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Blue Jam Colors the World  作者: シムラ ミケ
第七章

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いつだって僕らは

 平成最後と勝手に宣告されたせいか、今年の夏は、自棄になったみたいに、カンカンにアスファルトを焼いていた。

 テレビでは、一ヶ月前の熱狂を伝えるサッカーワールドカップの総集編が流れているが、日比野栞の知った事ではなかった。

 とにかく暑くて苦しい。高円寺のガード下、エアコンが申し訳程度にしか効いていない混みあった居酒屋のテーブルで、栞は目の前のカオスな光景をハイボール片手に眺めていた。


 石川県人会 in 高円寺? この会に名前を付けるならそんな感じだろうか。

 メンバーは、東京というジャングルで社会の荒波に揉まれ、持ち前の落ち着いた瞳にさらに深淵を湛えた甲谷愛。

 その彼氏で、会話の八割が勢いだけで発せられている現役バンドマン、小橋開人。

 この二人とは高校3年間同じクラスで、在学中はそれなりに親交があった仲である。腐れ縁というやつだ。

 そして、栞の隣で、まるで省エネモードの家電のようにたたずんでいるが、その実、状況を誰よりも把握している男、栗栖昇。何を隠そう、この男が栞の婚約者である。

 極めつけは、栞の膝の上で枝豆を器用に口に運んでいる娘の萌歌(五歳)。彼女は時折、悟りを開いた高僧のような目で、この世の真理を突く。


「まま、このおさしみ、まだいきてる?」

「生きてないよ。美味しくいただこうね」


 そんな娘の問いに答えながら、栞は目の前の男、開人に改めて向き直った。

 彼は先ほどから、ジョッキ片手に壊れたスピーカーのような音量で、言葉を発し続けている。


「いやマジで!? マジ卍!? 県庁で出会って結婚!? お役所ラブ!? 堅っ! 堅すぎるでしょ! 稟議書に『日比野栞殿との結婚について』とか書いてハンコラリーしたわけ!?」


 狭い店内に無駄に響き渡る個人情報。デリカシーという言葉は、彼の脳内辞書には収録されていないらしい。

 というか、脳内辞書のページ数が高校時代から増えていない疑惑もある。

 栞は呆れ顔で、隣の昇に視線を送った。

 昇は動じることなくビールを一口飲むと、やれやれといった風情でため息をついた。


「……お前の頭の中は、相変わらずファンタジーだな、開人。稟議書なんて回すか。普通に付き合って、普通にプロポーズしただけだ」

「えー! 普通って! そこはドラマチックにさぁ! 『この書類にハンコをくれ、君の人生という名の書類にもな!』とか!」

「却下だ。そんな寒いこと言ったら、栞に張り倒される」


 昇が真顔で即答する。栞は思わず吹き出しそうになった。よく分かっている。 

 軽くあしらわれた開人は、すかさずテレビに視線を移し、また新たな燃料を見つけたように叫んだ。


「うおっ! 見て愛! 大迫、半端ないって! あのヘディング、マジで日本を救ったよな! 俺もあんな風に、ギターで世界を救いてえ!」

「開人、声大きいよ。……おめでとう、栞、栗栖くん。それにしても、すごいね、運命的で」


 愛が冷静に場を整える。その落ち着き払った所作は、学生時代よりも洗練され、少しだけ疲労の色が混じった大人の女性のものになっていた。

 栞と愛の視線が一瞬だけ絡み合い、微笑みあう。

 すごいのはあんただ。開人の様な暴走機関車と付き合い続けられるのは、世界広しといえど愛くらいのものだろう。

 よくもまあ、愛想を尽かさずにここまで来たものだと、感心を通り越して畏敬の念すら覚える。


「ありがと! ねー! まさか高校の同級生と勤務先で再会して、こうなるとはね。人生、何が起こるか分かんないわ。伏線だらけ」

「ふくせん、だいじ」


 膝の上から、ありがたいお言葉が挟まれる。栞たちが思わず噴き出すと、萌歌は「なに?」とでも言いたげにきょとんと首を傾げた。

 昇が、萌歌の口元についた枝豆のカスを、慣れた手つきで拭ってやる。その指先は驚くほど優しい。


「で、開人はどうなのよ。大学卒業して就職もせず、まだバンド続けてるの?」


 栞の言葉に、待ってましたとばかりに開人が身を乗り出した。

 その目は、まるで夏休みの少年のような輝きを放っている。二、十三歳児だ。


「おう! もちろん! 『Wind texture multi-headed』な! ついに! ついに! フジロック! ROOKIE A GOGO! 出演してきました! ドーン!」


 風の質感、多頭飼い? 何それ、ケルベロス的な? 地獄の番犬バンド?  

