麗珠と涙珠
見切り発車で行かせてもらいます!!よろしくお願いします!
昨今この国を牛耳っているのは、人よりなお優れた力を持つ者達を数多輩出し、国を守り動かす妖族だ。彼等は普通の人よりも遙かに見目麗しく、力に優れ、おのおの異能の力を持つ事で知られている。
だが歴史上忘れてはならないのは、いにしえの時代に妖族よりも遙かに強い異能を操った一族、救決族だ。現代ではすでに人間との婚姻が重なった事で血が薄れたからか、その力をほぼ失い、たとえ救決族の血を色濃く引いていたとしても妖族に劣る力しか持たぬ末裔達だが、妖族はその血を重んじ、救決族の血を引く乙女達を、特別な女学校に入学させ、何不自由の無い様に、妖族の名門の若者との縁組みをもうける等と特別待遇をしている。
その理由は人間の側には明らかにされていないものの、普通よりも遙かに特別な縁組みを手に入れられるとあって、人々は救決族の血の幸運をうらやみ、憧れているのであった……
「麗珠様……お助けを……」
「ええ、今お助けいたしますわ。と麗珠様がおっしゃっております」
病に倒れた、莫大な資産を持つとある豪商の老人が、震えた手で、薄布に隠されていてもなお隠しきれない美貌の少女に救いを求める。
少女は隣の少女に自分の言葉を代弁してもらった後に、薄布越しに微笑み、老人の手を握り、そっと目を伏せた様子で祈りを捧げ始める。
その脇には、彼女を手助けするのであろう、同じような薄布を被った少女が立っている。
その少女は、麗珠が祈りを捧げると同時に、自分の手を薄布の中の自分の口元に持って行く。
そうしている間にも麗珠の祈りが最高潮に達したのか、ふわりとあたりに優しく暖かな光が広がり、老人の顔色が瞬く間に良くなっていく。
「おお、痛みが引いていく……これが選ばれし、聖なる救決族の乙女の力なのか……」
老人は寝かされていた布団の上から起き上がり、うれしそうに笑みをこぼす。
「これで今のところは病を癒やしました。ですが、だからといって不摂生な事ばかりしてはいけませんわ。わたくしは病を癒やす力が微力ながら有りますが、病をまったく得ないようにするという事はできませんもの……と麗珠様はおっしゃっております」
喜ぶ老人の方を見ながら、麗珠の脇に立っていた少女が再び、麗珠の言葉を代弁する。
「わかりましたわかりました、ああ、体の痛みが無いというのは誠に素晴らしい事だ……!!」
「では、これにて麗珠様はお帰りになられます。治療の代金は常盤家にお持ちください。では、失礼いたします。麗珠様、お疲れでしょう。お荷物をお持ちいたします」
はしゃぐ様子の老人に、代弁少女はそう言って、簡単な荷物を持った麗珠から、荷物を預かると、麗珠を先導してその大きな屋敷を後にした。
屋敷の前につけた馬車の中に入ると、座席に深く腰掛けた麗珠は大きく息を吐き出し、被っていた薄布をとった。
「ああ、息苦しいですわ。いくらしきたりとはいえども、救決族の治療の際には必ず薄布をまとうようにというのは、息苦しくってしかたありませんわ」
「麗珠様、癒やしの力を使う際には、お顔を見られてはならないと言うのがしきたりです。仕方がありませんよ」
「お前にたしなめられたくないですわ。お前は私の影なのですから」
「はいはい」
麗珠は薄布をとった、その驚くべき美貌を思い切りしかめて、ぞんざいな態度をとったおつきの少女の頬をはたく。
「……っ」
「お前みたいな出来損ないが、わたくしに軽々しい態度をとらないでくださる? 本当に、わたくしのそばで何を見て学んでいるのだか。お父様の言葉とは言え、納得が出来ませんわ」
麗珠はそう言い、窓の外を眺める。
「あんな見苦しい老人を癒やすなんて、本当はしたくなかったですわ。でもお金のためですもの。仕方がありませんわね」
「……ご依頼はお父様がお決めになっていらっしゃるのですよ」
