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Blue Jam Colors the World  作者: シムラ ミケ
第三章

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Wonderful Tonight

 照井による修行は、日を追うごとに厳しさを増した。

 その指導は、端的かつ一切の妥協を許さない。


「その指使いは違う、音が濁っている」

「もっと腰で、魂で粘れ」。


 開人は必死に食らいついた。

 照井の辛辣な言葉に打ちのめされ、ついていけずに顔を歪めることもあったが、次の日にはケロッとした顔で部室に現れ、再びギターを握った。

 そして、時折「このフレーズ、愛に聴かせたらなんて言うかな」等と、遠い目をして呟くのだった。

 その度に、照井は開人の原動力がどこにあるのかを再認識させられた。


 ある日の練習中、開人が真顔で尋ねてきた。


「あの、先輩! クラプトンと、えーっと…誰でしたっけ、あの速弾きの凄い人! エリック・ジョンソン? あの二人って、もしかして親戚とかだったりします? 名前、似てますよね!」


 照井は危うく手にしていたピックを宇宙の彼方に弾き飛ばしそうになった。


「…いや、全くの赤の他人だ」


 とだけ絞り出すのが精一杯だった。

 (どこをどう解釈すればその結論に至るんだ…? せめて一曲ずつでも聴けば、その音楽性の違いは火星からでも判別できそうだが…)

 呆れを通り越して一種の畏敬の念すら抱いた。

 だが、そんな常識の枠に囚われない開人の感性が、時として彼のギタープレイに予測不能なスパイスを加えることも、照井は認めざるを得なかった。


 また別の日には、開人が新しいフレーズをマスターした喜びからか、ギターを弾きながら奇妙なステップを踏み出した。ぎこちなく手足がバラバラに動き、見ている方が不安になるような踊りだ。


