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麗珠にやってきた二つの縁談の話であるが、涙珠にとっては意外な事に、黒金鯱家からの縁談の方は、表だって女学校からやってきた物では無いらしかった。

と言うのも、女学校では妖族から縁談が来たという情報は、枯れ野に火を放つような勢いであっという間に広がる事が決まり切っているのだが、黒金鯱家から、麗珠を是非にという縁談は、女学校の生徒の誰も知らなかったのだ。

教員は知っているのかもしれないが、それをあえて口に出さないのだから、それはつまり大々的に広めていい話では無い……という事を意味する。涙珠はそれを読み間違えなかった。

うっかりそういった読み間違えをすると、女学校での生活がいたたまれなくなるので、涙珠は当面の間黒金鯱家からの縁談の事は、腹の中に納めておく事に決めた。

一方で獅子牡丹家からの麗珠への縁談は、こちらは大々的に広まってかまわない様子で、女学校の門まで家の馬車で登校してきた麗珠の方は、あっという間に彼女の美しさや聖なる力に憧れている女子生徒達に囲まれたのだ。


「麗珠様! あの獅子牡丹紅刃様のところから、麗珠様を是非にと縁談が来たというお話が出回っていますが、本当ですか!」


「麗珠様ほどの美しく賢く、聖なる力に満ちあふれた乙女なら当然の縁談ですわ!」


「おめでとうございます、麗珠様! なんてうらやましい……!」


「獅子牡丹の若君の中でも、紅刃様は最も異能の力に優れた、次期当主の座が確定したお方と言われるほどの若君! 麗珠様くらいでなければ釣り合いもとれませんわ!」


女子生徒達は口々に、麗珠にやってきた縁談に対しての羨望の言葉や祝いの言葉を発する。

それも当たり前であろうと、自身は徒歩での登校である涙珠は思った。

学校内での麗珠の評判は素晴らしい物で、何をやらせても完璧な乙女で、提出物だってほとんどが甲で、たまに乙が有るくらい。誰にでも分け隔て無く優しく、慈しみにあふれていると評判なのだ。

涙珠だけが知っている現実として、その完璧な表の姿を維持するのに相当な心理的負担がかかって、涙珠に対してあれこれ行ってくるのだが、そんな裏側の事情など女学校の生徒達は知るよしも無い。麗珠は馬鹿では無いので、人々の目につくようにそんな真似をする事はない。

それに提出物の何割かは、涙珠に徹夜を強いて押しつけていると言うのもあるが、これだって誰も知らない現実だ。涙珠が何か言ったところで、運が良ければ丙で、大体が可と皆に思われている、できの悪い涙珠の言葉を、信じるわけも無い。

さて、そんな世間的評判が完璧な乙女である麗珠に、素晴らしい縁談が来るのは誰しもが納得する流れであり、彼女を尊敬していたり憧れたりしている女学校の生徒達が、彼女におめでとうとお祝いの言葉を言うのはごくごく自然な流れだ。

そしてお祝いされている麗珠の方も、にっこりと微笑み


「ありがとうございます。わたくしごときが、あの獅子牡丹のおうちからお話をいただくなんて、夢のようですわ」


と言っている。心の内では当たり前の縁談だと思っていたとしたって、そんな傲慢な心を麗珠は表には出さない。光り輝く麗しさの麗珠は、たくさんの人から見られている生活なので、下手な真似などしないのだ。

そんな彼女の方の騒ぎを見やった後、涙珠は麗珠の分まで提出物を作成した事で、かなりずさんな中身になった自分の提出物が、少なくとも荷物の中にはある事を確認し、その騒ぎからそっと遠ざかったのであった。





「あなたときたら、どうしてこう……まあ提出物を忘れないだけましですかね。麗珠さんをもう少し見習ったらどうですか? 彼女の提出物は全てにおいて完璧ですよ」


本日も提出物の中身が残念である事から、女学校の教員はあきれた顔で涙珠を見やった。


「申し訳ありません……」


「常磐の家に正式に引き取られるまでの間に、ろくな教育を受けていなかったと聞いていますので、多少大目には見てもらっているとわかっていますか?」


「努力します……」


「生まれが残念である事も、育ちが残念である事もやり直せない物です。しかしあなたは未来に向かって精進すると言う事まで、怠けてはいけません」


「はい……」


涙珠は教員の言葉にうつむいた。生まれが残念というのは、一般女子教育を受けていなかったと言う母から生まれた事を指し、育ちが残念というのは、常磐の家に引き取られるまでの間の涙珠が、低俗な男女混合の幼年学校に入っていた事を意味する。救決族の血を引く事がわかっていれば、普通ならばもっと上級の学校で幼少期から学ぶ事が出来るのに、そうでは無かった事も揶揄されているのである。