「お前にお説教も指図も受けたくないわ。出来損ないの涙珠。ああそうだ、家に戻ってこの辛気くさい巫女服を着替えたら、またパーラーでおいしいものを食べて、ウインドゥショッピングがしたいですわ。その後は阿国屋でお着物を誂えるわ。それか静寂屋で簪や小物を見るのもいいですわね」
「ではお出かけの準備をさせていただきます」
麗珠の本日の予定を聞いた涙珠はそう言い、窓の外を眺めた。彼女の方は頭から被る薄布をとる気配が無い。
そんな彼女に麗珠は言う。
「まあ、お前のようなぱっとしない顔の妹は、それくらい私に付き従ってちょうど良いのだわ」
麗珠と涙珠は、顔も形も似ていないけれども、れっきとした双子の姉妹だった。
涙珠達の母親は救決族の出身であり、それはそれは美しい女性だった。それを涙珠はぼんやりと覚えている。彼女が妖族にその存在を知られた時、時すでに遅くというのか、父の妾となっていた。これは母が救決族の家系図に乗らない、山奥のものすごい田舎で育ったからである。
自身が救決族の末裔であると言う事実すら、母は知らないで育って、田舎から出稼ぎに来て、女給となり働いていたところを父に見初められて、妾となったのだ。
実は妖族が救決族の末裔を探す事は定期的に行われる事であり、母は救決族の特徴とも言える、月の明かりの下でのみ深紅に輝く瞳を持っている事が、偶然それを見た使用人達の口の端に上り、調べたところ本当に救決族の末裔だったのである。
存在が知られた時、母はもうお腹に二人の子供を宿していた。そして二人の子供が生まれる事を指折り数えて待っていて、正妻の眼があるために頻繁には来られない父の訪れを心待ちにしている、物静かな妾だった。
妖族達は子供を宿す救決族の末裔である母を重んじ、そちら側に迎え入れようとしたのだが、父は母を手放したがらなかった。それは正妻との間に長年子供が出来なかった事も大きいだろう。跡取りの息子が生まれるかもしれないと、期待していたのだ。娘でも良かっただろうが。
そうこうもめている間に、母は二人の娘を産み落とした。一人は太陽の下で明るく光り輝くような美貌に育つ娘、麗珠。麗しい真珠という意味の名前だ。
そしてもう一人は、月明かりの下でもぱっとしない顔立ちの娘、涙珠だ。涙のような真珠という意味の名前は、これも美しい真珠の事を意味する。
母にとって一番美しい宝石が、山奥ではとても目にする事など出来ない真珠だったから、母は娘達に自分の知る中で一番美しい宝石の名前をつけたのだ。
そんな母が産んだ二人の娘のうち、麗珠の方は父の正妻の方に取り上げられた。もう正妻の方は子供が望めないかもしれない、とお医者様が診断した事も理由だろう。
そのため涙珠だけが、妾である母の家で育った。世間一般の何不自由なく、というよりも少し不便くらいの状態だったかもしれないが、山奥育ちの母直伝の、生活のあれこれのため、涙珠はさほど不自由な気持ちを持たなかった。
だが、母はある時父の正妻に連れて行かれて……そしてすぐに死んでしまった。涙珠には何があったのか一つも知らされなかったが、正妻が何かしたのは明白だった。
だがそれに声を上げる事は認められず、母を失った涙珠は父と正妻の元に引き取られて、そこで実の姉と対面した。
その時の衝撃を、涙珠は忘れようにも忘れられないだろう。
母は月の光の下で一番美しい、はかなげな美女だった。だが麗珠は日の光の下で燦然ときらめく様な、頭を殴られたような衝撃さえ覚える美少女だったのだ。
「お前の姉さんだよ。これからは姉さんに尽くすように。それがこの屋敷に引き取られたお前の勤めなんだよ」
父はそう言った。後から考えるに、そうでも言わなければ、正妻や正妻の実の娘のように育てられた麗珠が、行き過ぎたいじめを行う可能性が合ったのだろう。
そして涙珠に、身の丈をわきまえろという意味もあったに違いない。
