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Blue Jam Colors the World  作者: シムラ ミケ
第一章

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歩いて帰ろう

 放課後の音楽準備室は、いつだってカオスだ。

 隣の部屋から漏れる、女々しくてと叫ぶ男どものかすれた声に、剥がれ落ちそうなロックバンドのポスターが最後の抵抗を試み、楽器ケースはまるで墓標のように林立している。ホコリをうっすら被ったアンプからは、青春の残り香というよりは単なるカビの匂いが漂ってきそうで、雨降り前のような、なんとなく湿っぽい空気が澱んでいた。


 来栖昇は、そんな掃き溜めみたいな聖域で、黙々と愛用のベースの弦を磨いていた。

 隣では、中学時代からの親友で、現在はバンドの相方である小橋開人が、チューニングが微妙にずれたギターをジャカジャカとかき鳴らし、天井に向かって何かを訴えている。

 魂の叫び、と本人は言うかもしれないが、昇の耳には、文化祭前の焦りが産んだ奇声にしか聞こえない。


「あ゛ーーー! ドラマー! どっかにドラマーいませんかー! 神様仏様! どうか我がバンドに、そこそこ叩けて!金持ちで! 俺の言うことをハイハイ聞いてくれる、都合のいいドラマーを!できれば女の子がいい! プリーズ・ギブ・ミー!」


 開人の奇声には慣れっこだった昇だが、さすがに「金持ち」という露骨な条件には眉をひそめた。


「お前、さっきから金、金って金の亡者かよ。第一、そんな都合のいいドラマーがいるわけねえだろ。文化祭まであと2ヶ月切ったぞ」


 冷静に事実を指摘すると、開人はギターを掻き鳴らすのをやめ、昇に詰め寄ってきた。


「2ヶ月あれば、奇跡は起きる! 俺たちの音楽が世界を揺るがす、その瞬間を目撃したくはないのか、昇! そのためにはな、リッチな機材と、リッチなスタジオと、リッチな……とにかくリッチさが必要なんだよ! 分かるか!?」

「お前の頭の中は年中フェス畑だな。リズムもへったくれもない。それに世界は今年で終わるって話だぜ? マヤ暦だっけか」


 昇はやれやれと首を振りつつも、ベースを磨く手は止めない。どうせドラムが見つからなければ、開人の言う「世界を揺るがす」瞬間も訪れないのだ。期待するだけ無駄だと思いつつも、ふと、クラスメイトの噂が頭をよぎった。

 まあ、ダメ元で言ってみるか。


「……まあ、噂なら一つだけあるぞ。俺と同じクラスの茶戸。なんか知らんが、家が笑うほど金持ちで、中学ん時、吹奏楽でパーカッションやってたらしい」

「チャド!? あの、休み時間ごとに入念なヘアチェックしてる、歩くナルキッソス野郎か!? マジで!?」


 開人の目が、サーチライトみたいにギラリと光った。単純なヤツだ。


「よっしゃ、秒で口説き落としてやる! 行くぞ、昇! 未来のドラマーゲットだぜ!」


 ギターを放り投げ、開人は文字通り、風のように準備室を飛び出していった。

 残された昇は、ため息を一つついて、仕方なく追いかけた。厄介事に巻き込まれる予感しかしない。


「……どうせまた、変な条件でも飲まされるのがオチだ」


 昇はそう呟きながら、小さく斉藤和義の能天気な歌のフレーズを口ずさんだ。こういう時、彼の音楽だけが、心の平穏をわずかに保ってくれるのだ。



 廊下の真ん中で、自慢げに掲げたiPhone4Sのインカメに見惚れている茶戸心の前に、開人が突風のように突っ込んでいった。

 昇はつかず離れずの場所で状況を静観する事にした。


「発見! チャド氏! 単刀直入に言う! 俺とバンドを組まないか!? ドラムを叩いてくれ! この灰色の青春を、俺たちの音楽で極彩色に塗り替えようぜ!」


 チャドは、闖入者である開人を値踏みするように一瞥し、フンと鼻を鳴らした。

 昇には、チャドが明らかに開人を見下しているのが見て取れた。


「……誰だね、君は。いきなり馴れ馴れしいな。この僕の、1秒1億円とも言われる貴重な時間を、無駄なサウンドチェックに費やすつもりかね? 僕はこの後、このシルクのような肌を維持するための予約が入っているのだが」

「俺、2年8組小橋開人! 別名音楽準備室のファンタジスタ! ドラム探してんだよ! な? やろうぜ! 文化祭で伝説作ろうぜ! お前のドラムソロ、なんなら10分やってもいい!」

「ほう、8組ね」


 チャドの片眉がピクリと動くのを、昇は見逃さなかった。何か引っかかることでもあるようだ。


「この僕の、神に愛されたリズム感を披露する舞台があるというなら、吝かではない。だが、勘違いするなよ。この僕のスティックさばきは、タダじゃない」


 ほら来たと思った。面倒な条件。


「もちろん! なんでも言ってくれ! 金か!? 将来ビッグになったら、札束で顔叩いてやる!」


 開人の能天気な返答に、昇はため息をつきたくなる。


「マネー?」


チャドは嘲笑した。


「ノーノー。金稼ぎなど、僕にとっては呼吸するのと同義だ。僕が欲しているのは……インフォメーションだ」

「情報!?かっけえ! スパイ映画みたいじゃん!」


 眼を輝かせている開人を見て、馬鹿かこいつは、と昇は内心毒づいた。情報、という言葉の響きだけで、厄介な匂いがプンプンする。


「君、8組という事は甲谷愛さんと同じクラスだろう?」


 チャドの声のトーンが、わずかに熱を帯びた。甲谷愛? あの大人しそうな子か。昇はチャドの意外な関心に少し驚いた。


「あの、図書室の片隅に咲く一輪の花……いや、僕だけのミューズ! 僕は彼女に、そう、完全に心を奪われてしまっているのだよ。彼女の好み、好きな本、好きな音楽、休日の過ごし方、なんなら好きな消しゴムのメーカーまで! どんな些細な情報でもいい。それを逐一、この僕に報告するんだ。それが、僕のドラムを手に入れるための、唯一の条件だ」


 なんだそれは、と昇は呆れ果てた。ストーカーまがいの要求じゃないか。

 開人の脳裏に、甲谷愛の姿が一瞬よぎったのだろうか、ためらうような表情を見せた。だが、バンドのため、武道館のため、世界のため、といういつもの年中フェス畑思考が勝ったらしい。


「甲谷さんの……情報……よし、乗った! 俺、007にだってなってやるぜ! ライセンス・トゥ・スパイだ!」


 ああ、やっぱりこいつは馬鹿だ、と昇は確信した。


「グッド。契約成立だ、エージェント・コバシ。せいぜい、僕を満足させるスクープをハントしてくることだな。では、アデュー。」


 チャドは投げキスを残して、優雅に去っていった。開人は拳を突き上げ、勝利を確信している。


「っしゃー昇! ドラマー確保! これで俺たちの伝説が始まる! 甲谷さんの情報なんて、秒でゲットだぜ!」


 開人の威勢のいい声が廊下に響く。

爽やかな風が吹き抜け、掲示板の文化祭ポスターがピラピラと音を立てていた。

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