全部事実なので、涙珠はうつむくほかは無い。母を否定されるのはとてもつらいが、帝都での常識を教員は言っているに過ぎず、それに歯向かう事は帝都の常識に歯向かう事で、とんでもない非常識な頭の中身だと思われてしまう。

そうなると、ただでさえほかの生徒のほとんどからも、かなり遠巻きにされている涙珠は、一人の味方もいない孤独になってしまう。

おはようと言って、おはようと返事をしてもらえない悲しみを知っている涙珠は、そこまで牙をむく動きなどとれるわけも無かったのだ。

単なる現実、単なる事実。だから涙珠そのものを否定されたという話では無い。

涙珠は自分にそう言い聞かせ、努力します、尽力しますと言う返事をして、職員室から教室に戻っていったのであった。


「涙珠、また提出物のできが悪いって言われたの?」


「うん……あはは、本当に仕上がりが残念でね」


「涙珠の縫い目、私よりがったがただもんね! いつも眠そうにしているし。提出物のために根を詰めすぎて、居眠りしていたのも、この前見つかったよね」


最初は笑っていた同じ組の友人が、途中からあれ、おかしいな、と不安そうな顔になる。


「ねえ涙珠、あんまり無茶な事ばっかりしちゃだめだよ? 乙女にとって夜の睡眠はとっても大事な、美人になるための魔法の時間なんだから」


「そうは言っても、私は麗珠様と違って色々出来ないのだから、せめて提出物くらいは遅れないで出さなくちゃ」


「言っている事本当に真面目なのに、なんで涙珠の提出物への努力は実を結ばないのか」


「沙羅、ありがとう。そうだ、沙羅にも妖族の若君から縁談が来たって噂、本当?」


「本当! まあ麗珠様みたいに、獅子牡丹の当主格のおうちからじゃなくて、獅子牡丹のぎりぎり末端じゃ無い位の所からだけれど、獅子牡丹の末端ぎりぎりだって、とんでもなく財産家でしょ? お父様もお母様も、弟も大喜び! 今度顔合わせをするの。紅刃様ほどじゃ無くてもいいから、美形だと良いなあ……性格が悪くても、顔が良ければまだ我慢ができるじゃない」


「沙羅は前向きですごいよね。でも、沙羅みたいに明るくて笑顔の素敵な女の子が嫁ぐんだから、お相手もきっと大事にしてくれるよ」


「ありがとう! そうだ、麗珠様の縁談がとんでもなく素晴らしいのは皆知っている話だけれど、涙珠には何か来てないの? だってほら、涙珠より不真面目な子にだって、いい縁談が来てるじゃ無い。涙珠はあれこれだめだけど、努力家だって言うのは素晴らしいって、この前先生達が評しているのが聞こえちゃったんだよね」


「うーん、麗珠様のお嫁入りのあれこれで、常磐の家は大盛り上がりで大騒ぎだろうから、私の嫁入り関連は、それらが一段落してからじゃ無いかな」


「それもそうか。一度に二人のお嫁入りって、色々大変そうだもんね」


沙羅はうんうんと納得した調子で頷き、お迎えの馬車が来た事が取り次ぎの職員から告げられたので立ち上がった。


「じゃあね、涙珠。また明日!」


「うん、また明日」


この時涙珠は、普段通りにまた明日も、この女学校に登校する物だと思っていた。

そうならないなんて、全く考えてもいなかったのであった。





「ただいま戻りました」


涙珠はそう言って勝手口から屋敷の中に入った。涙珠には玄関を使う事が許されていないのだ。妾に育てられた子供の分際で、表玄関から入れると思うな、と言うのが奥方春子の言葉である。

自分には望めなかった子供を、妾が二人も産んだ事に春子は認められない部分もあるのだろう。手元に連れてきて、生まれてすぐから愛情を込めて育てた麗珠はかわいくとも、妾に育てられた、まともな教育も立ち振る舞いも持っていなかった涙珠に、優しくはなれないというわけだ。人間の心だからどうしようもない。

勝手口から戻った涙珠は制服からすぐに仕事着に着替えて割烹着をつけて、髪を布で覆って、家の事をあれこれ行うのが日常だ。

働く人数の多い常磐家の台所は人がいくらいても足りないくらいで、たとえそれが父の娘でも容赦なくこき使われる。

大量の米をとぎ、煮炊きをし、材料を切りそろえ、洗い物をし……やらなければならない事は山のようであるが、ひとりぼっちでいるよりはましという考えから、涙珠はその扱いを嘆いたりはしない。