「何をやっているんだ…?」


 と照井が眉をひそめると、開人は


「いや、なんか、体が勝手に! 音楽に乗っちゃいました!♪ありのーままのー♪みたいな。 愛にも見せてやりたいっすね!」


 と、何の恥ずかしげもなく笑った。

 照井には到底理解不能な行動だったが、彼の感情の豊かさがそのまま音に昇華されているかのようで、それはそれで悪くない、いや、むしろ面白いとさえ感じ始めていた。

 決して共に笑えはしないが、「まあ、こいつも色々考えてるんだろう」と、少しだけ親しみが湧いていた。

 そして、多くの行動の根源に「愛」という名の女神が存在することを、照井は明確に感じ取っていた。


 開人のギタースキルは、照井の予想を遥かに超える速度で、まさに破竹の勢いで上達していった。

 照井の的確な指導に忠実に、そしてそこに彼自身の天性の明るさと自由な感性を融合させながら、開人は自分だけの音を見つけ始めていた。

 それは照井の音とは違う。敬愛するクラプトンとも違う。紛れもなく、小橋開人自身の音だった。


 師として、その眩いばかりの成長を目の当たりにすることは、照井にとって何物にも代えがたい、純粋な喜びだった。

 最初はただの「騒がしい後輩」でしかなかった開人は、いつしか照井にとって、共に音を追求する、かけがえのない相棒になっていた。

 二人の「バッテリー」は、まだ荒削りながらも、確かに力強く、そしてどこか温かい音を奏でていた。

 サークルライブや小さなコンテストにも出場し、少しずつだが確実に、彼らの音は聴く者の心を掴み始めていた。


 ある週末の夕暮れ時。

 照井と開人は、高田馬場駅前の雑踏の中でアコースティックギターをかき鳴らしていた。

 「バッテリー」の路上ライブだ。


 ビル風が少し肌寒い。照井はいつものようにクールに、しかし内なる情熱を込めて正確無比なフレージングを重ねる。

 隣で開人は、少し緊張した面持ちながらも、それ以上に楽しそうだ。

 観客はまばら。足を止める人もいれば、無関心に通り過ぎる人もいる。


 そんな中、照井はふと、少し離れた場所で立ち止まっている一人の女性に気がついた。

 派手さはないが、どこか芯の強さを感じさせる、品のある佇まい。

 彼女は、ただじっと、開人のことを見つめていた。その眼差しは、慈愛に満ち、そしてどこか祈るような色を帯びていた。

 彼女が、開人がいつも語っている「愛」に違いない。照井は直感した。


 演奏中、開人は彼女の存在に気づいていないようだった。ただひたすらに、ギターと、そして隣で音を重ねる照井と向き合っている。

 その真剣な横顔を見ながら、照井は考えた。


 彼がこの音を届けたいと願っている相手は、きっとあの女性なのだと。

 彼女はどんな想いで、彼の、そして自分たちの音を聴いているのだろうか。

 照井には、彼女の表情や仕草から感情を読み取る事は出来なかった。

 ただ、彼女が開人の奏でる一音一音に、心を深く寄せていることだけは、痛いほど伝わってきた。


 一曲演奏し終え、開人が観客に向かって深々と頭を下げる。その瞬間、彼はついに立ち止まっていた女性の存在に気づいた。


「あ! 愛!」


 開人の顔が、パァっと効果音がつきそうなほどに輝き、ギターを抱えたまま、子犬のように彼女の元へ駆け寄った。

 照井は少し離れた場所で、その微笑ましい光景を眺めていた。

 開人は何かを興奮した様子で捲し立てている。女性は、静かに、しかし優しい微笑みを浮かべて相槌を打っている。

 二人の間に流れる空気は、甘く、穏やかで、照井には到底立ち入れない、彼らだけの特別なものだった。


 女性は開人のギターにそっと触れ、何か言葉を発した。開人の顔は見る見るうちに喜びで満ち溢れていった。

 彼女が、彼の音楽を、彼の努力を、心から肯定してくれたのだろう。


 しばらくすると、開人が照井の前にその女性を連れてきた。


「先輩、紹介します。俺の石川からの…愛です。」

「そうか。」


 照井はギターを手入れする手を止めず、ぶっきらぼうにそう答えた。

 馴れ合いはごめんだ。

 だが、その時、愛が照井に向かって、小さく、しかし深く頭を下げた。


「はじめまして。甲谷愛と申します。いつも開人が、本当にお世話になっております」


 鈴が鳴るような、それでいて芯のある声だった。照井は思わず手を止め、初めて彼女と視線を合わせた。その瞳は、ただの好奇心ではない、静かな観察眼と、深い知性を湛えていた。

 自身が値踏みされているかの様で、少し拒否反応が出た。


「…別に」


 照井がそれだけを絞り出すと、彼女はふと、肩にかけているギターに目を向けた。


「…ギブソン、ですか? 開人が、先輩のギターは神様の音がするって、いつも言ってるんです」


 その言葉に、照井は虚を突かれた。

 彼女はギターのロゴを正確に認識し、開人から伝え聞く言葉を、自分の言葉として淀みなく口にした。

 彼女は、自分たちが魂を捧げている音楽の世界を、ただの外野からではなく、理解しようとしている様に感じた。


「俺の言った通り神音だったろ、愛!」


 開人が興奮して割り込んでくる。 照井は何も答えず、ただもう一度、甲谷愛の顔を見た。彼女は、小さく微笑んだだけだった。

 その時、照井は確信した。

 開人が乗り越えようとしている「格差」とは、金や学歴といったくだらないものではない。

 この、静かで、聡明で、そしておそらく自分よりも遥かに精神的に成熟しているであろう、甲谷愛という一人の人間の隣に、胸を張って立つための、魂の格差なのだと。


 短い時間の後、女性は開人に小さく手を振り、夕暮れの人混みの中へと静かに消えていった。

 開人はしばらくその場に立ち尽くし、彼女が消えた方向を名残惜しそうに見つめていた。

 その顔には、満面の笑みと、そして何か新しい決意のようなものが浮かんでいるように見えた。


 開人のあの底抜けの笑顔と、彼の演奏をじっと見つめていた「愛」という女性の静かで深い眼差し。

 それらが、照井の中で一つの線として繋がり、すとんと腹の底に落ちた。

 なるほど、彼にとって「愛」は、全ての原動力であり、音楽を届けるべき絶対的な光なのだと。そして、その光がある限り、こいつはどこまでも高く飛べるのだろうと。

 ならば、開人が飛ぶ方向を見定める、それが自分の役目なのかもしれない。

 圧倒的な夕焼け空に目を細めながら、照井は強く心に刻んだ。

 時は流れる。そして、人は変わる。良くも悪くも。


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