚10円で!」


 会場がドッと沸く。昇が「やめろ」と口パクで抗議している。

 さて、そろそろ締めくくって乾杯か、と思ったその時だった。  

 開人は席に戻るどころか、ステージの袖に置いてあったアコースティックギターを手に取った。


「というわけで! ギター弾きなので、歌を贈ります! 愛! そしてスペシャルゲスト萌歌ちゃん! カモンベイベー!」


 え? 私の思考が停止した。  

 スポットライトが動き、いつの間にか会場のピアノの前に座っていた愛と、小さなマイクを胸の前で両手で握りしめる萌歌を照らし出した。  

 愛はドレスアップした姿で優雅に鍵盤に手を置き、萌歌は少し緊張した面持ちで、でも誇らしげに立っている。


「は? 嘘でしょ!?」


 聞いてない、聞いてない、聞いてない!  

 私は昇の腕を揺すった。「あんた知ってたの!?」と目で問うと、彼は微かに頷いた。共犯か!  

 そういうのは事前に言っとくのがルールでしょ! 心の準備が! マスカラの耐久テストなんてしたくないのよ!


 私が混乱しているうちに、愛が奏でる優しいピアノのイントロが、会場に響き渡った。  

 その旋律を聴いた瞬間、背筋が震えた。  

 いきものがかりの『ありがとう』だ。  

 ダメだって。その曲は、私の人生のテーマソングなんだから。


 開人の、甘く切ないアコースティックギターのアルペジオが、ピアノの音色に寄り添うように絡みつく。普段はロックばかり歌う彼の、驚くほど繊細な音色。


 ♪“ありがとう”って伝えたくて あなたを見つめるけど~


 萌歌の歌声だった。  

 まだ幼い、舌足らずな、けれど真っ直ぐな歌声。  

 視界が一瞬で滲んだ。マイクをぎゅっと握りしめた娘が、私をまっすぐに見つめて、一生懸命に歌っている。


 ♪繋がれた右手は 誰よりも優しく ほら この声を受け止めている


 歌詞の一言一句が、私の心の柔らかい部分をえぐっていく。  

 今、昇が握ってくれている右手。ずっと萌歌を握っていた、この右手。


 ♪〜 でこぼこなまま 積み上げてきた ふたりの淡い日々は こぼれたひかりを 大事に集めて いま輝いているんだ~


 その瞬間、栞の記憶のダムが決壊した。  

 走馬灯のように、過去の景色が駆け巡る。


 京都の寒いアパート。電気もつけずに、泣き止まない萌歌を抱いて、一晩中揺れていた夜。  

「ごめんね、ごめんね」と謝り続けた日々。  

 実家に戻り、世間の目に怯えながら、それでもこの子のためにと歯を食いしばって働いた時間。


 そして、昇との日々。  

 私が熱を出した時、玄関に大量のポカリとゼリーを置いていってくれたこと。  

 萌歌が初めて「パパ」と呼んだ日、彼が顔を真っ赤にして、でも今まで見たことのないような破顔で笑ったこと。  

「もう大丈夫だよ、俺が支えるから」と言ってくれた、あの夜のプロポーズ。


 でこぼこだった。泥だらけだった。  

 でも、私たちは確かに、光を集めてここまできたんだ。


「……う、ぐすっ……」


 嗚咽が止まらない。メイクが崩れることなんて、もうどうでもよかった。  

 この子のために生きてきてよかった。  

 この人と出会えてよかった。  

 心から、そう思った。


 隣で、昇が動いた。  

 彼は何も言わず、震える私の肩をそっと抱き寄せた。そして、ポケットから取り出したハンカチで、私の涙を不器用に、けれどとても丁寧に拭ってくれた。  

 見上げると、彼もまた、目を真っ赤にしていた。


  涙と笑顔の披露宴が終わり、私たちは出口で招待客を見送っていた。  

 栗栖と萌歌と並び、一人一人に頭を下げる。  

 列の最後に、開人と愛がやってきた。  

 アイラインが金沢の海まで流れ着くほど、泣き腫らした顔で、栞は精一杯の笑顔を作り、二人を睨みつけた。


「……反則。あんたたち、マジ反則」


「よっしゃ! 大成功! 見たか俺の演出!」


 開人がガッツポーズをし、萌歌と「いぇーい!」とハイタッチを決め込む。

 この男は、本当に美味しいところを持っていく天才だ。


「本当に、おめでとう。栞。……世界で一番きれいだったよ」


 愛が、潤んだ瞳で微笑みかける。その言葉に、また涙腺が緩みそうになるのをぐっと堪えた。

 今日はもう、一生分泣いた。最後は笑って終わりたい。


「ありがとう。……で! 次はあんたたちの番だからね! 結婚式、絶対呼んでよね! 盛大な余興かますから! この人が」


 栞が隣の昇を見てにやりと笑うと、昇は引きつった顔をして、無言で親指を立てた。「了解」のサインだ。  

 しかし、愛は即座に首を横に振った。


「呼ばないよ」


 唐突な拒絶。


「はあ!? なんでだよ!?」


 叫ぶ開人の横で、愛は悪戯っぽく笑う。


「だって、栞がブーケトスに参加したら、他の招待客をなぎ倒す未来しか見えないもん。アメフト選手みたいにタックルかますでしょ?」


 その想像があまりにリアルで、栞は吹き出した。  

 確かに、私ならやりかねない。幸せを掴み取る嗅覚は、誰よりも鍛えられている自信がある。


「当たり前じゃない! なんなら萌歌とフォーメーション組んで、空中でインターセプトしてやるわよ!」


 栞が萌歌をひょいと持ち上げ、頭の上まで抱え上げる。


「まま、ぶーけ、ぜったい、とるよー! とらーい」


 萌歌が腕を大きく伸ばし、空中の見えないブーケを捕まえるふりをする。


「……それ、ラグビーだ」


 昇がぼそりと、的確すぎるツッコミを入れる。  

 一瞬の静寂の後、五人の高らかな笑い声が弾けた。


 その笑い声は、どこまでも高く、青く澄み渡った金沢の空に吸い込まれていった。  

 私たちの人生は、きっとこれからも泥臭くて、騒がしい。

 けれど、雨の日ばかりじゃない。こんな風に、奇跡みたいな青空が広がる日も、必ずあるのだ。

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