「今日はこのお料理だよ! 材料は……」


「あれも作るよ! 新作だからね、こういう作り方で……」


厨房では女性達の大声が響き、涙珠はあっちを手伝いこっちを手伝い、そっちの仕上がりの確認に走らされ、大忙しである。

そして女性達の大変な手間と苦労の後にできあがるのは、当主の父と奥方の春子と、麗珠の食事である。この家で誰が重んじられているかが、明らかになる面々だ。

涙珠は彼等と同じ部屋で食事をとる事も許されていないので、基本的には住み込みの使用人達と同じ部屋での食事だが……当主の娘だが軽んじられている、というのはここでもあからさまになり、一番最後に食事を支度する事になっていて、そうなるとだいたいの食事は冷めているし、おかずも少ない事になる。

そのため涙珠はいつでもお腹がいっぱいになった事などなく、数時間もすればお腹が減ってしまう程度しか食事にありつけないのだった。


「ほら、涙珠さん。今日はご飯が残ってますよ!」


「うふふ、煮物の煮汁だって残っていますからね」


「あらやだ、お味噌汁をそんなに必死にお椀に入れるなんて、私行儀が悪くって出来ないわあ」


麗珠付きの女使用人達がそんな事を言ってくるが、涙珠はそれを聞き流す。だが。


「本当にえらそうで生意気! 麗珠様と違って下賤なお育ちのくせに!」


「あっ!」


聞き流された事が不愉快になるのか、女使用人達はそう言って涙珠を転ばせて、元々量の少ない残り物の食事が土間にぶちまけられるようにする。


「あーあ、もったいないわぁ」


「でもお育ちがお育ちだから、拾って食べられるのかしら」


「うっそー、きたなーい」


女使用人達は見下した声で笑い、自分達の食事は終わっているので麗珠のご機嫌伺いに戻る。

「……」


涙珠はため息をつき、台無しになった夕飯を拾って、汚れた土間を掃除した。

掃除が終わった時だ。

台所に続く通路の方が騒がしくなり、いきなり男の上級使用人が来たと思うと


「涙珠さん、当主様がお呼びです、今すぐに来てください」


そう言ってきた。おそらく黒金鯱との縁談は無い事を伝えるためだろうと涙珠は思った。

麗珠を求めているのだから、出来損ないの涙珠を求めるはずが無いからだ。

だが。


「黒金鯱家にお伺いを立てたところ……麗珠がどうしてもだめなら、涙珠でかまわないとのお返事だった。黒金鯱家の方から、麗珠なら良い時期を待って屋敷に来てもらう予定だったが、そうでないなら今すぐにでも、涙珠に屋敷に来てもらいたいと言われてな」


父が少し疲れたようにこう言った。


「涙珠、今すぐに荷物をまとめて、黒金鯱家のお屋敷に行くように。迎えの馬車は屋敷の前でお待ちになられている。すぐに支度をするように!」


「……」


ぽかんと呆気にとられたかった涙珠だが、そんな時間の余裕を、春子はくれたりはしなかった。


「涙珠! 急ぎなさい。黒金鯱家の方をお待たせする物ではありません! 待たせるようなら後からお前の荷物を送りますよ!」


「は、はい!!」


後から荷物を送られるとなったら、荷物がどんな惨状で送られてくるか考えたくも無い。

涙珠は我に返り、慌てて自室の一番小さな部屋に駆け込み、持ち出したい荷物を風呂敷にまとめて背負った。

その時だ。


「あら、涙珠。今から明日の提出物を頼みたかったのだけれど、どうしたのかしら、荷物を背負って」


「麗珠様、黒金鯱家の方が、今すぐに来るようにとのお言葉で、もう出なくてはならないんです」


「ええっ、それならわたくしの提出物はどなたがやってくれるのかしら?」


「わかりません!! ごめんなさい!」


涙珠もよくわかっていない状況だが、麗珠の方もあまりよくわかっていなかった様子で、呆気にとられている彼女の脇を走り、涙珠は初めて屋敷の表玄関から外に出て、門の前に待っていた馬車の前に来たのであった。


「常磐涙珠殿ですね?」


馬車の前にいた男性の問いかけに、涙珠はこっくりと頷いた。


「ご家族とのお別れはお済みですか?」


「……え?」


まるで今生のお別れになるかのようだ。その言葉に一気に不安に駆られて、屋敷に戻りたくなった涙珠であるが、表玄関からは見送りのように父が見ている。

これでやっぱりなし、は絶対に出来ない事だとすぐにわかった涙珠は、こうなるならばなるようになれ、と男性に対して頷いた。


「では、黒金鯱玄武様の元にお送りいたします。お荷物はそれだけですか?」


「はい」


そう返事をした涙珠は、馬車の中に案内され、そして馬車は軽快な音を立てて走り出したのだった。

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