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Blue Jam Colors the World  作者: シムラ ミケ
第五章

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月光


『第19回早稲田大学ビジネスプランコンテスト 11月11日(金) 大隈記念講堂小講堂 13時30分〜』


 高岸は掲示板のそのポスターを見て喜びを噛み締めていた。

 彼の力添えにより、愛の企画は見違える様にスケールアップし、コンテストプレゼン決勝大会の出場者に選出されたのだ。


 その間、高岸の計画は、ベートーヴェンのソナタのごとく、緻密にかつ力強く進められた。

 彼は持ち前の分析力で愛の企画の弱点を洗い出し、膨大な知識の中から的確な補強材料を提示した。

 図書館で二人きりで資料を作成する時間は、彼にとって勝利への布石を一つずつ置いていくような、知的な興奮を伴う作業だった。


「高岸君って、本当に凄いね」


 愛が感嘆の声を上げた時、高岸は静かに答えた。


「僕はベートーヴェンが好きなんだ。彼の音楽は、緻密な構成と情熱的な感情が完璧に両立している。君の企画にも、そんな可能性を感じる」


 それは本心だった。彼は混沌を嫌い、構築された美を愛した。そして甲谷愛という存在そのものが、彼にとっては守り、完成させるべき美しい構造物に見えていたのだ。


 その日も、図書館のグループ研究室で愛と二人、緻密な作業を進めていた。

 静寂こそが思考を研ぎ澄ます。高岸にとって、そこは聖域だった。

 しかし、その静寂は突如として、着信音と共に破壊された。

 愛のスマホだ。彼女が慌てて席を外すと、弾んだ開人の知性のかけらもない声が漏れ聞こえてくる。


「……うん、うん、それでね!さっき駅前で、超レアなポケモンが出たんだよ!」


 ポケモン?高岸が最も軽蔑する、非生産的な時間の浪費。そんなものの為に、この貴重な時間を中断させるのか。

 数分後、席に戻ってきた愛は申し訳なさそうに微笑んだが、その頬は嬉しそうに紅潮していた。

 その表情を見た瞬間、高岸の胸に、冷たい怒りが湧き上がった。

 あの男は、いつだってそうだ。何の脈絡もなく現れては、我々の構築してきた秩序ある世界に、幼稚で無意味なノイズを撒き散らしていく 。

 

 数日後、その「ノイズ」は物理的な形をとって、再び聖域を侵犯した。


「あーいー! いるー?」


 声を潜めているつもりらしいが、全く潜んでいない、能天気な声。小橋開人が、ひょっこりと研究室に顔を出し、ビニール袋をガサガサさせながら、二人の元へやってきた。


「よ!高岸もいんじゃん!二人とも、お疲れ!差し入れ!新発売プレミアムクッキーシュー」


 ドサッ、と机の上に置かれたコンビニの袋。シュークリーム。この、我々が築き上げてきた緻密な論理の世界に、彼は土足で、しかもおやつ片手に踏み込んできたのだ。 愛が慌てて


「ダメ! ここ、図書館だよ!」


 と開人を窘める。だが、開人は悪びれもせず、


「大丈夫だって! 愛のためなら、俺、司書さんの分も買ってくるから!」


 と、意味不明なことを言ってのける。

 高岸は、静かに立ち上がった。怒りではない。ただ、目の前のノイズを、論理的に排除するだけだ。


「小橋君」


 高岸の声は、絶対零度のように冷たかった。


「図書館法第30条。図書館は、その利用者の秘密を保持し、かつ、思想、信条の自由を確保しなければならない。君のその無秩序な振る舞いは、我々と思想を同じくしない他の利用者に対する、明確な権利の侵害にあたる。理解できるかな?」

「へ……? としょかんほう?」


 突然の法律論に、開人の思考は完全に停止したようだった。高岸は続ける。


「君のそのシュークリームがもたらす甘い匂いは、我々の集中力を著しく削ぐ。君の存在そのものが、この空間におけるアノマリーだ。速やかに退去を勧告する」


 開人は、完全に気圧され


「……じゃ、じゃあ、外で待ってるわ……」


 と、すごすごと研究室を出て行った。


「ごめんね、高岸君。悪気はないの……」


 愛は申し訳なさそうに謝った。

 高岸は、彼女のその言葉を、自分への同意だと解釈した。

 やはり、彼女も開人の無秩序さに疲弊しているのだ。計画は、順調に進んでいる。


 小橋はバンド活動が上手く行っていないらしく、愛の下を訪れる頻度が減っていた。

 メジャーデビュー目前だったにも拘らず、ボーカルが離脱してからは迷走しているのだと聞かされた。

 そんな敵失も高岸の背中を後押しし、おおむね計画通りに事は進んでいた。


 プレゼン決勝大会まで一週間を切った、ある晴れた土曜日のことだった。

 高岸は、最後の仕上げとして彼女を「フィールドワーク」へと誘い出した。

 場所は神保町。古書と珈琲の街だ。

 目的は、彼女の資料に更なる厚みを持たせるための、1970年代の絶版写真集を探すことだった。


 古書店独特の、紙とインクが古びた匂いが充満する店内で、愛は水を得た魚のように生き生きとしていた。


「すごい……高岸君、この本、ネットでも見つからなかったのに」


 高岸が書棚の奥から目当ての一冊を引き抜くと、彼女は少女のように目を輝かせた。


「検索アルゴリズムだけが世界じゃない。足と論理で探せば、知識は必ず見つかる」


「ふふ、名言だね」


 買い物を終え、路地裏の古びた純喫茶店に入った。

 クラッシックが静かに流れる店内、深煎りのブレンドコーヒーの湯気。

 そこには、小橋開人が持ち込むような「ノイズ」は一切存在しなかった。


 静かにページをめくる彼女の横顔を見ながら、高岸は確信した。

 彼女の魂が真に求めているのは、安っぽいロックバンドの喧騒ではない。この知的で、静謐で、香り高い時間なのだと。


 喫茶店を出ると、すっかり日は落ちていた。

 駅までの帰り道、その夜は月が妖しげなほど輝いていた。

 月光に照らされた彼女は、いつもよりずっと神々しい姿に見えた。

 月の女神アルテミス、いや美の女神アフロディテか、いずれにしても彼女は特別で素晴らしい。

 高岸は光り輝くその輪郭線に思わず見惚れていた。


 今日という完璧な一日。そして、この美しい月。  

 高岸の計画は、ここで重要な転換点を迎えた。


「小橋君は、君のことを本当に理解しているのかな」


 静かに言葉を切り出した。


「なぜもっと君の力になろうとしないのかな」


 これは揺さぶりだ。しかし、嘘ではない。彼の目に映る事実そのものだった。

 愛が何か言おうと口を開きかけたが、高岸はそれを遮るように、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。


「僕なら、君に寂しい思いをさせない」


 衝動ではない。これまでの観察と分析、そして今日共に過ごした安らぎの時間から導き出した、論理的な帰結。一つの証明であった。  

 愛は必死に小橋を庇う言葉を繕っていたが、その瞳が大きく揺れるのを見て、自分の言葉が彼女の心の深くに届いたことを確信した。

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