花束を君に
ライブを重ねるごとに、ウィンテクスは下北沢界隈でちょっとした有名バンドになっていった。
特に、デイヴが「ブルージャム」と呼ぶ、即興演奏のパートが評判だった。
彼曰く、温度の高い炎がブルーなのと同様に、最高にいかしたジャムはブルーなのだという。
デイヴ以外にこの単語を発しているのを聞いたことが無いので、恐らく彼の造語であろう。
その呼び名の良し悪しは別として、その瞬間だけは、確かに魔法のようだった。
凪沙が地を這うようなベースラインで客の心臓を掴むと、デイヴのドラムが衝動的にそれを煽る。
その隙間を縫うように、楽未のキーボードが星屑みたいな音を撒き散らし、小橋のギターが泣き叫ぶようなソロを天に突き上げる。
その全ての音の嵐を、ワタイのこの声でねじ伏せて、支配する。
ワタイたちは、世界で一番格好良い、心からそう思える瞬間だった。
だが、千鶴には不満があった。
(ワタイは、ジャムセッションの添え物じゃない。自分の言葉で、自分の歌声で、ちゃんとメッセージを届けたいんだっつーの!)
その不満は、ことあるごとにデイヴと衝突した。
「だからよぉ、千鶴! あのジャムこそがミー達の魂だって言ってんだろ!」
「魂ねぇ……。ワタイに言わせりゃ、ただの自己満足にしか聞こえないけど? もっと構成とか練ろうよ! 歌詞だって、もっと深いの唄いたいし!」
「深いのって何だよ! ミーはフィーリングでガツンと行きたいんだよ! ジーミ・ヘンドリックス! 分かる!?」
「分かんないし、ジミヘンはギターじゃん! ワタイはボーカリストなの!」
こんな調子で口論が始まると、いつも間に入ってオロオロするのが小橋だった。
「ま、まあまあ!二人とも落ち着いて! 千鶴の気持ちも分かるし、デイヴの言うことも一理あるし! な、とりあえず次のライブのセットリスト、相談しようぜ!」
(こいつの「一理あるし」が出ると、だいたい何も解決しねーんだよな)
千鶴はため息をついたが、小橋の人の良さそうな笑顔を見ると、毒気を抜かれるのも事実だった。
ある日、一人で路上演奏をしていた小橋を、千鶴は偶然見かけた。
彼が弾くのは、バンドでやるような激しいものではなく、どこか切ない、優しいメロディだった。
(……こいつ、こんな曲も書くんだ)
「それ、何て曲?」
千鶴が声をかけると、小橋はびっくりした顔で見上げた。
「あ、千鶴! いや、これは……イギリスにいる恋人のこと考えてたら、なんか浮かんできて……『愛ちゃん』って言う曲なんだ」
照れくさそうに頭を掻く小橋。
(愛ちゃん、ねぇ……)
千鶴は、その彼女の顔を知らなかったが、小橋のこの表情を見れば、どれだけ大切な存在なのかは嫌でも伝わってきた。
「ふーん。……いい曲じゃん。ワタイがハモってやろっか?」
「え! マジ!?じゃ動画にして愛に送ってイイ?」
小橋の目が、また子犬のようにキラキラした。
千鶴は、その純粋さが少し眩しかった。そして、少しだけ羨ましかった。
誰かを想う事も、誰かに想われる事も……。
千鶴とデイヴの争いは絶えなかったが、WTMHとして本格的な活動を開始してから、一年が経とうとしていた。
梅雨の晴れ間を見上げ、小橋は見るからに浮かれていた。
甲谷愛があと一か月でイギリスから帰国するというのを、誰彼構わず触れ回っている。
小橋の地に足がついていない様子は、千鶴の目から見ても滑稽なほどだった。
練習中もスマホをチラチラ見てはニヤニヤしている。
(ったく、分かりやすすぎんだろ、あのギター馬鹿)
千鶴は内心毒づいたが、同時に、胸の奥がチクリと痛んだ。
それは嫉妬ではない。
小橋の関心が愛に向かうことで、バンド内のバランスが微妙に崩れ始めているのを感じていたからだ。
以前なら、デイヴと千鶴が火花を散らせば、小橋が必死で間に入ってくれた。
だが最近は、どこか上の空なのだ。
そのせいで、デイヴとの口論はエスカレートする一方だった。
「だーかーらー! ブルージャムを少し短くして、ワタイのソロパートを増やせって言ってんの!」
「はぁ!? なんでミーたちの見せ場を削ってまで、ユーの自己満に付き合わなきゃなんねーんだよ!」
「自己満って言うな! これは表現なの! プロとして!」
「プロ根性ならミーだって負けてねえぜ! ライブは生き物なんだよ!」
火花が散る。二人とも、助けを求めるように小橋を見た。
いつもの彼なら「まあまあ二人とも!」と間に入ってくれるはずだ。
しかし、その日の小橋は、スマホの画面を見ながら、ニヤニヤしているだけだった。
その瞬間、千鶴の中で何かがプツリと切れた。
千鶴はスタジオを飛び出し、夜の公園で一人、ブランコに揺られた。
デイヴとの出会いから今に至るまでの出来事を思い返す。
バンドの人気は着実に上昇しており、今ではメジャーデビューも夢じゃないと囁かれるようになっていた。
相反するように、自身の心はこんなにも遠くに離れてしまっていた。
(もう、限界かもな……)
そんな悶々とした日々を過ごしている時だった。
ライブハウスからの帰り道、一人の変な男が千鶴に声をかけてきた。
「ちょと待て、ちょと待て、おねーさん♪」
最近よく聞くギャグを用いた、ダサいナンパ師かと思って無視していたら、その男は、
「安心してください、音楽プロデューサーですよ」
と言って名刺を渡してきた。SAKUという名の、自称新進気鋭ミュージシャンとの事だった。
その男は、信じられないような話を切り出した。
「横須賀千鶴さんだよね。君は素晴らしいよ。僕は、ユニバーサルから立ち上げるプロジェクトでボーカルを探してるんだ。率直に言う。君の歌声が欲しい。」
(……は? スカウト? ワタイが?)
