光と影の季節
樹が次にWTMHに提言したことは、バンドにマネージャーを迎える事であった。
信頼できるマネージャーの存在が、バンドの成長を加速させるための強力な武器となる事は、数多のバンドを渡り歩いた経験から知っていた。
適当な人材を探していたところ、開人のバイト先の社員だという有谷大輔という人物が、本業の傍ら引き受けてくれることになった。
有谷はプロキーボーディストを目指していた過去があり、音楽への造詣も深く情熱も感じた。
欠点は10歳近く年上にもかかわらず、空回り癖が見られる事であった。
「このフライヤー見てよ!オレっちが考えたキャッチコピー、『ポスト・ネオ渋谷系サウンドスケープ!坂本龍一もきっと頷く!』どうこの画像も、映えてるっしょ!」
スタジオ練習の休憩中に、有谷が勢い任せに話し出す。
配られたフライヤーを見たメンバー全員が、微妙な顔で黙り込む中、樹は冷静にツッコんだ。
「坂本龍一は、たぶん頷かんじゃろね……」
「ポストSMAPにする?」
「もっとないじゃろね……」
こんな感じのやり取りが日常茶飯事であった。
ただ、次の日には坂本龍一の名前が消されていた様に、有谷の良さは、柔軟かつ、その手を止めない事であった。
次から次へと繰り出される、彼のアクションにメンバー全員が何かしらの影響を受けている様に見えた。
樹も例外では無く、このバンドの為に自身ができる事を精一杯やろうと、心の底から誓いを立てていた。
ある日の練習後、樹がスタジオの裏でタバコを吸っていると、デイヴが隣にやってきた。
「ユーは今までどんなバンドにいたの?」
珍しく真面目な問いだった。樹は煙を吐き出しながら、ぽつりと過去を語った。
熱くなりすぎる自分のドラムが、どのバンドでも浮いてしまったこと。理解されず、孤立していったこと。
「……ワシのドラムは、どこに行っても重すぎると言われた。誰もがわしのビートに吸い込まれていくようじゃった。」
するとデイヴは、ニヤリと笑って言った。
「ミーは好きだぜ、ユーの重たいビート。異常に、安心する。」
「あんたがどっかに飛んで行ってしまわん様に、ワシが錨になろうかね」
本気混じりのトーンでそう話すと、デイブは驚いた顔をしつつ、おどけながら手で飛ぶ仕草を見せて去っていった。
派手な見た目と裏腹に、その顔には時折、深い孤独の影が差す。
彼が震災孤児で天涯孤独の身であるという話を、樹は思い出していた。
普段は決して見せない彼の痛みに、少しだけ触れた気がした。
凪沙は、そんなデイブに好意を寄せているのが見て取れた。バンド結成当初よりリズム隊として呼応している内に、人知れず特別な絆を築いてきたのかもしれない。
無表情で口数が少ない彼女ではあったが、発せられる言葉は、ほぼデイブを慮る言葉で占められていた。
フロントで歌うデイブの右横で、この上なく正確で無慈悲なベースを轟かせながら、彼を見つめるその目は、間違いなく恋する女のそれであった。
下世話だとは知りながら、凪沙と二人きりになった時、その話を切り出した。
「デイブの事、いつから好いとるんか?」
凪沙はじっと樹の口元を見つめ、珍しく微笑んだ。
「恋愛感情って事?」
「決まっとろうが」
「ないなぁ。うちに無いものめっちゃ持ってるから、尊敬してるし、感謝もしてるけど……なんで?」
「あんたの気持ちは、あんたのもんじゃ。自由にしたらええ。ただ恋愛で崩壊したバンドを一杯見てきたから、心配しただけじゃ」
「そんなん、わかってるわ」
凪沙は相変わらずの無表情でそう答えた。必死に隠していたが、二人はもう深い仲になっているのかもしれない。
今のところバンドメンバーの関係性に支障は来たさない様ではあったが、そうならないようにコントロールする必要があると考えていた。
もう一人の女性メンバー楽未は、凪沙と正反対の性格であったコ
スタジオ練習中も歌ったり踊ったり、ケラケラと高笑いする彼女がいるだけで、その場の雰囲気が盛り上がった。
このバンドが得意とする即興的なパート『BLUE JAM』も、彼女がぶっ飛んだメロディを差し込むことにより、大きく羽ばたくことが多かった。
彼女には、樹が持ち合わせていない根っからの陽気さが備わっており、性格はまるっきり違っていたものの、気が合うと思う事も多かった。
懸念点は、衝動的かつ刹那的な素養が見受けられる事であった。
凪沙とは別の意味で、人間関係を破壊する過ちを起こさせないように、ワシが注視しておく必要がある。
樹はバンドが生ものであるという事を何度も味わっていたが故に、腐敗を未然に防ぐ術がある事も知っていた。
バンドの太陽、開人は、近頃その光に陰りを落としていた。就職活動中の恋人、甲谷愛との将来。プロのミュージシャンになるという夢の不確かさに悩んでいるようだった。
ある夜、樹と開人で酒を飲んでいた時だ。
音楽の技術的な話が白熱してきた頃、おもむろに開人が話を切り替えた。
「愛の大学の同級生にさ、高岸って奴がいて。そいつは来年から文部省で働くんだと。」
開人は羨望の眼差しを見せ、目の上で敬礼のポーズを取った。
「で、言われたんだ……。僕だったら必ず愛さんの事を幸せにできる。でも愛さんはお前の事を選んだ。だから必ず幸せにしてくれ。絶対に結婚して僕を式に呼べよって」
そして頭を抱えながらこう続けた。
「ああ任せとけって見栄を切ったんだけど……。全然リアルじゃ無くって。俺達、いつプロで売れるんかね……」
珍しく弱音を吐き、子供のように困り顔を浮かべる開人に、樹は言葉を探した。
気の利いた慰めなど、生憎と持ち合わせていない。
「……開人さん、自分を信じろ。ワシのドラムと、あんたのギターがあれば、どこへでも行ける。迷うなら、ワシのビートの上で泣け。踊れ。叫べ。あんたは、このバンドのフロントマン。愛さんも含め、音楽で人を幸せにするんじゃろうが。」
不器用な檄だった。だが、開人の瞳に、微かだが野生の光が戻るのが見えた。
それでええ。この不安定で、愛すべき太陽が落ちんように、ワシが最後の一打まで支えちゃる。
樹は覚悟を決めるように、残った酒を喉の奥へと一気に流し込んだ。