 ネーミングセンスに目眩を覚えつつ、栞はハイボールで頭痛の種を喉の奥に流し込んだ。


「へえ、すごいじゃん。フジロックって、あの有名な? 結構やるもんだね」

「だろ!? まあ、オーディション勝ち抜くの大変なんだぜ! 去年ダメで、今年やっとよ。今、俺たちキてんだよ! 風が吹いてる!」


 鼻息荒く語る開人の横で、昇が焼き鳥の串を置き、ボソリと言った。


「……行ったぞ、苗場」


 唐突な告白に、またも開人が目を丸くした。鳩が豆鉄砲を食らったような顔だ。


「えぇッ!? 来てたの!? 言えよ! 水くさいな! どうだった? 俺のギターソロ! 天まで昇ったろ!?」

「……悪くなかった。お前、昔よりピッキングが正確になったな。あと、ドラムが良かった」


 昇の口から出たのは、友人としての感想というより、同じバンドマンとしての冷静な批評だった。

 そういえば、彼は今でも地元のバンドサークルでベースを弾いている。


「おお! 分かるか昇! そうなんだよ、ドラムの樹が入ってからグルーヴが化けたんだよ! さすが元相棒、耳がいいねぇ!」

「ただ……」


 昇はそこで言葉を切り、少し言いにくそうに視線を逸らした。


「バンド名、覚えにく過ぎだろ。みんな噛んでたぞあれ」

「結局そこ!?」


 盛大にずっこける開人に、栞は追い打ちをかけた。


「ウィンド…⋯テクスチャー…⋯マルチ⋯⋯ヘッド? 長いって。もう『風頭かぜがしら』でよくない? 暴走族みたいで強そうじゃん」


 昇が吹き出し、肩を震わせて笑う。


「『風頭』……いいなそれ。漢字で書くと演歌歌手みたいで渋い」

「でしょ? 採用していいよ」

「栞まで!? ていうか昇、笑いすぎ!」


 ひとしきりの近況報告で盛り上がるが、話題は次第に「現実」の方へとシフトしていく。

 夢を追う男の横で、現実を生きる女の話だ。  

 大手出版社に就職した愛は、連日企画会議で玉砕しているらしい。


「この企画、既視感しかないね」


 という上司の言葉を再現する愛の顔は、能面のように無表情だった。その瞳の奥には、疲労と諦念、そして微かな焦りが滲んでいるように見えた。

 彼女は今、戦っているのだ。理想と現実の狭間で。そしておそらく、夢を追い続ける開人と交際する現実とも。


 その横で開人は、空気を読まずに自分の苦労話をかぶせてくる。


「分かるわー! 俺のバンドもさ、ボーカルの女癖とか、女子メンバー間の小競り合いとか色々あんだよ! マネージャーも空回ってるし!」


 いや、一緒にするなよ。

 栞は心の中でツッコミを入れた。愛の悩みは生活とキャリアがかかった切実なものだ。

 愛は微笑んで聞いているが、その笑顔がいつか崩れてしまわないか、栞は少し心配になった。


 そんな喧騒の中、萌歌が栞の服をくい、と引っぱった。


「まま、からおけ。うたいたい」

「ん? お歌歌いたい?」

「うん。もか、うたいたい」


 そのつぶらな瞳に、この場の誰もが陥落した。


「はい、決定! 二次会カラオケ! 姫のご要望よ! じゃ、未来の旦那様、お会計よろしく!」


 栞が号令をかけると、昇は「はいはい」と苦笑しながらも、文句ひとつ言わずに伝票を手に取った。その背中は、決して派手ではないけれど、揺るぎなく頼もしい。

 開人のように「世界を救う」なんて大それたことは言わないけれど、私の小さな世界を、雨風から守ってくれる背中だ。


「……じゃ、行くか」


 昇が栞と萌歌の手を引く。その大きな手の温もりに、栞は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。


 その実直な横顔を眺めながら、栞は考えていた。

 自分が歩んできた、キラキラとは程遠い、ぬかるんだ道のりを。

 泥だらけで、傷だらけで、這いつくばってきた日々。  

 でも、だからこそ、今この瞬間が愛おしい。


 あの頃の話を、愛には話しておきたい。  

 完璧に見える彼女も、きっと何かを抱えているはずだから。  

 栞は、昇の手をギュッと握り返すと、高円寺の夜の雑踏へと歩き出した。

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