頭が真っ白になった。
近くのスタバに入り詳しく話を聞くと、覆面ユニットのボーカリストととして私を迎えたいとの事だった。
メジャーデビュー、とは言え、私の憧れとは少し違うかもしれない。
でも、自分の歌を、自分の思うように歌えるかもしれない。何より自分の歌声で勝負出来る。
「僕は、君の唯一無二の声に非常に可能性を感じている。君の歌声を最大限に尊重した楽曲を、世に送り出したいんだ。」
その言葉が、千鶴の心を揺さぶった。
一年という歳月を切磋したバンドメンバーの顔が脳裏に浮かび、一週間、返答に時間をもらった。
バンドを抜けるべきか、残るべきか。答えを出せないまま数日が過ぎた。
練習後、珍しく凪沙から声をかけてきた。
「千鶴、ちょっと付き合ってや」
連れて行かれたのは、スタジオ近くの薄暗いバーだった。しばらくすると、楽未も合流してきた。
ビールを一口煽り、凪沙が切り出した。
「……最近、しんどそうやな、あんた」
その言葉に、千鶴は虚を突かれた。楽未も心配そうな顔でこちらを見ている。
「デイヴと開人は、ああいう生き物だからさ、仕方ないよね。でも、私達は違うよ」
楽未がカクテルをストローでかき混ぜながら、口を尖らせた。
「あたしもさ、本当はもっとコードとかアレンジとか、ちゃんと決めたい時あるんだよねー。でも、デイヴが『フィーリングで!』って言っちゃうと、何も言えなくなっちゃうし」
「うちは、千鶴の『歌』をもっとしっかり支えたいと思ってる。」
と凪沙が続ける。
思わぬ二人の言葉に、千鶴の胸が熱くなった。ワタイは、一人じゃなかったんだ。
「凪沙、楽未」
「だから、千鶴が本当にやりたい音楽があるなら、私達はそっちにつくよ」
楽未の屈託のない笑顔。凪沙の真っ直ぐな瞳。 千鶴は、グラスの水滴を指でなぞりながら、唇を噛み締めた。
この二人を、裏切ることになるのか。ワタイは……。
どれだけ考えても、自身をより必要としてくれているのも、自身のステップアップにつながるのも、メジャーデビューであるという結論は覆らなかった。
バンドを抜ける事をメンバーに打ち明けるのは、想像以上に辛かった。
だが、自身がこの結論に至るまでの心情の変化を、ありのままに説明する他無かった。
デイヴは案の定激昂し、楽未は泣き出し、凪沙は黙って俯いていた。
そして小橋は、ただ呆然と千鶴を見ていた。
「千鶴。……俺、気づけなかった。ごめん。」
思いがけない優しい言葉に、張り詰めていた千鶴の涙腺は崩壊した。
「ううん、開人は悪くない。ワタイの勝手だから。みんなには、本当に感謝してる。この1年、めちゃくちゃ楽しかった。でも、ワタイ、……行くわ」
スタジオを後にする時、千鶴は一度だけ振り返った。
途方に暮れた顔のメンバーたち。開人は、今にも泣き出しそうな顔で千鶴を見つめていた。
(ごめん、ごめんな、みんな……)
でも、もう後戻りはできなかった。ワタイは、ワタイの歌を歌うために挑戦するんだ。
数日後、早くも千鶴は、与えられた新居での生活を始めていた。
パソコンの画面上には、洗練された楽曲のデモ音源がズラリと並んでいる。
ユニット名は『nightpearl』と名付けられていた。
これは、ワタイが本当にやりたかった音楽だ。
ふと、窓の外を見ると、公園に植えられたヒマワリが満開にそそり立っていた。
(花言葉、貴方だけを見つめるか……皮肉なもんだね)
スマホが鳴った。開人からだった。
「 最後に、もう一回だけ、一緒に音出せないかな?」
その声は、少し頼りなかったけれど、どこか決意のようなものも感じられた。
千鶴は、少しだけ迷ってから、答えた。
「分かった。派手に、キメてやろーじゃん」
使い慣れたスタジオに入ると、メンバー全員が黒の衣装でスタンバイしていた。
「なに?お葬式?」
千鶴は思わず毒づいた。
「逆だよ。これは俺たちなりのエールだから、悪く思わないでね」
小橋がすかさずフォローしてきた。デイヴは早く始めようとばかりに、無言でリズムを刻んでいた。
千鶴は最後のブルージャームに揺られながら考えていた。
これがハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、今はまだ分からない。
でも、一つだけ確かなことがある。
Wind texture multi-headedとして過ごした1年は、間違いなくワタイの青春そのものだったのだ、と。
そして、全員がつながるこのブルージャムが、なんだかんだ言って好きだったのだ、と。
(ま、せいぜい頑張りなよ、あんたたち)
渡された花束を抱え、一人スタジオを出た千鶴は空に向かって呟いた。
期せずして、マイクの形に似た雲が浮かんでいた。
ワタイなりのブルージャムがどこかで待ってくれている、そんな気がした。