そう言うわけで、涙珠はそこからずっと、麗珠のために尽くす日々だ。まあ暴言はあるけれども、物理的な何かは我慢できる程度なので、今のところそこそこ平和と言ってよいだろう。
たまに麗珠の機嫌を損ねすぎると、平手打ちされるわけだが、鞭が出てくるわけでもないので、涙珠はそれを甘んじて受け止めている。
それに父のところに引き取られた事で、救決族の末裔の端くれであると認められたわけで、自分の今までの生活ならばとても望めない、女学校に入学できたのも幸運な事であった。
「学校の皆様はレェスのリボンが流行だと言うけれど、わたくしには何が似合うかしら」
「どのようなレェスでも、お嬢様には負けてしまいます」
「うふふ、そうね」
ウインドゥショッピングを楽しむ麗珠は、今日も涙珠では絶対に袖を通す事なく人生が終わるであろう、有名な染めの着物に袖を通し、可憐な仕草でくすくす微笑む。たっぷりの荷物持ちをしている涙珠の方は、地味な色に地味な帯の、絹の着物では無く綿の着物である。
麗珠を褒めそやしているのは、家の女使用人達であり、彼女とともにウインドゥショッピングを楽しんでいる。重たい荷物は皆涙珠が持っている事もあって、誰も涙珠が麗珠の姉妹で、救決族の血を引くなんて思わない。一番格の低い下女で有ろうと思っているに違いなかった。
「つぎはあちらよ」
「はいお嬢様。涙珠さん、急いで!」
「……はい」
使用人達の方も、妾の家からそれなりの年になってやっと引き取られた、そんな涙珠を小馬鹿にしているので、お嬢様なんて絶対に呼ばない。
そんな物だろうなと納得している涙珠にとっては、たいした話でも何でも無かった。
お嬢様付きのうら若い女使用人が、ある日ぽっとわいて出たような、妾の娘をお嬢様と呼べるわけもない。ましてその妾が、落ちぶれた貴人でもない、田舎の山奥の出だったなら、なおさらだった。
麗珠を追いかける使用人達が呼ぶので、涙珠はえっちらおっちら荷物を抱えて後を追う。すり切れた継ぎの当てられた着物の、洗いざらしの前掛けの、わらの草履の涙珠は、どこからどう見たって、下女そのものなのであった。
「女学校の方から、麗珠に二つもの縁談が舞い込んできたよ」
普段の麗珠と涙珠は、これでも同じ女学校に通っている。とはいえ特別学級で選ばれた才能を発揮する麗珠と、そうでは無い学級で地味にひっそりと学校生活を送っている涙珠では、生活する世界のような物が違うし、友人の範囲も違うわけだが。誰も口には出さないが、かなり階級のような物が有る事を、生徒達は皆知っている。
そんな学校から帰ってきた麗珠と涙珠は、父に仕事部屋に来るように呼び出されたため、着替えもそれなりに、父の仕事部屋に来ていた。
そこでにこにことした笑顔の父から、麗珠の縁談の話を聞かされたのだ。
救決族の乙女達は、女学校に入っているならば、確実に女学校を通じて、妖族の名門の若者と縁組みが出来るのだ。
女学校の方に妖族が声をかけ、乙女達の家族にその事が伝えられるわけである。
「まあ、一度に二つもの縁談が来るなんて、素晴らしいですわ」
麗珠は花が咲くような笑顔で言う。妖族の名門の家から、それも二つも縁談が来るなんて言うのは、まさに選ばれし乙女である事の証明のようだった。
普通一度に、一つしか縁談は来ないのだ。それは貴重な救決族の乙女の取り合いという、不毛な争いを避けるためとも言えるだろう。妖族は無駄に争いをしないようにしているわけだ。
「わたくしを求めてくださるのは、どのような家紋のお方かしら」
麗珠の言葉に父は答える。
「素晴らしい事この上ないぞ、獅子牡丹家の若君、紅刃殿だ」
「まあ……!! 陸軍の中将様でいらっしゃる? あの眉目秀麗と噂のお方?」
麗珠が弾んだ声を出すのも無理は無い。紅刃という若君の噂は、涙珠の耳にも届くほどなのだ。文武両道、眉目秀麗、勇猛果敢で先の戦では大変な活躍を見せたとされている、獣の王者獅子族の中でも、花の王牡丹を名字に戴く、大変な身分の若者だ。
こんなとてつもない優良物件からの縁談など、夢でも無い限り普通はあり得ない。
普通は、だ。
涙珠は隣に並び、頬を染めてうれしそうに笑う麗珠を見て、さすが我が美貌の姉は普通の運命にはならない、と感心していた。
たとえ機嫌が悪くなると、すぐに涙珠の頬を叩く姉でも、学校で不愉快な思いをすると涙珠の着物をぼろぼろにする姉でも、そんな話は表に出ないわけで、さらに救決族としては例外的なほどの強い癒やしの力を持つ、選ばれし乙女である。
獅子牡丹の家だって、麗珠を求めるに違いない。
……だが、縁談は二つ。一つが獅子牡丹ならもう一つは? 普通獅子牡丹の家から縁談が来ているとなったら、ほかの家は二の足を踏んだりするだろうし、諦めるだろう。
諦めないとなると、獅子牡丹と同列の家の縁談なのだろうか。
涙珠が心の中で考えていると、父は喜びはしゃぐ麗珠を見た後にこう言った。
「一つは獅子牡丹の家から。もう一つは……黒金鯱の若君、玄武殿だ」
「ひっ……!」
「わ……」
獅子牡丹の家からの縁談に、喜んでいた麗珠は一変して顔から血の気が引く。それはそうだ。黒金鯱の家の玄武殿というのは、女学校で、
「絶対に嫁ぎたくない若君第一位」の座に、この三年間君臨する男性なのだ。麗珠や涙珠が入学する前には、縁談を女学校の方に申し入れていたらしいのだが、その申し入れもこの数年は無く、女学校の生徒達が油断していた相手である。
黒金鯱玄武という若君は、暴言がすごく、乱暴で、女を女と思わない男で、機嫌がすぐに悪くなって暴力を振るってくるとか、気に入らない使用人の首を切り落としたとか、そういった女学校の生徒からすると大変恐ろしい噂がつきまとう若君だ。
先の戦では海軍の将校として腕を振るい、屍の山を築き上げた血塗れの修羅とも言われている。海で出会えば食い殺されるとも言われるほど、恐ろしい相手とされていた。
そのため、麗珠の顔色が変わるのも、驚いて涙珠が声を上げるのも道理の男性だった。
「お父様、わたくし、嫌ですわ。黒金鯱玄武殿なんて! わたくし、獅子牡丹紅刃殿との縁組みをお受けいたしたいですわ!」
「そういうと思っていた。だが黒金鯱家も獅子牡丹家も、特別な癒やしの力を持つお前を、是非にと言っておられてな……こちらは慎重に検討すると言っているわけだが……」
なかなかどちらかを断るにも難しいと言う事なのだろう。他人事のように聞いていた涙珠だったが、父はさらに言う。
「黒金鯱家の方は、なんと獅子牡丹家の二倍の結納金を支払いたいと言ってきていて……どうだ、それだけの財産家だが」
「絶対に嫌ですわ! そうだ、それなら涙珠が行けば良いのです」
「え?」
「当家には、二人の双子の娘がいるでしょう! わたくしで無くとも、双子の片方ならば同じ救決族の末裔、お父様、黒金鯱のお家にお伺いを立ててくださいな!」
麗珠がよいと言っている家に対して、それはあんまりではと涙珠が思っている一方で、父はそれもそうかもしれないという顔をした。
「確かに。麗珠が二人に分裂できない以上、我が家の娘をお望みなら、片方には涙珠を嫁がせるほか無いな……」
「旦那様」
こほん、とここで、これまで全く口を挟まなかった父の正妻、春子が口を開いた。
「親という物は娘に良い結婚相手を紹介してやりたいというのが親心。我が娘も同然の麗珠には、望み通りの幸せな縁組みをさせてくださいませ。涙珠の方はどこでもやっていける図太い娘ですから、悪名高い黒金鯱の家でも、十分に嫁の務めを果たすでしょう」
「う、うむ……」
政略結婚の相手であり、大きな貿易商の実家の後ろ盾のある正妻春子は、ここに置いても父より意見が優先されるらしい。
父は少し考えた後に、こっくりと頷いたのであった。
そのどこにも、涙珠の意見は考えてもらえなかったのであった。